21



 少し不安になってきたので、スネイプ先生に『お薬を飲めたね♡』させる計画はちょっと保留にすることにした。決戦まで恐らく残り数ヶ月。それまでに考えておこう、色々と。

「あっ」

 と、上の空でいたせいで、手から杖が弾き飛ばされる。杖はクルクルと宙を舞い、吸い込まれるように叔父さんの手元へ――はいかず、空中でぴたりと動きを止めた。再び私の手に舞い戻ってきた杖に目を見開く叔父さんに、私は得意になってふふんと口角を上げる。

「杖なしでの魔法の行使なんて、いつの間に習得したんだ?」
「わかんない。起きたら突然できるようになってた」

 まだ簡単な呪文くらいしかできないけどね、と近くにあった園芸用スコップをふよふよ浮かせて実演する。叔父さんは感心したように唸った。
 できると気付いたのは、今日の朝だ。あー、さっむい。布団からでたくないなぁ。でも喉は乾いたなぁ、アクシオ水差し! なんて思いながらベッドサイドの水差しをぼんやり見ていたら、いきなり飛んできた。鼻が潰れたし顔面に水がびしゃっとなって寒かったし、半分寝惚けてたからすごく混乱したし、朝から散々だった。

「才能だな」
「え?」
「エレナの叔父も、優秀な魔法使いだったからな」

 思いも寄らない言葉に一瞬呆気に取られてしまったが、柔和な微笑みを湛えている叔父さんに軽く肩を竦める。

「ま、たしかに? あなたという偉大なる師の叩き上げのおかげでもありますよね」
「そういう意味では――」

 言い募ろうとする叔父さんに向けて武装解除を仕掛ける。あっさり防がれた。チッ、今回はダメだったか。前回はできたんだけどな……。

 第一関門であった『呪文を当てる』は大分前に突破していた。今は純粋な決闘。私はこの数ヶ月近くで、この人に七割弱の力を引き出せるまでに至っていた。



 午前はいつものように戦闘訓練をしてもらい、午後はココアを飲みながら二人でスリーカードモンテをして白熱の勝負を繰り広げたりして。そうして夕方頃になってから、私たちはお手製のレモンパイを持ってブラック家へと向かった。今日は大晦日なので、年越しのお祝いをするのだ。盛大にやれるような状況でもないので、集まるのは私たちくらいの最小限の人数だけれど、シリウスやソフィア、クリーチャーに久しぶりに会えて嬉しかった。

「リーマスも呼んだんだが、トンクスの傍にいたい、と返事が来てな」
 
 あの二人は順風満帆らしい。よかった。みんなのグラスにワインをたっぷり注ぎながら、シリウスが嬉しそうに教えてくれた。



「お水とってくる」

 えんもたけなわとなった頃合で、そう言って立ち上がる。ファイアウィスキーの瓶を水のように次々空けている男たち二人は、赤ら顔でグラスを持った手を上げ――やめろ零れる――、むにゃむにゃとなにかを言っていた。大皿にこれでもかというほど並べられていた色んな種類のカナッペも、もうほとんどない。しょうがない、追加でなにかツマミも持ってきてやるか。ていうかあの人ってお酒強いんだっけ……家では常に神経を尖らせてるのか、“気付け”にさえ飲んでるところを見ない。まあ歳が歳だし、例え家でドカ飲みしてたとしても普通に没収するけどね。しかし久しぶりの飲酒だからか、今日のあの人はとてもご機嫌そうだった。このご時世だし、前後不覚になるほど飲んじゃいないだろうけれど、あんまり見ないテンションになってるからちょっと心配だ。水と、それから隙を見て薬飲ませとかなきゃな……。

 ぶつぶつと思考を巡らせながら、玄関ホールで足を止める。昏昏と眠りこけているブラック夫人の肖像画の隣に、一部分が不自然に欠けた丸鏡が並んでいた。ピカピカに磨かれた鏡には、無表情な私の顔が映っている。鏡の私の手が徐に上がり――。

「なにしてるの、エレナ?」

 背後からの声に、鏡の縁に手をかけたまま硬直する。顔だけで振り返れば、シリウスの恋人であるソフィア・キャンベルが、穏やかな笑みを浮かべていた。榛色の目は、少しも笑っていないけれど。

「それはシリウスの大切なものよ。それに、あなたは欠けた部分を持ってるって聞いたけど?」
「……もっと大きいのが欲しいなーって」
「まあ。あなたって案外欲しがりなのね」

 クスクス楽しげな彼女へ、私もえへへと笑い――笑いながら、そうっと壁から鏡を外す。恐る恐る、大事な我が子を抱き締めるように鏡を胸に閉じこめても、意外なことにソフィアは咎めたりしなかった。崩れない笑顔が逆に不気味だ。

「それがなくなったら、彼はきっとすぐ気が付くわよ」
「うん、だからこうするつもり」

 言いながら、いつものポーチから用意していた新品の鏡を取り出す。欠けた鏡をよく観察して、真新しい方の鏡の一部を砕き、外したばかりの壁の引っ掛かりへ再び鏡をかけ直した。

「ほら、これで元通り。シリウスは自分からハリーを呼んだりはしないでしょう?」
「ええ、まだ一度も。私の見ている限りだけれど」

 ソフィアがこっくりと頷く。彼がハリーの邪魔を進んでしようとしないだろうということは、ちゃんと分かっていた。どちらかが使おうとしない限り、この鏡はただの鏡だ。ネックレスを誕生日に貰ったとき、ハーマイオニーがそう言って実演してくれた。シリウスは連絡しないし、ハリーも分霊箱については親代わりにさえ秘密にしているから、ヒントをあおごうとはしないだろう。

「だから鏡がすり替わったことにシリウスが気が付く機会はない。……ってことを、ソフィアはシリウスに話しちゃう?」
「うーん、理由次第かしら」

 訳を話せと暗に言われ、ですよねーとぎこちなく笑う。んんー、どうしよっかなぁ……。さりげなく隠した後ろ手でこっそり杖をいじりながら、「実は」と口を開く。

「ハリーがこれを使って、シリウスに助けを求める“夢”を見て」

 含みを持たせて言えば、ソフィアはハッと目を見開いた。

「あのハリーが助けを求めるなんて、なんかほら、相当なことそうじゃない?」
「……そうね。彼、意地っ張りなところがあるものね」

 流れに沿って進むなら、マルフォイの館に捕らえられたハリーはこの両面鏡を使って助けを求めるはずだ。
 けれどマルフォイの館にはあの女がいる。本来ならばシリウスを死に追いやっていた、あの女――ベラトリックス・レストレンジ。

「ハリーなら、私……と、まあ叔父さんが絶対助けるからさ」

 ハリーを見捨てるわけじゃない。かわりの方法は考えてある――あまり確実とは言えないけれど。けれどその危険を冒してでも、私はあの二人をできる限り引き合わせたくなかった。特に、命が一つ失われることが、あの女が奪うことが決まっているあの館には。

「だから、見逃してくれないかな」

 そんな思惑を笑顔で隠しつつ、小首を傾げながら感触を確かめるように――覚悟を決めるように、指先でそっと杖を撫で擦る。ソフィアは迷ったように瞳を伏せ、ふうっと息を吐いた。

「分かったわ」
「えっ、ほんとに?」
「あら、嘘の方がよかった?」

 とんでもないと、慌てて首をブンブン横に振る。ただちょっと……拍子抜けしただけ。『嘘』である場合ばかりを想定していたから。杖に触れていた手から少しだけ力が抜ける。ソフィアは眉尻を垂らした。

「私だって、シリウスにはできる限り安全でいてほしいもの。七人のポッター作戦だって、このお屋敷で待ってる時、生きた心地がしなかったわ……薄情に聞こえるかもしれないけど」
「そんなことないよ」

 不安や恐怖は当然の感情だ。すぐさま否定すれば、ソフィアは「ありがとう」と弱々しく微笑んでから、「それに」といたずらっぽい表情を作った。

「ワイアット一族の見る夢には、カッサンドラと同じくらいの信憑性があるしね」
「あー、んー……どうも」

 数年前の叔父さんのやらかしを思い出してしまい、苦い気持ちで相槌を打つ。苦虫を噛み潰したような顔になった私に、ソフィアは「責めてないわ」と軽く笑った。

「あの時教えてくれたエドガーにはとても感謝してるんだから、私。彼のおかげでシリウスを喪わずに済んだんだのだし、私がこうして――」
『助けて!』

 突然持っていた鏡、そして、胸に下げていたロケットから、二重で声が響いた。緊迫感と必死さが滲む叫びに私とソフィアは息を呑み、慌ててよく見えるように鏡を掲げる。緑色の瞳が、深い暗がりの奥からこちらを見つめていた。

『僕たちはマルフォイの館の地下牢にいる――助けて!』

 その言葉を最後に、声はプツリと途切れ、ハリーの姿も消えてしまった。ブラック家の壁や背後のモニュメントばかりを映す鏡に困惑する。この道具に使用者の魔力が影響するとかいう話は聞いたことがないし、ハーマイオニーとの通信がこんな不自然に消えたことはない。もしかしてあの館にはなにかしらの阻害呪文が――いや、それよりも。

「あなたたちの家系に予言者がいないか、真剣に調べるべきだと思うわ」
「うん、そうだね――行かなきゃ」
「どうやって?」
「フォークスにお願いする」

 あの鳥は瞬間移動の能力を持っている、はずだ。叔父さん無しで手を貸してくれるかは分からないけど、一旦家に帰ってなんとか交渉してみて――。
 ぶつぶつ呟いていれば、ソフィアが口を開いた。

「それよりも、もっと早くて確実な方法があるわ――クリーチャー」
「なんでしょう」

 凛とした呼びかけ一つで、私とソフィアのちょうど真ん中の場所に現れた妖精の姿に目を見張る。え、なんかすごい主従感が……。

「ハリーを助けたいの。手伝ってくれる?」
「えっ」
「かしこまりました」
「えっ?! いや、待っ、そんな――危険だよ!」

 クリーチャーが来てくれたら、そりゃたしかにめちゃくちゃ心強いけどね?! でも場所が場所というか、相手が相手だ。ブラック家とマルフォイ家の繋がりは濃いと聞くし、そんなご主人様に近いような魔女たち相手に杖――というか指? を向けさせるのは、あまりにも酷なのでは。

 わたわたと言葉を重ねる私へ、クリーチャーとソフィアは少し顔を見合せた。かと思えば、ソフィアはキュッと眉頭を寄せてこちらを睨んでくるし、クリーチャーには呆れ顔をされた。な、なぜ。

「シリウスはもちろん大切。とっても、この世で何よりね。でもだからって、ハリーやあなたがどうでもいいってわけじゃないのよ。仲間ですもの」
「や、それは分かってますけど……」
「ご理解いただけてるようでなによりだわ。さ、時間がもったいないし、早く行きましょう」
「え、行きま……は?!」

 こ、この人、ついてくる気だ! 
 早くも杖を取り出しているソフィアにそう察しがついてしまい、サッと血の気が引いていく。そんなのダメ、ソフィアがあの館に行くなんて、そんなことは絶対――。

 だめだと強く思った瞬間、唐突にパチリと、なにかのスイッチが押されたような感覚がした。混乱で白くなっていた視界が一気に開けて、急に目の前がクリアになる。

「ソフィア」
「なに――?」

 ソフィアの手から杖が弾き飛ぶ。彼女は何が起こったのか分からないという顔をして――そのまま石のように固まった。

「お言葉に甘えてクリーチャーの助けは借りるよ。ありがとう。――でも、あなたの力はもう借りれない」

 クルクルと回転した杖は、それが当然というように私の手の中に収まった。両腕を体の脇に貼り付け、足をぴったり閉じた体勢となった彼女の体が、ぐらりと後方へと傾く。コマ送りの速度で倒れていくその真下には、私がたった今呼び寄せたばかりのクッションが幾つも敷いてあった。

「ごめんね」

 しゃがみこんで、横たわるソフィアの顔を覗き込む。

「私もあなたと同じだよ。シリウスもハリーも、ソフィアのことも大切なの――理解してほしいな」

 どうして、とショックや失望を宿した瞳を震わせるソフィアの前髪をそっと撫でる。念の為少し離れた場所に彼女の杖を置いてから、私は立ち上がった。

「あ、もちろんクリーチャーも大切な仲間だと思ってるよ! あの、だから――」
「クリーチャーに魔法使いの呪文は効きません」
「……だよね」

 できればソフィアのお願いを聞かなかったことにしてくれないかな〜、と、思ったけれど、説得も無理そうだ。きっぱりとした言葉に遮られ、苦笑いをする。これ以上の問答は無駄と判断して、溜息を吐くことで気持ちを切り替えた。

「それじゃあクリーチャー、お願い――マルフォイの館へ」
 
 あの人の元へ。
 

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