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“なにをしているのだろう”、と。
昔から時折、頭の冷えた部分がそう囁くことがあった。今年に入ってからその頻度は特に増え、自分のそんな声を聴く度、血が抜かれたときのような悪寒で指先が震えた。
だって全部、無駄なのだ。かつて叔父さんが言っていたように、“私たちがなにかするまでもなく、この世界は完璧に完成している”のだから。理不尽な別れも不条理な喪失も、ハリーたちにとって――この世界にとっては、必要なことで。本当はちゃんと、分かっていた。この世界に生まれたからには、それは飲み込むべきことだった。
「……『勇敢』なんかじゃないのに」
叔父さんからの手紙を思い出してひっそりと呟く。
彼は、私のことをとても美化して、且つ過大評価しすぎていた。私は単に子どもで、ただ無謀だっただけだ。私の我儘のせいで家族がみんな死んでしまうと分かっていたら、私は流れを変えようとなんてしなかったに違いない。そう、勇敢などではない。私の行動は全てただのエゴで蛮勇だった。ずっとそうだった。勇敢だったことなど、一度もない。尊敬するとまで書いてくれたのに、そんな姪が実はこんな臆病で情けない人間だったと知ったら、叔父さんはさぞガッカリするだろうな。
自嘲しながら溜息を吐けば、白い息が零れ、薄暗い空に吸い込まれていった。朝を迎えつつある空を、ぼんやりと見つめる。
両親を死に追いやって、大事な人の苦しみからも目を逸らして逃げ、挙げ句の果てに本来傷付く必要のなかった人を傷つけて。
救えたものを、成し遂げたことを思い出そうにも、結局そんなものは一つもなくて。なにもかもが中途半端で不甲斐ない始末に終わっている。
それでも誰も私を責めない。
責めないからこそ、余計に考えてしまう。
ああ、ああ。
私はいったい、なにをしているのだろう。
私はいったい、なんのために生きているのだろう。
こんなことで、私の“のぞみ”は果たせるのだろうか。
本当に、迷いばかり、間違いばかり、エゴと後悔だらけの人生だ――だった、けれど。
それもきっと、今日で終わりだ。
平たく伸びた雲が、空をどこまでも覆い尽くしていた。煌々とした朝焼けが、薄い雲を通して世界に満遍なく降り注ぐ。曇り空なのに、不思議とどこまでも眩かった。なにかの始まりと終わりを報せるような、不気味で美しい、澄み切った冬の夜明けだ。
そんな空を、預かっている不死鳥が飛んでいた。燃えるような朱が早暁を背に、悠々と気持ち良さそうに羽を広げている。自由なその様が羨ましくなって、私は少しだけ笑った。
今日が終われば、私は自分の人生の意味を、そして答えを見つけられるような気がする。
なんの確証もないそんな希望を胸に、私は広がる風景を目に焼き付けた。
終わりの朝は、これまで観た中で最も美しい空からはじまった。
「落ち着かないな」
「そういうあなたこそ。ハリーたちが気になりますか?」
ハリーたちが今朝方に貝殻の家を出ていったとの報は、あっという間に伝わってきた。一ヶ月と半分をしっかり療養してからの計画された行動――つまり、グリンゴッツ破りだ。順当にいくなら、の話ではあるが。まあ滞在時にオリバンダーさんやグリップフックと話し込んでいた光景も見かけていたし、十中八九間違いないといっていいだろう。グリップフックも一緒に行ったらしいし。
とはいえ、彼らの行き先を知っているのは現状私だけなんですけども。そりゃ気になるよな、という意味で叔父さんへ言えば、彼は「無論それも気になるが」と含みを持った答えを返した。
「しかしそれよりも、きみが今日一日、そして今に至るまでずっとどこかへ行くような格好をしていることも、おおいに私の関心を引いているよ」
「……そうかな?」
「もう日も暮れたというのに、随分と動きやすそうな格好だな」
探るような眼差しから顔を背ける。ちょっとあからさますぎたか……。や、だってハリーたちがグリンゴッツへ発ったってことは……ねえ? “今日”じゃん、それはもう。確定じゃん。もうあれじゃん、絶対最終決戦じゃん。
……という気持ちが逸ってしまい、私はつい『いつでも動けます』みたいな服装をしてしまっていた。もう朝から。怪しまれるのも当然だった。あちゃー、うっかり。
えへえへと笑って誤魔化し(誤魔化せてないけど)ながら、「今日のシチューの具はなにかな〜」とか言いつつキッチンへ向かう。キッチンの窓から確認した外は、もうすっかり夜の帳が落ちていた。決戦は恐らく夜だが、今は冬だから日が落ちるのは早い。うーん、でもそろそろな気は――。
素早く立ち上がった時のような衣擦れの音に、ハッとして鍋をかき混ぜていたお玉から手を放す。急いで振り返ると、やや険しい顔付きをした叔父さんの視線の先に、白銀のライオン――守護霊がいた。いったい誰からの遣いだろう。杖こそ構えていないけれど、叔父さんが警戒しているということは、騎士団員のものではないんだろう。
「ライオン……?」
ライオンの守護霊って誰だったっけ……。
困惑から落ちた私の呟きに、ライオンがピクリと反応する。ライオンが少しだけ首をこちらへと動かすと、立派なたてがみが柔らかそうに揺れた。つぶらな瞳と視線が交錯する。私をみとめたライオンは、ゆったりとした動作で目蓋を一度おろした。どうしてかその動きには、妙な既視感があった。呼吸が支配されるような、不思議な感覚がする。悠然としたライオンの挙動は、ここにはいない誰かを想起させた。
「――エレナ」
語りかけてくる愛おしげな声は、もう久しく聞いていないものだった。けれど忘れるなんて、絶対に有り得ない声だった。だのに私は、声の主が、守護霊の主が誰だか分かるのに返事ができなかった。口は震えるばかりで、声の出し方を忘れてしまったみたいだった。
「エレナ、きみが必要なんだ」
ライオンは、大きな口を動かしてそう言った。水の中にいるみたいに緩く反響した低い声音は、鼓膜へとよく馴染んだ。
「――助けにきて」
囁きを最後に、銀白色のライオンは溶けるように消える。完全に消えるよりも早くから、私は廊下に向かって走り出していた。
「待ちなさいエレナ!」
「やだ!」
背後からの叔父さんの制止も無視して、走りながら杖を振る。二階の自室から呼び寄せたいつものポーチを空中で引っ掴んで、玄関口――フォークスの目の前で足にブレーキをかけた。
「お願いフォークス、連れてって!」
「待ちなさいと――どこへ行くというんだ!」
「決まってるでしょ――ホグワーツだよ!」
不死鳥の首がきゅるりと動く。慌てる主人と、それから縋り付く小娘を交互に品定めするように見遣り――。
「フォークス――!」
ふわりと音もなく、大きな両翼を広げた。不死鳥の慈悲に口角が持ち上がる。友情を築いてきた甲斐があったぜ!
私は飛び上がったフォークスの足を掴みながら、『ウソだろう』と面白いくらい顔に書いてある叔父さんへ向かって、満面の笑みを向けた。
「じゃ、お借りしますね――またあとで!」
不死鳥が愉しげに一つ鳴く。それを合図に、たちまち目の前が金色の炎で燃え上がった。
ぱちぱちと火の粉が弾ける音や、轟々と揺らぐ炎の感覚が体を包む。しかし痛みや熱さは感じない。むしろ揺籃の中にいるような、不思議な心地良さがあった。私は目を閉じて、フォークスに身を委ねた。
唐突に頭上の支えが消え、軽い浮遊感に襲われる。けれど驚く間もなく地面へ足がついた。きょろきょろと首を回す。色鮮やかな寮のタペストリー、ランプ、唖然とした沢山の人の顔――。
「エレナ!」
さっきも聞いた声に、身体が勝手に動き出した。弾かれたように床を蹴り、そちらへ向かって走る。向こうからも彼が走ってきているのが見えて、また嬉しくなって、込み上げてきた涙で視界が歪む。
衝突寸前で彼は私をひょいと軽々持ち上げて、クルクル回った。天井から吊り下がったオレンジ色のランプが、彼の顔を照らしあげる。
「おかえり、エレナ!」
傷だらけの顔に、たてがみのように伸びた髪。最後に見た時とは、大違いの痛々しい相貌だ。
それでも彼が心底嬉しそうに破顔しているので、私の頬もつられて綻んでしまっていた。ここ最近で一番幸せな気持ちで、私は声をあげた。
「――ただいま、ネビル!」
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