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 ちょうど暖炉の上、外から窓で覗き込んでもうっかり見えたりしない死角の位置。
 我が叔父の第二の肖像画は、リビングのそんな壁にかけられた。自身の見立てに満足して眺めていれば、シンプルな額縁の中から叔父さんがひょっこり顔を出す。

『ああ、ここに飾ることにしたのか』
「廊下はちょっと味気ないでしょ?」

 肖像画を飾るなら定番の場所ではあるが、それはあくまで自我のない肖像画の場合の話だ。せっかく遊びに来ても壁しか見えないのはきっとつまらないだろう。ささやかな配慮だ。叔父さんは額縁の中で身動ぎしてすぐ傍に置かれたアンブル用の止まり木を見つけると、可笑しそうに眉を持ち上げた。

『餌を強請るアンブルに絵を啄まれないことを祈るよ』
「そこまでアホの子じゃ……いや……うん、うーん……どうだろ、多分平気……なはず、と思う……」
『おいおい、言い切ってやれよ飼い主』
「いや、叔父さんの姿をしたダンブルドアがかなり餌付けしてたからさ……」

 途端うんざりしたように顔を歪める叔父さんへ苦笑いする。ダンブルドアとフォークスは揃ってアンブルをとても可愛がってくれていた。でもさすがにあの子だって絵と人間の区別くらいつく……と信じよう。お散歩しているはずのアンブルへ思いを馳せる。叔父さんは『来る頻度を考えるべきだな』と難しい顔をして言った。


 エドガー・ワイアットの第二の肖像画は、卒業式の日にダンブルドアとマクゴナガル先生からいただいた物だった。マクゴナガル先生は、叔父さんの肖像画を家に持ち帰ったらと仰って下さったけれど、私はそれを丁重にお断りした。精々ド派手に飾って、偉大なる歴代校長に囲まれる肩身の狭い思いを引き続きさせてやって下さい――と、苦い顔の叔父さんを前にニッコリした結果が、この額である。飾るのは家を完璧に綺麗にしたらと決めていたので、トランクから取り出すのに少し時間がかかってしまった。いざ飾ろうとトランクを開けた時には叔父さんから『トランクの中敷きにされたのかと思った』とチクチク嫌味を言われた。

 ふと壁時計を見上げ、「いけない」と呟く。そろそろ迎えが来てもおかしくない時間だ。髪を撫でつけたり鞄の中身をチェックしたりと、にわかに落ち着かなくなった私を訝しんで、叔父さんは首を傾げた。

『そういえばやけにめかしこんでるが、もしかして今から出掛けるのか? もう夜なのに? この雨の中?』
「ああ、うん、まあ……ちょっとね」
『ほう、ネビルか? それともハーマイオニー?』
「いや、どっちも違う……」

 歯切れ悪く言葉を濁したタイミングでチャイム代わりのブザーが鳴る。私はこれ幸いとソファから立ち上がり、「留守番よろしく!」と笑いかけて逃げるように玄関へ向かった。玄関口の傘立てから青い傘を一本抜き取って、扉を開ける。

「こんばんはドラ、コ……」
「やあエレナ、こんばんは。今日は一段と素敵だ。出発の準備は?」
「……あー……私は、できてるけど」
「それはなにより。じゃあ行こうか」
「待って」

 固く制する私に、ドラコはきょとんと目を丸くさせる。私は苦い気持ちが顔に現れないよう注意を払いつつ口を結んだ。

 実はドラコとは、あれからかなり頻繁に会っていた。どれくらい頻繁かというと、具体的には週に五回は顔を合わせている。シフトか? 会いすぎだろ。……とは、この世界の誰よりも私が一番思っていることだみなまで言わないでほしい。しかし一度控えめにそれを指摘してみたところ、「毎日でも会いたいくらいなんだが……」と困ったような反応をされてこちらの方まで大変困らされたため、私はもう二度と余計な藪は突くまいと心に決めた。まあ世界は広いんだから週休二日制で会う友達関係だってあるだろう。あるはず。あると思いたい。

 何はともあれ、今日はそんなドラコと初めてのディナーの日だった。ディナーくらい友達同士でだってする。ネビルとだってよく行くから、別におかしいことはない。ちゃんとルシウス・マルフォイにだって事前に申告してるし、私には疚しい気持ちなんて一切ないのだし。……いや私にはっていうか、ドラコの方だって普通に友達として誘ったはずだ。とにかく、私たちはそれぞれお互いの素性を隠して会っている――つまり魔法使いや魔女だということを、だ。よく考えるとなんとも奇怪で馬鹿げた話なので、意図してあまり考えないようにしている――ので、彼は私に合わせてマグルのお店を調べてくれた。予約したと伝えられた店名は一般的というにはやや敷居の高いリストランテだったが、この際とりあえずそれはいい。現在なによりホットな問題は――。
 私は素早くドラコを含め、その周囲に視線を走らせた。きっちり固められた金髪は少しの乱れもなく、パリッと糊のきいたジャケットにも皺一つない。先のとんがった革靴も輝かんばかりにピカピカに磨かれている。女性をエスコートしようとする男性らしく、手荷物はなし。そんなスタイリッシュに決まった彼の格好は、“車がないとろくに生活もできない”こんな田舎の風景では非常に浮く様相だった。

「どうかしたか?」
「いや……あの……」

 私はどうするべきか大いに迷い――迷って迷って、結局仕方なく口を開いた。だって聞かなければお互いどうしようもない。

「ドラコ、傘は?」
「えっ?」
「だって外はこんなに雨じゃない……」

 私は慎重に言葉を選びつつ、重々しく指摘を押し出した。今なお絶え間なく降りしきる雨の中、軒下で佇んでいたドラコの顔がたちまち真っ青になる。彼は自身のちっとも濡れていない全身を上から下まで見て、ようやく失態に気付いて絶句した。悪いが絶句したいのは私もだ。私は額に手を当てて呻きたくなる気持ちをなんとか内心だけに押しとどめた。
 姿現し、あるいは杖を傘がわりにしてここまで来たのだろう。そう推察することは容易だ。でも私たちはお互い魔法とは無関係を装っているのだから、そんな説明はとてもできない。私だってドラコの前では傘なしで家を出れないのだ。その辺のパブに行く程度なら傘なしだって構わないが、今日ばかりはそうもいかない。なにせそれなりに格式の高い、つまりドレスコードが必要な店に行くのだから、濡れ鼠になるなんて以ての外だ。だから形だけでもいいから傘を持ってくるか、せめて路肩にタクシーを停めておくとか、もう最悪全身を軽く濡らしておくとか。とにかくそのくらいの偽装工作をしてきてほしかった。であればこんな無意味な問答も必要なかったのに。

「傘、ええと、傘、そうだな、傘……あの、傘はない、見てのとおり――だが――でも、ぬ、濡れなかったんだ」
「(ド、ドラコ……!)」

 焦りを如実にした固い笑みと苦しすぎる言い訳に、いよいよ頭を抱えたくなる。傘がないけど濡れないってなに? お願いだからタクシーとか言ってくれ。タクシーなんて発想、車なんかとは無縁な魔法族の彼に求めるには土台無理な話だとは分かっていたが、しかし濡れていない理由としてはこれが一番無難で納得がいく。魔法を知らないはずの私が、『傘はないけど濡れなかった』だけでへえそうなんだとは普通に考えてなれないだろう。聞きたくはなかったが一般人のロールプレイのため、私は渋々絞り出した。

「……どうして?」
「僕は、その――防水……パウダーがある!」
「……は?」
「ほら、防水パウダー! あるだろう? 濡れずに歩ける、便利な道具が?」
「(ド、ドラコ……!!)」

 だから、だから……どうしてそう、ちょっとズレた返答ばかりを……?! いっそ『来る時は雨が降ってなかった』って言ってしまうとかあるでしょう……それにせめて防水スプレーと言ってほしかった。スプレーでもおかしいことには変わりないけども。でも防水なんちゃらって存在をきっとどこかで聞いたことがあったんだね……そっか……。

「あれのお陰で僕は濡れてないんだ」
「……そう」
「ああ、だから傘も要らなかった」
「そうなんだ」

 全然上手い言い訳じゃないのに得意満面なドラコをしばし見つめ、私は様々な感情を努力して飲み下した。

「でもあの、とりあえず傘は貸すよ。使ってないのがたくさんあるし、なんならあげるから。……雨の日にはよければ使って」

 傘立てにある黒い傘を渡す。彼はホッとしたよに「どうもありがとう」と微笑んだ。うまく乗り切ったと言いたげなわかりやすい顔に、少し悪戯心が芽生える。

「てっきりタクシーで来たのかと思ったよ」
「……えっ? たく……」

 妙にヒヤヒヤさせられた腹いせとして素知らぬ顔でそう言えば、ドラコはまたギクリとしたように顔を強ばらせる。その反応だけで十分満足したのでそれ以上の追求はせず、私はパンと自身の傘を開いて家を出た。慌てた様子でドラコがそれを真似、傘をさして私の隣に並んでくる。

「(……それにしても防水パウダーって)」
「なにを笑ってるんだ?」
「ご飯楽しみだなって思って」

 惜しかったなぁという気持ちと、フルーパウダーじゃないんだから……という気持ちが抑えきれなくて、とうとう笑ってしまった。雨音で聞こえないかと思ったがあっさりバレてしまったので、しれっと誤魔化す。ああ面白かった。今度誰かに――ハーマイオニーに話しちゃおうかな。ハリーやディーンでもいい。マグル育ちの相手に話せばきっとウケること間違いなしだ。本気で言ってるドラコには申し訳ないけれど。こんなことを言ったのが誰なのかは伏せるから許してほしい。

「……でも、これだとせっかくのドレスが濡れてしまうな」
「向こうの大通りまで行けばタクシーが拾えると思うよ」
「そうか……。……僕の考えが足りなかったばかりにすまなかった」
「えぇ……別に謝られることないけどな……」

 どうもドラコは落ち込んでいるらしい。たくさん歩くわけじゃないし、そうたいして濡れないのに。そこまで気にしなくても、と困ったところで、ドラコが傘を少し傾けて距離を縮めると、顔を覗き込むようにして近づけてくる。私の傘の青みがかった影の下で、傘を打つ雨音の合間を縫うようなひっそりとしたドラコの息遣いが妙に耳朶を打ち、私は思わず息を詰めた。目の前で眉を下げるドラコは、その……我ながらどうにもおかしな例えな気はするけど――まるで子犬のような瞳で窺うような上目遣いをして、そっと囁いた。

「次は必ず気を付けるから、許してくれるか?」
「ゆっ、えっ、あ――いや――あの……そもそも怒ってないし、私……」

 距離を取るように首を引いて小声で返事をする。なん、えっ、なにこれ――いや雨、雨のせいだ。きっとそう。雨で空気がなんかあの、物理的にしっとりしてて、しかも傘の中にいるから声がこうしてやけに響いたりしている。そう、きっとそうに違いない。
 やけに狼狽えてしまった私の気も知らず、ドラコは晴れ晴れとした様子で明るく「よかった!」と頬を緩めて体勢を戻した。正常になった距離感に安堵する。

「優しいな、エレナは。でも次こそもっと完璧にするから、期待しててくれ」
「うん……」

 あれなんか流れるように次の予定も入れられたな……? と私が気付いたのは、無事に楽しく食事を終え、帰宅してからのことだった。
 

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