27



 ぎゅうっと抱き着いてから、もう一度久方ぶりの親友の顔を見つめ直す。再会の感動が鎮まった今、私の意識は彼の顔中にある切り裂き傷へと移っていた。見れば見るほど痛ましくて、自然と眉が下がってしまう。

「いたそう」
「こんなのなんでもないさ。それにばあちゃんはきっと気に入る」

 私をトンと床へ降ろしながら、ネビルは誇らしげに口元を綻ばせた。うーん、ハナハッカ……を使うには、少し時間が経ちすぎてるか。ネビルは満更でもなさそうだけど、なんとかできないかな……。

「エレナを連れてきてくれたのは……フォークス? もしかしてダンブルドアの?」
「うん。ずっとうちで預かってたんだ」
「すごい! 不死鳥って瞬間移動ができるの? でもホグワーツではその手の魔法って――」
「――エレナ!」
「いっだァッ――あ、ラベンダー!」

 腰に重たいタックルを喰らったせいで会話の中断を余儀なくされた。ダメージを受けつつ首を回し、猪のような勢いで飛び込んできた人物の正体に笑顔を咲かせる。懐かしい顔に、痛みも忘れて声が弾んだ。

「無事でよかった!」
「ええ、あなたもね――でもそれより聞いてよ!」

 バッと上がったラベンダーの顔にもやはり濃い疲労が滲んでいたが、目だけはキラキラと興奮したように光っていた。ああこれはなにか企んでるなと察しつつ、私は「なあに?」と頬を緩めた。

「ついさっき帰ってきた、そこの“選ばれし者様方”、いったいなんて言ったと思う?」
「『ダンブルドアの残した仕事は僕達三人だけがまっとうしなければならない――』」
「『君たちは足でまといだ――』」
「私たちそんなこと言ってないわ!」
「挙句、用を終わらせたらさっさと城から出てくんだと! こんな状況の城に! こんな状態の僕らを置いてさ!」
「こんなつれないことってあるかよ! なあ兄弟
?」
「ああ、やぁっと面白くなりそうだってのに! なあ兄弟」
「オイ、いやな言い方ばっかりするなよ!」

 シェーマスやディーンを中心に、方々からハリーたちへの非難が私に向かって飛んでくる。加えてフレジョという偉大なる初代悪戯大将までいるものだから、もう歯止めなんかききっこない。矢面まで引きずり出されたハーマイオニーとロンがそれぞれが困り果てたり怒ったように口を挟んだが、誰一人として聞く耳を持つ者はいなかった。壁際ではセドリックが苦笑していて、その隣でレベッカは呆れたように目を窄めている。二人はこの非難嵐に参加する気はないようだが、しかしかと言って、みんなを止める気もないようだ。気持ちは一緒らしい。

「えーと……それで、肝心のハリーは?」
「ルーナと一緒にレイブンクロー寮に行ったわ。失われた髪飾りの像を見に行くって」

 そう説明するジニーの瞳が、一瞬だけチョウの方へと動いた。……のは、ちょっとあの、気が付かなかったということにさせてほしい。女の因縁はこういう時でも健在なんだな……。

「とにかく、僕たちはいい加減『待て』以外のことがしたいのさ」
「そ、そう……」

 ネビルが肩を竦める。要するに、鬱憤が溜まってるということらしい。まあ気持ちは分かるけども。今はもう二月。みんな半年近く、クソッタレなんとか兄妹の圧政によく耐えたと思う。にしたって帰還早々、大変だな英雄様たちも……。三人にも事情があるだろうに。
 そんな哀れみを込めてハーマイオニーたちを改めて見て、思わずギョッとする。二人もみんなと同じくらいボロボロの姿形をしていた。ハーマイオニーの髪は焦げてるし、ロンは首まで火傷のような傷跡が広がっている。私の眼差しに気が付いたロンがちょっと得意げにニヤッとした。

「ああ、ま、ちょっとした大冒険でね。もう知ってるかもだけど」
「え、あ、あー、グリンゴッツ破り……お疲れ様です」
「――そうだ、きみら、なんだって天下のグリンゴッツを破ろうなんて無謀をしたんだよ?」

 誰かが思い出したように問いかけと、ロンとハーマイオニーはしばらく困ったように顔を見合せた。なんて答えるべきか目で相談しあっているらしい。ザワついていた室内が次第に静かになっていき、やがては二人の回答をじっと待つ時間が訪れた。

「――トイレだ!!」
「えっ?」

 急にロンが吠えるように叫んだので、必要の部屋にいる全員が数センチ飛び上がった。ロンは驚くハーマイオニーの手を掴み、空いた手で彼女の小さなハンドバッグを指差しながら、もう一度「トイレだよ!」と言った。

「あのトイレに行けば、カップをなんとかできる!」
「ロン、あなた何を言って――?」
「いいから行こう!」

 興奮しているのか、ロンの頬は僅かに紅潮していた。ロンだけがなにかを閃いていて、それに全くピンときていないハーマイオニーというのが珍しくて、誰もツッコミをいれられない。誰もが置いてけぼりになっているうちに、二人は止める間もなく部屋から飛び出して行ってしまった。

「……どうしたんだろう?」
「さあ……。とりあえず、二人はトイレに行ったらしいよってハリーが戻ったら伝えておいてあげようか」

 私がそう言うと、みんなは『まあそう言うしかないよな』というようにぽつぽつと同意した。いまいち煮え切らない空気が漂う中、不意に誰かが「あっ!」と声を上げる。壁にかけられた大きな絵画の奥から、数人の人影がこちらへと近付いてきている。みんなは歓声を上げて、仲間を迎えるべくそちらへと集まっていった。

「(分霊箱の破壊かな)」

 額縁から出てきたケイティ、アンジェリーナ、アリシア、そしてオリバー・ウッドを遠巻きに見ながら、掠れかけの記憶を辿る。たしか、グリンゴッツ破りの目的は分霊箱だ。分霊箱の破壊にはバジリスクの毒が有効的であり――それでトイレといえば、もうあの場所しかない。でもロンって蛇語使えるのかな。……まあハーマイオニーがいるから大丈夫か。

「エレナ、どうしたの?」
「ううん、なんでも――ね、あの額縁ってどこに繋がってるの?」
「ああ、あれはホッグズ・ヘッドに繋がってるんだ。どれだけ空腹になってもこの部屋は食べ物だけはだしてくれなくてね。途方に暮れていたら、あの額縁が現れた。アブって案外気さくな人なんだよ。ちょっと素直じゃないけど」

 こんな状況なのに、一人で思考に耽り過ぎてしまっていた。心配そうに覗き込んできたネビルへ、誤魔化すため不自然に思われないような話題を振る。ネビルは新たな友人のことを楽しげに話してくれた。直接の面識はないけれど、ホッグズ・ヘッドの店主がいい人なのは知ってる。最近ではお土産のオマケにチョコレートケーキを包んでくれたりするくらいには、彼はいい人だ。……でもだからってアブ呼びできちゃうネビルのコミュ力がすごい。さすが。

 額縁からまたさらに人が出てくる。とうとう見知った生徒じゃなく、ウィーズリー一家、シリウスやルーピン先生、ムーディ先生やキングスリー、そして――。

「うわ、やばっ」
「エレナ?」

 最後に続いた顔を見た瞬間、さあっと血の気が引いていく。私は慌てて――ばっちり目合ったし手遅れだとは思ったけど――、ネビルの背中に隠れた。

「――ああ、エドガー!」
「やあ、ネビル」

 立派な羽が空気を掴んで羽ばたく音が頭上でする。必要の部屋の天井付近を旋回していた不死鳥が、悠々と飼い主の元へと向かっていくのが視界の端で見えた。「エレナ」名前を呼ばれ、その声が思ってたより普通だったので、私は意を決してネビルの影から顔をだした。

「……怒ってます?」
「無論、怒ってなどいないとも。君たちがここまで友好を深めていたというのは想定外だったが」

 エドガー叔父さんは腕を止まり木にしてやりつつ、ゆったり言って少しいたずらっぽく笑った。本当に怒っていなさそうだと安心して息を吐く。が、不思議そうな顔のネビルにすぐしまったと思った。姪と叔父の会話にしては、今のは少し他人行儀だったかも? ここは家じゃないんだし気を引き締めなきゃと、私は「よかったー!」とわざと明るい声を上げた。

「こっぴどく叱られたらどうしようってドキドキしてたの!」
「ええ? エドガーは滅多な事じゃエレナのこと怒らないと思うけど……」
「え?」
「だってエドガーって、エレナにすっごく甘いじゃないか」

 ネビルがきょとんと首を傾げて言うので、私は言葉に詰まってしまった。黙り込んだ私に不審がることなく、ネビルが「ほら」と懐かしそうに続けた。

「DADAの時とか、いつもニッコニコでスネイプにいびられるエレナのこと見守ってたし。なにかにつけて話しかけにきてたりしてただろう?」
「……そう、だったかも?……ごめん、忘れちゃった」

 首元に手を当てながら、少し俯いて笑う。わざとらしい仕草になってしまったらしく、隣からネビルの視線が突き刺さるのを感じた。それでも顔は上げられなかった。

 もうそんなの、全然覚えてない。だってこの一年、とっても怒涛だったんだもの。そんな前の記憶、もう今さら思い出せないよ。

 なんて言い出してしまいそうになるのを、首筋に爪を立てて、私はじっと堪えた。あの時の彼の顔を、もっとよく見ておくべきだったという深い後悔に蝕まれながら。



 そうしている内に、ハリーとルーナが必要の部屋に戻ってきた。

「ヴォルデモートがこっちに向かってる――先生方がバリケードを築いていて――スネイプは逃げた。小さい子を避難させて、それから大広間に集まって準備をする――僕たちは戦うんだ」

 ハリーの言葉にあちこちから大きな雄叫びじみた歓声が上がり、みんなが一斉に階段下へと押し寄せた。入口付近にいたハリーを吹き飛ばす勢いで押しのけ、みんな次々と階段を駆け上がっていく。ハリーの扱いよ。英雄なのに。さっきの腹いせでしょ絶対。

 ぼんやり人の流れに身を任せていたが、見知った顔ぶれに少し波から外れる。ネビルには後から合流すると伝えて、私はみんなの元へと駆け寄った。

「ルーピン先生! トンクスは――?」
「トンクスは彼女の母親の家にいる。まだお腹が大きいからね――うん、私としては一安心だよ」

 あれ、と一瞬思ったけれど、すぐ巻きになってるんだったと思い出す。二人の子はまだ生まれてないのか。いくらトンクスでも身重の状態では来れないはずだ。ひとまず彼女の命は保証されたといっていいだろう。私も安心だ。

「――それで、私にも家にいてくれって言いにきたの?」

 背後からの謳うような声掛けに、ぎくりと体が強ばった。ぎぎ、とぎこちなく声の方へと首を回す。

「ソフィア……言いません」
「あら。じゃあ実力行使?」
「も、しないです、もう」

 罪悪感で項垂れるとソフィアは「冗談よ」ところころ笑った。一応前回の件は謝罪済みではあったけど、まだ根に持ってることには持ってるらしい。そりゃそう。……でも正直な話、今回もそうしたいところでは全然あるんですけどね。それはソフィアだけじゃなくて、ルーピンシリウスフレッドセドリックに対しても。でもさすがにこんな衆目があるところじゃやりづらいし。

「(この五人、ずっと固まって動いてくれたりしないかなぁ……)」
「またなにか企んでるでしょう」
「ません!」

 ソフィアのじっとり疑り深い眼差しを薄ら笑いでなんとかいなして、私は逃げるように人混みに紛れて階段を駆け上がった。



 不確定要素は多い。
 増えてしまった、増やしてしまった。

 とはいえ、まあ、叔父さんもいるわけだし? そうそう心配する必要はないのかもしれない。なにせ、ドドドドドチートの我らがとびきり切り札隠し玉だし。

「みんなのこと、よろしくお願いしますね」

 出口横の壁に凭れて私を待っていたらしい叔父さんへ声をかける。叔父さんは真剣な顔で厳かに頷いた。それがらしくもないくせに、あまりにも様になっていたものだから、私は思わず笑ってしまった。ああ、ほんとう、似合わない。なにもかも似合ってなかったなぁ、この人。

 笑顔の名残りで細くなった瞳のまま、私は彼を、目に焼き付けるようにしてつぶさに見つめた。同じ金髪に、同じ青い瞳。この世界に残された、私のたった一人の最後の家族。

「……いままで」

 零れた声は引き攣っていて、ひどく情けなかった。唾を飲んで喉を潤おし、ついでに込み上げてきたおセンチな感情も押し殺す。今は不要だ。これから戦闘なんだから、シクシクしてる場合じゃない。

「今日まで本当にありがとうございました。――さようなら、エドガー・ワイアット」
「……エレナ――」
「楽しかったです。不謹慎かもだけど」

 今日でお別れすることになる彼へ向け、にっこりとしてみせる。彼は何か言いかけたけれど、私がそれをおどけて遮ると、青い瞳は悲しげに伏せられた。

 それなりの付き合いだ。この人が何を言いたかったかなんて分かっている。どうせ謝ろうとしたのだろう。まったく、と肩を竦める。あなたからの謝罪なんて必要ないって、もう再三言っているというのに。

 呆れていれば、目の前の男の腕が徐に持ち上がる。汲めた意図に少しだけ逡巡してから、私も腕を伸ばして抱き着いた。

「――ありがとう、エレナ・ワイアット」

 ……ああ、そっか。この声を聞けるのも、これで最後になるかもしれないんだよなぁ。

 そんなことを考えながら、私は返事の代わりに肩口へと顔を埋めた。頭に乗った手が慰めるように動くので、なんだか無性におかしくなった。ふふ、大丈夫、大丈夫ですよ。ちゃんと覚悟してたから。だから、大丈夫。今回だって泣かないよ。

 今までの感謝ごとそれを伝えるように、私は回した腕に力を込め、より一層抱きついた。
 

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