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 涙で歪む視界に、白いハンカチをそっと差し出される。逡巡してから、私は素直に受け取った。皺一つないシルクのそれはキメの細かい滑らかな肌触りをしていて、高価な布だなと思った。さすが。

「ありがとう」
「いや。……涙の理由を聞いても?」
「ドライアイなの」

 花畑から離れ、二人並んで山道を進む。行きは姿現しでショートカットしてきたので、登山用の服装じゃない。歩きづらいことこの上ない服と靴がお供の薄暗い山道は少しヒヤヒヤしたが、私たちが選ぶ道は幸運にも綺麗に整備されていた。――それこそ魔法が使われたのかと思ってしまうほどに。

「(……)」
「また会えるだろうか?」
「えっ? あ、アー……どうかな……だって、あの……ほら、あなたは地元の人じゃないんでしょう?」
「会いに行く、それに手紙だって書くよ」
「ああ、ウン。それは嬉しいな、とっても……ハハ……」

 引き攣った頬を見せないように、そっと顔を背ける。態度は非常に嘘くさくなったが、返した言葉は本物だった。嬉しくないわけじゃない。けれどこう、こんなにも好意をあけすけにされると、どうしていいか分からなくなってしまう。だってあの、偏差値が……経験値が……、……待ってよドラコだってそんな経験値ないと思うが?! いや知りませんけども。

「えーっと……あ、ドラコはどうしてここに?」
「ああ、ちょっとした家族旅行でね。この辺はいい避暑地として有名だろう?」
「“家族”旅行。なるほどね」
「どうかしたか?」
「ううん、別に? 家族の仲がいいのは素晴らしいことだよねと思っただけ」
「そういうことなら、僕も心からそう思うよ。エレナもご家族と旅行へ行くことくらいあるだろう?」
「一昨年ノルウェーに行ったよ。……楽しかったな」

 そんな調子でしばらく歩いていれば、別れ道に差し掛かった。私は真っ直ぐだが、ドラコは左に下っていくらしい。

「家まで送るよ」
「いい、すぐそこだし。なんならあなたこそ大丈夫? 一人で帰れる? 夜の慣れない山道は危険だよ。むしろ私が送ろうか?」
「平気だ――と言うべきなんだろうが」

 からかい半分で口にしたのにドラコが否定せずに言葉を濁すので目を見張る。彼は悩ましげに眉を下げた。

「送ってもらって、それでエレナと一緒にいる時間が増えるなら、と……つい考えてしまうな」
「……一人で大丈夫そうだね、じゃあさようなら!」
「エレナ!」

 翻弄されすぎな自分にそろそろうんざりしてきた。さっさと帰路を進みかけたが、呼び止められて渋々足を止める。「なに」と仏頂面で振り向いても、ドラコは怯んだりしなかった。

「僕たち、また会えるよな?」
「……、……まあ、私はこの辺に住んでるし……機会は、あるかも」
「よかった」

 二度目の食い下がりに、とうとう誤魔化すのを諦めた。ゴキブリゴソゴソ豆板をうっかり食べた時と同じ顔をする私とは対照的にドラコはにっこり笑っていて、その明るさもまた私の顔を渋くさせた。


 

 ドラコの足音が遠ざかり、完全に森のざわめきの中へと溶けた頃、私は聞こえよがしに深い溜息を吐いた。

「いったい、これはどういうことです?」

 私は立ち並ぶ黒い木々に向かって声を冷たく張り上げた。じっと睨み続ければ、やがて木の間で影がひとつぎこちなく揺らめき、熊のようにのっそりと前へ進み出てくる。タイミングよく雲が掃け、彼の立つ場所へ月光が落ちた。さっきお別れしたはずの金髪が現れ、白く輝く。

「いい月夜ですね? ミスター・マルフォイ」
「あ、ああ……まったくもって……ミス・ワイアット……」

 現れたルシウス・マルフォイは、歪んだ線のようなへったくそな笑顔らしきものを浮かべていた。さらに目を眇めてますます睥睨すると、そんな笑顔も瞬く間に引っ込められる。緊張で強ばった顔は病的なまでに青白かった。

「それで、なぜここに?」

 お前も、そしてドラコも。
 そんな意図を言外に含ませる。『旅行で偶然』だなんて間違っても言わせないと目付きを鋭くさせる。私がホグワーツから帰ってきた今日をわざわざ狙いすましたとしか思えなかった。

「わ、わた……私たちは、セブルスから全て聞いた」

 こう言えば私が先を汲んでくれると思ったのだろう。マルフォイ氏は口を閉じて、私の反応の変化を待った。
 実際のところ、私は、マルフォイ氏が何を言いたくて私にどんな反応を期待しているのかを、すぐさま推測できた。けれどそこまでこの男へ親切に対応してやる義理も思い付かなかったので、眉だけ上げて無言で続きを促す。
 マルフォイ氏は自分の言葉で思ったような効果が引き出せなかったことに、些かガッカリしたようだった。

「だから、要するに――闇の帝王が――」
「“闇の帝王”?」
「いや、あ、あの方……あの、闇を、支配していた、恐ろしい……その彼が、ドラコになさったこと……そして瀕死の息子へきみが施した薬の効果と、その詳細も……全てを、セブルスから聞いた。つまり、私も妻もきみには非常に感謝している。……そう、だからその、考えた。なにか礼ができれば、と……」
「……で、熟考なさった結果がさっきの再会? わざわざご丁寧にムネモリアの花畑までセットして? それはまあ、なんとも慈悲深いことですね」

 頼んでもない、と吐き捨てれば、ルシウスは深く項垂れる。月明かりの中で縮こまる細く痩せこけた男の姿は、私がこれまで見た中で――前世も含めての話だ――最も情けない姿に見えた。

「私は……その……」
「(なんかオヤジ狩りしてる気分になってきたな……)」

 なんだこの罪悪感は。私そんなに悪いことしてる? たしかに多少の意地悪をしてる自覚はあるけど……でもだってそれは、この人が妙なことするからで――!

「……ああもう――ええそうですよご子息と再会できてとても嬉しかったですよ温情大変感謝しますはいこれでご満足いただけて?!」
「あ、ああ――いや、違う! 違うんだ!」
「は? なにが」
「私がきみのために考えたのは、それだけじゃない」

 マルフォイは、私が多少なりとも分かりやすく感謝の気持ちを示したからか、少し気を持ち直したようで、背筋を伸ばして一つ咳払いをした。

「私と妻は、よく話し合った。戦いが終わってから何日も何日も。そしてついに、初夏の頃。決めた。きみの勇敢で慈愛に満ちた行いへ報いるのに、相応しいことを。それは――だから――ドラコときみが、望むのなら。私たちは……受け入れよう、と……」
「……私が、なにを望むと?」

 話を遠回しにするのは貴族の嗜みだったりするのだろうか。そんなもん捨てちまえとアドバイスしてやりたい。迂遠な話し方に着地点が読めず、内心で苛つきを覚えつつ眉をひそめる。マルフォイ氏は息苦しさで喘ぐように忙しなく口を開け閉めした。なにやらさっぱりわからないが、とにかく彼にとって相当勇気のいることを言おうとしているらしいぞということは伝わってくる。

 その意を汲んで辛抱強く待つこと一分。

「――二人での、将来を」
「はあ?!」

 たっぷり溜めた末言うに事欠いて何言ってんだこのおっさん?!
 声の限り叫べば私の金切り声がわんわんと辺りに反響した。マルフォイ氏がびくりと肩を跳ねあげさせる。

「あっ待って、将来って普通におともだち同士の交流を指して言ってるって可能性が、まだワンチャン……?!」
「ワン……? いや、私は友人というより、まあ、その……」
「いいです言わなくていい、ああもうマジでばかじゃ、アいや、えーっと……なにを、とんでもないことを!」
「とんでもない……そ、そうだろうか?」
「そうでしょうよ! ご自身のご決断がとても正気の沙汰じゃないことは、誰よりもあなたが一番ご自覚なさっているのでは?」
「そんな――そんなことは……」
「『住む世界が違う』とか言ってかつて十歳の子どもから記憶を奪ったのはどこのどなた?」

 痛いところをつかれたとばかりに黙り込んだマルフォイ氏に、呆れ返って脱力する。感謝の気持ちかなんだか知らないけど、別にそこまで無茶してくれなくていい。どうしてそう極端なんだ。頭が痛くなってきた。額を抑えてもう一度溜息を落とした。

「……引き合わせてくれたってことは、今後も友達であり続けることを認めてくれたってことでしょう? 私にはそれで十分ですよ」

 それになんだかんだ言って、在りし日の花畑を再びこの目で拝めたことは率直に嬉しかった。胸が震えるほどの感動があったのだ。お代としては十分で、お釣りが来るくらいだと思う。

「そういう結論をだしたってことは、あなた方も非魔法族へ対する意識を少しはマシにさせたってことでしょう?」
「それはもちろん、ああ、変えたとも!」

 問うように軽く頭を傾けると、マルフォイ氏はコクコクと頷きを刻んだ。あまりにも必死なその様子に、やっと笑いかけるだけの心の余裕も戻ってきた。私の笑顔に合わせてか、マルフォイ氏も口の端を固く持ち上げた。

「そ、そう、か……。そうか……それでは――じゃあ、きみは――“そういうつもり”はない、と?」
「彼と会ってから一度としてありませんよ、誓って。もちろんこれからだって。どーぞご安心を」
「いや、そんな、安心などとは……」

 ボソボソ呟くマルフォイ氏の顔には、露骨な安堵の色が見え隠れしていた。まあ、この人にしてはかなり頑張った方だろうということで、今日は大目に見てあげよう。
 

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