2.5



 セブルス・スネイプがアルバス・ダンブルドアを殺害した以上、ブラック家のお屋敷を不死鳥の騎士団本部のままにしているのは危険だった。裏切者であるスネイプも立派な騎士団メンバーであり、この本拠地の秘密の守り人であったからだ。メンバーは誰もが速やかにここから退去するようにと、家主へ口を揃えて忠告した。しかし当のシリウス・ブラックは、ここに留まることがどれだけ危険かと説明されても、頑としてこの屋敷から離れようとしなかった。

「私はブラック家に残った最後の人間だ。私が守らず、誰がここを守る」
「でもきみは昔からこの家を嫌っていたじゃないか!」
「それはそうだが──まあ、事情が変わったのさ。……大人になったと言い換えてもいいかもな」

 シリウスは肩を竦めて苦笑いを浮べ、「それに」と続けた。

「あいつだってもうここには来ないさ──密告もしないだろう」
「まだあの男を信用してるというのか?」

 信じられない、と怒りさえ滲ませるリーマスにシリウスは静かに「いいや」と返した。

「ただそう思うだけだ」

 曖昧な言葉の割に、シリウスの声には確信的な何かが潜んでいた。「そんな理屈、まともじゃない」リーマスは納得できず食い下がったが、シリウスは「もし来たときは責任をもってぶちのめすよ」と爽やかに、そしてきっぱりと話は終わりだとばかりに言い切った。メンバーの一人が「錯乱の呪文にかかっている」と言ってシリウスを正気に戻そうとした。しかし錯乱の呪文が解除されたはずのあともシリウスの意見は全く変わらなかったため、正気で“これ”なのだと、長い付き合いである親友でさえも混乱した。

 家主がそんな感じなので、みんなもおいそれと本部を捨てることはできなくなった。危険と分かっている場所に留まろうとする仲間を無視することはできない。なにより、この屋敷は部屋数も多く、集まりやすいのだ。ブラック家の広い談話室は、作戦会議を行うにはうってつけだった。


 そんな経緯を経た結果、グリモールド・プレイス十二番地は結局玄関にスネイプ避けの呪文を二重に施すことを対策として、引き続き本部として使用されることになっていた。


 ダンブルドアの葬儀が終わり、ロンとジニーが実家である『隠れ穴』に戻ると、二人はすぐにグリモールド・プレイスへと連れていかれた。ハリーの警備や、ハリーの誕生日後の対応について話し合う必要があり、早急に決めなくてはならないことが山積みだった。

 今年の三月時点で成人──惚れ薬や毒を盛られたりしたため華々しい思い出とはいえないが──していたロンは、すでに騎士団メンバーになっていた。母親のモリーは成人したとはいえまだ学生の身である末息子の参加に否定の姿勢を見せていたが、ダンブルドアが死に、『例のあの人』の力がピークに達しているともいえる今、騎士団の協力者は一気に減っていた。そんな状況による後押しや、父親や兄弟、周りの力を借りて、ロンはなんとか母親を説得し、騎士団に加入することができた。

 しかし会議というものがこんなに疲弊するものだとは知らなかった。結局なんにも進展しなかった長い会議の末、ロンはくたくたになって地下の厨房の長テーブルに突っ伏す。リーマスやシリウス、闇祓い組──他にもセドリックやレベッカもいる──といったメンバーも難しい顔をしていた。クリーチャーが用意している夕食の匂いに、ここに来てからまだなにも食べていないことを思い出して腹の虫がぐうと鳴る。
 二年間グリフィンドールの監督生を務めていたロンは、会議というものに幾度か参加したことがあった。しかしそれはあくまで大人が用意した舞台の上での話し合いである。あれと同じようなものだと考えていた自分はなんて愚かだったのだろうと、ロンは加入したことを少し後悔すらしていた。こんな愚痴、冗談でも口には出せないけれど。そんなことをいえば両親だけでなく、まだ未成年のためこの屋敷でただ一人会議に参加することができず燻っているジニーにこっぴどく叱られるのは火を見るよりも明らかだ。年々母親に似てきてるんだよな、とロンは妹の怒る姿を想像して肩を竦めた。

 腹減って死にそう、と椅子の背もたれに寄りかかってゆらゆら揺れながら夕食が完成するのを待って天井を見上げていると、また新しく誰かが厨房へ入ってくる。惰性で顔を向け、ロンは椅子から転げ落ちかけた。乱暴に椅子から立ち上がり、彼女へと駆け寄る。

「ハーマイオニー! おっどろき、早かったな──?」

 こんなにすぐ再会できるとは思っていなかった。疲れが吹き飛んで笑顔を浮かべたロンへ、ハーマイオニーは白い顔で力なく微笑む。その表情に、ロンは彼女が『例の計画』をやり遂げたことを悟り、すぐに笑顔を消し去った。ロンは急いで、こういう時はと脳内で双子の兄から貰ったばかりの本『確実に魔女を惹きつける十二の法則』のページを高速で捲り、女性を慰める方法について書かれたページを探り当てる。(本の指示に従って)何も聞かず自分を抱き締めたロンにハーマイオニーは一瞬驚いて身を竦ませたが、すぐ肩口に顔を擦り付けて啜り泣きを始めた。
 ぎこちなく後頭部を撫でながら、ロンは頭を捻って背後を振り向く。長テーブルについていたみんなは、厨房に来るなり突然泣き出したハーマイオニーに訳が分からず困惑した顔をしていたので、今はなにも聞かないでくれとロンは無言で首を横に振った。


 ハーマイオニーが落ち着いた頃合でちょうど食事が運ばれてきて、夕食が粛々と始まった。夏休み初日なのに誰も彼もが疲弊していたし、重い空気が漂っていてとても愉快な食事会とはいえない雰囲気だ。けれどロンはとにかくお腹がペコペコだったので、熱々のグラタンを火傷しそうになりながら詰め込んだ。


 急に玄関ホールのほうからドタバタと激しい音がした。数人が俊敏に腰を浮かし、杖を構える。デザートのプディングを口いっぱい含んだまま、ロンは目を白黒させて「ふぁにほと?」と玄関ホールのほうを見上げた。すぐにバンと扉が開き、ここにいる誰もがよく知る二人が激しく揉みあいながら姿を現した。元闇祓いであり去年補助職員であったエドガー・ワイアットが、短い髪を振り乱して全身で暴れる自身の姪──エレナ・ワイアットを片手だけで必死に抑え込んでいる。誰かがなにかを尋ねる前に、エドガーは「襲撃された!」と叫んだ。

「なんだって?」
「死喰い人だ、なぜかは分からない、突然家に現れて──」
「離して!」

 エレナが金切り声を上げたので、ロン含め彼女をよく知る人間は驚いて息を呑む。彼女はいつだって──怒っている時だって──笑っていて、こんなあからさまに取り乱した姿は、これまで見たことがなかったからだ。エドガーは、なにかに弾かれたようにエレナに触れていた手を離した。すぐに隠されてしまったが、その掌が赤くなっているのをロンは見た。
 自由になった隙を逃さず、エレナは出口に向かって走り出す。しかし扉目前で大きな金色の炎が燃え上がり、エレナの行く手を塞いだ。ダンブルドアの不死鳥、フォークスだった。鳥に向けて杖を構えたエレナに、エドガーは背後から「無駄だ」と言葉を投げかける。

「幻獣のそれにお前の魔法は効かない」
「関係ない、無理やりにだって──!」
「何度でもここに戻ってくることになるぞ」

 少し黙ってから振り返ったエレナの青い瞳は、仄暗い憎悪で燃えていた。けれどそれに反して表情は感情がごっそり削ぎ落とされたようなものだった。そのちぐはぐさがまた恐ろしく、ロンは睨まれているのは自分ではないと分かっていながら身を震わせる。そうか、この少女は笑ってなくても怖いのか。できることなら一生涯知りたくなかった事実だった。

「今あの家に戻れば危険なのは分かっているだろう」
「だからなに?」

 いつだって明るい少女が初めて見せる冷徹な様子に、この場にいる全員が固唾を飲んで見守っていた。

「そんなんどうでもいいから邪魔しないで──止めないでよ!」
「そんなわけにはいくまい、止めなければ今のお前はなにをするか──」
「なにってただやり返すだけだよ! あいつらがやったことを、そっくりそのまま!」
「……殺すというのか?」
「なにか問題ある?」

 エレナは煩わしそうに目を細め、溜息を吐く。殺す、殺すといったのか。家を襲撃されて、やり返す。その家から逃げてきたのは、この二人だけ。つまり、エレナの両親は──隣の席のハーマイオニーも同じ考えに至ったのか、絶望したような囁き声を漏らした。

「軽々しくそんなことを言うもんじゃない」
「本気だったら問題ないでしょ」
「やめなさい、エレナ」

 吐き捨てるエレナに、エドガーは厳しい声を出した。ロンの位置からは後頭部しか見えていなかったが相当怖い顔をしているんだろうなと分かった。しかしエレナはまったく怯むことなく、せせら笑いまで浮かべている。そのあまりに意地悪な表情を見て、ロンは胸のあたりがむかつくようないやな気持になった。

「今ならできる、分かる──あいつらを死ぬよりつらい目に合わせてやれるって!」
「エレナ!」
「なにがいけないの? あいつらは母さんたちを殺したのに、どうして? 罪もない人が殺されて、罪を犯した人がのうのうと生きてるなんて、どうして許されるの?」
「罪が許されることは決してない。必ず然るべき罰は下る。しかし自らの手でその報復をすればあいつらと同じになる」
「それがなんだって──」
「他人を傷付けるということは、それと同じか、もしくはそれ以上に自分の魂を擦り減らし、損なうことになる。そんな自傷を行おうとしているお前を見過ごせるはずがないだろう」

 その言葉にエレナは頭をぶん殴られたような顔をして、ぎゅっと眉間の間に濃い皺を作り、悔しそうに唇を噛み締めた。ゆっくりと頭が下がり、髪で顔が隠される。「なら、どうして」エレナの小さな声は、静まり返った厨房の中では耳を澄まさずとも全員の耳に届いた。

「どうして私を助けたの」

 淀みなく答えていたエドガーの声が止まった。

「私は魔女だよ。未成年だけど、今は叔父さんが休みだから私が魔法を使ってもバレることはない。最低限の自衛はできてた。だから、あの場で私を守ろうとする必要はなかったはずだよ」

 もはや震えは一切なく、エレナの声は冷静だった。いつも通りの落ち着いた様子で、淡々と言葉を重ね、叔父を見据えている。

「私の魂を守りたいなら、どうして二人のことを護ってくれなかったの」

 責めるような内容であるのにもかかわらず、声色は波一つ感じられないほど平坦だった。それが不気味な不穏さを煽っていて、ロンは背骨を裏側から撫で上げられたようなぞっとした心地になる。

「ねえ」

 エレナが前に踏み出した。エドガーは石像のように固まったまま動かない。

「両親を──肉親を弔う哀しみはあなたにも分かるよね」
「……ああ」
「分かるならお願いだからこのまま行かせて。止めないで」
「それは──私は──」
「エドガー・ワイアットならきっとそうしてくれるよ」

 エドガーの目の前まで来て、エレナは立ち止まった。ロン達からは彼女がどんな表情をしているのか確認できなくなる。なだめ透かすような彼女の声色に黙り込んだエドガーの背中は、どうしてか突然叱られた子供のように小さくなり、頼りなく揺れているように見えた。

「いいや、エドガー・ワイアットであれば、残った一人の家族を何があっても守ろうとするだろう」

 出入り口からの低い唸り声にみんなが一斉にそちらを見る。マッド・アイ・ムーディが仁王立ちしてエドガーとエレナを両眼で見ていた。ムーディが所々節くれだった大きな杖をドンと一度床に叩きつけると、エレナが小さく呻いてその場に頽れる。ハーマイオニーが小さく悲鳴をあげて駆け寄った。レベッカがエレナを見つめて恐々と口を開く。

「なにをしたの?」
「眠らせただけだ」

 ムーディはコツコツ歩み寄りながら素っ気なく告げた。魔法の目はエドガーのほうに向いている。

「こいつを寝かせておくベッドはあるか?」
「え、ええ。まだ女の子たちの部屋のベッドには空きがあるし……一人部屋だってまだまだあるわ」
「一人部屋はだめだ、誰かと一緒にしろ」

 連れていけ、と促されてソフィアが頷いた。ハーマイオニーと一緒に二人がかりで上の階までエレナを運んでいく。「なんて顔だ」ムーディが小さく呟いたのが聞こえたが、ロンにはそれが誰に向けられたものかは分からなかった。

「しっかりしろ、エドガー・ワイアット。あんな小娘に気圧されるとは、情けないにもほどがあろうが」
「……すまない、アラスター」

 近くの椅子に倒れるように座ったエドガーは疲労のせいか、普段よりずっと老け込んでいるように見えた。
 

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