10
◆◆◆
ハリーがやってくるその日まで、ブラック邸にはどこか落ち着かない空気が流れていた。シリウスは叔父さんから事の詳細を聞き出そうと躍起になっていたし、かくいう私も、一日が何十日にも感じられるほど、気を揉んでしまっていた。真実を知ったシリウスは、どんな反応をするのだろうか。
お昼前、本部にやってきたハリーたちもやっぱり私たち同様そわそわしていた。地下の厨房の長テーブルで、同席を指示されたクリーチャーも似たような様子で。この中で動じていないのは叔父さんただ一人だ。
「さあエドガー、いい加減教えてくれ」
「ああ──といっても、私も知っていることはほとんどない。私が二年前に壊したそのロケットが恐ろしい魔力を秘めたものであることと──」
叔父さんはクリーチャーの首にぶら下がる二つにぱっくり割れたロケットを指差す。ハリー、ロン、ハーマイオニーがどきりとして緊張を顔に走らせた。
「もう一つのロケットの中にはお前の弟が書いた手紙が入っていたと、ハリーに教えてもらったくらいだ」
「恐ろしい魔力って──それに別のロケットとはなんだ?」
「私から言えることはここまで。真実を話せるのはクリーチャーだけだ」
全員の注目を浴びたクリーチャーは、恐縮したように身を縮こませる。そんな妖精に叔父さんは安心させるように「大丈夫」とやさしい言葉を送った。
「怯えることは何もない……ハリー、ロケットを見せてくれないか」
促され、ハリーがポケットからジャラと金のロケットを取り出した。それを見た途端、クリーチャーがひきつけを起こしたような高い声を上げる。「それは」妖精は椅子の上に立ち上がり、ぶるぶると震えながらロケットを指差した。
「なぜ、なぜあなたがそれを──レギュラス様のロケットを……?」
「レギュラスのロケット?」
ロケットを恐れたように見つめて愕然とするクリーチャーにシリウスが訝しんだ。彼はハリーの持つロケットをじっと眼を眇めた。ロケットは鶏の卵ほどの大きさだ。小さい金の蓋には「S」の装飾文字には小さな緑の石がたくさん嵌め込まれている。
「スリザリン由来の品に見えるが……お前はなぜこれをあいつのロケットと呼ぶ?」
「それはレギュラス様がご用意なさったものです──クリーチャーは見ていました、分かるのです。レギュラス様はクリーチャーにお命じになられた……ですが、クリーチャーはご主人様の命令を果たせませんでした!」
激しい金切り声を上げるなり、クリーチャーは、テーブルに置かれていた燭台を素早く掴んで強く頭に打ち付けだした。何度も凶行に及ぶ妖精の姿に、ハーマイオニーやソフィアが悲鳴を上げる。サッと立ち上がったシリウスがクリーチャーの細腕を拘束し、ハリーが燭台を取り上げ、ロンがテーブル上の掴めそうな物を遠くへ押しやって手が届かないようにした。
「やめろ、暴れるな──命令だ、自身を罰することを禁ずる!」
見事な連携を見せたあと、シリウスはまだどうにかして自分を痛めつけようと必死なクリーチャーへ厳しくそう言い渡した。ご主人様からの命令に、クリーチャーの荒い呼吸も徐々に収まっていく。屋敷しもべ妖精って本当に難儀な生き物だ。この強制仕置き体質、どうにかならないものか。私はシリウスに拘束されたままのクリーチャーの額へハンカチをあてがう。叔父さんが杖を振って救急キットを呼び寄せた。
「それで──レギュラスはお前になにを命じたんだ?」
「それを壊せと」
「なぜだ? そもそもこれはなんだ?」
「……レギュラス様は、家族の誰にも話すなと禁じました」
クリーチャーは私のハンカチで鼻をかみながら、この場に残った唯一家族を見遣った。なるほど、それなら仕方ない。
「じゃあシリウスだけ退席してもらって」
「なんだと!」
「……そもそもなんでエレナがいるんだよ」
「あ、バレた。やっぱだめ? ですよね、退席しまーす」
「えっ」
どさくさに紛れて参加できないかなと思ったけど無理か。胡乱げなロンの言葉に素直に従って椅子から腰を浮かすとほとんど全員が驚いた声を上げた。
「なんで言い出しっぺまで驚いてるの」
「いやだって、別に仲間外れにしたかったわけじゃなかったし……悪かったよ、別に文句ないからきみもここにいればいいだろ」
「エドガーがいるんだからあなたも聞いたらいいじゃない」
「それにエレナが部外者だっていうなら私だってそうなっちゃうわ」
「ソフィアはならないよ、むしろ家族側じゃん」
立ち上がりかけたソフィアをそっと押し留めながらそう言うと、彼女はきょとんと目を丸くした。なにをそんなに不思議がることがあるんだ。
「当主の恋人なんだから、未来の奥方ポジでしょ」
「え……えっ、私ってそうなの?!」
「……今はそんな話をするときじゃないだろ」
期待を込めた赤い顔で見つめてくるソフィアに、シリウスは苦い顔をした。「タイミングくらい自分で決めさせてくれよ」ぼそぼそとしたそんな言葉が聞こえ笑いそうになる。
「まあシリウスの言う通りこの話は今することじゃないのでまた二人きりのときにでもね。私はとりあえず退散します、眠いし」
「眠いしって……」
へらりと笑って今度こそ厨房を出て行く。邪魔者は消えるに限るのだ。長くかかりそうだし優雅に二度寝しちゃお。
なんて言ったものの。普通に寝れるわけもない。二十分ほど経ったが、みんなのことが気になりすぎてゴロゴロするだけで時間が過ぎていっている。よっと起き上がって身を起こし、部屋から出て階段の手摺りに凭れて下の階を見下ろした。まだ人が出てくる気配はなさそう、いや分からんけど。ちょうど様子を見に行った瞬間扉が開いたりしたら気まずくない? こいつあんなこと言って出待ちしてたんかってならない? やだ……。
そんなみみっちいプライドから、私は厨房を避けて邸内を歩き回る。なんとなく入った二階の大部屋の奥には、古びて色褪せたタペストリーが壁いっぱいにかかっていた。しかし縦横無尽に伸びる金の刺繍だけは艶やかに光り輝いている。
「“純血よ永遠なれ”」
タペストリーの一番上にある大きな文字列を読み上げて空笑いを零す。いやほんとえぐい家庭だ。思想つよ。きつ〜。家に『永遠なれ』なんて刻まれたタペストリーあったらきついよ。ていうか純マグルの私が読み上げるってすごい皮肉になっちゃったな。
中世まで遡る家系図を隅々まで見渡す。下のほうに『シリウス・ブラック』と書かれた丸い焼け焦げがある。その隣の名前にはなんの汚れもない。
レギュラス・アークタルス・ブラック。
ヴォルデモートに憧れ、十六歳で死喰い人となり、帝王のクリーチャーの扱いを切欠に考えを変え、自力で分霊箱に辿り着いた彼。叔父さんがロケットを壊した時点で、彼が独りで死んだという真実はクリーチャーの胸の中だけにしまわれる──のではあまりに哀しく、寂しい。家族を想って冷たい湖に身を沈めた勇敢な少年に救いを。それが叔父さんの考えた、シリウスとソフィアに対するお詫びだった。
「(受け入れられたのかな)」
今のシリウスなら案外すんなり呑み込みそうだ。家に対する嫌悪感もかなり薄れているようだし……。最近はお母様の肖像画と無言で向かい合っている姿を見かけることもあった。随分考えを改めたらしい。
何気なく視線を動かしたところで懐かしい名前が目に入り、誘われるようにふらりと手を伸ばした。そっか、親戚なんだっけ。彼は元気にしているのだろうか。罪悪や後悔で苦しんではいないだろうか。歩く木魚にいじめられてはいないだろうか。こんな状況にしてしまった以上、もはや私に心配できる権利なんてないんだけど──。
「ドラコ・マルフォイ」
文字に触れるや否や背後から声がかかって肩が跳ねる。慌てて壁から手を放して振り返ると、部屋の入り口にハリーが立っていた。
「終わったんだ」
「ついさっきね。今はクリーチャーが大泣きしてるのをみんなで宥めてる……それよりそれ、マルフォイだよね」
それよりって。ハーマイオニーが聞いたら怒るぞ。S・P・E・Wの書記のくせに……。念を押すように繰り返してハリーが近付いてくる。うーん、あんまり追及されたくない! 誤魔化したくて曖昧に微笑む。目が悪いのによくその距離から読めたな。もはや魔法具なんじゃないのあの眼鏡。
「ずっときみたちの間にはなにかあるんじゃないかって思ってたんだ」
「なにかってまた意味深な……悪いけどただの友達ってだけだよ。それも過去形だし」
「だとしたって、純血主義のあいつがマグル生まれのきみと友達だったなんてそれだけでもたいしたことじゃないか?」
「……かもね。でももう今は違う、私たちの間には何もないよ」
「どうかな、マルフォイはそうは思ってないかも」
「まあ、恨まれてはいるかもね」
今の私たちの間になにかあるとしたら、きっとそれしかない。笑って肩を竦めればハリーは予想外だったのか目を丸くさせた。
「私はドラコを裏切ったからさ。苦しい思いをしてると知っていて助けなかった」
「あいつが何をしようとしてたか知ってたの?」
「内容までは知らないよ。でも様子が変なのはハリーも分かったでしょ」
ハリーは「ああ」と口にしつつも納得がいかなそうに眉をひそめる。私は本人に「助ける」と豪語したくせに、真逆の選択を取った。偉そうなことを言って結局見捨てたんだから、憎まれないわけがない。
「なんていうか……すごく悲観的だね。卑屈?」
「現実主義と言ってほしい」
「恨んでたらきみの名前で揺らがないと思う」
何の話だと目を瞬かせると、ハリーは迷いながら「ダンブルドアが死んだ夜さ」と語りだした。
「マルフォイに追い詰められた時、ダンブルドア、やたらときみのことを引き合いに出してたんだ」
「私の?」
しかもやたらと? たしかに最低限でいいから救済の手を差しのべてあげてほしいとお願いはした。しかしそれでなぜ私の話題を……何話したんだろう。一生徒と校長の距離感で話してくれてたら──つまり変に思われない程度ならいい。でもハリー『やたらと』って言ったよな……。大丈夫かな。
「マルフォイもすごく動揺してたし……でもそれは恨んでるとか、なにか悪い感情とかのようには見えなかった」
返事に困って、そっかと返事をして首元を触る。私はその場面を実際に見ていないし、そうなんだとしかいえない。適当すぎたせいで「信じてないだろ」と睨まれた。
「大体、元を辿れば悪いのはマルフォイに命令を下したヴォルデモートじゃないか。エレナを恨むのは筋違いだ」
「いやでも『助ける』って言っちゃったんだよ……嘘つきくそ野郎なんだよ私は……」
「……エレナは自分が悪者になって全ての責任を負えばいいって考えてる節があるよね。そうすれば全部うまくいくって」
「え? そんなことないよ」
全部うまくいくなんて、さすがにそこまで傲慢じゃない。ていうかハリーにまで傲慢女判定されてたの結構ショックだ……。否定してもハリーは厳しい表情のままだった。
「三年のハッフルパフ戦を覚えてる? あの時きみは吸魂鬼から僕を守ってくれた。それなのにきみはなぜか後ろめたそうだった。自分が死ねばよかったってはっきり言ったこともある。DAが密告された時だって、きみは全く悪くないのに責任を感じてた。……まさか家族のことまで、自分のせいだと思っちゃいないよね?」
「だってそれが事実だし」
うっかり肯定してしまって口を押さえる。今のはそんなことないよと笑って流すべきだったのに。言うつもりのないことを、まったくこの口は……。ハリーはますます眉を吊り上げた。
「じゃあ僕もそうだね。父さんと母さんが死んだのは僕のせいってことだ」
「は?! 全然違うよ! それはヴォルデモートの馬鹿が──」
「僕にそれが言えて、どうして自分には言えないのさ!」
「だって私は……」
ハリーと私の場合は全然違うのに。私はもともと、この世界に存在するはずなかった。私が二人を巻き込んだんだ。私が元凶だ。しかし腹立たしいとばかりに怒鳴られて身を縮こませる。ハリーはもどかしそうに顔を歪ませた。緑の瞳が燃え上がってめらめら揺れている。
「僕ときみ、なにも違わないはずだよ。僕たちだけじゃない、この世に特別な人なんていない」
「……それ、ハリーが言うんだ」
「言うよ! そりゃ、予言とか杖とか『選ばれし者』とか色々あるけどさ。でも僕は、僕自身はなにも特別じゃないと思ってる。でもエレナは違う、いつだって環境じゃなくて自分自身が例外だって話し方をするじゃないか」
ちょうどさっき考えていたことだ。図星を指され思わず息を呑む。
「しかもそれが当然みたいに……別に自信家ってわけじゃないのにそういう態度をとるの、ずっと不思議だったよ」
ハリーがそんなことを思ってたなんて全然気が付かなかった。唖然とする私に、ハリーはやっと険しい顔を崩し、寂しそうに目を伏せた。
「エレナがなにを考えてるのかは分からないけど……友達にそうやって線引きされるのは悲しいよ」
なんとなく覚えのある言葉だ。既視感に一瞬首を傾げハッとする。そうだ、私だって『きみには分からない』とラベンダーやドラコに突っぱねられて寂しいと感じたはずだ。無意識のうちに同じことをずっとしていたのか。
「……とにかく、悪いのは全部ヴォルデモートなんだ。そうだろ?」
「そうだね……」
「声が小さいよ」
「そうですね!」
声を張り上げると、ハリーは満足げに頷いた。忘れてたけどハリーも体育会系の人なんだった。下の階から昼食を知らせるソフィアの声がしたので部屋から出て階段をおりていく。
「結局マルフォイとはどういう関係なの?」
「……さあ? いや違うよ、はぐらかしてるとかじゃなくて!」
責めるような顔をされたので慌てて弁解をする。ほんとうによくわからないんだもん。私としては友達でありたいと思ってる。でも告白しちゃったことに加え今こんなふうになっちゃってるしどういう関係といえばいいのか……。
「……フラれたあとでも男女の友情って成立するものなのかな」
「えっ」
するとしても、ドラコは私を許してくれるだろうか。ハリーがぎょっと目を丸くさせる。少なくともハリーとチョウは成立してないもんなぁ……。やっぱり無理なのかもしれない。
「こ、告白したんだ」
「まあ。でもそこは結構どうでもいいんだよ、終わったことだし。とにかくさ、悪いのが茹で木魚だとしてもドラコがそう思ってるとは限らないじゃん? となると、私はどうするべき? どうしたら許してもらえるかな」
「えーっと……友情云々はごめん、ちょっとよく分からないんだけど、マルフォイがエレナを悪いと思うのは完全に八つ当たりだし、もしあいつがそう考えてるならもう許してもらう必要もないと思う」
「えー……でも私は友達に戻りたいんだよ」
「じゃあとりあえず謝ってみたら」
投げやりに助言したハリーはやや面倒臭そうだった。
◆◆◆
- 197 -
←前 次→