9
◆◆◆
その後ほどなくしてハーマイオニーとキングズリー、ロンとルーピン先生が『隠れ穴』に到着した。片耳になってしまったジョージに、全員顔を真っ青にしていたけれど、四人とも怪我はしていない。
「なにはともあれ全員生きていてよかった──名残惜しいが、私はお暇させてもらうよ」
「もう行くのかい?」
「私はすぐにダウニング街の首相官邸に戻らなければならない。予期せぬ事態があって大幅に予定がずれてしまったから──」
含みあるキングズリーの言葉に大人たちがサッと素早く目を合わせあった。暗闇へ消えていったキングズリーを見送った後、ウィーズリーさんが戸棚に近付き、ファイア・ウィスキーを一本取り出す。杖を一振りし、全員になみなみと満ちたグラスを送った。
「さあ──ハリーに」
「ハリーに」
全員がそう唱和するとハリーは居心地悪そうに眉を下げた。ジョージがニヤッとしてウィスキーを一気に飲み干す。おい怪我人……。
「やはりマンダンガスか?」
ルーピン先生がいつになく怖い顔で空のグラスを睨みつけながら言った。「どうだろうな」ムーディ先生は魔法の目をくるくるさせて忌々し気に歪んだ唇を舐める。
「あいつにしてはできすぎている案だったことはたしかだ」
「それにしては、連中、ハリーが七人に化けていることを知っていたようには見えなかったよ。最初僕をハリーだと勘違いしてたくらいだし」
「ああ、セドリックの言うとおりだ。ダングが裏切ったにしては妙じゃないか? あいつはコソ泥だが、心の根っこまで腐った奴じゃないと思うんだが……」
「どちらにせよ、やっぱりあいつも連れていくべきだった。自分が参加している作戦を進んで危険に晒そうとはしなかっただろう──」
「……でも無理やり参加させたって、もっとひどい結果になってたかもしれないですよ。それこそ誰か死んでいたかもしれない」
怒っているようなルーピン先生へ控えめにそう告げる。襲撃のショックで動揺しているんだろう。でもなんか、今の発言を先生の口から聞きたくなかったなあ。私は少しショックを受けていた。人知れず勝手に落ち込んでいると、ハリーが「エレナの言うとおりだ」と援護してくれる。
「もしかしたら誰かがミスを犯したのかもしれないけど──でも、きっとその人に悪気はなかった。そんなつもりじゃなかったんだ」
ハリーはいつもより大きな声で言葉を紡いでいく。突き刺さる視線に一瞬言葉を詰まらせたハリーの視線が、ハグリッドへと動いた気がした。
「僕たち、お互いに信頼し合わなきゃいけない。僕はみんなを信じてる、この部屋にいる人は誰も僕のことをヴォルデモートに売ったりはしない」
「……それでこそだ、ハリー!」
シリウスが突然大声でそう叫び、机を飛び越えてぎゅうっとハリーを抱き締める。シリウスが放ったグラスをハーマイオニーが慌ててキャッチした。フレッドも楽しそうに口笛を吹き、囃し立てる。
「さっすがミスター道徳、よくぞ言ったぜ!」
「傾聴、傾聴! 傾耳、傾耳!」
「(……ここにダングはいないんですけど……)」
あの、それだと結局……とむずむずしていれば、はしゃぐジョージの隣に座るレベッカと目が合った。赤い目をした彼女は私の顔を見て静かに首を振る。はい、黙ります。優しい微笑みを携えた叔父さんがハリーのグラスへ二杯目のウィスキーを注いだ。
「どんな時でも信じる心を忘れないのはきみの美徳だな」
「……ああ、ジェームズも友を信じないのは不名誉極まりないと考えていた」
ルーピン先生はそう言ってグラスを空にした。あんまり褒めているようには聞こえないのはどうしてだろう。ハリーもそう感じたのか、ちょっと反抗的な顔で先生を見ていた。
「素晴らしいところが似たじゃないか。それで、ヴォルデモートは最初に我々を追ったわけだが──結局あいつは途中で離脱したんだ。そこから誰のところへ向かった?」
「あ、僕たちのところだと思う。スタン・シャンバイクに武装解除をした途端、死喰い人の一人が『あいつが本物だ』って叫んで、それからあいつが現れた──」
「武装解除?」
信じられないというのを隠さずオウム返ししたルーピン先生に、つい唇を噛む。だいぶ疲れてるというか、気が立ってるな……満月が近いのだろうか。
「やつらはお前を捕らえて殺そうとしているのだと分かっているのか?」
「分かってるさ、でもスタンは『服従の呪文』にかけられてた──自分がなにをしているか分からなかったんだ!」
ムーディ先生の低い声にハリーが必死に弁解した。「だとしても」と、声に熱を込めたルーピン先生が身を乗り出す。
「武装解除は親切すぎる! 少なくとも『失神』はさせるべきだった!」
「何百メートルも上空だよ! もし失神していたらスタンは箒から落ちて死んでた! それに、『エクスペリアームス』だって四年前僕を救った」
ハリーがルーピン先生を睨みつける。シリウスはどっちの気持ちも分かるからか、どちらにつくか迷っているようだった。こういう時真っ先に沸騰してそうなムーディ先生は、意外にも落ち着いて状況を見ている。
「僕はスタン・シャンバイクを殺すべきだったというんですか?」
「そうじゃない。たしかに『エクスペリアームス』は役に立つ呪文できみを何度も助けてきただろう──だが“だからこそ”、今日あの場では使うべきじゃなかったんだ。あいつらはきみが切迫した状況でその呪文を選択すると知っているのだから」
冷静さを意識するルーピン先生の口調に、ハリーがハッと口を噤み周りを見渡す。シリウスやハーマイオニー、ムーディ先生の顔を見て、ルーピン先生の言いたいことに気付いたらしく、少し俯いた。
「……たまたまそこにいるだけで邪魔だから吹き飛ばしたりするなんて、僕にはできない。そんなことはヴォルデモートと同じだ」
「ハリー──」
「ああああ、それにしてもさ! よく逃げ切れたよね、ハリー! 『例のあの人』に直接追われたんだろう?僕たちなんて三人がかりでいっぱいいっぱいだったのに。さすがダンブルドア軍団のリーダーだ」
「えっ、あ──ありがとう……」
セドリックが空気を変えるように明るく言った。不意を打たれたのか、ハリーの耳がちょっと赤くなる。「そうなんだ!」ハグリッドが突然大声を上げて立ち上がったので軽い地震が起きた。
「ハリーはまたあいつに勝ったんだ! あいつの手を逃れたし、あいつに真上まで迫られたっちゅうのに、戦って退けた!」
「違うよ!」
ほろ酔いなハグリッドに背中をバシバシ叩かれたハリーが激しくテーブルへ倒れ込む。ハリーは鼻や額を赤くしながら慌てて跳ね起きた。
「バイクが落下して、僕はヴォルデモートがどこにいるのかも分からなくなってた。それなのに杖が勝手にあいつを見つけ出して呪文を発射したんだ──」
「そう、ハリーは見事な金の炎をお見舞いしたんだ──」
「だから僕じゃない。僕の杖がやったことだ。杖がひとりでに動いたんだ。僕、そんな呪文は知らない──金色の炎なんてこれまで出したことない!」
「ハリー」
畏敬を込めたみんな視線に、ハリーは腹が立っているようだった。捲し立てるハリーに、ハーマイオニーがやさしく呼び掛ける。
「そんなことはあり得ないわ。あなたは自分で気付かないうちに魔法を使ったのよ。直感的に反応したんだわ」
「だから本当に違う、そんなんじゃ──」
「……もしかして、兄弟杖だからか?」
シリウスの呟きにハリーが安堵とともに目を輝かせ、急き込んで頷く。勢いよく首を振ったものだから、眼鏡が吹き飛んだ。そ、そんなに。すごい喜ぶ……ハリーも大概犬っぽいよね。
「エドガー、覚えているか? 三大対抗試合の時に話していた──?」
「ん、ああ……」
そういえばそんな設定もあったな……。話を振られた叔父さんはあまり言いたくなさそうにしている。みんなに注目され、叔父さんは「憶測だがな」と前置きをして渋々話し出した。
「私は杖作りでもアルバスでもないのだからあんまりあてにしないでくれよ──まずきみたちの杖はあのフォークスの尾羽根を使用した双子の杖だ。兄弟杖は傷つけあうことを望まない……それをトムはあの墓場で知った。あの墓場での対決で、きみはヴォルデモート卿に気持ちで──もちろん逃げ果せたという意味ではそれだけじゃないが──勝利していた。それによってハリーの杖は……まあ、なんていうか──成長したんだよ」
「せいちょう」
ハリーがぽかんと言葉を転がした。よく覚えていないけど、あの一騎打ちでハリーの杖はヴォルデモートの魔力を取り込んだ、とかだった気がする。ただ、恐らくあいつの魔力の残滓を持つ杖がこの場にあるとみんなが知れば怯えるだろうという配慮からなのだろうが、言葉を選びながらの言い回しはたどたどしく、なんならちょっと嘘っぽさまであった。周りの目があまり信じてなさそう。
「とにかくきみの杖はヴォルデモートを不倶戴天の敵だと認識し、やつを打ち倒さんと頑張ったのさ」
「そんな雑な……まだよく分からないよ」
「推量でしかないのだから、私にだってもうこれ以上のことは言えない。……ただ一つ言えるのは、あの墓場で、たった一人立ち向かった時。きみが素晴らしい勇気を見せたということだ。それはきっと、ヴォルデモートにはとてもできないことだった。杖が勝手に魔法を吐き出したにせよ、ハリー自身にはなんの覚えがないにせよ、あの瞬間、確かにきみはあいつに打ち勝っていたということさ」
ハリーがじっと叔父さんを見つめる。静かな緑色の目は、叔父さんの本心を探り当てようとしているようだった。
「……お腹空いた」
話題が一区切りつき、居間が静かになる。私が脈絡なくそう立ち上がれば、誰かが「えっ」と驚く声がした。体を解しながら掛け時計を見るともう深夜に近い。タイミング良く、ぐうとロンの腹が鳴った。
「そういえば夕飯まだだ。ママ、なんかない?」
「軽いものなら用意できるわ。エレナたちも、もしよかったら──?」
「ありがとうございます。でももう夜遅いし、多分クリーチャーが用意してくれてるはずなので……帰ろう、シリウス」
「ああ、そうだな」
「私も帰るよ、トンクスも心配しているだろうし……」
腰を浮かしかけたウィーズリーおばさんにお礼を述べて止める。実はクリーチャーが大きなローストビーフを昨日から仕込んでいるのを知っているのだ。それに早く帰らなきゃソフィアやトンクスが心配で倒れてしまう。ルーピン先生やレベッカ、セドリックたちも帰還のために立ち上がる。しばらくは本部に滞在していた彼らも今日からは自分の家に戻ることになっている。私はいつ許可出るかな……。そろそろ薬作りを再開したい。
シリウスは「またな」と名残惜しそうにハリーの頭を撫で、抱き締める。ハーマイオニーに手を振ると、彼女も小さく振り返してくれた。
ハリーはこのまま『隠れ穴』に留まることになっている。さすがにいつ襲撃に合うか分からないような危険な場所にハリーを置いてはおけない。ハーマイオニーも隠れ穴に滞在することになっているから次に会えるとしたら、七月三十一日──ハリーの誕生日だ。
「ポッター」
マントを羽織りなおしたムーディ先生に呼びつけられ、ハリーが緩慢に視線を寄越す。先生はスッと目を細め、そんな彼を見据えた。
「敵に情けをかけるのは結構だがな、お前の命はもはやお前だけのものではない。自分が何者か、もっと自覚しろ」
「……自覚くらいして──」
「わしらだけじゃなく敵までも殺したくないというのなら、自分含め生き残れる道をもっとよく探して行動することだ」
言うだけ言って、先生はハリーの返事も聞かずコツコツ義足を鳴らして庭へ出て行く。厳しく言い放たれたハリーの顔に影が落ちる。気まずい居間の空気に関係ない私まで居辛くなったので、私はムーディ先生に慌ててついて行った。
「あんな言い方、ちょっとあんまりじゃないですか? 疲れてるところに……」
「『例のあの人』が生きている以上どうせポッターに真の意味で休息など訪れない。それにお前らのようなタイプは周りを盾にした方が扱いやすいと最近分かったからな。さっさと釘を刺しておくに限る」
「うわ、ヤな学習されたなー」
「……お前とは違うな、え?」
「そうだな」
その声に振り返ると苦笑いを浮かべた叔父さんが歩いてきていた。先生は大きく鼻を鳴らし、大股で庭を横切っていく。ぽんと軽い音が響きちょうどムーディ先生の姿が消えたとき、ハリーと別れを済ませたシリウスが私たちに追いついた。
「今日は久しぶりに私も本部へ泊めてもらおうかな」
「クリーチャーも喜ぶよ」
「シリウス!」
隠れ穴からハリーが足をもつれさせながら走ってくる。まさかまだお別れのハグがし足りないのか? だいぶ長いことしてなかった?
「RAB──レギュラス・アークタルス・ブラック……この人、シリウスの弟だよね?」
「ああ」
「死喰い人だったけど、『例のあの人』に殺されたって……」
「風の噂だがな。……それがどうかしたのか?」
亡き弟の話を持ち出してきたハリーに、シリウスは不思議そうにしている。
「あの、ロケット──ロケットに……いや、ええと……」
「ロケット?……クリーチャーが持っている、数年前にエドガーが壊したやつのことか?」
「うん、それはそうなんだけど、そうじゃなくて──あの……」
一応分霊箱の件はダンブルドア(と実は個人授業に参加していたらしい叔父さん)との秘密だから、ハリーは名付け親にどこまで話してもいいのか迷っているようだ。ハリーは助けを求めるように叔父さんを見る。しかし当の叔父さんは「今日はもう遅い」と首を横に振った。
「でも──」
「よく食べ、よく休んだらまた明日……いや明後日にしよう。ロンとハーマイオニーも連れて本部へ来なさい」
粘ろうとしていたハリーの顔がパッと明るくなる。叔父さんは、何の話かさっぱり分からず困惑しているシリウスを見て、眉を下げて微笑んだ。
「答え合わせをしよう」
◆◆◆
- 196 -
←前 次→