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ロンが昏倒したことは意外にもそこまで話題にならなかった。倒れた場所がスラグホーン先生の部屋であったため、誤って置いてある薬か何かを呑んでしまったのだろうと生徒たちは考えていたからだ。
その数日後──ハッフルパフ戦を六〇対三二〇っていう信じられないくらいの惨敗で終えた頃にはロンの調子も完全に戻り、医務室から無事に退院した。惨敗の理由がロンの代打で入ったマクラーゲンによるものっていうのも、ロンの体調に大きく影響していることだろう。いやほんと、替えのきかないシーカーであるハリーの頭をバットでフルスイングして箒から叩き落とすっていう、クィディッチ素人の私でも半笑いでドン引きしてしまうほどのド戦犯かましてくれたマクラーゲン様様だね。
よく考えてみれば、ハッフルパフに勝てたのって実は一年次の一回だけだ。そりゃあみなの恨みもひとしおにもなろう。セドリックっていう主柱が抜けた今年が一番のチャンスでもあったのに。まあそんなわけでロン以外の寮生はブチ切れてるが強く生きてほしい……なんてあの人には余計なお世話か。今日も今日とて彼は友人たちと中庭でバタビガイザーして元気に遊んでいる。うーん、変な知識与えちゃったかもしれん……。
とにかく、ほんの僅かではあるけれどホグワーツにいつも通りの日常が戻ってきた。
「おい、材料は規定量を使え。勝手に増やすな」
「でも睡眠豆って刻んでも全然汁でないんですもん」
「……刻まず、ナイフの平で潰してみろ」
スネイプ先生の研究室へ伺うのも日課になりつつある。その中でも、こうしてちょくちょくプリンスのアドバイスをゲットできるのは思わぬ副産物だった。嬉しい、魔法薬学のときにも積極的に使っていこ。
「その薬は、怪我を負ってから一分以内に服用しなければ効果は発揮されない」
「え? ああ……そうらしいですね」
それは本にも書いてあったから知っている。珍しくあちらから話題を振ってくれたと思ったら今更なにを聞くんだろう。そう思って鍋から眼を離さないまま相槌を打ったが返事がない。顔を上げるとスネイプ先生はいつも以上にむっつりとした表情を浮かべている。よく観察すればその顔には、ささやかながらもこちらを慮るような色が浮かんでいたので、私も手を止めた。
「きみの叔父上に処方するには、些か遅きに過ぎると思うのだが」
「……そうかもしれませんね?」
叔父さんが怪我をしてからもう一年以上経っている。たしかにあの人に使うには遅い。でもこの薬は来年のあなたに対して使うものだし……。そもそも叔父さんのために作ってるなんて言ったっけ? 藪からスティックになんの忠告だろ。
不思議そうな私に自分の言ってることが全く響いていないと察したのか、先生は「分かっているのならいい」と顔を背けた。意味が分からなくて逆に私が気になってしまったけど、これ以上話をしてはくれなさそうだった。
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なぜスネイプ先生は叔父さんに渡す薬だと思ったんだろう。
闇の魔術に対する防衛術の授業中、先生が講義を聞きながらぼんやり先日の会話を思い出す。なんとなく去年任務で負傷したことを指しているわけではないような気がしていた。ただの勘だけど。
先生の背後に控える叔父さんを見る。能天気ににこにこしているのは変わらないけど、今年になってからやたら生徒たちに──まあ、主に私なんだけど──絡むことはなくなっていた。いい傾向だ、その調子でぜひ大人しく夏休みを迎えていただきたい。
目が合った叔父さんは授業中にもかかわらず小さく手を振ろうとしてきた。やめい、祈った矢先に。スネイプ先生からは見えないにしたって生徒たちには丸見えだ。伝播してくるクスクス笑いが耳に届いて恥ずかしくなる。そんな叔父さんのローブから杖が滑り、床に落ちた。もーほら、変なことしようとするから……。言わんこっちゃない、言ってないけど。
と、慌てて拾う叔父の姿を呆れて眺めていたが、そこで唐突に強烈な違和感を覚えた。
なんだろう、なんか今の──……。
──『反射的に動かしたくなるのは左だったが、まあそれももう時間の問題だろう』
「……何か質問でも? ミス・ワイアット」
「……あ……いえ、なんでも……」
「ならばさっさと座りたまえ。授業を妨害したとしてグリフィンドール十点減点」
減点する声を聞きながら大人しく席に座りなおす。何も考えず衝動のまま立ち上がってしまったから、かなり注目を集めていた。不思議そうな眼差しを向けてくる周りの生徒や叔父さんの視線から逃げるように俯いてスカートを握り締める。心臓が痛いくらい激しく拍動していた。
あの夏、フロイエン山で叔父さんは何気なくだがたしかにそう言っていたはずだ。
それなのに、どうしてさっきの彼は“左手”で杖を拾えていたのだろう。
「エレナ、なにか──?」
「ごめん、大丈夫、なんでもないから」
顔色があまりに悪かったのか、ネビルが声を潜め、眉を下げて聞いてくる。それに対して私は笑顔を向けた。
些細な、けれどしっかりした不信感。
でもこれは誰にも話してはならないことだと、自分でも不思議なほど強く感じていた。
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最近ハーマイオニーの機嫌がめちゃくちゃいい。なんにもないところで笑っていたり、花輪を突然作ってくれたり、ハリーやロンの宿題をみてあげたりと、本当に怖くなるくらい機嫌がいい。本人に聞いても「なんでもないわよ」と言うけど、なんでもないで私を花輪かけにしないでほしい。祝祭が始まってしまう。
彼女はしらばっくれているが理由は明白。ロンとラベンダーの仲が、毒を盛られて以降険悪になりはじめたからだ。まだ別れてはいないけど……この前からホグズミードへも二人で一緒に向かってるし。それはラベンダー的にありなの? それともあっちもパーバティと一緒いる方が断然楽しいって気付きだしたってことだろうか。
「みんな、『姿現わし』するにはまだ若すぎるのかね? まだ十七歳にならないのか?」
皐月を目前にし、早くも空は夏の色をじんわりと帯びはじめた。そんな今日はついに姿現わしの試験本番の日だった。十七歳の資格がある者はこの日のためにもう数度ホグズミードでの実施練習を経ているので合格する人がほとんどだろう。特にハーマイオニーなんて前回の練習で成功させていたから余裕なはずだ。
アーニー、ドラコ、ハリー、私の四人しか生徒のいない魔法薬学の教室でスラグホーン先生は愛想よく笑う。先生は「ならば楽しいことをしよう」と私たちになんでもいいから好きな薬を作ってみなさいと指示を出した。そういうのが一番困る。
「『おもしろいもの』って、どういう意味ですか?」
「ああ、わたしを驚かせてくれ」
分かりやすく喧嘩腰のドラコに、スラグホーン先生は子猫を相手にしているかのような気楽さで気軽に言う。あっさりあしらわれた彼は不機嫌そうな顔のまま、教科書を開いて薬を選び始めた。私も同じように作業を始める素振りをしながら、ドラコの顔を見遣る。
「(随分やつれちゃった)」
頬も少しこけているように見えた。あの罰則の部屋で見たときよりもずっと濃い隈が目の下に鎮座している。不健康なその顔は苛ついているのと同じくらい泣きそうだった。
「(……愛の妙薬でも作ろうか)」
ハーマイオニーは『ドラコは私の特別になりたかったんじゃないか』と教えてくれた。だったら手っ取り早い『特別』──恋人になればいいんじゃないか? そうすればドラコも私に心を開いてくれるんじゃ──。
「(……なーんてね!)」
いやいや、いくらドラコのためとはいえ偽の恋人関係になろうとするなんて、そんなヤンデレメンヘラみたいなことはさしもの私でもやるわけない。それはさすがに手段を選ばなすぎでしょ。HAHAHAとアモルテンシアのページを捲り、見なかったことにする。すべてが終わったとき、気付いたら恋人ができてましたなんてドラコにとっちゃトラウマもんだろうし、そんなのたとえ酔っ払いだって強行しないようなやばやば作戦だろう。うん、まともじゃない。
今日は普通に元気がでる薬でも作ろう。自由実習とはいえ、女子生徒が愛の妙薬作ったらスラグホーン先生だって面白がりつつも絶対引くだろうしね。
一時間半後、出来上がった私の鶏がらスープのような色味の元気爆発薬を見て、スラグホーン先生はホホー! といつもの口癖のあと『期待以上』と評価した。
もはやいつもの事だが、今回も例に漏れず大袈裟に評価されてしまった。アーニーの視線が痛い。なんとかしてスーザン。彼は今年になってやたら脚光を浴びるようになったハリーや、凡才のくせに叔父の影響でお気に入りな私に対して激しい対抗心を燃やしていた。いやでも今日に限っては魔法薬の独創なんて無茶しなければよかったんじゃないかな……。アーニーの薬──薬? が紫のゴムボールのようになったのは絶対に私のせいじゃない。
終業ベルが鳴ってすぐ教室から出て行こうとしたドラコを急いで追う。呼び止めれば、彼はグッと動きを止め、錆びた人形のようにゆっくりとこちらを振り返った。いやに怯えた顔で見つめられたことに内心で首を傾げつつも持っていた薬を差し出す。
「これは……」
「さっき作った薬。効果は聞こえてたでしょ?」
「……ああ」
ドラコは固く頷いたが、受け取ろうとしない。『それをなぜ僕に渡すんだ』と顔に書いてあった。
「ドラコ、ずっと体調が悪そうだから……もらってくれないかな」
「なんで」
「なんでって……体調悪そうで心配だから……?」
「……どうして」
「ええ……?」
「もう心配しなくていいって……必要ないって言ったじゃないか……」
ドラコが急になぜなにぼうやになってしまって私はいたく困惑したが、耳を澄ませないと聞こえないほど小さな声に目を見張る。『必要ない』。それはもう何回聞いた言葉だろうか。しかしその震える声にいつものような拒絶はなく、ただ戸惑った響きだけが含まれていた。
「無理だよ」
素直な気持ちがいつになくするりと口からでていったのは、だからだろうか。
「だって私、ドラコには健やかに生きててほしいから」
「なにを言って──」
「辛い思いも痛い思いもしてほしくない。昔から、ただそれだけを願ってるんだもの」
想いの一端を声にしてみると、堰を切ったかのように感情が溢れていく。
「だから、心配しないなんて無理」
何を言い出すのかと驚くドラコを見ていれば、どうしてか『いっそ開き直ってやろう』という気持ちになってくる。
「昔って……」
「昔は昔、友達になった時からだよ」
曖昧な言い方だとドラコも思ったのだろう。少し顔を顰めた。その顔から不安定な揺らぎが消え、凍てつくような冷たさが戻る。
「……随分熱烈なことを言ってくれるんだな。だが僕にそんな気遣いは不要だ。自分の体調くらい自分で管理できる」
「いやできてないよ。なんでそんな見え透いたうそ吐くかな」
「うそ? ただの学友に過ぎないきみに僕のなにが分かるっていうんだ? この際はっきり言うが、きみのお節介は迷惑でしかない」
「まあそれは正論だな……」
お節介だなんて承知の上なので後半は無視するとして。“ただの学友”。もっともだ。結局私たちの交友期間なんて三年にも満たないくらいだしね。こんな希薄な関係だと、心配するにもそれ相応の理由が必要らしい。
「(どうしようかなぁ)」
必要ないと、お前には分からないと突っぱねられるのはもういやだ。だって寂しい。心配くらいさせてほしい。
「(……もしかしてドラコも──)」
去年同じことを……なんて思いかけてすぐに考えを打ち消す。寂しいなんて彼が思うわけないか。きっとハーマイオニーが言っていた説が正しいんだろう。
私はドラコ・マルフォイの幸せな未来を願っている。
ドラコの未来には、私の個人的な感情なんて邪魔で、無意味で、虚しくて、なにより不毛でしかなくて。
だからこの気持ちは絶対に認めないつもりだった。それこそ一生『ただの学友』でいるつもりだった。でも、だけど──。
「(……もういっか)」
だって認めないと心配する権利さえ持てないのだから。
そう諦めれば、途端に笑いが込み上げてきた。ドラコは突き放したはずなのにニヤつく私を見て、眉をひそめる。気でも狂ったのかと思われてそうだ。残念ながらどうしようもなく正気だし、なんならここ最近で一番晴れやかな気分だ。私は静かに息を吸った。
「ドラコのことが好きだよ」
バームクーヘンエンドだってもういいや。引き出物のバームクーヘンを美味しく戴くのは諦めた。家で独り惨めにしょっぱいバームクーヘンを貪るエンドを、甘んじて受け入れよう。
「……は、──」
「大切で特別で、大事だと思ってる」
受け入れてしまったおかげか、改めて口にしても思っていたほどの後悔はなかった。しかしもちろん、散々言っていた彼の未来のことも忘れてはいない。
「っ、お、お前は……またそんなことを──」
「でも安心してね。恋人になりたいとかは何があっても絶対に言わないから」
「……は?」
でもこれって、よく考えれば最初から恋人にしてもらうつもりはないよって伝えればいいだけの話なのでは? 『好意はある、ただそれだけ』ってことをちゃんと告げておけば、どう転んだってドラコと恋人にはなることはないだろうし……うん、これなら未来にたいした影響はないんじゃない? 告白した事実自体はまあ邪魔ではあれど、しかしあの二人の熱い愛を前に大きな障害にはならないだろう。今までがちょっと日和りすぎっていうか……自意識過剰だったかな! いや〜恥ずかしい。自分の存在をどれだけ重大視してたんだか。穴掘りたい。
「ただ好きで、大切なだけ」
言葉にすると気持ちがより強固になって心の中にはっきりとした輪郭を伴っていく。今までハーマイオニー相手にでも言わなかったのは正解だったなと苦笑した。
そう。ドラコが好きで大切。
だから私のことで心を砕いてほしくなかったし、迷惑をかけるなんて以ての外だった。
それはドラコが望んでいた形とは違うかもしれない。だからといってそれは壁を作っていたとか、決してそういう訳じゃなく、これだって私にとっては十分『特別』な人への感情だった。
好きな人だからこそ、彼の居場所は少しの風も当たらぬ場所がいい。
微塵も損なわれてほしくない。
その考えはやっぱり今でも変わらない。
「好きだから心配になっちゃうし、助けたいって思う。そこにドラコの意思は関係ない──“心配の必要”あるなしを決めるのはドラコじゃなくて私だよ」
なのにそれを特別じゃないと──この『特別』云々の話はあくまでハーマイオニーの推測でしかないんだけど──決めつけるなんて。改めて許せないなという気持ちで胸が満たされる。……自分もこれまで十分勝手な決めつけをしまくっていたことは棚に上げてね。なんてズルい言い分なんだ。まあ人間なんてみんな勝手だから仕方ない。許せサスケ。
「な、にを、そんな──勝手なことを……」
「勝手で結構。文句があってもなくても知らない。……そういうわけだから、もう諦めて」
「諦める?」
「諦めて、心配されて」
とにかくドラコが勝手をするのなら、こっちだって勝手に心配するだけだ。開き直った傲慢人間は厄介で面倒くさいと知るがいい。
狼狽する彼の胸元に薬を押し付けて無理やり持たせる。しかし瓶を押し付けた衝撃だけで倒れそうなほど、ドラコの体が大きくグラついたので、慌てて両手首を掴んで傾く体を引っ張った。しっかり立たせながら俯く彼の顔を覗く。見開いた灰色の瞳には一応私の顔が映っていたが、きっと見えてはいないのだろうと思った。ドラコは呆然としていて、呼吸もままならないといった様子だ。
「どうして……だって──あの時は絶対にうそだったのに──」
「……あの時ってなに?」
聞き返されてやっと覗き込まれていることに──もっと言えば手を掴まれていることに気付いたらしい。触れていた手が振り解こうとするように力が入ったのを感じたので、彼が暴れる前に素早く手を離し、自分の顔の横にハンズアップしてみせる。何の話か分からないけど……今はいいか。今のドラコ、あんまりつつくと泣きそうだし。
「まあとにかく、付き纏い──は迷惑だろうからしないけど、でもあんまり苦しそうなら強硬手段も辞さないのでそのつもりで」
「は、や、やめろ、そんな──もう、たのむ、僕に構うのは──」
「やめないよ」
普段流されてくれることが多いせいで、本来のドラコはプライド激高なことを失念してた。いっそ多少強引にでも動いた方がいいのかもしれない。隙を見て姿をくらますキャビネット棚、細切れにしちゃおうかな。
ドラコは泣きそうともとれるような困り果てた顔をしていた。
「じゃあ……なら……」
「ん?」
「お前……エレナは……まさか、本当に──……?」
本当になんなのかは聞けずじまいだった。ドラコが泳がせた瞳をふいに私の背後でぴたりと止め、口を噤んだからだ。つられて振り返ると教室の出入り口から黒いローブの裾がちらちら覗いていた。アーニーはもうとっくに出て行ってるし、教室に残っている人物と言ったらスラグホーンとハリーくらいだ。私たちの会話を盗み聞いているのだろうか。
ドラコは険しい顔をしてすぐさま踵を返してしまった。せっかく何か言いかけていたのに……。まあ言いたいことは言えたし、薬をもらってくれたからとりあえず良しとしよう。そもそも廊下でする話じゃなかったかな。
私は溜息を吐いて教室のほうへ戻り、未だもぞもぞしている服を思いっきり引っ張った。
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