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大広間へと戻る道すがら、セドリックとレベッカを見つけた。二人だってヘトヘトだろうにそんな素振りはおくびにも出さないで、テキパキとした無駄のない動きで廊下を修繕していた。
二人は私たちに気が付くと杖を下げてにっこりした。腕を広げて近付いてきたセドリックが、私とネビルをまとめて抱き締める。普段ならもっと配慮のあるハグをしてくれるのに、今日ばっかりは彼も箍が外れているのか加減なしだった。ちょっと踵が浮き上がる。
「うぐ、ちょ、くるし……」
「ああ、ネビル、エレナ……!」
息絶え絶えな抗議は悲しいことに感極まっているセドリックの耳へは届かず、力は強まるばかりだった。まってほんとに苦しい、しんどい、せっかく生き抜いたのに死ぬ。いよいよ霞み始めた視界に、大きくため息を吐くレベッカの姿がぼやぼやと映る。
「ディゴリー、あなたエレナを窒息させたいの?」
「あ、ごめん!」
少し遅めの助け舟によって慌て気味に解放される。が、体にうまく力が入らなくて、ふらりと後ずさってしまった。倒れかけた背中をネビルが支えてくれる。肩で呼吸を整える私へ、セドリックは心底申し訳なさそうに「ごめんね」と繰り返した。
「や、むしろ私こそなんかごめん、私にもっと筋肉があれば……」
「どういう理屈?」
真っ当な言い分なはずなのに、この場にいる誰からも理解してもらえなかった。前から思ってたんだけど、この世界の大抵の魔法使いは筋力体力に無関心すぎる。ホグワーツに体力育成のカリキュラムがないのもその要因の一つに違いない。
「二人とも、早く大広間へ戻った方がいいよ。もう何人かは家族の元へと帰り始めてるから」
国の垣根を越えて休みなく飛び回ってるフクロウたちの甲斐あって、平和が訪れたというニュースはもう各地に知れ渡っている。帰宅のための特急も手配される予定だとセドリックは教えてくれた。
「シリウスやリーマス、それにフレッドたちも帰ったし、僕らももう少し城の片付けを手伝ったら、家に帰ろうと思ってる。スミルノフもロシアのご家族を迎えに行くんだろう?」
「一眠りしたらね」
レベッカは、口元に手を翳して欠伸をした。そんな呑気な。ロシアへ亡命したご両親だって、娘の安否にかなり気を揉んでるだろうに……。
「ていうかレベッカはジョージと一緒に帰らなかったんだ?」
「当たり前じゃない……居心地悪いわよ」
レベッカは、家族水入らずのところなのに、と肩を竦めた。ウィーズリーおばさん始め、一家の人々とだいぶ打ち解けているように見えたが、それとこれとはまた別らしい。
「(でも『なんで私がジョージと帰るの』、とは言わなかったなこの人……)」
セドリックとネビルも同じことを考えていたようで、こっそり目配せし合う。まあね、結婚式の様子から、二人がもうかなり“仲良くなった“というのは知ってたけど。ふーん、へえ、ほお……。
とニヤニヤしていたらシバかれた。セドリックだけが。ここでもやっぱり背中だった。まさか本当に流行ってるの?
「痛い!」
「痛いわけないでしょう。嘘をつくのはやめなさい」
「いやほんとに痛いよ、どうなってるのきみの肩――だから痛いってば!」
「エレナ、僕の背中見つめてどうかした? なにかついてる?」
「いや、うん……」
仲良しの印ならやっぱり一回やっておくべき……?
私は自分の手のひらとネビルの背中、それからにこにこしているネビルを順繰りに見て長く悩んだが、やっぱりやらないことにした。人には人の愛し方があります。
✲✲✲
とってもねむたい。
寝ぼけ眼で枕元に浮かぶ手のひら大の泡をつつく。シャボンの中で水が渦巻いて、やがて金色の泡が時刻を浮かべる。これはダンブルドアが贈ってくれた時計だった。暗闇の中でぼわぼわと光苔のように淡く発光する他にも、いい香りがしたり、眠りに落ちやすくなる音楽がかかったりする。アラーム機能もついていて、時刻になると火の玉や雷を降らせる、らしい。らしいというのは、私は実際に火の玉やらを浴びたことがないからだ。アラームが不発だったことに首を傾げて朝起きれば、すこぶる残念そうな顔をしたダンブルドアに朝の挨拶をされた。その一件でダンブルドアは私をとことん甘やかしたくて仕方ないらしいということに気が付いた私は、アラームに頼らず起きる術を覚えた。
時刻は朝の五時半だった。カーテンを開ければ薄明るい朝が広がっていた。今日も晴れるだろうと大きく欠伸をする。着替えを済ませて一階へ下りると、ダイニングの明かりがついていた。ぴょんと顔を覗かせれば、朝食中のダンブルドアは目を丸くさせた。ココア片手にして眠たげにこっくりしかけていた彼へ、にこっとする。明け方って言ってたけど、さっき帰ってきたのかな?
「おはようございます、おかえりなさい」
「ただいま、おはよう。相変わらず健康的じゃのう」
「ええ、まあ」
「もう少し寝ていたとて誰も咎めぬぞ? これをきみに勧めるのはもう何度目かも分からぬが、しかしシチューをとろ火にかけるようにゆったりと二度三度眠りにつくことの甘美さは、なんにも代え難い至福の時じゃ」
でたシチュー。そのうちレシピ本でもだしそうだ。
「昨日のシチューも絶品でしたよ」
「きみのオムレツも。完璧な味付けじゃ」
「どうも」
キノコとベーコンを包んだだけの簡単なスパニッシュオムレツだから、味付けもなにも、というのが正直な感想だ。けれどダンブルドアは絶対に褒めるのを忘れない。苦笑しつつオレンジジュースを呼び寄せて、向かいの席につく。
「ホグワーツはどうなるんです?」
私は昨日の夜遅く、ホグワーツ特急に乗って帰宅した。私たちを送り出したマクゴナガル先生は、「授業については追って知らせます」と言っていた。
「来週には授業を再開するそうじゃ、校長代理であるマクゴナガル先生の意向での。スネイプ先生の復職については、これから様々な入り組んだ手続きが必要になる。まだ当分先の話となるじゃろう」
「その件は――もしかしたら、お手伝いができるかも? 私も多少は事情を知っていますし……」
「そうじゃの。声をかけることもあるかもしれぬ、その時はお願いしよう。……おお、それから、期末試験は全学年中止じゃ!」
「おお!」
「このめでたい場に試験ほど歓迎されぬ行事もあるまい?」
ダンブルドアは少年のようにいたずらっぽく微笑んでから、「また、望む者は勉強をやり直すこともできる」と付け加えた。
「ハーマイオニーなんかはそうしそうですね。あー、じゃあ、ハリーたちや私みたいな生徒は……?」
「そうしたいならもちろん、今からでも学校へ帰り学ぶこともできる。残り少ない期間じゃが、きみたちが今年度の学業をなんの過不足もなく修了することに、全教員が尽力するであろう。城へ戻るつもりがないのなら、中退措置となる」
「うーん……」
「きみの言うた通り、ミス・グレンジャーは復学を希望し、そしてハリーとミスター・ウィーズリーは、逃亡した死喰い人たちを捕らえる力添えをしたいとの意向を闇祓い局に申し出ておる」
きみはどうしたい、と瞳で問われジュースに口をつける。大体の顛末は想像していた通りだった。学び足りない生徒への措置も、試験の中止も。けれど私には、一つどうしてもどうしても、どうっしてもやりたいことがあった。
「……実は、お願いがあって」
「ほう」
「ちょっとした我儘をきいてもらえないかなあって」
「もちろん、できる限りの努力をすると約束しよう」
遠慮がちに上目遣いでダンブルドアを窺う。テーブル上の食器は片付けられていて、ダンブルドアはすっかり話を聞く体勢に入っていた。前のめりな姿勢で、色良い返事以外返す気がなさそうな、そんな顔をしている。まだ聞いてもいないのに。でも私としてはラッキーだ。
『ちょっとした我儘』の勝ちを確信しながら、私は言葉を発した。
……まあ、みんなには恨まれそうだけど。
✲✲✲
「エレナ・ワイアットはとんでもない裏切り者だ」
「ああ、天文台のてっぺんから吊るすしかない」
「異論はないわ。悲しいけれどそうする以外に道はないわ」
「逆さ吊りで百度謝られたって絶対に許さないけどな、僕は。絶対にね」
「そんな言う……?」
「言うに決まってる!!」
何人かが声を揃えて怒鳴った。怒鳴らなかった何人かは、単に疲弊し過ぎで声を上げる気力さえないだけだろう。現に視線の圧はすごいもん――ハリーとパーバティからの。ハーマイオニーは声を上げる暇さえ惜しいというように、羽根ペンを高速で走らせていた。ネビルは本に突っ伏して寝ていた。
ダンブルドアの報せ通り、学校は戦いの翌週には再始動した。カロー兄弟とかいう教師は当然に罷免となり、いよいよ城にも平穏が戻ってきた。マグル学にはバーベッジ先生が復職して、闇に対する防衛術はシリウスが。そしてマクゴナガル先生が校長職に就いたことで空いてしまった変身術は、なんとダンブルドアが代理を務めることになった。来年度が始まるまでという期限はあるが、それでもこれはとんでもないことだろう。発表された時のどよめきは三分近く収まらなかった。
私は学校へ戻ることを選んだ。
今年度はもう四ヶ月ちょっとしか残っていないけれど、少しでもみんなと過ごしたかったからだ。
そう、“みんな”と。
大事な友達全員と、本来あるはずだった最後の学校生活を送って、ホグワーツを卒業したかった。
つまり、復学した私たち七年生は、談話室の一角を陣取って勉強をしていた――N・E・W・T試験のための勉強を。
この『私たち』というのは、最後の年をエスケープした英雄三人も当たり前に含まれていた。
「ああもう本当になんだってこんな――クソッタレ!」
「ロン、静かにして」
髪を掻き毟って絨毯の上でのたうち回って暴れるロンを、ハーマイオニーがピシャリと黙らせる。羽根ペンを動かしたまま、空いた手で周りにあるなにかしらの本を探していた。彼女がやってる範囲を確認して、山の下の方から一冊引っ張り出して渡す。ついでに一冊拝借してロンへと投げた。
「ロンも勉強しなよ。それとかいい参考書になるよ」
「だから、僕はしなくてもよかったんだ! 本当なら!」
「ロンたちだけの話じゃないわよ! ここにいる私たち全員がしなくてもよかったんだから!」
ラベンダーの金切り声にネビルがびくりと飛び上がって目を覚ました。「なに、襲撃?」「違うよ」額に張り付いた前髪を払ってやりながら、私はラベンダーもといみんなの視線から逃げた。
みんなが勉強をする羽目になったことこそが、私のちょっとした我儘だった。私はダンブルドアに、『希望者だけでいいから、N・E・W・T試験だけ開催してほしい』『それからできれば、ハリーやロンやハーマイオニーにもそれを受験するよう、お願いしてほしい』――とお願いした。
校長室に呼び出されてマクゴナガル先生から事情を説明されたハリーとロンの反応を、私は一生忘れないと思う。二人はこの世の終わりとばかりの顔をして絶望していた。ロンなんか断るためにそのショックから真っ先に回復したくらいだ。けれどマクゴナガル先生が涙を光らせていたく感動しているのを見て、最終的には閉口した。ハリーが死んだと聞いた時と同じくらい白い顔をするロンの横で、ハーマイオニーはやる気で燃えていた。ダンブルドアの前では特別いい子であろうと努力をするハリーは、ダンブルドアの微笑みの前で無駄な抵抗をしたりはしなかった。なお叔父さんには『お前なんて残酷なことを』とドン引きされた。
そして今グリフィンドールの七年生たちが雁首揃えて文句を垂れているのは、『世界を救った英雄たちが試験を受けるのに、まさかあなた達は受けないつもりなのですか?』という元寮監の視線に耐えられるグリフィンドール生が一人も――そう、一人も。あのコーマック・マクラーゲンさえ――いなかった結果であった。みんなマクゴナガル先生が大好き! 圧とかじゃないよ。
「マジでほんと、なんでそんな暴挙が許されたんだよ!」
「えーんごめんね、私がアルバス・ダンブルドアにとびきり可愛がられてるばっかりに……」
「腹立つゥ〜……」
「マジこいつマジ……」
「そうカリカリしないで……あ、息抜きに決闘でもする?」
「“きみの”息抜きだろそれは!」
「ちゃんと程よく手加減するよ」
「エレナもう、ふァあ、もう喋らない方がいいよ」
寝ぼけ眼のネビルに忠告されたので大人しく従う。今度は文句の代わりにゴブストーンを投げられたので黙って打ち返した。水晶から液体が飛び散って、途端に悲鳴が上がる。
「僕たちがなにをしたっていうんだ? なんの恨みがあってこんなことする?」
「こっちの台詞すぎる。私はただ、みんなと楽しく過ごしたいってだけだよ」
「楽しく? 楽しく?」
「凄まないでよ……私は大好きな友達のみんなと、一緒に最後の学生生活を楽しみたいの」
だって、“人生を楽しめ”と言われたから。
私の楽しいことなんて、みんなと一緒にいること以外ないのだ。
「あ、じゃあ、厨房からグラブ・ジャムンもらってきたから、休憩がてらみんなで食べようよ! そうだ、誰が一番多く食べれるか勝負でもする? 最下位はダンブルドアにひまわり型の眼鏡をプレゼントしに行くとかどう?」
「おい、誰かこいつを今すぐ縛り上げろ」
「さあエレナ、こっちでスコーン食べてようね」
みんな糖分に飢えていたらしく、なんだかんだ最後の方は魔法を使っての取り合いになっていた。勝負は冗談だったんだけど。みんなさてはグラブ・ジャムンのカロリーを知らないな。それはね、実は一粒四五〇kcalあってね……。
と、いうことを持ってきた私が言ったら、また火に油を注ぐことになりそうだったので、私は黙ってスコーンを齧った。
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