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樫の木の扉を押し開ける。広い円形の部屋は、最後に見た時とさして変わりはなかった。ここのレイアウトは校長が変わっても変わらないらしい。扉の裏側に置かれた金の止まり木までそのままだ。フォークスが使っていたものだろう。実際に彼が止まっているところを見たことはないけれど、この立派な止まり木とフォークスの羽の調和は、きっとさぞ素晴らしかったに違いない。これも引き取ってあげれば良かったかな。でもうちのリンゴの木でできた止まり木だって、フォークスにかなり似合っていたと私は思っている。あたたかみがある枝の色はフォークスの醸し出す鷹揚とした空気にぴったりだったし、ちっこいアンブルにちょんちょん擦り寄られて二羽で身を寄せあってる姿とか、とっても可愛かったし……。
出しっぱなしになっている石の「憂いの篩」を避けて、部屋の奥へと進む。私は校長の椅子のすぐ後ろに掛かっている一番大きな肖像画を見つけて、吹き出してしまった。だって、随分な待遇じゃない? “あの”ダンブルドアとして飾られていたのだから当然っちゃ当然だけれど、しかしこうして見るとおかしくてしょうがなかった。
わざとらしくふてぶてしい顔を作って待ち受けていた『彼』も、笑った私につられたように相合を崩した。
『よ、エレナ』
「久しぶり、叔父さん。とっても居心地良さそうだね?」
『見ての通りさ』
叔父さんも同じ面白さを感じていたらしく、私たちはしばらくクスクス笑っていた。笑いの波が引いたところで、改めてまじまじ肖像画を眺める。蔦模様が丁寧に彫り込んである白金の額縁は、髪の色によく合っていた。角に彫られた大きなブルーエルフィンは、仄かなターコイズの光沢を煌めかせている。こっちは瞳の色と揃えたのだろう。
「綺麗、素敵な額縁だね」
『ハシバミで作ってもらったんだ。私の杖と同じ素材で。そうだ、私の杖はあとでアルバスから回収しておいてくれ。ハリーもニワトコの杖をアイツに返すと言っていたしな』
「うん、分かった。……ダンブルドアはどこに?」
『知らんよ。アイツのことなら今やお前の方が詳しいだろう?』
「本物じゃなくて肖像画の方。二人は一緒の額縁で過ごしてたんじゃないの?」
『冗談でも勘弁しろ、絵の具吐く』
「吐いてみせてよ、吐けるものなら。じゃなくて、真面目にさ。だって誰かが校長室に入ってきたとき、肖像画にダンブルドアじゃなくて叔父さんがいたら大騒ぎになっちゃうでしょう?」
『ああ、それは――ほれ』
縁の内側に手をかけ、ボタンを押すような動作をした。肖像画の表面がグラグラ波立ち、たちまち叔父さんはダンブルドアの顔となった。
『こういう加工で』
「加工の域を超えてる」
『可愛くてごめん』
「かわいいとは一言も……まあいいや」
そういえばこういう魔法が得意だったな、この人。いつぞやに貰った加工ミラーはもうただの鏡に戻ってしまったが、大切な思い出――というか、まあ普通の手鏡として今でも愛用している。
それにしても、きゅるんと光る目をしてフェイスラインを隠すように顔に手を添えたポーズを決めているダンブルドア……。いないからって好き勝手しちゃって……訴えられたら負けるぞ。
「叔父さん、ダンブルドアに破れぬ誓いやらせたでしょ」
『合意の上だ』
「断れないであろう状況で迫ったんならそれは合意とは言えないと思うけど?」
『まあそう硬いこと言うなって。無茶しいな姪が心配だったんだよ、多めに見てくれ。それに期限付きだったんだ、“ヴォルデモートが倒されるまで”っていう。な、ライトだろ?』
「よく言う……」
破れぬ誓いな時点でライトもなにもあるかい。しかも今年一年じゃなくてヴォルデモートが倒されるまでが条件なのがまたせこい。長引いてもいいようになってる。
『アルバスと二人で生活してたんだろう? どうだった』
「そう、あの、私、ダンブルドアのこと誰よりもシチュー作りが上手い魔法使いにしちゃった……」
『なんだって?』
ここ数ヶ月のシチュー三昧生活の詳細を教えると、叔父さんは腹を抱えて笑った。あんまり大声で笑うものだから、気を利かせてどこかへ行っていた周りの肖像画たちも、何事だとちらちら顔を覗かせにくる。
私は他にも色々、薬作りの助言をもらったことや、魔法の練習に付き合ってもらったこと、マグルのレンタルビデオショップにすっかりハマってしまったことなどを話して聞かせた。
『――そうだお前、ゴドリックの谷に行ったな? ナギニに噛んでもらうためだけに』
「えっ、なんで? 行ってません」
『嘘吐くな。さっき来たハリーが、“バチルダの家になぜか自分の眼鏡が落ちていた”と不思議がっていたぞ。私はすぐピンときたがね。クリスマス前にわざわざハリーの格好をしてあの谷を訪れるやつなんて、エレナしかいない、と』
薬の効果を試したかったんだろう、と額の向こうから訳知り顔を向けられる。なんとなくあんまり怒ってなさそうな雰囲気だ。
「うん、ぶっつけ本番は不安だから、念の為ね」
正直に白状すれば、叔父さんは『なんてやつだ』と嘆くように目をぐるりと回した。
「まあまあ、薬は効いたんだから。ほら、生き証人!」
『元気に言うことじゃない』
「そういえば走馬灯に叔父さんでてきたよ。幻覚だけど、叔父さんと話せて嬉しかったなあ」
『がっつり死にかけてるじゃないか!』
何の気なしに伝えたのだが、叔父さんは私が思っていた以上の悲鳴を上げた。大袈裟な。ちゃんと今は生きてるんだからちょっと無茶したくらい許してほしい。ガミガミ続くお説教に堪らず耳を塞ぐと、叔父さんはさらに目をつりあげ、目の前をガンガン叩く仕草をした。こわ。
「もー、ダンブルドアにもバレずに命懸けで臨床試験を成し遂げたんだから、もうちょっと褒めてくれても良くない?」
『フン、あの男はお前の無茶くらい気付いてるはずだぞ。今に見てろ、詰められるから』
「まさか……」
だって帰ってきた時も、その後もずっとダンブルドアは普段通りだった。一度も匂わされたことだってないし、気付かれているわけが、……あれ、でも私の命および精神とダンブルドアの命ってほぼ連動してたみたいだから、それを踏まえると……あれ、もしかしてバレバレだったのか?
考えを巡らせていた私は、そこでふ、と自然に会話が途絶えていることに気が付いた。顔を上げると、慈愛に満ちた青い瞳が柔らかく私を見つめていた。音のない語りかけに、熱くて冷たいなにかで胸が苦しいくらいに詰まる。喉が張りついたように乾いていることに、唐突に意識がいった。それでも『伝えなければ』という思いに駆られて、なんとか口を動かす。
「お父さんたちは――」
『言わなくていい』
穏やかに遮られる。『セブルスが教えてくれたよ。無論、謝る必要もない』叔父さんはゆったりと話しながら、愛情を込めて眦を垂らした。静かで深い微笑みに、言葉を忘れてしまったみたいに声がでなくなる。
『よく頑張った。よく生き残った。ハリーが色々と詳しく教えてくれた――勇敢に戦ったよ、エレナは。何度でも言うが、私はお前が誇らしい。自慢の家族だ』
「……、……そんな……ことは――」
『ある、あるとも。あるに決まっている。こればっかりはお前にだって否定させてやらないぞ』
「……っ」
『本当によくやったな、エレナ』
偉かったぞおと間延びした笑い声に、唇が細かく戦慄く。なんとか息をしようとして、うまくできなくて、そうして吐き出されたのは情けない嗚咽だった。これまで押さえ込んでいた全てが一緒になって流れていくような、そんな重たい雫が頬に線を作っていく。あ、と驚いた声も、しゃくり声に呑まれた。
だから私は、溢れていく涙を止めることを早々に諦めた。一度海となってしまった瞳は、今やどこまでも広がろうとしていて、瞼を閉じたってもう止めようがなかった。だからただひたすら泣いた。そうしている内に瞳だけじゃなく、全身が透明な海となって揺蕩っているかのような心地に包まれた。自分の輪郭がふやけたように曖昧で、けれど不安はなく、むしろこのまま溶けてしまえたら、と思った。
「わ、わたしは」
『うん』
なんてことないやさしい相槌に、こんなにも心を揺さぶられることはきっともうないだろう。この人との間でもう空気が二度と揺れないことが、今更になって哀しくて、苦しかった。
「わたし、私は、グリフィンドール生で、ネビルの親友で、それで、それから――叔父さんの、姪だから」
『うん?』
「勇敢なのは、叔父さんのお陰。叔父さんに似たんだよ、私」
最後まで頑張れたのも、勇敢であろうとできたのも、ここまで走ってこれたのも。あなたという見本があったからだ。あなたが私をこう生きさせた。
「私、わたし……叔父さんの家族になれて、幸せだった。本当に、とっても幸せだった」
『――私もだよ、エレナ』
恐る恐る螺旋階段を降りるが、そこにはもう誰もいなかった。ホッと胸を撫で下ろす。目元の腫れは治したけれど、気分的に人に会いたい気持ちではない。
「――エレナ!」
と、そう思った直後にかかった声だったが、私は辟易したりすることはなかった。むしろ振り向いてその顔を見る前から、すでに笑顔になっていた。なぜかだなんて言うまでもない。
「ネビル!」
「ここにいるってハリーから教えてもらったんだ。大広間に戻ろう、もうラベンダーが――」
にこにこと近寄ってきたネビルは、私の顔を見るなり目を見張った。眉が下がり、たちまち悲しそうな顔になる。涙の跡はきれいさっぱり消していて、声だってなんともないし、笑顔だっていつも通りのはずなのに。
「(どうして分かっちゃうかなあ)」
ねえ、私、本当に隠し事そこまで下手じゃないはずなんだよ。この一年だって上手くやってたはずだ。それになんなら、もうこの世の誰とも共有できない秘密だって皆と知り合った時からずっと抱えていた。だから冗談抜きで嘘は苦手じゃない自負がある。なのにどうして――なんでなんだろう。
親友の妙な勘の鋭さに参ってしまうと同時に、奇妙な喜びで少しこそばゆくなる。
「大丈夫だよ――大丈夫なの、本当に」
「……そっか、分かった。エレナが大丈夫ならいいんだ。じゃあ、早く行こう! みんなエレナを待ってる」
「うん」
差し出された手を迷いなく握る。
陽はもう高いが、澄んだ空気は身を竦めたくなる寒さをしている。冬特有の清い空気で肺を満たしながら、春が来るのは、まだもう少し先だろうと思った。
『エレナ』
『まだ終わりじゃない』
『お前の人生は、始まったばかりなんだ』
『――人生を楽しみなさい、エレナ』
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