3
◆◆◆
「……えっ?」
それは学生限定の楽しい試験地獄が終了したばかりの六月末。卒業まで一ヶ月を切った初夏のことだった。
私はちょうど談話室の窓際を陣取って陽射しをネビルとふたりじめにし、自主卒業制作であるクソデカ花火の製造に励んでいる最中であった。私は呆気にとられて零した声の通りの動きをした。具体的に言えば、尻尾爆発スクリュートの粘液とミンビュラス・ミンブルトニアを摩って練り混ぜたドロドロの上に満月草の茎の粉末を盛大にばら撒くなどの行為。
「――ギャアッなになになになに――オイまたエレナ・あほんだら・ワイアットかよ!!」
「――マジいい加減にしろよアイツ」
「――なんで野放しなんだよ誰かハーマイオニー呼べ、ハーマイオニー!」
というわけで軽く事故ってしまったわけだが、まあ私たち二人の周りには保護呪文を巡らせてあるので被害はないし、むしろ透明のシールドに絶え間なくぶち当たっては弾けて倍増していくオーロラ色の火の粉はなかなか綺麗なもんで見ごたえがあるし、ネビルも「わあ」って言ってるし、なにより一番大事なことは――外野の阿鼻叫喚からすでにお察しだろうけど――今この場にハーマイオニーはいないということ。以上のことを統合すると、この事態は間違いなく完璧に概ね問題無いといえる。つつがないことこの上ないね。
「すごい、綺麗だ」
「ね、色合いはいい感じ。想定よりポッピングシャワーしてるけどまあこんなもんでいいかな……実害はないし――あやば燃えてる」
「――やばじゃねえよ!」
せっかく修繕したばかりのお城なのに火災はさすがにまずいかなと思って、今回は幻覚作用のほうに全力をだしてみた。
が、まだまだ完成には程遠いみたい。残念ながら談話室の一角が火の海になっている。うーん壮観! バッチバチなのも臨場感があって悪くないよね。
「スクリュートの粘液が良くなかったんじゃない?」
「やっぱし? でも臭液の匂いを打ち消してくれてるのも多分スクリュートの成分だしなぁ」
「あー……そうだね。たしかにほとんど臭わないや。じゃあやっぱり必須になるのかな」
「うぅ〜ん、あちらを立てればこちらが立たぬね〜……」
幻覚作用を強めるために月長石の粉末を足して……スクリュートの粘液を減らした分、火岸花のエキスで火力を補えば多少は安全になったりしないかなぁ。ああそれから、アッシュワインダーの卵をもうすこーし使えたらいいんだけどいかんせん予算が厳しい。午後になって涼しくなったら森へ採集しに行こう。
「あーあ、フォークスからあの綺麗な羽根を何枚かもらえちゃったりしたら最高なんだけど」
「頼んでみれば? エレナとアンブルが揃ってお願いしたら許してくれそう」
「ほんと? アンブルに甘える時の首の傾げ方教わるか……」
そんなふうに半分本気半分冗談で呑気に話していたが合体して七色に発光する巨大なガーゴイル――の大群となった火の粉に轢かれているディーンの叫びに、ハッと我に返る。
「いやそう、えっネビルさっきの本気なの?!」
ネビルは「おかしいかな」と眉尻を下げた。慌てて首を横に振って否定する。ついでにやんちゃしている火の粉たちもぼちぼち消火していく。そこそこの混沌を引き起こしてるし、そろそろ被害者たちからの呪いも怖いし。
真っ白い雪を談話室に降らせながら、ネビルと向き合う。
「おかしくはない……んだけど、でも」
「でも?」
「……でも、だって私、てっきりネビルは――ホグワーツで薬草学の教授になるかと思ってた、から……」
尻窄みになって小さくなった声のまま、私は「……勝手にだけど」なんて言い訳っぽく付け加えた。絨毯の端で最後の火花がしゅうっと枯れていくのと同じくらいの時間、目をまん丸くしていたネビルの口元が、やがてもにょっと笑い出したそうに動く。
「僕なんかが教授? 薬草学の? それもホグワーツで?」
「なにもおかしくないよ」
まるで変なことを言ったかのような反応をされ、自然と眉間に皺が寄る。
「だってネビルは薬草学がとっても得意だし、きっと全寮の全生徒から分け隔てなく好かれる優しくて公平で素晴らしい先生になれる。ていうかなる、なります、なるんです。確実に。原典にして聖なる絶対的書物でもそう定まってる」
「はいはい、ありがとう」
「ねえ信じてないでしょ!」
「信じる努力はしてる。じゃ、エレナは反対ってこと? ――僕が闇祓いになることに」
私は捲し立てていた口をぴたりと止めた。おもむろに口を結び、時間を稼ぐようにゆっくりと絨毯の焼け焦げを直す。少しだけ肌寒くなってきたので雪を止ませて、ゆるく二の腕を摩った。
「そうじゃないけど」そうして幾許かの沈黙を挟んで呟いた言葉は、決して嘘ではなかった。
「……ネビルは誰よりも勇敢だし、この一年は先頭に立って皆のことを守ってきたっていう実績だってある。なによりヴォルデモートの前へ立ちはだかった英雄の一人だし……向いてないだなんて全く、これっぽっちも思わない。むしろ闇祓いに――闇の魔法使いから皆を守るための仕事にこれほど相応しい人は、ネビル以上にいないと思ってる」
「嬉しいけど、さすがにそれは褒めすぎだと思う」
「こんな表現じゃ足りないくらいだよ」
ぴしゃりと言い切ってボウルの縁を杖で叩けば、杖先から散った火が中に落ちて青い水面で小規模の花火が踊る。
「ありがとう」ネビルは律儀にそう言って照れくさそうに首を竦めた。
「たしかに薬草学は好きだし研究にも興味あるよ。でもね、この前マクゴナガルが、僕に今年の闇祓いの推薦枠をくれるって」
「マクゴナガル先生が?」
「うん。本来なら僕は成績的にも基準に満たないんだけど、今年は例外的に採用基準を少しだけ緩めるんだってさ。ほら、今年の成績なんてろくすっぽ当てにならないし、なにより人手不足だから」
「……なるほどねえ」
納得の理由だ。ヴォルデモートに与していた、あるいは呪いで従わされていた人達は各地で一斉検挙された――否、されている。
戦争が終わり数ヶ月経った今でも、現在進行形で役人達は日夜忙しなく飛び回っている。裁判をするにも事実関係の調査や裏取りやらが必要だし、逃亡した死喰い人の捜査や行方不明者たちの捜索、被害を受けた人々へのケア。
予言者新聞も、魔法使いや魔女の人材不足は魔法省内部に留まらない、イギリス魔法界全体の深刻な問題だと取り上げていた。
「だからってもちろん知識がなくていいわけじゃないから、来週から特別実習に参加するんだ。ハリーとロンも一緒にね」
「そう……。……あのね、ネビルが闇祓いに向いてないとは思わないよ」
私はさっきと同じことを、今度は自分に言い含めるように繰り返した。思わない、でも。
「ただ心配。……少しだけね。だって闇祓いは本当に危険な職業だし」
「……そうだね」
両親のことがあるネビルにとっては、そんなの今更、覚悟の上だろう。しかし言わずにはいられなかった。一応私にだって身近な例があるのだから許してほしい。もうとても気軽には話せない叔父を思い、そっと目を伏せる。勇敢な人は時々自分を勘定にいれない。それを当たり前のように思っている。ネビルもそうなってしまうんじゃないかと思うと、胸のあたりが冷たくさざめいた。
膝の上に置いた両手を祈りを捧げるように組んで、私はしばらく黙り込んだ。
「……でも、もう決めたことなんだよね?」
「うん」
ああ、だよね。きっぱりとした返答は尋ねる必要がないくらい予想通りで、うっかり口元が緩んだ。迷いがなくて惚れ惚れする、ほんと。
「絶対に怪我しないとか、悲しませないとか、そういうことは言えないけど……でも、たとえ何があっても必ず帰ってくる。約束する」
「……うん」
「だから信じて。応援してほしい。エレナには特に」
「……分かった。分かったよ! あーあ、じゃあいっそのこと私も闇祓いになっちゃおっかな?! マジガチ向いてないと思うけど」
「ええ? そんなことないでしょ。エレナこそ成績はクリアしてるし、僕もエレナが一緒ならすっごく心強い……けど……」
「ネビル?」
首を傾げて続きを促すとネビルが「さっき心配って言ってた気持ちが分かるなって」なんて複雑そうに呟くから、私は大層満足してしまい、思わずにんまり笑った。実感を伴う理解を得られてなにより! 心配と信頼は両立する。最近になってようやく学んだ。大切なことは必要な時に手を差し伸べること。……そうようやくね。人生二周目で今になって? って感じだけど、三周目に入る前に学べて万々歳だ。三周目があるかは知らないけど。
「……ああそういえばさ。僕セドリックを見てて思ったんだけど、これからの魔法使いには筋肉が必要なんじゃないかって。エレナもずっとやってるよね」
「だ、よ、ね? だよね?! 魔法使いにこそ筋肉理論、支持者が増えてほんと嬉しい。ほんとに親友って最高。大好き。実はネビルはなんかすごくハマりそうだなってずっと思ってたんだよ」
「えっそうなの?」
「うん、すごくムキムキになる素質があると思う」
なんとなくだけど不思議と確信がある。身長だってまだまだ伸びそうだしね。きっとガンダムのようにイカしたハンサムになっちゃうのだろう。いつか肩に乗せてねと言うと、ネビルは至って真剣に「頑張るよ」と頷いた。わあ頼もしい。
じゃあこれからは一緒に筋トレしようかと、実験道具の代わりに羊皮紙を広げてトレーニングメニューを組んでいると、ハーマイオニーが帰ってきた。ハーマイオニーは試験が終わってからも図書館に通いつめている。いつものことだ。彼女は空いたスペースに本の山を置いてドンと軽い地鳴りを響かせた。私たちの羊皮紙を覗き込んで、「なあに、これ」と面白そうにクスクスした。
「……あら、この椅子の肘置き焦げてるわ」
「えっそれは大変! 直しとこうね、尊敬される立派な卒業生になるために」
「どの口が――、――!!」
「誹謗中傷はんたーい!」
つくづく思う。優秀模範で偉大な監督生様にシレンシオを教われたことは、私の人生に多大なる影響を与えてるんじゃないかって。もちろんいい意味で。
###
この長ったらしい回想が伝えたい教訓はただ一つ。
「闇祓いになる気はないか」
「微塵もありません……」
迂闊なことを口にするな、だ。
数ヶ月前の軽率な冗談がグサグサと脳内で突き刺さり心にダメージが入る。自然と蚊の鳴くような声になった。
「成績は言わずもがな事足りておるわ、実績は有り、推薦人は儂含め他多数。なにより、それなりに乗り気だったとロングボトムの小僧から聞いたが?」
「ハッハー! いやいやいや……いやいやいやいや」
ああなんてホグワーシュ。ご冗談がキツい。いやだってこんなガチ詰めが時間差でくるとは思わないじゃん。思わなかった私が悪い? 口は災いの元? それは〜そう! ごめんなさい。タイムターナーが欲しい、シレンシオすべきは真実を口にしようとした哀れなるディーンではなかった。
乾いた自嘲をなんとかやり過ごし、目の前の御仁へ、明後日へと逃がしていた視線をそろそろ戻す。向かいにどっかり腰掛けているムーディ先生は堂々とした佇まいで、私特製のハニーレモンラテを啜っていた。お気に召していただけて光栄だけど、先生、口にフォームミルクつけっぱだよ。かわいいから教えてあげないけど。
ああ、うちにあのマッドアイ・ムーディがいるのってめちゃくちゃ変な感じ。そんなこと言ったらダンブルドアがいるのだってかなりおかしかったけどさ。でもほら、ダンブルドアは叔父さん関係で昔から家に来がちだったし。
「マッドアイ、口に付いています」
「ム、おお。すまん、ミネルバ」
……それと忘れちゃいけない我らがミネルバ・マクゴナガルもね。彼女がこの空間に居るのも見逃しがたい異変だ。引き返したい。無理です。はい詰み。
「あのーーー、あの……私は闇祓いって向いてないって言われたし、自分でもそうだなって思うんですけどぉ……」
「誰がそんな下らんことを?」
「そこの額縁の人とか」
「あれは単なる腰抜けの甘ったれた身内贔屓だ」
過剰な扱き下ろしをされているのに、額縁の人は肩を竦めてその言われようを甘んじて受け入れている。否定してよ、味方してよ!
「贔屓っていうなら向いてるって持ち上げてくれるはずだし、向いてないっていうのは正当な評価では?」と食い下がり(それから一応の弁護)を試みるが、それも一笑に付された。
「阿呆か。家族を危険から遠ざけたいが為だけの主張を贔屓と言わずなんという」
『ウン、まあ、必要以上に不当な評価をしていたのは認める。お前はわりと闇祓い向いてると思うよ。時々――ていうかかなりの割合で向こう見ずだけど。第一、三大対抗試合の優勝者が――』
「同着優勝!」
『はいはい分かった、同着優勝者のその片割れが、闇祓いに向いてないわけないだろ?』
「さあ、それはどうかな。この世にはラッキーって言葉があるからね。ああ、“奇跡”って言った方がお気に召すかも。ところで余計なお喋りするくらいなら大人しく額縁の人しててくれない?」
杖を向けて睨みつけると、額縁の人は大袈裟に怖がるふりをして、口元に手でバッテンを作って静かになった。苛付きもするでしょうよ、私はなる気ないってことずっと伝えてんのに壁からいらん追い風吹かせてきて。
「魔法省が人不足なのは聞いてますけど、ほんと私なんて藁にもならないですから……アンブルのがまだマシ。貸し出しましょうか? うそやっぱダメ、危険な目に合わせたくない。私も身内贔屓しちゃお。ていうかマジな話あの子めちゃくちゃおバカさんだから多分無理。これは贔屓とか関係ない真っ当で正当な評価です」
「貴様のその異様なまでの卑屈さはなんなんだ? 少しはウィーズリーの倅を見習え。彼奴なんてな、お前には呪いの耐性があると一度言っただけで「自分に呪いをかけてみろ」とそこかしこで言っては呪いを受けて、連日連夜楽しげに脳を回しとるぞ」
「ああ、まあそこがロンのいい所ですよね」
「足して割ってやろうか」
「ムーディ先生ならほんとに出来ちゃいそうだから勘弁してください」
「ええ、ええ」ずっと静観していたマクゴナガル先生が、突然鷹揚に頷いた。
「たしかに、ワイアットには適正があります。ですが貴方は昔から闇祓いの職に前向きではありませんでしたからね。やはりそう言うと思っていました」
「アー、まあ、その……ッスね、ハハ……」
不服げなムーディ先生の隣でマクゴナガル先生がしたり顔をする。理解のある寮監ニャン……いや校長。うーん、なんかなんだろ、流れが……。私はあえて薄い反応でお茶を濁しながら、カップに口元に運んだ。お茶会が始まってからこの仕草やり過ぎてもう中身ないんだけどね。
叔父さん改めて額縁の人が『今日の午後三時きっかりに校長がいらっしゃるぞ。ついでにマッドアイも』と思い出したように額縁から顔を覗かせた時から、うっすら嫌な予感はしていたんだ。告げられた時点ですでに時刻は二時半を回っていて――ていうかむしろ三時になろうとしている時間だったけど、とにかく大慌てで居間やら使われるかもしれない暖炉やらを掃除をして、てんやわんやになりながらもなんとか三時ちょうどに現れた(予想通り暖炉から登場なされた。掃除してて良かった!)二人をお迎えして。で、一呼吸ついたところでマッドアイから切り出されたのがあの提案。魔法省所属の闇祓いの話なのに『じゃあなんでマクゴナガル先生まで同伴してるんだ?』って疑問がくっきり形になる頃には、ひしひしと身に刺さりつつあった嫌な予感はもう予感を通り越して確信に変わっていた。
「――そこで私からは、ホグワーツで教鞭を執る道をおすすめします」
ねーほら。これだよ。なんでそうなるの?
◆◆◆
- 234 -
←前 次→