23
◆◆◆
ピーターと二人連れ立って階段を登り、薄暗い通路に入る。半開きになっている扉から、話し声がした。
「ドラコ、杖を拾うんだ!」
耳朶を打ったベラトリックスの台詞に一瞬だけ息を止める。「闇の帝王が御出でになる。ハリー・ポッター、お前の死が迫っているぞ!」勝ち誇った女の声と、ドラコが早足で移動する音が聞こえた。
「さぁて……シシー、この英雄気取りさんたちを、我々の手でもう一度縛らないといけないようだ。グレイバックが、ミス『穢れた血』の面倒を見ているうちにね……」
開いた扉からそっと様子を窺うと、ベラトリックスが意識を失っているハーマイオニーを抱え、喉元に銀の小刀を押し付けているのが見えた。クリーチャーはまだ戻っていないらしい。ならばと、私はベラトリックスの真上にあるクリスタルのシャンデリアへ杖を向ける。原作準拠原作準拠。
「グレイバックよ、闇の帝王は、今夜のお前の働きに対して、その娘をお与えになるのを渋りはなさらないだろう」
おぞましい事を嬉々として宣うベラトリックスの赤い唇が醜く歪んだ瞬間、天井からガリガリという音が響いた。ベラトリックスが不審げにシャンデリアを見上げる。けれど不意にバチンという音が目の前で鳴ったため、ベラトリックスはハッとシャンデリアから視線を外した。
「クリーチャー!」
ベラトリックスが、血走った目を見開いて、知己の妖精の名を叫んだ。私からはクリーチャーの後頭部しか見えないけれど、クリーチャーはあまり居心地良さそうなふうには見えなかった。
「なぜお前が――」
「ベラ!」
銀色の髪をした女性が――多分、ナルシッサ・マルフォイだ――金切り声をあげたが、遅かった。軋んだ音や、チリンチリンという不吉な音ともに、シャンデリアがベラトリックス目がけて落下した。耳を劈くけたたましい音に乗じて、私も客間へ飛び込む。
暖炉脇の肘掛椅子の前で、体をくの字に曲げてシャンデリアの破片から身を守ろうとしているドラコを見つけた。その白い手には、三本の杖が握られている。
「エクスペリアームス!」
ドラコの手から杖が弾け飛んだのは、感覚で分かった。だからさっさと視線を外し、グレイバックへと意識を向ける。視界の端でピーターが、片手で器用に三本の杖をキャッチするのを確認しつつ、私はグレイバックへ失神の呪文を浴びせた。ナルシッサと視線がかち合う。
「ステューピファイ!」
「ッ……!」
「エクスペリアームス!」
ナルシッサの放った赤い閃光が胸のど真ん中に直撃した。衝撃で数歩後退りながら思わず胸元を抑えると、砕けたなにかが手のひらの中でパラパラと落ちてきた。当たったけど当たってないらしい。フラついた私と入れ違いでピーターが前に出て、ナルシッサの杖を奪った。
「ワームテール!」
私の肩を抱いてハリーたちの方へ避難するピーターに、驚愕と侮蔑の篭った呼び声が響く。
「よくも裏切ったな、よくも! お前ごときがシシーの杖を取り上げるなど――恥を知れ、この腐れネズミ! 裏切りの報いは必ず受けてもらうぞ!」
ベラトリックスは鬼のような形相で――しつこく追ってくるシャンデリアの破片たちによって部屋の隅に追いやられながらなので、迫力にはかな〜り欠けていたが――おま言うな罵りを口にした。それから激しく私を睨みつける。
「それに貴様、ワイアット! お前までなぜここにいる? 穢れた血のお前が――まだ懲りないのか? ならば望み通り今度こそ、その身に思い知らせてやる――」
「アハ、杖も持たない魔女がなんか言ってら」
ピーターの手を借りてシェルフに腰を預けながら嘲ると、ベラトリックスの白い顔が憤怒で少し赤くなった。こわ〜い!
グリフィンドールの剣を抱き締めた小鬼を守っているハリーを見る。片腕となったピーターの姿にハリーは驚いた顔をしていたけれど、一度小さく頷いただけで、なにも聞いてこなかった。
「ッ、クリーチャー!」
群がるシャンデリアの欠片に半分潰されながらも、ベラトリックスが喘ぎながら、またも妖精の名前を声高に呼んだ。
「お前、お前――裏切るつもりか? 楯突こうというのか? 私たちがレストレンジ家ならびにマルフォイ家の者と知りながら――?」
「クリーチャーは、由緒正しきブラック家に仕える、栄誉ある屋敷しもべ妖精です!」
それまで身を縮こめていたクリーチャーが、急に背筋を伸ばして毅然として声を張り上げた。華奢な体が急に大きく見える。
「クリーチャーは裏切らない! 勇敢なるレギュラス様を決して――そしてその意志を引き継ぐとクリーチャーと約束した、シリウス様のことも!」
クリーチャーが指を鳴らす。ロンの赤い髪が流れ、部屋の向こうからベラトリックスの投げた小刀が、ぼやけた銀色の光となってこちらへ飛んでくる――。
私はクリーチャーの小さな体躯を背後からギュッと抱え込む。それから、意味があるのかは分からないけれど、せめてもの抵抗として、来る衝撃に備えて背中に力をいれた。
大丈夫大丈夫。
だって薬はあと二回分あるし。すぐに服薬すれば、きっと死にはしない。めちゃくちゃ痛いだろうけど――。
回転する渦の中で、そんな私の腕を、誰かが強く引いたような気がした。
濡れそぼった地面に叩きつけられ、その衝撃で腕から妖精が転がっていく。片耳がぴったりついた地面から、寄せては返す波の音がきこえてきた。泥と濃い潮の匂いが鼻腔を満たす。
濡れた土に指を突き立てて、ゆっくりと身を起こす。少し高くなった丘のほうに、小さな家があった。煙突からもくもくとした煙が絶え間なく吐き出され、星の散らばる夜空を泳いでいる。あれが貝殻の家なんだろう。フラーたちの新居。家の方向から、いくつかの黒い人影が慌ただしく近付いてきていた。
構えていたほどの痛みはない。でもたしか、セクタムられた時もこんなだった気がする。最初はあんまり痛みはなくて……。
「(そうだ、みんなは――?)」
思考に余裕があるうちにみんなの様子を確認しておきたくて、ゆるりと首を回す。世界には満天の星空が広がっていて、低い位置に大きな満月があって、辺りへ白い光を降り注いでいた。
「クリーチャー、ここが『貝殻の家』なの?」
そんな夜空の手前に、啜り泣いている小鬼の背を撫でるハリーがいた。その隣に立つ妖精。やや離れた場所でもぞもぞしているのは、ロンとハーマイオニーだろうか。
「僕たち、正しい場所に着いたの?」
「はい」
答えるクリーチャーの声は、いつも通りだった。暗くてよく見えないけれど、怪我をしているような声ではない。よかった。安堵しながら、もたもたポーチへと手を伸ばす。痛みがやって来ないせいで早く飲まなきゃという気持ちがすっかり失せてしまっていた。魔法の使いすぎでシンプルに疲れているというのも、のろのろしてしまう理由の一つだろう。
「みんな、みんなは――ロン、ハーマイオニー――エレナ――?」
「いるよ」
思っていたよりもずっとしっかり声がでたことに、自分でも驚く。怖々息を吸うと、潮の香りが肺を満たした。ただそれだけ。酸素を吸ったら痛みが来るかなと思ったけど、そんなことも全然なく。襲ってくるのはただの疲労感だけで。エッ待って、これはさすがにちょっと元気すぎない? 今更ながら胸元を見下ろす。胸元には壊されたロケットがぶら下がっているだけで、ナイフの切っ先だとか血溜まりだとかは、少しもなかった。
「あ、あれぇ……?!」
「どうかし――ワームテール?」
「え?」
あ、そうだ、ピーターのこと忘れてた。ハリーの言葉にもう一度辺りを見回す。前にはいない、じゃあ私の後ろ――後ろ?
嫌な予感でドクンと心臓が脈打った。
なにかに誘われるように、体が勝手に動いて、背後を振り返った。
「――ピーター!」
私の真後ろにいた小さな影にちょうど駆け寄った誰かが、吠えるように名前を呼んだ。
「ピーター、ピーター! お前、ふざけるな、この――ッ、しっかりしろよ、ピーター・ぺティグリュー!」
その誰かさんは、背中の真ん中を小刀で貫かれ、小さくなって蹲る片腕の男へ向けて、泣きそうな声で詰るように怒鳴り――そうして男の名前を繰り返し呼んでいた。何度も、何度も。
◆◆◆
- 210 -
←前 次→