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 葬儀が終わったからといって悠長にしてはいられない。なにせ一時間後には帰りのホグワーツ特急が出発することになっている。叔父さんと話していたせいで寮に戻るのがみんなより遅くなってしまった。一人になった寝室で室内を見回す。
 六年使ったこの部屋とも、もう今日でお別れなんだ。もう二度と来れないと思うとこのカーテンのほつれ一つでさえ胸に迫るものがある。……あれ、なんか私当然のようにホグワーツの戦いの後も学校に戻らないつもりでいるんだけど、もし案外早く戦いが終わって普通に戻れちゃったりしたらどうしよう? まあそれならそれで、嬉しい誤算だからいいけどね!

「あっピーブズ! 葬儀にアンブリッジが来てたから今行けばまだ会えると思うよ!」
「なに〜? もっと早く教えろよな、それこそダンビーが死ぬ前に!」
「無茶言うな」

 階段途中で見つけたピーブズに話しかける。このウルトラ不謹慎なポルターガイストを拝めるの、は、最後ではないけど。まあこうしてのんきに会話するのは最後だろう。すっ飛んでいく混沌をにこやかに見守り、私は階段を下りて玄関ホールへと向かった。



「ヤダ、今日の私、調子よすぎ……?!」
「ほんとだね、一回も勝てないや」

 特急に乗り、第六回ボドゲ祭りが開催されたが、チェスも将棋もリバーシもゴブストーンも全勝ちだった。そんなことある? どのゲームも完膚なき勝利を収めてしまった。唐突に開花した自分の才能が怖い。ぼろ負けしたはずのネビルは落ち込んだ様子もなくにこにこしている。

「負けちゃったしお昼奢るよ」
「わーい、じゃあ私も奢るね」

 ちょうど来たランチカートにネビルが巾着を持って腰を浮かせる。私の言葉に彼は「それじゃ意味ないでしょ」とクスクス笑いながら、ローストビーフを挟んだフォカッチャ、スコーンやドーナツ、そしてお菓子を大量に買い込んだ。

「……買いすぎじゃない?」
「そう? でもどれもおいしそうで──さ、食べよ!」

 二人じゃ到底食べきれない量なのに、ネビルはおかしなことなんて一つもないというように、私へサンドイッチを差し出してくる。……ドリンク、もう二つずつくらい買っておけばよかったかな。結局私は飲み物しか買わせてもらえていなかった。
 軽食を食べ終わり、お菓子の山を漁る。大好きなとあるお菓子を見つけ、口角がにやりと上がった。

「ねえ、百味ビーンズ度胸試ししない?」
「いいよ」
「いいの?!」

 この数年、誰に持ち掛けても断られていたのに初めて受けてもらえて驚愕する。顔横でカシャカシャ振っていた体勢のまま硬直すると、ネビルはまたころころと楽しそうに笑った。

「……なんかテンション高いね」
「だってエレナといるとすごく楽しいから」

 その言葉で確信する。深く息を吐くと、ネビルはきょとんと首を傾げた。

「ネビル」
「なに? あ、じゃあ僕から食べようかな、まずは──」
「うそが下手だねえ」

 覗き込んでそう微笑むとネビルはぴたりと動きを止める。数拍ののち、彼は百味ビーンズへ向けていた視線をゆっくり私に向けた。見つめあったまま私もネビルも声をださないので、コンパートメント内に沈黙が流れる。やがてネビルは観念したように脱力してがっくりと項垂れ、眉を下げた情けない顔で私を見た。

「エレナに言われるなんて心外……」
「私はうそ上手いよ?」
「いいや違うね、エレナは頑固なだけさ」

 なん……だと……?
 空元気をあっさり看破されてネビルは機嫌を損ねたのか、ツンとした調子で断言した。
しかし上を向いた顎はすぐに下がる。「来年」ネビルは窓の外を見ながら呟いた。

「エレナは……来ないんだろう?」
「そうだね」

 どこに、とは言われずともわかる。ここ数日、この話題は上がらなかった。今日だって私がこうして指摘しなければ話そうとしなかったに違いない。
 静かに肯定すれば、ネビルはぐっと眉根を寄せて苦し気に顔を歪めた。

「……ごめんね」
「どうして謝るんだよ。その方がいいってばあちゃんも言ってたし、僕だって、そう……」

 ネビルはこちらを見てぎこちなく口元を緩めた。無理に笑おうとしているのがすぐ分かって私も自然と眉が下がる。

「そう、分かってるんだけど……──でも、ごめん、やっぱり──寂しくて」
「ネビル──」
「ごめん、こんなこと言ってる場合じゃないよね。ダンブルドアは死んで、もういなくて、ホグワーツだけじゃなくて魔法界が大変になるって時にこんなこと──ほんと僕ダメだ──全然状況が分かってない──」
「寂しいよ私も!」

 捲し立てられる自虐的な言葉を遮って大声を出すと、落ちていた視線がハッと上がった。

「ダンブルドア? 魔法界? 状況? 知ったことか!」
「そ、そんな言い方──」
「『親友に会えなくなるから寂しい』と思うことのなにがダメなの?」

 山積みのお菓子をささっと退かし、隣に移動してネビルの肩に頭を預けた。目を閉じると、ひた隠していた気持ちが待ってましたと言わんばかりにするすると溢れ出していく。

「私だってもっとネビルと一緒にいたい」

 ミンビュラス・ミンブルトニアの可愛さだってそろそろわかってきてたんだ。私だって一つくらいは育ててみたかった。アモルテンシアの調合にもなんだかんだいって興味があったし、ネビルはどんな匂いを嗅ぐのか知りたかった。

「まだやりたいことばっかりだよ」

 実はいつかクィディッチの実況役に立候補してみようかなとか思っていたりした。ラベンダーと二人だけの手芸部だって凝った刺繍ができるくらい上達していたし、次はヒッポグリフや不死鳥を描く予定だった。パーバティとは今度厨房でお菓子作りをする約束をしていたんだ。シェーマスと練習したレスリング技で調子乗り屋なディーンをいつか自分の手で卍固めしてやろうと目論んでいたし、学年一の秀才を振り向かせようと躍起になるロンをみんなでニヤニヤしながら見守りたかった。連日N・W・E・Tの勉強をしてみんなでノイローゼになりたかったし、死んだ顔でグラブ・ジャムンを口に詰め込みたかった。シーズン最後のクィディッチ試合が終わった後は勝ち負けにかかわらず歴代最長シーカーを勤めあげたハリーを天井にぶつける勢いで胴上げしてやりたかったし、卒業の前日はきっと主席のハーマイオニーでさえ巻き込んで天文台の塔より高いところに花火を打ち上げたかった。

 ああ、こんなの、全部叶わないとずっと前から分かっていたはずなのに。

 贅沢な心が満たされないと叫んでいる。みんなのことを知って、好きになって、もうたった六年だけじゃ時間が全然足りないよと。そんな我儘を、心臓が軋むほど喚いていた。

「ホグワーツから離れるの、やだなあ」
「……うん」

 小さい返事のあと頭に僅かな振動が落ち、ネビルも頭を傾けたのが分かった。膝の上で握り締められていた拳に手を重ねる。

「……ネビルも休学したら?」
「え?」

 出し抜けな私の言葉にネビルが身動ぎして私を見たのが分かる。私は自分とネビルの手を見つめたまま動かなかった。

「だってホグワーツが安全じゃなくなるのは結局純血でも変わらないよ」
「それはそうだけど……」
「大丈夫、お祖母さまの説得は私も手伝うからさ。だから──……」

 続きを紡ぐことができなくなって黙り込む。少しの沈黙の後、手の中の拳がギュッと固くなった。

「しないよ」
「だよね」

 予想通りの答えに口角が上がる。がっかりはしない。ネビルは逃げたりしないと知っていたから。試しに言ってみただけだ。開いた窓の僅かな隙間から空虚な風が吹き抜けていく。

「僕はグリフィンドールの剣で世界を救わなきゃいけないんだもの」
「え?」

 あっけらかんとした声に思わずネビルを見上げると、彼は「きみが言ったんじゃないか」と笑う。ぽかんとした間抜けな顔の私が優しく細まった瞳に映っている。

「三年の初めての占い学だよ。忘れちゃったの?」
「わ、わすれてないよ。わすれてないけど、でも──」

 まだトレローニー節への耐久値がなく、ついカッとなって場を白けさせたあの一言。いや間違ってることを言ったとは今でも思っていないが、だがどうしてネビルがそんなことを覚えてるの。

「覚えてるに決まってるよ。だってあの時のエレナ、庇ってうそをついてるとかじゃなくて本気で信じてるみたいだっただろう?」
「そりゃ、ほんとにそう思ってるからね……」
「おかしいよ。エレナが親友でいてくれること以外、何の取柄もなかったあの頃の僕にそんなこと思ってたなんて──ほら、こう言って怒るのだってエレナくらいさ」
「……そんなことないよ」

 ハーマイオニーだってきっと悲しむ。なのに言った本人はやたら楽しげにくすくすしていた。なんだか気に食わなくて口が尖る。

「本当になんにもないと思ってたんだ。薬草学だってまだそこまで得意じゃなかったし、なにをするにもエレナの助けが必要で、いつも自信がなくて……エレナが危険な目に──バジリスクに襲われた時だって、僕にはなんにもできなかった」

 バジリスクなんて。あんなのしょうがない、事故なんだから。そう言いたかったけど、口を挟んではいけない気がしたので耐える。

「それなのにそんな僕をきみはずっと信じてくれていた。だから僕も、エレナの信じる僕を信じたいって──信じれるようになりたいって思うようになった。僕はホグワーツに残って戦って、胸を張って『エレナの親友だから当然だ』って言いたいんだよ」

 やめてと叫びそうになって咄嗟に口内を噛み締める。私はそんな大層な人間じゃない。私こそなんにもなくて、なんにもできないのに。

 だってあの頃の私はまだ子供で──なんならまだ“読者”のつもりでさえいて。なにも分かっていなかったんだもの。現実味を帯びてこないと事の重大さを理解できないなんて、愚かにもほどがある。でも今ならはっきり言えるんだ、傷付くくらいなら一緒にいてほしいと。……ほら、言い出したのは自分のくせに今更こんなことを言っている。私こそネビルの──こんな凛と透き通ったやさしさを持つひとの親友を名乗れる資格なんてないんだ。やるせなくなって引いた手を今度はネビルが掴んで指を絡めた。

「さすがに世界を救えるとまでは思えてないけどね」
「……救えるよぉ」

 否定して、傷つけてしまいたかった。そうしたら諦めてくれるんじゃないかって。しかしやっぱりそんなことは出来ず、言葉尻がただ情けなく揺れた。

 救える、救うんだよあなたは。あの城でみんなの希望になって、傷だらけになっても決して心を折ることなく、最後まで勇敢に立ち上がって、そしてあの剣を手に入れるんだ。それはもう揺ぎない事実だけれど──ああ、でも、やっぱり、そんなことしないでいいのにな。してほしくないよ。

 震える指に力を込めると、やんわり力が籠められる。それがまるで大丈夫だよと言われているように感じて、また目が熱くなる。

「ありがとう 、“一緒に逃げよう”って言ってくれて嬉しかったよ」
「……でも逃げてくれないんでしょ?」
「うん」
「もう信じてないって言っても? あの時の言葉が、本当はうそだって言っても?」
「うそだっていいよ、それでも嬉しかったんだ」
「……そんなことする必要ないよって言っても?」
「必要のあるなしじゃないんだ、僕は自分の意志で戦いたいって思ってる。ねえエレナ、だからそんなに怖がらないでいいんだよ。」

 頭を撫でられて、もうだめだった。ギリギリで抑えていたものが決壊すると、栓が抜けたように体に力が入らなくなり、ネビルの腕に縋りつくような形になる。ネビルは体勢を変えてナメクジのように力の抜けた私をぎゅっと抱き締めた。透明なだけの血がネビルの胸を濡らしていく。それはどんどん大きな染みを作っていき、あの夜の分まで流れているように止まらなかった。ぽんぽん背中を叩きながら、やさしく息を吐く音がする。

「そういうところが……逃げようって言っちゃうところが、なんていうか……ヒーローっぽくないんだよね」
「ヒーローじゃないし、べつに」

 なんでいきなりディスるんだ。私泣いてるのに。ヒーローなら一緒に戦おうって励まし合うんでしょうね、きっと。どうせ私には無理だ、弱虫の臆病者な私にはできないよ。不貞腐れた気持ちになったので投げやりに言い放つと笑った気配がした。

「でもヒーローだよ、僕にとってはずっと」
「……、……私にとってのヒーローもネビルだったよ」

 心細いときに会いたくなって、助けてほしいと思う相手は決まってあなただった。

 寂しさを忘れさせてくれるのは、いつもネビルだったんだよ。


 涙の合間になんとか紡ぎだした声は、多分ちゃんと聞こえていたと思う。鼻を啜る音がしたから、きっと。
 

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