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◆◆◆
天井が落ちたことで騎士団メンバーを阻んでいた障壁が消えた。そのことにみんなすぐに気付き、動ける者は走り出す。しかし埃の中からスネイプ先生とドラコがでてきたので急ブレーキをかけて走るのをやめた。
「(ああ、そっか……)」
「終わった。行くぞ!」
冷然とした表情のスネイプ先生に、私は事の成り行きを察した。先生は紙のように白い顔のドラコの背中を押して、無理やり歩かせながら叫ぶ。勝ち誇ったような甲高い女の笑い声があたりに木霊した。死喰い人たちは呪詛を至るところに放ちながらケラケラ笑って引きあげていく。みんなそれを捌くのに夢中で、私以外誰もスネイプ先生の言葉を気にしていなかった。
終わった。そう、終わったんだ。
その事実に、今度こそ力が抜けた。ビルを座らせ、自分もその隣にどっかり腰掛ける。そうしてみんなの戦いを傍観していると、ハリーが螺旋階段ラスト十段を一跳びに飛び降りて現れた。眼鏡の奥で、緑色の瞳を憎しみで爛々と光らせている。
ハリーはジニーと戦っている死喰い人を吹き飛ばし、足をもつれさせながら、スネイプ先生たちが消えていった廊下へ一目散に疾走していった。「ハリー戻れ!」シリウスが片足を引き摺って息子分を追いかけていく。ソフィアが支えようとして慌てて走り寄った。そんな二人をジニーが追い越し、廊下を矢のように走っていく。
「生徒たちの様子を──見に行かなければ……」
「私も行こう」
マクゴナガル先生がふらふらとよろけながら立ち上がろうとするのを、叔父さんが手を貸して手伝った。残った人たちが血だらけの体に鞭打って廊下を修繕していく。ああ、ルーピン先生、酷く草臥れてはいるけど結構元気そう。沈黙させられただけだったんだ、よかった。
私は俯いていたビルの顔をそっと上に向かせる。鋭い牙で切り裂かれた顔面の傷は早くも炎症を起こして腫れあがっていた。傷が発熱しているからか、ビルは額に脂汗を浮かべてふうふうと荒い呼吸を繰り返している。エピスキーを何度唱えても血が全然止まらなくて泣きそうになった。
「エレナ、ビルは……」
「多分グレイバックが、か、噛んで……」
「なんだって?」
声を震わせて答えると、ルーピン先生が顔色を変えてサッとしゃがんで横たわるビルを念入りに調べた。全員が沈黙してそれを見守る。ロンは祈るように両手を握り締めていた。
「医務室に行かなければ」
ルーピン先生は、緊張した声を絞り出してそう言った。
看護長は『見舞客は六人まで』なんてことは当然言わなかった。薬の用意や病人の手当ててんやわんやだったからそれどころではなかったのかもしれない。彼女はくるくると動き回り、速やかに怪我人たちを一人残らず対処し尽くした。
「爪の傷跡だけならこの薬で十分な効果を望めるのですが……」
言葉尻が頼りなく揺れて中途半端に消える。マダム・ポンフリーが自信を失くした様子を見せるのは滅多にないことだったので全員が不安を隠せず目配せをし合った。医務室で合流したハーマイオニー、ルーナが泣きそうになりながら私を見る。
「ネビルはどうなの?」
「今は眠ってるだけだって。眠る前に薬も飲ませたし、多分平気だと思う」
治療が終わったネビルは今は治療も終わり、入り口付近のベッドで深い眠りについていた。呪い以外にもそこまでの大怪我はしていない。
病棟の扉が開いた音にそちらを見ると、ハリーやジニー、シリウスとソフィアが現れた。ハーマイオニーが駆け寄ってハリーに抱き着く。
「ハリー、大丈夫?」
「僕は……ビルはどうですか?」
ハリーの質問に誰も答えられない。ハリーはきつい緑色の軟膏を傷口に塗りたくられたビルを見て、「呪文か何かで傷を治せないんですか?」とじれったそうに聞いたがマダム・ポンフリーは哀しそうに首を振った。
「この傷にはどんな呪文も効きません。知っている呪文は全部試してみましたが、狼人間の噛み傷には治療法がありません──」
「だけど、満月の時に噛まれたわけじゃない。グレイバックは変身してなかった。だから、ビルは絶対、本物の──?」
ロンがビルを見つめながらすぐさま言った。が、声を詰まらせる。「ああ」そんなロンを元気づけるようにルーピン先生が頷いた。
「ビルは本物の狼人間にはならないと思うよ。……しかしまったく汚染されないということではない。呪いのかかった傷なんだ。完全には治らないだろう。そして──そしてビルはこれから、なんらかの狼的な特徴を持つことになるだろう」
「でもダンブルドアなら、何かうまいやり方を知ってるかもしれない──そうだ、ダンブルドアの命令でビルはあの狂った奴らと戦ったんだ。ダンブルドアはビルに借りがある──ダンブルドアはどこだい?」
「ロン──ダンブルドアは死んだわ」
「まさか!」
苦し気に告げたジニーに、ルーピン先生はハリーが、そしてシリウスが否定してくれることを望んで目を素早く移動させる。シリウスがゆっくり首を横に振ると、先生はがっくりとベッド脇の椅子に座り込み、顔を両手で覆った。
「どんなふうにお亡くなりになったの? どうしてそうなったの?」
「スネイプが殺した。僕はその場にいた──」
トンクスの問いかけに、ハリーは感情を極端に収え込んだ声で淡々と話しだした。みんなが戦々恐々として黙って話に聞き入る。スネイプと聞いて一番苛烈な反応を見せそうなシリウスは、意外なことに顔を青褪めさせるだけで声を発さなかった。
マダム・ポンフリーが話を遮るほど大きな泣き声を上げたとき、再度扉が開いて今度はマクゴナガル先生と叔父さんが医務室に入ってきた。二人とも顔に擦り剥けを作り、ローブも破れていてボロボロだ。
「ハリー、なにが起こったのです──?」
「スネイプが、ダンブルドアを殺しました」
説明を求めるマクゴナガル先生に、ハリーは繰り返した。フラついて倒れるマクゴナガル先生の肩を叔父さんが慌てて掴み、涙を残したマダム・ポンフリーが椅子を先生の体の下に押し込んだ。
「スネイプ。私たち全員が怪しんでいました……しかしダンブルドアは信じていた……いつも……スネイプが……信じられません」
「スネイプは優れた閉心術士だ、そのことはずっと分かっていた」
ルーピン先生が普段の穏やかさをかなぐり捨てて荒々しく吐き捨てた。トンクスが怯えたように先生を見つつ口を開く。
「けど、ダンブルドアはスネイプは誓って味方だと言っていたわ。だからわたしたちの知らないスネイプのなにかをダンブルドアは知っているに違いないって……わたしはずっと思ってた……」
「スネイプは過去が過去ですから、当然みんな疑っていました……しかしダンブルドアは私にはっきりとスネイプの悔恨は絶対に本物だと仰いました……スネイプを疑う言葉は、一言も聞こうとなさらなかった!」
「ダンブルドアは誰にでも改心の機会を当然に与えた。それは学生時代の私にだって与えられた……」
スネイプ先生の裏切りをシリウスではなくルーピン先生のほうが憤っているのは私にとって意外で、当のシリウスは怒るというより落ち込んで見えた。
「ダンブルドアを信用させるのにスネイプがなにを話したのか知りたいものだわ」
「僕は知ってる」
「なに?」
ハリーの言葉に叔父さんが初めて声を出した。信じられないというように目を見開いてハリーを凝視している。
「スネイプがヴォルデモートに流した情報のおかげで、ヴォルデモートは僕の両親を追い詰めたんだ。そしてスネイプは自分のしたことを心から後悔していると懺悔した」
「ダンブルドアはそれを信じたのか? スネイプはジェームズを憎んでいたのに?」
「母さんのことだって、スネイプは価値があるとは思っちゃいなかった……だって母さんはマグル生まれだ。『穢れた血』って、スネイプは母さんのことをそう呼んだ……」
ハリーの告発に全員が黙り込んだ。現実を受け止めきれず、呆然としている。レベッカは恩師をぼこぼこに言われ、心底居心地が悪そうに目を伏せていた。
「……そういえばレベッカはどうしてここにいたの? フレッドとかはいないのに」
「え、ああ……あなたたち、コイン使ったでしょ? DA用の。私、あの……あれを加工してキーホルダーにして持ち歩いてたから──」
「超おきにじゃん」
「うるさい、話の腰を折るな──で、ポケットにいれてたそれが反応したから……何かあったのかと思って。だから研究所を早退して騎士団本部に向かったの」
「私たちはちょうどホグワーツを巡回してくれとミネルバから連絡を受けたところだった」
「ええ、ダンブルドアは、数時間学校を開けるから招集をかけるようにと──」
マクゴナガル先生がスネイプ先生に援軍を頼んだ話や、ボージン・アンド・バークスと対になっている必要の部屋の姿をくらますキャビネット棚の話。必要の部屋前で見張りをしていた私たちの話……。
それぞれが情報をだしあって共有する中、私は静かに窓ガラスに背中をつけた。みんなの声が水の中にいるみたいに反響して聞こえて、意識がふわふわしている。その場にいるのに、スクリーンに映った劇を見ている気分だった。
「私たちはスネイプの部屋の前にいたの」
ハーマイオニーがそう言って目を真っ赤に腫らして私を見た。なぜここで私を見るんだろう。
「ネビルだけ走って行っちゃったんだ……あたしたちはフリットウィック先生を介抱してて、上には行けなかった……」
ルーナがしょげ返って捕捉をしてくれた。そこで二人が、ネビルが怪我したことを申し訳なく感じているんだとやっとわかった。そんな、誰も二人を責めたりしないのに。
三人がスネイプ先生を見張っていると、フリットウィック先生が死喰い人がいると叫びながら、援軍を頼みに研究室に飛び込んでいったらしい。中でドサッという音がする前にネビルは脱兎の勢いでその場から走り出していたという。引き留めようとしたところを、二人はスネイプ先生に捕まり、倒れたフリットウィック先生の面倒を頼まれてしまったんだとハーマイオニーは涙ながらに教えてくれる。
「私たちだけなにも……ネビルも止められなくて……」
「そんなこと──むしろ二人まで怪我しなくてよかった──」
病棟の扉が勢いよく開き、みんなが飛び上がった。ウィーズリー夫妻と美しい顔を恐怖で凍らせたフラーを見ていられなくて顔を逸らす。
「モリー、アーサー……お気の毒です──」
「ビル──ああ、ビル!」
急いで出迎えようとしたマクゴナガル先生のそばを走り過ぎたウィーズリーおばさんは、息子の姿を見てそのままベッドに倒れこむかと思われた。息子に覆い被さって、怪我で引き攣った頬にキスをする。
「息子はグレイバックに襲われたとききました。しかし変身していなかったのですね? すると、その場合ビルは──?」
「まだ分からないのです……」
「珍しいケースだ、アーサー。おそらく例がない。ビルが目を覚ました時、どういう行動に出るかは分からない……」
おばさんはマダム・ポンフリーが差し出した軟膏をビルの傷口に丁寧に塗りだす。
「ミネルバ、エドガー、本当かね……ダンブルドアは、本当に……?」
「ああ」
「スネイプなのです──」
大人たちが話す中、私はフラーをそっと窺った。彼女は目を見開いて感情の読めない顔で夫を見下ろしている。
ウィーズリーさんたちがダンブルドアの死を悼む中、おばさんは息子だけを見て啜り泣いていた。
「どんな顔だろうが、そんなのはどうでもいいわ……そんなことは、もちろん……でもこの子はとってもかわいくて、ちっちゃな男の子で、ハンサムで……それにもうすぐ結──結婚するはずだったのに!」
「それ、どーいう意味でーすか?」
フラーが弾かれたように顔を上げてウィーズリーおばさんを激しく睨んだ。髪が意思を持ってるかのように膨らんでむくむく大きくなったような姿に、一昨年初めて彼女とまともに会話した時のことを思い出した。要するに、フラーは激おこだった。
「どーいう意味でーすか? このいとが結婚するあーずだった?」
「でも──ただ──」
「ビルがもう、わたしと結婚したくなーいと思うのでーすか? こんな噛み傷のせーいで、このいとがもう、わたしを愛さなーいと思いまーすか?」
「いいえ、そういうことではなくて──」
「だって、このいとはわたしを愛しまーす! 狼人間なんかが、ビルにわたしを愛することをやめさせられませーん!」
フラーが背筋を伸ばしてウィーズリーおばさんを真正面から見据えた。「まあ、ええ、そうでしょう」おばさんは毅然としたフラーの様子に驚いている。その姿に、きっとおばさんはニコニコ気のいい、ビルにベタ惚れでどんな嫌味も通じないくらいおおらかなフラー・デラクールしか知らなかったのだろうなと思った。ついでにいうとジニーやハーマイオニーも驚いている。みんなフラーをちょっと甘く見すぎだったんじゃないだろうか。フラーがただのウルトラスーパー美人だったら代表選手に選ばれるはずがないのに。
「でも、もしかしたら──もうこんな──この子がこんな──」
「わたしが、このいとと結婚したくなーいだろうと思ったのでーすか? それとも、もしかしてそうなっておしいと思いまーしたか?」
さすがにそこまでは思っていなくとも、元々結婚しなければいいと思っていたことは確かだったので、ウィーズリーおばさんは言葉を失くす。フラーがキッと眼光を鋭くさせた。
「このいとがどんな顔でも、わたしは気にしませーん! わたしだけで十分二人分美しいですし、傷痕はわたしのアズバンドが勇敢だという印でーす!」
自分の美しさを正確に理解して主張に含むの、フラーらしくて少し笑う。彼女は憤然と言い切ると、「それに、それはわたしがやりまーす!」とおばさんが持っていた軟膏をひったくって姑に代わってビルに塗りはじめた。
「……大叔母のミュリエルが──」
長い長い沈黙の末、奇妙な表情で息子夫婦をじっと見つめていたウィーズリーおばさんが口を開いた。
「とても美しいティアラを持っているわ──ゴブリン製のよ──あなたの結婚式に貸していただけるように、大叔母を説得できると思うわ。大叔母はビルが大好きなの。それにあのティアラは、あなたの髪にとても似合うと思いますよ」
「ありがとう」
フラーは硬い口調で言い捨てたが、「それは、きーっと、美しいでしょう」と付け加える。そして突然、二人は抱き合って泣きだした。呆気にとられる人がほとんどの中、叔父さんだけは満足そうに口を緩めていた。
「分かったでしょう!」
トンクスが突然張り詰めた声を上げたので肩が跳ねる。彼女はルーピン先生に詰め寄って睨んでいた。
「フラーはそれでもビルと結婚したいのよ。噛まれていたって、そんなことはどうでもいいのよ!」
「次元が違う。ビルは完全な狼人間にはならない。事情が全く──」
「私も気にしないわ──気にしないったら!」
トンクスを見ないように顔を背けたルーピン先生を、彼女は胸元を掴んで激しく揺さぶった。先生は意識したように感情を押し殺した顔をしていて、無気力にされるがままだ。
「百万回も、あなたにそう言ったのに……」
「私も、“きみに”百万回も言った。私はきみにとって、歳を取りすぎているし──」
「おいおい、ムーニー。それを私たちの前で言うのか? 歳の差の話を?」
「……それに、貧乏すぎる……なにより危険だ……」
「リーマス、あなたのそういう考え方はばかげていると、私は最初から言っていますよ」
シリウスやウィーズリーおばさんに茶化したり優しく宥められ、ルーピン先生はギュッと目を瞑った。年齢差問題ならシリウスソフィアには勝てないし、貧乏だから不幸になるわけではないということはウィーズリー一家が証明している。
「ばかげてはいない。とにかく、トンクスには誰か若くて健全な人がふさわしい──」
「でもトンクスはきみがいいんだ」
ウィーズリーおじさんがちいさく微笑み、「それに若くて健全な男がずっとそのままだとは限らない」と横たわっている息子を見下ろした。ルーピン先生は一瞬動揺して硬直したが、「そもそもいまはそんなことを話す時ではない」と落ち着かない様子で首を振った。
「ダンブルドアが死んだんだ……」
「世の中に少し愛が増えたと知ったら、ダンブルドアは誰よりもお喜びになったでしょう」
「そうだとも、リーマス」
素っ気ないマクゴナガル先生の言葉を後押しするように、叔父さんは力強くそう言った。可哀想なほど四面楚歌だ。「リーマス」シリウスが、叫び出したそうなほど苛々しているルーピン先生を優しく呼んだ。
「ダンブルドアはきっと一人でも多くの者の幸せを祈っていただろう」
「だったら──」
「だがな、ジェームズは誰よりも“親友”の幸せを願っていたはずだ」
シリウスの言葉に、ルーピン先生は床を見つめたまま目を見開いた。「もちろん私もだが」なんて軽やかに言ってウィンクをする。
「きみだって幸せになっていいんじゃないか?」
ルーピン先生は何か発言しようとして口をわななかせる。結局何も言わず、口を噤み、自分に縋りついているトンクスを見下ろすと、逡巡し、おっかなびっくりで彼女の頬へ手を伸ばした。しかし頬に触れる直前で止まり、一向に動かない。
トンクスはまだ触れるのを躊躇っているルーピン先生の手をひっしと掴み、自分の頬を押し付けた。反射的に身を引こうとするルーピン先生の背中を、シリウスがそっと支える。柔らかく眦を下げている親友に、先生は唇を噛み締め、やがて長く息を吐いた。
空いた手がゆっくりとトンクスの腰に回った。
「……──」
茶色い髪をかき分け、耳元に口を寄せられたトンクスがわっと泣き出す。私たちには何も聞こえなかったけれど、百万回振られたトンクスが初めてプロポーズをされたことだけは分かった。
なぜって彼女の髪が、瞬く間に毛先から彩やかなピンク色に染まっていったのだ。それを見ればもう、何をいわれたかなんて明白だよね。
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