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 神秘部の戦いから二日経った日曜の午前。ネビル、ハーマイオニー、ロンのお見舞いに行くと、ベッド生活に飽き飽きしていた三人はにっこり私たちを歓迎した。
 ロンがベッド脇のテーブルに積まれた蛙チョコレートをみんなに投げて寄越す。入院着からみえる腕には解けた脳みその触手に絡みつかれたときにできたというミミズ腫れがまだくっきりと残っていた。『想念』というものは跡を残しやすいのだと、マダム・ポンフリーが痛ましい顔で教えてくれた。要は他人の脳みそには迂闊に触れちゃいけないんだって。ロンという尊い犠牲のおかげでよく分かったね、絶対にしません。

「今度は新聞がずいぶんハリーのことを褒めてるわ」
「もう頭の変な目立ちたがり屋じゃないってわけか?」
「ええ、『孤独な真実の声……精神異常者扱いされながらも自分の説を曲げず……あざけりと中傷の耐え難きを耐え……』へーえ?」

 ハーマイオニーは大きく鼻を鳴らし、読み上げていた日刊預言者新聞を乱暴に膝へと下ろした。シーツの上に広げられた新聞を覗き込んで一通りを目でさらう。ふんふんなるほど……。

「都合がいいね」
「ええ、ほんとに」

 端的感想を述べながら蛙チョコレートを開けると、コーネリウス・ファッジのカードが出てきた。タイムリーなこと。

「あざけりと中傷をしたりしたのは自分たちだっていう事実を書いていないじゃないの!」
「九面にハリーと私の独占インタビュー?……この内容どっかで読んだ気がするんだけど」
「それ、パパが売ったんだよ、とってもいい値段で。だからあたしたち、今年の夏休みに『しわしわ角のスノーカック』を捕まえるのに、スウェーデンに探検に行くんだ」

 さかさまの『ザ・クィブラー』から顔を上げたルーナがいつも以上にふわふわ嬉しそうなので、ニニィはいちゃもんをなんとか耐えた。旅行か、いいな。ハーマイオニーたちといつかどっか行きたい。

「……それはそうと、学校では何が起こっているの?」
「そうね、フリットウィックがフレッドとジョージの沼を片付けたわ──ものの三秒でやっつけちゃった。でも窓の下に小さな水溜まりを残して、周りをローブで囲ったの」
「どうして?」
「さあ、これはとってもいい魔法だったって言っただけよ」

 ハーマイオニーは驚いているけれど、そんなに不思議なことでもないと思う。先生たちもあの困った双子が大好きだったというだけだ。「二人の記念に残したんだと思うよ」ロンはまた新しい蛙チョコをほおばりながら、全く減らない蛙チョコの山を指差した。

「これ全部あの二人が送ってきたんだぜ。きっと、いたずら専門店がうまくいってるんだ」
「ダイアゴン横丁だよね。夏休み遊びに行けるといいな」
「行けるといいな、じゃなくて絶対行かなきゃ。多分フレッド達は誘拐してでもきみを招待すると思うな。ああ見えて律儀なとこあるし」
「そうよ、だって立派な出資者だもの」

 ハーマイオニーは私をじっとり見た。軍資金をカンパした件を黙っていたことが気に食わないのか唇が尖っている。私は「まあまあまあ……」と笑って誤魔化しながら話を無理やり変えた。

「とにかくダンブルドアも帰ってきてすべてが解決、元通り! ばんざーい、ダンブルドアさいこー」
「前校長の前でそんなこと言っていいの?」

 ファッジのカードを預言者新聞の上にたたきつけながら、ベッド横に置かれた椅子に座ったままハーマイオニーのベッドに頭を伏せる。ネビルが反対側のベッドを振り返った。その先にはアンブリッジが天井を見つめたまま横になっている。いつもきちんとしていた髪はくしゃくしゃで、まだ小枝や木の葉がくっついていたけれどたいした怪我をしているようには見えない。

「誰も悲しんでないだろ」
「フィルチをカウントしないならね」

 さっき『あの方こそが最高の……』とかなんとか言いながら廊下をモップ掛けしていた。ロンは鼻で笑い飛ばす。カウントしないらしい。
 しかし意識はあるのに一言も声を発さないアンブリッジの姿はかなり異様で不気味だった。不動のアンブリッジに、ネビルもちょっと怯えている。

「あの人、生きてるんだよね?」
「ええ、マダム・ポンフリーは単にショックを受けただけだって」
「自業自得だ」
「ただ拗ねてるのよ」

 ハリーとジニーは辛辣に言い切る。「こうすれば生きてる証拠を見せるぜ」ロンはそう言って、軽くパカッパカッと舌を鳴らして馬が走る音をだした。アンブリッジが勢いよく起き上がりきょろきょろとあたりを見回す。アンブリッジは事務所から顔を出したマダム・ポンフリーと少し話すと、再び枕に倒れこんだ。PTSD……ケンタウルスたちに拉致られたらしいけどなにされたんだろ。ハーマイオニーとジニーは枕に顔を押し付けてクスクス笑いを押し殺した。

「それじゃ、『占い学』の先生はどうなるの? フィレンツェは残るのかしら」
「残らざるを得ないよ。戻っても、他のケンタウルスが受け入れないだろう?」
「うん。トレローニーと二人で教えるみたいよ」

 『占い学』かあ。来年の履修どうしよう。というかちゃんとパスしてるのかな。明日の天気はカジキマグロが降ってくるとか予言しちゃったんだけど。うーん、ギリアウトな気がする。

「……にしても、ほんとびっくりだよなあ、ソフィア」

 ロンはダンブルドアの蛙チョコカードを水差しに立てかけながら誰ともなくつぶやく。ジニーの眉がきゅっと吊り上がったが、反対に口元は笑い出したそうにもごもご動いた。ソフィアはもう元気もりもりで、その日のうちにお屋敷に帰っていっていた──シリウスに肩をしっかり抱かれながら。

「もしかしてソフィアも預言者の子孫とかなのかな」
「『夢でシリウスが死ぬ姿を見た』って言い張ってたらしいけど……それで自分がシリウスになって運命を変えようとするなんてめちゃくちゃよね」
「夢で見るっていうのも予言の一種なのかしら?」
「……あ、予言といえば、ハリーの予言割れちゃって残念だったよね」
「ね、誰も聞けなかったし」

 この話やだなあ、と思っていればネビルが思い出したように話題を転換させた。ラッキー、便乗しちゃお。ハリーは一瞬息をつめてあいまいに笑った。

「うん……でもあいつだって、どんな予言だったのか結局分からずじまいだったんだ」
「ああ、不幸中の幸いってやつ──どこ行くの?」

 ハリーが立ち上がったのでロンはびっくりして聞く。がっかりしているロンに、ハリーは申し訳なさそうに微笑んだ。

「僕、ハグリッドのところに行かなきゃ。ハグリッド、戻ってきたばっかりだけど、会いに行ってきみたち二人がどうしているか教えるって約束したんだ」
「そうか。ならいいけど……僕たちも行きたいなあ」
「ハグリッドによろしくね!」

 ハーマイオニーの明るい声にハリーは了解の合図に片手をあげる。ぱたんと閉まった扉を、ロンは名残惜しげにみつめた。

「……じゃ、私もそろそろ行くかな」
「エレナまでどこ行くんだよ」
「フクロウ小屋。家に手紙ださなきゃ」

 お大事にと言って立ち上がりながらルーナにファッジのカードを渡す。彼女は裏の説明書きをまじまじ読んだ。

「あら、だめよこれ。『ヘリオパス』の軍隊について書いてないもン」
「『ヘリオパス』ってなんなの?」
「火の精よ。大きな炎を上げる背の高い生き物で、地を疾走し、行く手にあるものをすべて焼き尽くし──」
「そんなものは存在しないのよ、ネビル」
「いるよ、いるもの!」
「すみませんが、いるという証拠があるのかしら──」

 一日に二度のスルーは難しかったか……。
 言い争いをする声を背に、私は医務室を後にした。



 フクロウ小屋のガラスなしの窓枠に組んだ腕を乗せてもたれかかる。すうっと息を吸い込めば、澄み切った夏の空気が肺を満たした。残雪の白をまばらにちらつかせる黒い山嶺の頂には、靄のような雲が低く垂れこめている。初夏の明るい日差しに照らされた禁じられた森は、いつもの暗く恐ろしい雰囲気をどこかへ投げ捨て、キラキラと生い茂る葉を輝かせていた。森までもがダンブルドアの帰還を喜んでいるみたい。
 ぼんやり外を眺めていると、階段を上ってくる足音、やがて背後の扉が開いた。

「エレナ?」

 待っていた声。心の紐がほどけたような気分になり、自然と口元が緩んだ。一瞬目をつむって表情を切り替え、振り返って改めてにっこりする。

「手紙をだすところだったのか?」
「違うよ」

 ドラコは自分の周りを人工衛星のように飛びまわるアンブルを見て、捕まえようと手を伸ばす。アンブルはというと撫でてもらえると思ったのか、その手のひらへ甘えるように頭をこすりつけた。なんでこんなに懐いてるんだこの子。

「ここにいればなんとなく会えるかなって」
「……僕にか?」
「そうだよ」

 学期初めにしたものとは逆転したやり取りだ。珍しくからかうような顔をしていたのに、私の返事を聞くとドラコは目も口もぽかんとさせて固まった後、よろ、と若干後ずさった。

「自分で聞いたくせに引くってなに?」
「いやべつに、そういうわけじゃ──だってお前が──……そもそも、来なかったらどうするつもりだったんだ?」
「……考えてなかった」
「……傲慢だな」

 あきれてじっとりした視線を送ってくるドラコへ軽く笑う。すると彼は困惑したように眉をわずかにひそめ、「どうかしたのか?」と訊いてきた。首を傾げる。『知ってるよ』という思いを込めたはずのこの顔に、ドラコは何を読み取ったのだろう。

 そう、傲慢だ。
 自分は約束を守らないくせに相手が破ったら責める──私はずっと傲慢だった。
 そんなことを私はやっと、それもつい最近に思い知った。

「それで、僕に何か用があったのか?」
「あるといえばあるけど、ないといえばない」
「なんだよそれ」

 顔が見たくて、なんとなく会いたかった。それでもし運良くここで会えたら、ついでに様子を見とこうと思っていた──来年度のために。

「大丈夫かなって思って」
「なにがだ?」
「……神秘部、私もいたから」
「そうか」

 神秘部で大量の死喰い人が逮捕されたことは、もう世間の誰もが知るところだ。しかし敬愛する父の不名誉な逮捕に関わっていると宣言した女を前にしても、ドラコは落ち着いていた。「だろうな」なんてさっぱりとした反応に、こちらの方が動揺してしまう。彼は口端を歪めて皮肉っぽい笑い方をした。

「アンブリッジの部屋から出たあと、ポッター達と行ったんだろ」
「……うん」
「なんだ、その顔」

 手が伸びてくる。顔に触れた手の冷たさに肩がはねた。ドラコの親指が私の目の下を撫でるようにゆっくりと数度往復する。壊れ物を扱っているような触れ方がくすぐったい。私はプレパラートか? そこまで触るの躊躇うくらいなら触らなきゃいいのに……。意外とスキンシップが、というかパーソナルスペースが狭いよね、ドラコ。服を握り締めて身を固くしていると、ドラコはふ、と息を吐くように笑った。

「お前でも緊張するんだな」
「してないよ、驚いただけ」
「ふぅん」

 バカにされてるような気がして、ムッと反論する。全然信じてない返事をされた。愉しそうですね。なんだその返事は。離しなさいよ。そんな私の心の内を読んだかのようなタイミングで手が頬を滑る。つっと指先で頬をなぞられますます体に力が入った。う、なんか、なんか……え、なに? なんですかこの空気感。いやなんですけど。

「もうやめ──痛ッ! は?」
「ハハ、間抜けな顔だな」

 わろてるでオイ。誰のせいだと? 頬抓まれたら誰だってこんな顔になるですよドラコ坊ちゃん。やり返したろかな。結構容赦のない力で片頬をぐにぐにされながら思う。シーカーだから指先力は強いのかな。なんだ指先力って。まあ、さっきの触られ方よりかはずっとマシだ。
 突然パッとぬくもりが離れた。地味にヒリヒリする頬を撫でさすりながらドラコを見上げる。穏やかな顔をしていた。

「神秘部の件で僕が責めるとでも思ってたのか?」
「……それは──」
「お前のせいで父上が捕まったと?」

 図星で声を詰まらせる。ドラコは深いため息を一つ落とした。

「傲慢だな、本当に」

 またもやぐうの音も出ない。「いいか」とドラコは厳しく私を見据えた。

「父上が捕まったのは、父上があの方から仰せつかった任務を遂行できなかったからだ」
「え……」

 まさかあの父上大好きドラコがそんなことを言うなんて、と目を見開く。ドラコは無表情に近い顔で私を見下ろしていた。

「お前はお人好し過ぎていっそ独りよがりだ」
「はい……そうです、その通りです……」
「自覚があるなら勝手になにもかもの責任を負おうとするな」
「うん? うーん、うん……」

 微妙に納得できなくて返事を濁す。ドラコは知らないからそんなこと言えるんだろうな。私がこうなることを“知っていた”と知ったら、きっとこんなことは言えまい。まあ、勝手なのは色んな意味でその通りだ。私の裁量でこんなに未来を変えてしまっているんだから。

「そもそも……きみに僕の助けなんて必要ないように、僕にもきみの助けは必要ないんだ」

 ちょうど太陽が雲に覆われ、世界が一気に暗くなる。先程までの明るさが一切なくなったフクロウ小屋で、ドラコは静かに微笑んだ。

「だから、きみが気にすることはもうなにもない──この先僕がどうなろうとも」

 私は何て言えばよかったんだろう。

 気にしないなんて無理だということだけははっきりしていた。けれど三日月を模った瞳は、優しさを滲ませながらもはっきりと詮索も介入も拒絶していたから。臆病な私はうまく声を出せなくて──とっくに呼び慣れたはずの名前を紡ぐことすら、できなかった。
 

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