12



 グラスに口をつける。蜂蜜の甘い香りはすれど、その味わいは白ワインのようだった。濃厚だけど飲みやすいし、よく冷えてて美味しい。飲めないとか言ったけど飲めちゃいそう。

「しかしハリーに続けてエレナも成人か……早いものだ。初めて会ったときはこのくらいだったのに」
「いやハリーはともかく私は初めて会った時十三だったんだから……そんな小さくないよ。ていうかおじさんくさいなあ」
「きみにもこの気持ちが分かる日がいずれ来るさ。……似たような会話を前にもしたな」

 そうだっけと少し考えて、最終課題直前の話かと笑う。懐かしい、若干空気がギスりかけてたっけ。怖かったし普通に眼力にビビったけど今ではいい思い出だ。「きみには感謝してるんだ」グラスの中の氷をカラカラと揺らしながらシリウスが呟いた。

「あの時エレナと話したおかげで、保護者としての自覚というやつがちゃんと芽生えた気がするよ」
「それはよかった……」

 爽やかに微笑むシリウスに苦い気持ちで返事をする。あれは私の中でちょっと後悔している出来事の一つだった。当時はついお節介はしちゃったけど、今考えると要らなかった。私が何も言わなくったって、こうして数年心も体も自由の時間があれば、どの道今のシリウスになっていたと思う。

「きみが私の歪さに気付いていたなら、ハリーだってきっと遅かれ早かれ気付くことになっていたんだろうな」
「一昨年なんて反抗期だったもんね」
「反抗期! あれやっぱりそうだったのか!」

 嬉々としている理由が分からず酒を舐めながら引く。私の周りの大人、なんか反抗期を歓迎しがちじゃないか?

「いや、薄々そうじゃないかと思ってたんだよ。反抗期……そうか……」
「シリウスの反抗期に比べたらきっとかわいいものだったんだろうね」
「まあな」
「別に褒めてないよ」

 全く褒めてない。グラビア写真を嫌がらせで貼り付けるってすごい度胸だなって何度見ても感じる。廊下じゃなくて自室ってことは結構普通に趣味ってことでしょ? 家族に性癖バレしてでも嫌がらせにしたいって心意気は買うけど、私にはちょっと理解できない領域だ。シリウスはキメ顔のままグラスを傾けたが、ふとなにかを憂うように目を伏せた。

「一昨年の──イースターあたりだったかな、ハリーと学生時代の話をしたんだ。ホグワーツからわざわざ煙突飛行ネットワークを使って繋いでくれてな」
「あら……」

 あっこれスネイプ先生の忌まわしい記憶の話じゃ? すぐにピンときてしまって反応に困り、おばちゃんの相槌みたいな返事をしてしまった。

「忘れていた、というよりなかったことにしていた記憶の話をされた。自分の愚かな行いをハリーに見られたこともそうだが、彼に言われるまでその出来事を自分が思い出すことすらしなかったという事実を突き付けられて……それがなにより恥ずかしかったよ」
「えーっと……どういう記憶だったのか聞いてもいいの?」
「……スネイプを大勢でいじめてたんだ」
「oh……」

 それもぶっちゃけちゃうんだ……。と戦慄する。聞いたのは私だけどさ。でも流れ的に不自然だったから聞いただけで、全然濁してくれて構わなかったのに。むしろ濁してほしかったのに。「ジェームズと私が中心になってな」シリウスは自嘲気味に口を歪めた。ワワワワワ追い打ちー! これ、これ私どう反応すればいいんだ。同級生の親代わりが顔見知りに笑えないいじめを仕掛けてたなんて聞かされて、どうすればいいんだ。赤の他人だったら罵倒したおして終わりだが、なまじ知り合いなだけ気まずすぎる。てかハリーもよく直撃で来たな。

「なあ、私はやはりスネイプに謝るべきだと思うか? いや、もちろん悪いとは思っている。しかし今更なにを言われても腹が立つだけなんじゃないかと……」
「いや知らないよ。シリウスがなにをしようとも先生はウザいと思うんじゃない?」

 謝られたからもう気にしない、なんてさっぱりした性格はしてないだろう。はっきり告げると、シリウスは項垂れて呻いた。呻きたいのはこっちだ。前も思ったけど自分の子どもくらいの年齢の子によくそんな重い相談できるな。中身がこれなのでぎりぎりセーフだけど。

「……シリウスはスネイプ先生のこと憎んでないの?」
「私が? 憎めるわけ──ああ、ダンブルドアのことか」

 ルーピン先生でさえスネイプ先生の話題が少しでも出ると眉間の皺を濃くする。見ている限り、スネイプ先生に悪感情を抱いてなさそうなのはシリウスだけだ。もちろん叔父さんは除くとしてね。

「私がしたことを棚に上げる形にはなるが、やはりそれ自体は許せないと思っているよ。憎むとはまた違うがね」
「急に健全なこと言うなあ……」
「なんだそれ」

 つい感心しちゃった。ほんの数秒前にえぐいカミングアウトしてきた人間の口から出たとは思えない。や、馬鹿にしてるわけではなく。

「そういうきみこそ、まだあいつを“先生”と呼ぶじゃないか」

 特に何も考えてなかった部分を指摘され、目を瞬かせる。それのなにがいけないんだろう。だってスネイプ先生はスネイプ先生だ。

「だめなの、それって」
「だめというか、まあ、私はやつに対する感情は今話した通りだし、別に気にしないんだがな」

 シリウス以外にはアウトらしい。……そっか、そういえば先生呼びしてるのって私だけかも。レベッカでさえ『あの人』とか、まあ必要に駆られたら『スネイプ』呼びだし。わあ、そっかあ……。そしたら気になってる人、結構いたのかもしれない。

「ハリーはたまに少しムッとしてる時があるから気を付けた方がいいかもしれない」
「うん……ただのクセだったんだけどな」
「きみ、リーマスやマッド・アイにもそうだよな」

 シリウスはちょっと可笑しそうに目を細めた。その生暖かい眼差しに、気恥しさやいたたまれなさがないまぜになったよく分からない感情に苛まれ、少し唇が突き出る。先生先生と呼ぶのはそんなに子どもっぽく見えるのだろうか。……まあ客観的に見たらそうだな。でも彼らは私にとってずっと『先生』だったんだ。しょうがないじゃん。

「マッド・アイはなんだかんだ満更でもないようだが、リーマスのやつなんかはこの前『エレナから敬意と若干の距離を感じる』と少し寂しそうにしてたぞ」
「まっさかぁ……え、まじ? まじならそれはだいぶかわいい……」
「こら」

 距離を置こうとしてるわけじゃないんだけどなあ。呼び方変えるとしたらルーピンかリーマス? ええ、気安……。なんか私がやだな、それ。

「私、シリウスみたいに先生として知り合ってなくてもルーピン先生のことはルーピン先生って呼んでたと思う」
「まあリーマスは優しい奴だからな。頼りにしたくなる気持ちはよく分かるよ。……最近は気が立ってるみたいだが」
「満月が近いからかと思ったけど、そういう訳でもないよね」

 今日の空からわかるとおり、満月はまだ二週間以上先だ。シリウスは難しい顔で唸った。

「トンクスと上手くいってないとか?」
「それはないな。トンクスはベタ惚れだしリーマスも同じくらい彼女を愛している。多分、問題はむしろそこ──……いや、やめておこう、こんな下世話な話をエレナにしたとバレたらチョコの海に沈められる」
「下世話な話って言っちゃってるけど」

 工藤それヒントやないアンサーや。ていうかそれは先生にとってはご褒美だから逆にされないのでは? シンプルに昔の恥ずかしいエピソード暴露されるとかじゃない? 今度シリウスに意地悪するならなにするか直接聞いてみよ。
 グラスに浮かぶ溶けかけの氷を口に含む。ほんのり甘かった。蜂蜜酒って実際はそんな糖度ないって聞いてたけど、これは甘くて美味しかったな。お高いからだろうか。

「……きみがあいつのことを未だに『先生』と呼ぶから、私は自分の判断に自信を持つことが出来た」

 小さな氷を奥歯で噛み砕きながら、シリウスの言葉に首を傾げる。なんだか妙な言い回しだ。

「あいつってルーピン先生のこと?」
「いや、スネイプのことさ」

 話が読めなくて口を噤む私に、シリウスは軽く笑ってみせた。

「きみは身内間での雑談中でさえ敬称を忘れない。退職した人間、一度も教えを受けたことがない人間──あまつさえ、裏切り者に対してだって先生を付ける」
「……ダンブルドアはダンブルドアだけど」
「彼はいつだって例外さ」
「堂々ハブ宣言。今度伝えとくね」
「わざわざホグワーツの墓まで行ってか?」

 シリウスは面白がるように口角を上げたが、続いた「やめてくれ」という言葉は絶対ガチだった。まあ本人は伝えられたところで気にしなさそうだけどね。

「ムーディのことを欠かさず『先生』と呼ぶきみが、一度だけ呼び捨てにしたことがある。準備室で話した日だ」
「シリウスがスネイプ先生をいびってた日」
「う、それは──そうなんだが……今は置いておいてくれ。とにかく、あの日、きみは初めてやつを『先生』と呼ばなかった」

 雲行きが真っ暗でなんか胃が痛くなってきた。え、まったく記憶にない。あの時ムーディの──クラウチの会話をした記憶すらないんだけど。誰の話してる? それほんとに私? ポリった誰かでは?

「エレナ、きみはムーディの正体にずっと気付いてたんじゃないか?」
「そんなわけないじゃん」

 こっっっわ。え? シリウスなに? 突然どうしたんろう。こわい。今すぐ部屋帰ろうかな。敬称がたった一度なかったってだけで普通はそんな着地点にはならない。おかしいよシリウス。たしかにシリウスはクラウチに付き添って授業に参加してたから、私の内々に秘めた反抗心も過敏に感じ取ってた可能性もなきにしもあらいやないでしょ。だって私、つとめて普通に──少なくともアンブリッジよりかはかなり友好的に対応してたはずだ。周りの人が皆あいつを信じきってたから悪目立ちたくなくて合わせてたし。

「そうか? しかし正体が分からないにしても信用はしてなかった。違うか?」
「……顔とか、あとあれ、態度がぶっきらぼうじゃん? それが怖かったからだよ」
「の割に、本物のムーディにはすぐに懐いてたじゃないか」

 こう、あの、オーラがさ……。だめだ、これだとトレローニー先生みたいになっちゃう。ろくろを回してもだもだと必死に言い訳を考えた。なにか、いい、説得力ある言い分は……。グラスがかいた汗がそのまま自分に反映されてるような心地だ。

「……ネビルに『磔の呪い』を見せたでしょ、あの人。それをずっと許してなかっただけだよ」
「ああ、なるほどな」

 理由として利用したことを、眠っているであろう親友へ向けて内心で謝る。苦し紛れだったが、シリウスはあっさり納得してくれてホッとした。「私もよりにもよってあれをネビルに見せるかと思ったよ」初授業のことを思い出したのか、シリウスは不愉快そうに顔を顰めている。

「しかしなんにせよ、やつに対して不信感は持ってたわけだ」
「うーん、うん……まあ……そうなるのかな……?」
「エレナは勘が働くからな」

 初めて言われた。うん? でも未来が分かるんだからもっと言われてなきゃおかしいのでは……? やだ、私の前世知識、雑魚すぎ……?! まあそれはそう。

「ていうかそれとスネイプ先生って呼ぶことになんの関連性があるの?」
「エレナがまだあいつを信用に足る人物だと思っている。それだけで私にとっては十分、ここを離れないための安心材料になるのさ」
「ふぅん……」

 戦争中にもかかわらず、曖昧でふわっとした理屈だなと思う。冷静に考えれば今やこのお屋敷はもう相当危険なのに、歳下の魔女の呼び方なんてものを基準に留まり続けることを選ぶなんて。けれど反面、寄せられたその信頼が少し嬉しくもあって。誤魔化すようにお酒を飲む。

「そんな信頼されてたなんて知らなかったな」
「きみの正論パンチはかなり効くしかなり痛いからな」
「あっ信頼じゃなくて根に持ってる感じですか??」
「違う違う、感謝してるとも。ハリーのことも、ピーターのことも──ああ!」

 夜中だから静かなトーンだった声が突然大きくなる。驚いて固まる私に、シリウスは構わずニヤッとした。

「きみ、ピーターに助けられたと思ってるだろう」
「……思ってるけど、それが?」
「やっぱりな。記事を読んでそんな気がしたんだ」

 記事。なんのことかと思ったがすぐ思い当たる。ルーナのパパが発刊している雑誌『ザ・クィブラー』のことだ。一応、『助けられました』と明言はしなかったが、書かれていた話しぶりで察したのだろう。

「恐れ入ったよ。死の呪いを放たれて尚助けられたと感じているなんて」
「事実そうじゃん。あの人に迷いがなきゃ私は今頃お陀仏だったし」
「そうだな。ただ殺されかけたという事実もしっかり認識しておきなさい」
「……はぁい」
「──とはいえ、私もそうだといいなと思っている」

 ぽつりと落とされ、驚いてシリウスを見る。シリウスはグラスの底をじっと見つめていて、視線は合わなかった。波一つない静かな表情だ。今夜はシリウスの意外な一面ばかり知る。

「呪文の不発はあいつの実力不足などではなく、子どもを殺すのを躊躇ってくれたゆえの結果だと……私もそう思いたい」
「ピーターのこと、許したの?」

 祈りのような言葉に思わずぎょっとする。だって、前はあんなに……。しかしシリウスは「いいや」と否定した。

「スネイプ同様、やったこと自体は許していないし、まだ許せる気もしない。あいつが引き起こした結果は恨んでるさ。ただ、なんだろうな……恨み続けるのにも、体力がいる」

 あのシリウス・ブラックから出たとは思えないセリフだ。私がシリウスの何を知ってるんだという感じではあるが、しかし「私ももう若くないから」と冗談めかして笑う姿には妙な儚さがあった。

「前にハリーが『親友が人殺しになったら父さんが悲しむ』といったことがあったろう」
「うん、叫びの屋敷でだよね」
「その通りだと思った。しかし考えてみれば──それは私だけでなくピーターにも当て嵌まるんじゃないか? ジェームズはあいつのことだってたしかに親友だと思っていたのだから」
「……はー、なるほどね」

 ハリーにそのつもりがなかったにせよ、あの言葉はシリウスだけでなくピーターにも刺さっていたのかもしれない。全然気が付かなかったな。

「ジェームズは私に敵討ちとしてかつての友を殺すこともきっと望んでいないし、同時に思考停止することも望んでいないと思う」
「思考停止?」
「ただ憎むだけでは鼻で笑われる気がするんだ。私たちにはあいつが裏切るに至った経緯をもっと考える必要がある。……そうだ、一つ、エレナの意見を聞きたい。あいつは『どうして生きたい』のだと思う?」
「あー……」

 バツが悪くて声が萎む。あのウザい質問を持ってくるか。調子に乗りすぎたし考えなしだったって自分でも反省してるんだけどな。回答を期待する視線から逃げるように顔を背けた。

「あの時はああいったけどさ、私は結局深い意味はないんじゃないかと思ってます、ね……」
「なに?」
「『生きること』に理由がいるかは人によるから。ピーターはただ『生きたい』から裏切ったのかもしれないよね……って最近思うようになった」

 純粋に生きたいという気持ちを原動力に行動すること自体は悪いことではないだろう。でもそれに他人を巻き込むならその分色々と背負わなくてはならない。それこそヴォルデモートのように。あいつはもう多重債務者だけどピーターはどうかな、まだギリ引き返せそうな気もする。

「とりあえずあの時の私、あんなネチネチ追い詰めて自分すごい嫌な奴だったなー最低だなー! と今は深く反省しております。生きるのには深い理由や大義名分がなきゃだめ、みたいな言い方になってた気がする」
「別にそんなことは思っていなかったが……しかし、かなり考えが変わったんだな」
「シリウスには負けるけどね。まあ死生観とか、色々と思うところがある」

 最近はなにかと“死”が近いから。自分の生き方も、もう少し省みる必要があるなあとしみじみ思う。

「とにかく我々は考える葦なので。随時アプデしてこう」
「あぷで」
「更新成長改良。そういうシリウスはどうしてだと思ってるの?」
「まだあぷで中だ」
「ローディングながそ〜」

 体よく逃げられたので皮肉ると、恐らく意味は分かっていないだろうに「答えがでたら教えるよ」と宥められた。

「結局はエレナの答えに近いものになるような気はするがね」
「そう。……なんていうか、丸くなったねえ、シリウス……」
「たしかに牙は少し抜けたかもな」

 いっと歯を見せて笑うシリウスに「褒めてるんだよ」と改めて伝えれば、彼は複雑そうな顔をした。たしかに年下から贈る言葉にしてはだいぶ偉そうではあるよね。馬鹿にしてるわけじゃないよと補足すると、シリウスは緩やかに首を振った。

「我ながら気が付くのが遅すぎだ。褒められることではない」
「……まっる! 超丸い、柔らか! ハムスターじゃん。いや、むしろウミウシ?」
「なぜウミウシ」
「軟体動物」

 立ち上がると、ちょうど時計がボーンと鳴り、二時を報せた。もうこんな時間かと驚く。なんだかんだ、一時間近く話し込んでいたらしい。

「もう寝るね。私、今日みんなより少し早く出なきゃだから」
「ああ、ハーマイオニーのドレスアップを手伝うんだったか」
「そう、目的はロンを悩殺する」
「人の結婚式でやることか?」

 多分絶対に違う。言われてみればそうなのでやっぱり控えめにしようと考え直した。控えめに悩殺。これがアプデの成功例。
 グラスを片付けようと思ったが、シリウスはまだ飲むかもしれないので、私は自分のグラスだけを手に持った。

「シリウス」
「ん?」
「私たち、誰も殺さなくてよかったね」

 復讐に憑りつかれてこの家を出て行っていたら、変化したシリウスとこうしてじっくり話すこともなかっただろう。そう思うと、初めて自分だけの意思だけで心の底から今の選択を肯定できた。

 笑った私とは反対に、シリウスは急に泣きだしたのかと思ったほど、ぎゅっと顔を顰め、ああ、と小さな声を絞り出した。
 

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