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 戦争が始まる──その前に。
 私には世界と並べたって遜色ないくらい大きな戦争が待ち受けていた。

「じゃ、お願いしまーす……」

 叔父さんが頷いてリビングの中へ入っていくのを重い気持ちで眺める。私は暑苦しい廊下で、リビングの扉に背中を付けて蹲りその時を待った。ああ、どうしよ、やっぱりやめてもらおうか。でも話したい気持ちもありけりの翁……。いや絶対うまくいかないよ〜! 中止にするか?! しよう! よし、じゃあ──。
 そう顔を上げた瞬間、背後からドタバタと駆けてくる音がして終わりを悟る。座り込んだまま頭を抱えた。あー戻った、絶対もう戻った。遅かった。判断が遅い!

「エレナッ!」

 記憶、戻っちゃったよねこれ。
 勢いよく扉が開かれころんと背中から転がり、床に当たって止まる。膝を抱えたまま上を見れば、逆さまの真っ青な顔をしたお母さんが私を見下ろしていた。

「ただいまお母さん」
「た、ただいまって、あなた、今まで──いえ、それよりその髪──!」

 一番にそこか。まあ目に見える変化だもんな。お母さんはわなわなと口を震わせて膝をつく。寝っ転がったままの私の頭を反対側からそうっと撫でる。氷のように冷たい指先が耳に触れた。追って現れたお父さんもひどくショックを受けている様子だ。微笑んでみても、今回ばかりは誤魔化されてくれないらしい。硬い表情のお父さんの背後で叔父さんも無言で首を振っている。私は溜息を吐いてよっと身を起こした。

 役者は揃っちゃったし、それじゃあ、二年前の続きを始めるとしようか。



「それで、どういうことなの?」

 ザ・ワールド! そして時は動き出す……!
 ではなくて。叔父さんのちちんぷいぷいによって、止まっていた時がついに動き出す。流れでスタンドの仕業だと言いかけてしまった。ラスボスの眼光が鋭すぎるのでただの現実逃避ともいえる。

 数年前に私が壊したはずのダイニングテーブルを挟み、私の向かいに座るお母さんは神経質に眉を吊り上げていた。彼女は腕を組み、自身の両腕をぎゅっと握り締めている。

「なにか言い訳があるなら──」
「どうしてこんなことしたんだ?」

 剣呑なお母さんの声を遮って、テーブルクロスをじっと見つめたままお父さんが静かに言った。いつだって緩やかに上がっていた口元はこれまで見たことないほど硬く結ばれている。

「エドガー、説明してくれ。なんでこんな勝手なことが何年もできていたのか」

 低く冷たい声は私に向けられたものではなかった。私とお母さんは気まずさも忘れて顔を見合わせて、そして声の主と、私の隣に腰掛けていた叔父さんを交互に見る。唯一の肉親に長年裏切られていたと知った父は未だかつてないくらいに怒っていた。
 前回──私の入学が決まった時。あの時は父親の記憶だけ解除したといっていたが、それでも祖父母の死の真実については記憶に蓋をしたままだったらしい。しかし今日、その魔法も完全に解かれた。まずいんじゃ、と緊張しながら叔父さんを窺う。大丈夫かな、必要なら何かフォローだしたほうが……いや、私の助け舟なんて所詮泥製だしな。黙っとこう。グッドラック、RIP! 胸の内で密かに十字を切った。

「ウィリアム、お前が怒るのも無理はない。私はこれ以上家族を傷つけまいと、守ろうとしてお前たちの記憶を封じた……だがそれは間違いだったのだな」

 険しい視線を向けられても、叔父さんは動じることなく静かに語り、最後に儚く微笑んだ。実兄の珍しすぎる態度にお父さんの怖い顔がぎくりとしたように強張る。その瞬間、私はこの勝負の結末を悟った。元々怒るのが苦手な人だからね……。

「結局こうして傷つけてしまった……謝って許されることだとは思っていないが……本当にすまなかった。お前たちの強さを最初から信じることができなかったのは愚かだったと、今は心から後悔しているよ」

 憐れみを誘うような震えた声色と、陰のある表情。そんなものをみせられてワイアット家随一の良心がそれを突っぱねることができるだろうか。こんなの改めて断言するまでもないけど、できるわけがない。お父さんは先ほどの怒りを引っ込めて狼狽えだした。お母さんも不安そうに眉を下げて二人の男性を見つめている。
 あーあー、うまいことやっちゃって……本当に私のヘルプなんて不要だったね。「この子に」叔父さんはそう言いながら私の肩を寄せた。

「エレナに諭されるまでは、私は記憶を戻そうなんて考えはしなかっただろう。エレナが『家族を信じよう』と言ってくれなければ……」

 叔父さんの魔法でも使ってんのかと思うくらいの話術により、形勢はあっという間に優勢へと傾いた。両親は感極まったように私を見つめる。私はこの機を逃すまいと急いで口を開けた。まあ今までのはジャブ、本当の戦いはここからですよ。

「海外に亡命してほしいの」
「な、なんですって?」

 イギリス魔法界は、最悪の魔法使いを牽制していた最強の魔法使いは死んでしまったことにより、今、最低の状況に追い込まれている。
 だから二人にはできるだけイギリスから遠い土地まで逃げ、戦争が終わるまで安全に暮らしてほしかった。

「叔父さんはこれで結構有名な人だからこの家も危ないかもしれないの。私もハリーと同じ寮生だったし、なにかしらの繋がりを探しに来るかも」
「……その言い方だと、まるであなたは来ないみたいに聞こえるわ」
「うん、ついていけない」

 あっさり肯定すると、お母さんの眉根が僅かに寄る。それでも思っていたより強い拒絶反応ではなかったのであれ、と思った。

「やらなきゃいけないことがあるの。私はイギリスから離れられない」
「それは本当にあなたがやらなくてはいけないことなの?」
「うん」

 今年中に薬を完成させなければならないし、ホグワーツの戦いにも絶対に参戦しなければならない。助けたい人がたくさんいる──もうこれ以上失いたくない。

「……魔法界は楽しかった?」
「えっ? た、楽しかったよ」
「そう。まあ、当然よね。私たちの記憶を封じてまでわざわざ必要のないことを学びに行ったんだもの。じゃなきゃ困るわ」

 意表を突かれて完全に油断しているところを刺されてちょっと呻く。チクチク言葉……。罪悪感で目を逸らしたくなるのを堪え、真正面から母親の視線を受け止める。

「そうだよ、私はお母さんたちを捨てて魔法界を選んだ。お母さんが不要と判断した世界は今にも滅びようとしている。だから結果的に見ると、お母さんが正しいのかもしれないね」
「だったら──」
「でも楽しかったんだよ、本当に。あの世界が美しかったの、お母さんだって知っているでしょう?」

 色とりどりの花が宙を踊って咲き乱れる花園。くすくす笑う妖精が落とす光の粉。紫色の夕暮れを映し出す天井。

 一度見たら、忘れたくとも忘れられないほど心に焼き付いているはずだ。

「あの素晴らしい世界に恩返しがしたい。だから一緒には行けない。ごめん」

 二人の記憶をわざわざ戻して正直に話したのは、この戦争が終わった時自分がどうなっているか分からないからだ。ちゃんと対話をして分かり合えるのは、これが最後の機会かもしれないと思った。だがこうして話して納得してくれないのなら、葬儀前夜、ハーマイオニーが教えてくれたものと同じ手段をとるのもやむなしだと考えている。
 なにを言われたって意思を曲げるつもりはないこと、そして理解が得られなかった場合にとる手段のことも含め、先に謝った。お母さんはしばらく黙って私を観察したあと、ゆっくり一度瞬きをし──なんと微笑んだ。

「それで、いつから行けばいいの? 海外ってどこかしら。決まってるの?」
「え、あ……えっ?」
「国はまだ決まっていないが、出来るだけ早くだ。もしどこか希望があるならまだきけるぞ」
「ですってあなた。どこにする?」
「そうだなぁ……僕はアジアとかロシアに行ってみたいかな。ああでも、ニュージーランドもいいな」
「ニュージーランド! 素敵、私も行ってみたいと思ってて──」
「いや待ってよ! え、いいの?」

 思わず声を荒げてしまったが私は悪くない。だって、あんまりにもすんなりいきすぎている。しかも私抜きでサクサク進んでるし。楽しそうなお母さんの声を遮ると、両親はきょとんと首を傾げた。

「ダメと言ったら、エレナは納得するのかい?」
「それは……しないけどさ……」
「でしょう。それにまた記憶を消されてはたまらないから」
「えっ」
「そんな目をしてたわ」

 動揺で口を噤むと、お母さんは「やっぱりね」と顰め面のような笑みを浮かべた。

「本当は嫌よ。戦わせたくない。魔法界なんてどうでもいい、あなただけが安全でいればそれで、それだけでいいの。……でもそうやってあなたの意志を否定して、また心配すらできなくなるのはいや」
「……心配したいの?」
「当たり前でしょう、親だもの」
「でも……心配なんて本当はいやでしょ? 多分今どうしてるかなんて逐一報告できない。二人はずっと心配することになる。それならいっそ全部忘れて、何も知らない方が──」
「エレナ」

 黙りこんだまま私とお母さんのやり取りを見守っていたお父さんが私の名前を呼んだ。落としていた視線を上げると、お父さんは少し困ったような顔で、しょうがないなといった瞳をしていた。

「もう僕たちから娘を心配する権利を奪わないで」
「権利……」
「そう、権利なんだよこれは。僕らにとって大切な。心配するのも──頑張る娘を応援するのも、僕らの大事な特権だ」

 お父さんは絶句する私を安心させるようにゆったり微笑んだ。

「心配でなんにも手につかなくなったり、眠れない夜も来るかもしれない。でも、そうして無事を祈るのは──そりゃあ少しだけ怖いけれど──、そんなに辛いことじゃないんだよ。それよりも、なにもできないことのほうが寂しいことなんだ」

 私は子どもを持ったことはない。だけど総合年齢的には結構いってるから、両親の気持ちはある程度推察できていると思っていた。しかしそれは大きな思い違いで、自惚れも甚だしいと今、やっと、はっきり理解する。子を想う親の気持ちなんて、私は微塵も分かっていなかったんだ。

 ショックで下がった私の頭を、大きな手が撫でるように往復した。そのやさしい動きに自然と口から謝罪の言葉が零れ落ちる。

「ごめんなさい、私、心配なんてしないほうがいいと──権利だなんて思いもしなくて──」
「謝ることはないんだよ、エレナ。誰かのために立ち上がる勇気を持った娘を、僕たちは心底誇らしく思ってるんだから」
「……、……なるべく無茶はしない。なるべく怪我も。あと、なるべくたくさん連絡するから」
「それは嬉しいけど……なるべくばっかりなんだね」
「……でもどうしてくれたって、結局心配することはやめさせられないわよ。だってあなたは私たちにとってとんでもなく大切で、愛しい存在なんだから。あなたが心配してほしくなくったって、どうしても心配したくなってしまうのよ」


──『好きだから心配になっちゃうし……』


 聞いたことのある理屈に笑ってしまう。ああ、うん、親子だからね。同じ空を綺麗だと思うのなら、こういうところも遺伝するよね。

 笑った拍子に眦から溢れた水滴が、テーブルクロスを濡らして染みを作った。
 

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