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 広間に着くなり、不愉快なデスボが脳内に直接流し込まれた。冷たく甲高い、地獄の腐敗した風を纏ったような声音。マジで不愉快が過ぎる。耐え難すぎたので無意味と分かりながらも耳ごと頭を押さえつけた。

「お前たちが戦う準備をしているのは分かっている」

 うるさいお前に何がわかるんだ。
 嘲るような声にイラッとして歯を食いしばる。だめだ、一言ごとに野次を飛ばしてしまいそう。休日に子ども野球見てるオッサンみたいになっちゃう。近くで怯えて蹲る生徒を見つけたので、その子の背を摩ることで、私は無理やり意識を他へと逸らした。
 グリフィンドールの小さな女の子は、目に涙をいっぱい溜めて私を見上げた。見たことがない、新入生だろう。こんな年に入学だなんて可哀想に。慰めるように頭を撫でると、女の子の体の震えは少しだけ弱くなった。

「――あそこにいるじゃない! ポッターはあそこよ! 誰か捕まえて!」

 スリザリンのテーブルから立ち上がった女子生徒を見る。あれは……パンジー・パーキンソン。ならドラコは近くに――? つい視線を巡らせてしまったが、目的のプラチナブロンドは目に止まらない。考えてみれば当然のことなのに、私はひそかに肩を落としてしまった。

「(ドラコは“外側”か……)」
「――さあ、グリフィンドール生も続きなさい!――未成年は避難するのです! 絶対にいけません、クリービー、行きなさい――ピークス、あなたもです!」
「さあ、きみも行って。転ばないようにね」

 私がそう促しても、しゃがみ込んだ女の子は立ち上がろうとしなかった。怖くて足が動かないのかもしれない。私はパチパチ弾けるチョコがポケットに入っていたのを思い出したので、それを渡せば、女の子は鼻を啜りながら受け取ってくれた。やっと腰を持ち上げ、歩き出す。女の子はしばらく私の方をちらちらと振り返っていたけれど、やがては人波に飲まれて見えなくなってしまった。

「――さあ聞いたな?! ヴォルデモートが来る真夜中まであと三十分だ! 総員、素早く行動しろ!」

 雷のように轟いた声にハッとする。壇上ではムーディ先生がいつもの大きな杖を振りかざして、指示を出すところだった。

「フリットウィック、スプラウト、ミネルバは戦う者たちのグループを最も高い三つの塔まで連れて行け――レイブンクローの塔、天文台、そしてグリフィンドールの塔だ。見通しがよく、呪文をかけるには最高の場所だ。一方――」

 ムーディ先生の指揮により、校庭で敵を迎え撃つ組と学校入口の防衛を組織する組とでチームを分けることになった。先程呼ばれた先生方や、キングスリー、シリウス、ウィーズリーおじさん、そして外への抜け道を知り尽くしている双子が防衛組のリーダーとしてムーディ先生の元へと指示を仰ぎに集まっていく。

「(私はどうしよう……)」

 できるだけ誰にも死なないでほしい。味方にも敵にも。
 そのために、私はみんなの三倍近くこの戦場を走り回る必要があった。この迷っている時間すら惜しい。惜しいというのに、一向に優先順位が定まらず、こんがらがった紐のように頭の中はごちゃごちゃしていた。

「(誰を――誰が――?)」

 頭皮に爪を立て、必死で掠れきった記憶のページを捲る。まずは誰からで、どこへ行けば――。

「――ポッター! なにか探し物をするはずではないのですか?」
「えっ? あ――あっ、そうです!」

 マクゴナガル先生の凛とした声、そしてハリーの間の抜けた返事に耳朶を打たれ、弾かれたように振り返る。ちょうどハリーが大広間を走り抜けていこうとするところだった。呆然としていれば、マクゴナガル先生と目が合う。

「ああ、ワイアット! 息災でなにより! あなたは――」
「すみません先生、私もちょっと行くところが! ありがとうございます!」

 こんがらがっていた思考が一気に解けた。さすがは我らの寮監様! そんな気持ちで叫んだお礼に、当の彼女は目を白黒させていた。

 数ヶ月ぶりの顔合わせで『何言ってんだこいつ』顔させちゃったことを申し訳なく思いつつ、呆気に取られる先生の横を抜け、私もハリーに続いて玄関ホールへと走り出す。少し前方にハリーの頭を見つけたが、彼は生徒の群れに流されているだけで、どこへ行くべきかまだ定まっていない様子だった。その方が私にとっては都合がいい。鉢合わせる心配がなくなる。
 私は『必要の部屋』――もとい、クラッブがいる場所へと向けて、足を動かした。

 今晩最優先で助けなければならない人物。それは、必要の部屋で命を落とす彼――ビンセント・クラッブだ。



 真夜中まで十五分を切ったところで、私はやっとバカのバーナバスのタペストリー前まで辿り着いた。いやこれでも急いだんです! 息だってほらこんなに切れてるし! でもまじ、まじこの学校さぁ……! いい加減、校内移動の手段に煙突飛行粉の導入を検討すべきだ。……まあもしあったとしても、この人が溢れ返った状況なら使うより歩いた方が早そうだけど。

 バーナバスがトロールにぺしゃんこにされるのを眺めながら、呼吸を整える。それから緊張で冷たくなった指先を折って、杖をきつく握りしめた。爪がギリと肉に食い込む感覚がしたが、不思議とそこまでの痛さは感じなかった。静かに息を吸い込み、口を開く。

「――いるんでしょう、クラッブ、ゴイル」

 ゆっくりと、石壁の方を振り返る。なにかを望んだわけでもないから、壁には扉なんて現れない。けれどなにも見えなくとも、ここに彼らがいるのは知っていた――思い出していた。答えるように、獣の唸り声のような笑いがどこからともなく響いた。コツ、と足音が鳴る。

「気安く呼ぶな、穢れた血の分際で」
「ファミリーネームくらい別に……えっ?」
「あ?」
「アッいえなんでも……」

 二人はいた。……私がたった今来た方の通路に。不服そうに姿を現した二人にあれっと頬を引き攣らせる。え、私はてっきり、二人はもうこの壁付近で目くらましの術使って待機済だと想定して声をかけたんだけど――あ、あ、い、今着いた感じ? ちょうど今、私とほぼ同着? あっあっ恥ずかしい! 顔から火が出そう! でもだって記憶ではさぁ!

 久しぶりのダッサいやらかしにひとり勝手に半泣きになっていれば、ゴイルが「どうして分かった?」とこちらを睨みつけた。

「俺たちは『目くろます術』を使ってここに来た!」
「そうだ。ここに来ればポッターの仲間をまとめてやれると思った」
「……そう」

 なんちゃら兄妹のおかげで、魔法は多少使えるようになったようだ。だがおつむのできはそう変化ないらしい。こんなことを敵へ素直に喋っちゃダメでしょうに。あと呪文の名前間違えてるし。何も気付かずニヤニヤしている彼らのおかげで、羞恥心も少し引いた。

 さて、原作だとたしかこの二人と一緒にドラコも必要の部屋でハリーたちと戦っていた。流れ通りならもうすぐ合流するはずだ。だから――。

「俺たちはポッターの仲間を少しでも潰して手柄をあげるんだ――」
「そんなことはさせないよ」
「なにを――」

 彼が校内に乗り込んでくる前に――残り十五分で終わらせる。

 私はごく自然な動作で緩やかに杖を振り上げ、二人まとめて天井へ叩きつけた。天に向けた杖先をぐりっと捻り、天井に磔にした状態で下から圧をかける。力を強くしすぎたのか天井が軋み、僅かなヒビが走った。パラパラと破片が落ちてきたので、やり過ぎたと慌てて少しだけ出力を弱める。

「ゥ、グッ、この……?!」
「悪いけど、家庭教師の格が違うの」

 今年度私を鍛えたのを誰だと思っているんだ。闇の魔術しか使おうとしない死喰い人なんかと一緒にしてもらっちゃ困る。

 突き上げた見えない壁に押し潰された二人は、宙を掻くようにして苦しげに身を捩っている。二人ともビーターをやれるくらいのパワー型だったためか、中々粘っていた。けれど最初にゴイルが、次にクラッブががくんと頭を落として意識を失った。私は魔法を解き、落下してくる二人を宙で拘束しようと杖を持ち上げた。

「――アバダ ケダブラ!」
「おわっ?!」

 落下途中で大きな体躯を捻ったクラッブから、緑の閃光が飛んでくる。反射的に姿くらましを使いそうになったが、城内ではできないことを寸前で思い出し、慌てて転がって避けた。気絶したフリしてたのか! 慌てて片割れを見たが、ゴイルの方は大人しく床に叩きつけられていた。

「よ、くも、やってくれたな……!」
「あ、あは……(やべ〜!)」

 床に這いつくばったクラッブが、ぜえはあと肩で息をしながら血走った眼を差し向けてくる。殺気を込めて激しく睨まれ、自然と足がじりと後ろに下がる。必要の部屋の方へ視線をやらないように注意しながら、どうするべきかと懸命に思考を巡らせる。

 える知ってるか。
 中途半端に攻撃された獣が、この世で最も恐ろしいものだと。

「絶対に殺してやる!」

 部屋が私たちにとって大切な出入り口であり、ハリーたちにとって重大な鍵を握る場所であることを、クラッブに悟らせるわけにはいかなかった。下の階へはまだ避難できていない下級生たちがいる。つまり逃げ場は一つ。

 私は歯をむき出しにしたクラッブが足を前にだしたと同時に、『追い詰められて仕方なく』、というふうを装って天文台へと繋がる螺旋階段の方へと走った。

「待て!」

 螺旋階段を数段飛ばしで登っていく。少しでももたつけば、階段ごと消し飛ばされてしまいそうだった。虫の報せのような嫌な予感がして、振り向きざまにプロテゴを張る。シールドのすぐ目の前で甲冑がけたたましい音を立てて砕け、それに驚いて動きが固まってしまった。半壊させられた壁と一緒に絵画まで飛んできたので、怯える絵画を浮遊呪文で避難させながら「ちょっと!」と声を荒らげる。

「さっきからバカスカ城を壊して――もっと愛校心を持ちなよ!」
「散々学校を魔改造してきたお前が言うな!」
「う、それはそう……いやだからって素手で壁を抉るのはどうかと思いますけど?!」

 そういえばクラッブのこと出られない部屋に閉じ込めたことあった! その件はごめん! でも元はと言えばネビルをいびったお前が悪いよ。それは絶対に。

 光線が飛んできたので再びその場から逃げたす。クラッブの呪文に巻き込まれた絵画たちから、耳を塞ぎたくなるような阿鼻叫喚が巻き起こった。

「(っああもう、埒が明かない!)」

 私は絵画を避難させたりしながら駆けていたが、腹を括り、吹き抜けとなった踊り場で足を止める。踵を回して振り返って、追ってきていたクラッブと対峙した。冷えきった冬の夜風がヒューッと流れ、火照った体を撫でた。

「ドブネズミみたいに逃げ回るのはもう終わりか?」
「あんまり文学的な喩えとはいえないんじゃないかな、それ」

 底意地の悪いせせら笑いを浮かべたクラッブがにじり寄ってくる。

「(うーん、なんかドーピングしてそうだなぁ、この人)」

 私の計画としては、さっきので二人を気絶させて、戦争が終わるまで大人しくしてもらう予定だった。さっきのは、人間二人を無力化させるに充分な出力の魔法だったのだ。しかしクラッブだけにそれが効かなかったということは、彼はヴォルデモートの手先の先生方から身体強化の魔法かなんかも教えてもらったのだろう。きっと、とんでもなく悪質なまじないに違いない。

「(様子だって、あからさまにおかしいし)」
「フーッ、フーッ……」

 食い縛られた歯の隙間からはダラダラと涎が垂れていて、粘ついた水音とともに荒々しく呼吸するその風貌は、まさしく野生の獣じみていた。

「できれば傷付けたくないんだけど」
「どの口が言う?」
「ゴイルなら今頃いい夢を見てるはずだよ」

 私が呟くと、クラッブが噛み付くように言った。いやいい夢見てるかは知らんけど。でも少なくとも血は流してないし。
 しれっと言う私へ呆れたような視線が突き刺さり、おやと思う。私が思ってるよりずっと正気なのかな? なら自分の様子のおかしさに気付いてもいいと思うんだけど。


 ゴーン、ゴーン、と鐘の鳴る音が城全体に轟く。真夜中を報せる鐘、決戦の合図だ。背後が夜明けのように明るくなっていくのが、射し込んでくる光で分かる。死喰い人たちが城に施された防衛魔法を破ろうとしているのだろう。私の影が長く伸び、クラッブの下卑た笑顔が眩く照らされる。タイムリミットだ。もうこれ以上の時間をクラッブにかけるわけにはいかない。私は覚悟を決め、クラッブを見据えた。

「あっ――」

 不意にクラッブが、私の背後のなにかを見て、驚いたように声をもらした。背後にはなにもない。だって手摺のすぐ向こうは普通に空で外のはずだし――。

「――エクスペリアームス!」

 空しかないはずの上空から、ハッキリとした声が落ちてきた。赤い光が私の耳を掠めてクラッブの手元を捉える。呪文の効果のとおり、クラッブの手から杖が弾き飛ばされた。予期せぬ第三者の乱入に、私は思わずクラッブから目を外し、クルクル舞う杖を追いかけて後ろを向いてしまった。

「――は、」
「なんのつもりだ!」

 クラッブが怒鳴るのと同時に、私は目尻が切れんばかりに瞳を張って息を呑んだ。


 なぜなら流星のように降り注ぐ攻撃の閃光を背に、箒に跨ってローブをはためかせるその人は――星を浴びたような白金の髪を揺らす、その人は。


「なぜ邪魔をする――ドラコ!」


 敵であるはずのドラコ・マルフォイに他ならなかったのだから。
 

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