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車に乗るのなんて久しぶりだなあと、ふかふかの後部座席から移り変わっていく窓の外を眺める。『夜の騎士』バスを自動車とは言わないからね。あれは自動車の形したセストラルだから。それに比べてどうよ、この完璧な安全運転。
「ああ、もうすぐ着くね」
取り付けられた液晶を見ながら、運転席に座る男性が機嫌よく言った。なんということだ、カーナビまで使いこなしている。……なーんてね。当然だ、茶番乙。だって彼はマグルで、もう二十年以上は車通勤をしていたらしいし。
「ハリー・ポッターの保護者さん、すごく潔癖な人だって聞いたけど洗浄魔法をみせたら喜んでくれるかしら?」
「やりすぎなければ、多分」
ワクワクした顔で助手席から振り返った女性に苦笑する。魔法自体が嫌いな人たちだからどうかなあと思うけど、まあペチュニアさんのほうは元々魔法にあこがれのある少女だったはずだし。ほどほどに、そしてあんまり大っぴらにでなければ受け入れてくれるだろう。もちろん時間はかかるだろうが。そう答えを返せば、彼女──チャリティ・バーベッジ先生は「むむ」と眉をひそめた。
「魔法に全く慣れてないマグルに対してどのくらいの加減が必要かしら……」
「結婚したての僕を思い出してくれたらいいと思うな」
バックミラーに運転中である先生の旦那様、マイク・バーベッジさんの爽やかなウィンクが映る。そんな彼に先生が「それもそうね」とダッシュボードに鎮座した黄色いアヒルを楽し気に指でつついた。ずっと気になってたんだけどなぜお風呂のアヒルをそこに……? 不思議そうな私に気付いたのか、マイクさんが困ったように笑う。
「彼女はこのアヒルがお気に入りなんだよ。新しい家にももうなん十個もあるんだ」
「アヒルは何個あってもいいものだわ。だってとってもかわいいじゃない」
「そう……ですかね?……いややっぱりそれはダーズリーさんたちには内緒にしたほうがいいかも」
一瞬流されかけたが慌てて正気に戻る。まさかダーズリーさんたちの家にも設置してたりしないよね? してそうな気がする……どうしよう、頼りになると思ってたマイクさんも若干麻痺ってきてることがここに来て判明しちゃった。急に色々心配になってきた、大丈夫かな……。
激しい不安に苛まれながらも、車は立派な一軒家の前で静かに停まった。私が玄関の呼び鈴を鳴らすと、ややあってからチョコレート色のしっかり磨かれた扉が開かれる。出迎えたハリーは私の姿に目を丸くした。
「エレナ? どうしてきみまで──?」
「付き添いというか仲介というか」
「こんにちは、ハリー・ポッター。チャリティ・バーベッジです。こっちは夫のマイク。私たち、こうしてお話しするのは初めてですね」
「あ、知ってます、ええと、バーベッジ先生、マグル学の……こんにちは」
もごもごと挨拶をするハリーに、バーベッジ先生は落ち着いた笑みで対応した。すごい変わり身。さっきまでお風呂のアヒルでキャッキャッしてた人とはとても思えない……。ハリーは戸惑いながら「叔父と叔母と従弟はこちらです」と私たちを居間へと案内した。
「こんにちは、ミスターダーズリー」
広く綺麗な居間に三人身を寄せ合って窮屈にしていた家族へ先生はにこやかに声をかける。完全なマグルの服装をしている私たちに、彼らの警戒心が幾分か薄れるのを空気で感じた。ダーズリーさんが窓の外をちらりと見遣る。
「あのランドローバーは──?」
「僕の車です。入りきらない荷物があればお手伝いしますよ」
「結構だ、間に合っている」
ダーズリーさんは偉そうにフンと鼻を鳴らしたが、目は車に釘付けで、少なくとも車の趣味は悪くないと思っているのは明らかだった。車の種類とかはよくわかんないけど……出だしは良好みたい。そう機嫌よくハリーを見ると、彼は私の計画を理解したのかちょっと驚きつつもニヤリとした。
本来ならダーズリー一家の護送はヘスチア・ジョーンズとディーダラス・ディグルが行う手筈だった。しかしいきなりごりごりの魔法族が来るとあっちもびっくりしちゃうだろう。だったらもっと適任がいる──そう提案したのだ。推薦したのはちょうど保護をしていたバーベッジ夫妻。魔法も使えて、尚且つマグル文化にも強い。もう最強じゃん。魔法嫌いのマグルの付き添いにこれ以上ぴったりな人はいないだろう。まあ計画ってほどじゃないけどね。
「これから車で十五、六キロほど走って、それから我々が選んでおいた安全な場所へと『姿くらまし』をします」
「ハリーは──ハーマイオニーからかいつまんで聞いてると思うけど、計画が変更になったんだ。みんなが来るまでここで一緒に待とうね」
「待つのはいいけど……エレナも?」
「うん。それじゃ、そろそろ出発したほうがいいですね」
不審げな眼差しにまずいなと思った。ハリーが、私が『未成年』なことを知っているのは嬉しいけど今は不都合でもある。あとでちょっと揉めそうだな〜と思いながらも今は流すことにした。腕時計で時間を確認して、バーベッジ先生に話しかける。ハリーの移動開始とダーズリー一家の姿くらましを同じ時刻に行わなくていけないため、急ぐ必要があった。彼女は頷いて、ダーズリー一家とハリーを交互に見て「先に外で待っていましょうか?」と尋ねた。
「そんな気遣いは……」
「さあ、小僧、ではこれでおさらばだ」
ダーズリーさんは握手しようと腕を上げかけたが、やっぱりやーめたと途中で拳を握って顔を背けてしまった。ペチュニアさんもハンドバッグの留め金をしきりに気にして、ハリーを見ないようにしている。ダドリーくんだけが、ハリーをぼんやり見つめていた。居間のドアまで来て、二人はやっとそんな息子に気付く。
「あいつはどうして来ないの?」
「なんだと?」
「どうしてあいつも来ないの?」
父親譲りの大きな手がハリーを指差すのを見て、私は今すぐそれをやめさせてやりたい衝動に駆られてしまった。人に指を……いや感動シーンなんだから大人しくしなきゃ……。
「そりゃ、あいつは──来たくないんだ。そうだろ、え?」
「ああ、これぽっちも」
「……それじゃ、あいつはどこに行くの?」
居間の真ん中で一人粘る息子に、二人は顔を見合わせた。ハリーも従弟の言動にたじろいでいる。
「そんなの──こいつらの仲間と行くんだろうが?」
「まあ間違ってはないですけど」
「ポッター、ご家族とちゃんとお話はしたの?」
「いいえ──でもあの、僕たち、いいんです、ほんと──僕なんか粗大ゴミだと思われてるし──」
「お前、粗大ゴミじゃないと思う」
ダドリーくんの顔がじわじわと赤くなっていく。それをしっかり確認したハリーはきまり悪そうにぎこちなく「ありがとう」と返した。
「お前はおれの命を救った」
「正確には違うね、吸魂鬼が奪い損ねたのはきみの魂さ」
水差すこと言うなあとハリーを見たが、ハリーの顔はしっかり感動していた。真っ赤になって黙り込んだダドリーをペチュニアさんが泣きながら抱き締める。
「な、なんて優しい子なの、ダッダーちゃん……な──なんてい、いい子なんでしょう……あ、ありがとうって言うなんて……」
「えっ? その子はありがとうなんて言ってないですよ……?」
「うん、そうなんだけど、ダドリーにとっちゃ『粗大ゴミじゃない』っていうのは『きみが大好きだ』って言ったようなものだから……」
困惑するマイクさんにハリーが恥ずかしそうに捕捉した。ええ、そうはならんやろ……ハリーでさえガバ判定じゃん。いいのかそれで。ダーズリー家でダドリーを甘やかしているのはご両親だけじゃなかったんだなぁ。
「……あ、そうだ。潜伏期間中は『ヴォルデモート』って名前呼んじゃだめですよ。死にます」
「名前を読んだだけで? 何を馬鹿な──」
「私の両親は先日それで死にました」
先生以外がギョッと私を見る。いやハートフルぶち壊しでごめん。でも念のため言っとかなきゃって……。結局水差しちゃった。気まずい空気を変えるようにバーベッジ先生は「それでは」と、ハリーと私に向き直って微笑んだ。
「ハリー、エレナ。さようなら──ホグワーツの教師として、生徒であるあなたたちの息災を祈っています」
「あ、ありがとうございます」
「またお会いましょう、先生」
私がそう言って手を握ると、彼女は少し目を潤ませた。「先生だなんて」その言葉にハッとする。そうだ、この人、辞職しなきゃいけなくなっちゃったんだ。奴らに襲われるかもしれないからと言って、私たちが無理を言ったんだ。失礼だったかなと心配になっていれば、繋いでいた手を両手で包まれた。
「まったく……あなたったらどうしてマグル学をとってくれなかったのかしら!」
「……私もちょうど後悔してるところです」
全員が部屋を出るなり、ハリーは二階へ駆けあがっていった。ええー……放置……追っていいのかな。いや、やめとこ。ハリーも一人で感傷に浸る時間が必要だろう。
「ほらヘドウィグ、この玄関マットを見てごらん。ダドリーを吸魂鬼から助けたあとで、あいつ、ここに吐いたっけ……」
何見せてんの。廊下から聞こえてきた声にぎょっとした。ヘドウィグが可哀想だから止めてきた方がいいかもしれない。
しばらく磨き上げられた調理台に腰掛け、足をプラプラさせながら感傷の浸り方独特だなと声を聞いていれば、突然家の裏側で轟音が響いた。「なに?」鳥籠を持ち、空いた手で頭を押さえているハリーが居間に駆け込んでくる。
「みんなが来たんじゃないかな」
「ああ、じゃあこっちから──」
ハリーがキッチンの裏戸を開け、庭に出るのに続く。一人、また一人と『目くらまし術』を解いた人影が現れ、庭に降り立った。
「ハリー!」
「シリウス!」
黒いたてがみをなびかせるセストラルが地面に辿り着く前にシリウスが颯爽と飛び降りる。ハリーも駆け寄って名付け親に飛びついた。
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