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 春の麗らかな陽気を浴びながら、木陰の下で微睡んだこと。
 大きな湖のほとりで、夏風が汗の滲む額を撫でたこと。
 授業に遅れると庭を横切り、赤や黄色に色付いた秋の絨毯を大袈裟なまでに舞わせたこと。
 暖炉前で宿題をやる振りをして、窓の外の銀世界を眺めたこと。


 そんなありふれた幸福の全てを失っても後悔はしないほど、私はあなた達が大切でした。


 あなた達が生きてさえいてくれたならそれでいい。それだけでいい。他に望むべくことはなにもない。だってそれが私にとっての最上の未来で、なによりで唯一の『のぞみ』でした。

 本来ならば存在しないはずの私が。
 一度はこの世界でも死を受け入れたそんな私が。
 生きてるだけで多くの犠牲を生んだ愚かな私が。
 今までしぶとく生き長らえることを赦されたのは、多分、今日この時のためでした。

 私は愛されて、恵まれていた。とても幸せな人生だった。だから失うことに淋しさはあれど恐怖はないし、この選択に悔いもない。
 

 だから――。








 アバーフォースと別れ、暗闇を走ること数分。目的地であった暴れ柳の真下で『彼』を見つけたのは、幸運だったとしかいいようがない。間一髪のギリギリ。黒いローブをはためかせる姿を見るなり、心の底からの安堵が広がり、足から力が抜けそうになってしまったほどだった。崩れそうになる足を叱咤し、私は枯れ草をじわじわ地へ沈めるように、慎重に一歩一歩を踏み締めた。

 その人はちょうど暴れ柳を大人しくさせようと、杖を向けていた。私の方など少しも見ていなくて、誰かが近付いていることにすら気付いていなかった。
 多分彼は、“これからのこと”について意識を集中させていたのだと思う。この先の『叫びの屋敷』にて座して待つ、ヴォルデモートへだけへ、ただただ思考を割いていた。例のあの人、闇の帝王、死の飛翔。どれだけ渾名を厨二臭いと鼻で笑おうが、しかし悲しいことにその腕その実力は疑いようもない。そんな相手との会話は、彼の立場からすれば薄氷の上を歩むようなものだろう。

 だからこそ、私の呪文はなんの障害もなく彼の手へと簡単に直撃した。私のような小娘に――いや、ここに来てヴォルデモート以外に邪魔をされるなど、彼は少しも想像していなかったに違いない。黒い大きな蝙蝠のような姿が、突然弾け飛んだ杖に狼狽して身動ぎする。

「こんばんは、スネイプ先生」

 暗がりの中でスネイプ先生が私の存在に気が付き息を呑んだのは、クルクル舞った先生の杖が私の手に収まるのと同時だった。

「お久しぶりですね」
「我輩の杖を返せ」

 唸り声じみた低い声で威嚇され、「私の杖で良ければお貸ししますよ」と笑ってみせる。別に杖は二本も要らないし。善意と、そして譲歩のつもりでそう言った。のだが、スネイプ先生は眉間の幅を狭めた。

「貴様と遊んでいる時間はない」
「私だって遊びに来たんじゃありませんよ」
「ならば目的は」
「“あなた”になりたい」
「……なに?」

 スネイプ先生の声が困惑でほんの僅かに上擦った。

「一瞬だけでいいから、私を『セブルス・スネイプ』としてヴォルデモートの前に立たせてほしい。それが私の目的、今こんな時にあなたの前に立ちはだかる理由です」

 その為に必要な道具――“魔法薬”はちゃんと用意してある。残りきっかり一人分、しっかり持参してきていた。
 ポリジュース薬の入ったスキットルを振れば、私の言葉の意味することが理解できたのだろう。スネイプ先生は暗がりでも分かるくらいサッと顔を白くして、警戒するように後ずさった。いくら学生――停学中だが――とはいえ、成人した魔女相手にあまっちょろい抵抗をみせる先生がおかしくて、場違いにも笑いそうになる。でもここで笑ったら私すごい悪役みたいじゃない? と思ったので自重した。

「そんな、そんなこと……いったいなんのために」
「自分のため」
「全てを台無しにするつもりか?……それがお前の報復だとでも?」
「や、だから、私も叔父さんも、あなたを恨んでなんかいませんって。これっぽっちも」

 報復だなんて見当違いも甚だしい。的外れすぎて呆れてしまう。どうもそこら辺、この人は勘違いしているようだ。前にしっかり訂正したと思うんだけどもしかして忘れてる? いや、覚えているだろう。ただ単に、彼自身の責任感が勝っているというだけか。真面目だ。うーん、どうしてその一面を授業で発揮してくれなかったのか。くだらない事を考えながら、私は微笑んだ。

「悪いようにはしません。ただ先生には今から少しの間寝てもらうだけです。ハリーへの贈物も、ちゃんと渡しておきますよ」

 寝ている人間からでも『記憶』が採取できることは検証済みである。記憶を預かって、噛まれて、そしてやってきたハリー達に渡すだけ。恐らくこれまでで最も簡単なミッションだ。

「目が覚める頃にはきっと全てが良い方に向かって終わってる……と願いたい。いや終わるはずなんですけどね? 未来って最後までどうなるか分からないし。一応、このままいけばいい感じに終わるようになるはずなんだけど。うぅん、終わってるといいなあ!」
「ふざけるな、私は――」
「スネイプ!!」

 第三者の鋭い声に、びくりと肩が跳ねる。スネイプ先生も同じく驚いたはずだったが、そこはさすがというべきか、あからさまに態度にだしたりはせず、ほんの少し眉根を寄せる程度の反応しか見せなかった。
 感心しつつ振り返れば、透明マントをかなぐり捨てたハリーがイノシシのような勢いで走ってきていた。その背後に続くロンとハーマイオニーも、スネイプ先生へ怒りの表情を向けている。ギョッと慄きつつ、咄嗟にスネイプ先生を背に庇ってハリー達と対峙した。

「よくも、よくもお前――ダンブルドア先生の仇を今――!」
「どゎ、ちょ、ッ――ま、待って待って! この人いま丸腰! 杖ない! ほら!!」

 懇親の力でハリーを押し、これ以上スネイプ先生に近付けさせまいと奮闘する。ハリーを押さえつけながらなんとかスネイプ先生の杖を見せつけると、ロンが「よくやったぞ」と厳しい顔で言った。

「よし、それじゃあその陰険クソッタレ野郎を失神させて、それで何発かブン殴って、全てが終わるまで禁じられた森の木の高いところに縛っておこう。運が良けりゃグロウプが靴磨きブラシとして見つけてくれるかもしれない……」
「なにそれ拷問? ちょっと気絶させておきたいってのはたしかに賛成だけ、ど――…………え? ハリー?」
「……エレナ?」

 はたと口を止めた私へ、ハーマイオニーが訝しげに名を口にした。その隣には、憎しみから意識をほんの少し外し、私を気にした様子のハリーがいる。ハリー・ポッターが、月光の下、暴れ柳の前に立っている。ヴォルデモートが戦いもせずふんぞり返って根城としている『叫びの屋敷』へ潜入するためにやってきたハリー・ポッターが、今、私の目の前に立っている。……え?

「え? は? えっ? えっ?? なんで――あれ? え、どうしてスネイプ先生がここにいるの?」
「はあ?」

 意味が分からないと顔を歪めるハリー達と、黙したまま不審げにしているスネイプ先生を交互に見つめる。だって、だってこんなの、こんな状況、あまりにもおかしいだろう。おかしい、有り得ない。いくら私がスネイプ先生の足を止めていたとはいえ、ハリー達がやって来るのがいくらなんでも早すぎる。

 ハリー達が『叫びの屋敷』に着く頃には、スネイプ先生はとっくに屋敷の中にいるはずだ。いなくてはならないはず、なのに。

「は、ハリー、ハリーハリーハリー!」
「な、なに?」

 喘ぐように彼の名前を口走れば、ハリーは狼狽えたように顔を引き攣らせた。私の剣幕に気圧されているようだった。

「ヴォルデモートは、セブルス・スネイプを『叫びの屋敷』に呼び出したんだよね?」
「……えっ?」

 虚をつかれたような顔をして、ハリーが怒りも忘れてぽかんとする。視線が集まるを無視して、私はハリーに大股で詰め寄った。薄ら寒い焦燥感が全身のうぶ毛を撫で付けている。気が付くと私は、ハリーの胸ぐらを掴んでいた。眼鏡に走る小さな亀裂が見えるくらい、鼻がくっつきそうになるくらいに顔を近づける。

「きみ、それをどうして――?」
「いいから答えて――ねえ、そうだよね?」
「い、いいや、違う!」
「違う?」

 噛み砕けばイエスかノーの簡単な問い。なのに返ってきた答えが想像と違ったせいで、すぐに咀嚼できなかった。「違う」ハリーは苦しげに同じことを繰り返した。

「あいつがルシウス・マルフォイを使って呼び出したのは、ドラコだ。ダンブルドアのニワトコの杖を最後に征服した者――ドラコ・マルフォイだ」
 

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