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 厄日だ。
 とうとう露骨にウンザリしてしまった。

「それはまた、思い切りの良い大胆且つ斬新奇抜なご提案ですね、先生にしては珍しい」
「慎重な協議を重ね厳選した検討の結果です」
「ええ? 激務でお疲れなのでは。ちゃんとお休みしてくださいね。ところでこのお話、なんだか耳に覚えがある気がするんですけど」
「お気遣いどうも、ワイアット。ええ、卒業前ですね。心配せずとも無論私も覚えています。『大変ありがたいお申し出ですが、今回は辞退させていただきたいです』とのお返事を受け取りました。非常に残念ながら」
「なら――」
「ですので、この度は私自ら“次の機会”を設けに参りました」
「……、……ああ、アー、それは――また――……どうも……わざわざ御足労いただいて……」
「礼には及びません」
「(なんの礼だよ)」

 どうやら断り文句で『今回は』とか言ったせいでこんなことになってしまったらしい。ほんとに迂闊な……いやでもこのくらいは言うでしょ、むしろ言った方が常識的なレベルのあれじゃん! ただの定型文じゃん真に受ける魔女があるか?
 なんて、バカ正直に噛み付けるわけもない。上下関係の躾は完璧だ。私は歯痒い気持ちで、涼しい顔のマクゴナガル先生へ内心でだけ不平を零した。


 ヴォルデモートの命令でホグワーツの校長をしていたスネイプ先生は、当然ながらだいぶややこしい立ち位置にいた。二重スパイであれど――例え一人の人間に出来る最大限の努力をしていたとしても、闇の魔法使いとして活動し決して少なくない数の人間を傷付けた事実は、悲しいかな変えることはできない。
 彼の真実は、本人の意向ガン無視のもと白日の下に晒され世間へと知れ渡った。大半の人間は容疑者セブルス・スネイプの献身に胸を打たれ涙ぐんだ。けれどやはり、全員が全員そうなれるとは限らないのだ。生涯アズカバンでの禁錮処分を求める被害者の声は、無視できる大きさに収まっていない。
 と、このような事情による様々な手続きのため、スネイプ先生は無期限の休職が下された。(この『休職』という措置に落ち着くのにも、ダンブルドアはかなりの労力を費やした。)その為、終戦後は副校長であるマクゴナガル先生が繰り上がる形で校長に任命された。

 マクゴナガル先生は、校長職を果たす傍ら、なんとグリフィンドールの寮監も兼任で請け負った。驚くべき人事に呆然とする私達へ、彼女は「この学年は特に卒業まで目を離せませんから」と厳格に言った。その言葉の通り、マクゴナガル先生は、七年生全員の進路を最後まできっちり指導し、私達に不安を残させることなく卒業を迎えさせてくれた。

 そう、進路。……ね。ここで私の当初の進路希望を思い出してみると、『マグル関連の仕事に就きたい』とかなんとか言っていた。最たる理由は、魔法嫌いな我が母親の理解を得るため。が、もうその母親はこの世にいない。つまり、マグル関連の仕事に就く理由ももはやない。将来へ対する希望はゼロ! はは、笑えるよね。
 まあそれに、悲観的な理由を抜きにしたって、卒業したら暫くは遺品整理や相続、その他諸々の処理で忙しいだろうと思っていた。(これは実際その通りで、卒業して三ヶ月近く経つ現在、私は地元の市役所と魔法界、自宅と叔父の家(あとドラコとの会合とか……)などで日毎各所を行ったり来たりしていて、ようやっとひと段落つきそうといった頃合だった。)

 マクゴナガル先生は、私にホグワーツで教師として働くことを提案した。学科は闇の魔術に対する防衛術だ。時期でいうとちょうど前回の回想辺りだね。とんでも打診に激務でご乱心か? って思ったし、当時も実際にそう口にした。丁重なお断りと仕事量に対する心配をペラペラ並べ立て、そうやって私は進路相談を一方的に終わらせた。ていうか逃げた。認めるけど。そのツケが回ってきています、今。さっきも見たよねこんな展開。ほんとこんなんばっかり私の人生!

「フム。貴方の反応を見るに、どうやら前回から心境に変化はないようですね」
「仰る通りです。さっすがマクゴナガル先生、生徒への理解度がマジヤバいハンパないそこに痺れる憧れる〜てことでこの話はもうおし――」
「であれば、“補助職員”という立場でしたらいかがでしょう?」
「…………まい、にするつもりは……アー、まさかまだない感じです?」
「いかにも。さすがワイアット、頭の冴えた素晴らしい判断です」

 そんなヨイショで、そんなあからさまなヨイショで靡くと思うな! でも白状すると実はちょっとだけ嬉しくなってしまっていたりする。このことは誰にも内緒である。
 不必要なまでに不貞腐れた顔をして――でないと少しニヤケそうだったから――、じっとりと目を細める。

「でた。でたでた補助職員! 急に生えた謎の制度。なんなんですかそれ……」
『分かる。なんだったんだろうな……』
「ほんとにね。で、えー、それはやっぱり、DADAの補助職員ってことですよね? 前回のお話に倣うなら?」
「いいえ、全てです」
「え?」
「全てです」
「……はい?」
「より正確な表現をするならば、ワイアットがN・E・W・T試験において受験した全ての教科です」
「おい無茶苦茶言うなぁ?! すみません、取り乱しました」
「許しましょう。次はありません」

 マジ無茶苦茶マクゴナガル!
 いやでもさっきのはさすがに私が調子に乗りすぎた。そこは反省、ごめんなさい。しかし大変不服ですの感情だけはどうしても表明したくて、私は無礼にならなそうな範囲で顔を思いっきり顰めた。おいそこの絵画なに笑ってるWWWに臨時貸出して展示会するぞ。

「……そんなハチャメチャで文字通り死ぬほどやりがいを感じそうなお仕事になるんなら、私よりもっとずっと適任な人が他にいますよ。成績オール優で私より総合得点も高いハーマイオニー・グレンジャーさんとか」
「グレンジャーは来月から魔法省の魔法生物規制管理部での就業がすでに決定しておる。知らぬはずがあるまい?」
「貴方がたは受験科目数が違うのですから総合得点に差が出るのは当然でしょう」
「グッ……で、でも私と同じ科目だけにしぼったってハーマイオニーは百点満点の試験の平均点が百二十点とかですし、やっぱり私は彼女を差し置いてそんな大役に抜擢されるような人間ではないと思います!」
「彼女が筆記試験でその実力を存分に発揮していることは事実です。けれど貴方の全教科平均も百点に近いでしょう。加え、実技試験において自身が非常に優れた成績を残していることは、貴方も自覚しているのでは?」
「……、……まあその……実技の成績はぁ――……そーう、かも……でしたっけね……どうだったかなあ?」

 適当な言い訳を咄嗟に口にできなかったのは、怒涛の畳み掛けだけが理由だけではない。(もちろんそれもあるけど!)偉大で優秀すぎる専属家庭教師がついていたという事実の前では、私ごときが今更何を言ったって清々しいくらい説得力に欠ける――ということは、悲しくなるほど容易に察しがついたからだ。
「そうでしたとも」上手く言い逃れできなかった私へ、マクゴナガル先生はいたくご満悦な様子で鼻の穴を膨らませた。

「お忘れなら成績表を今この場でお見せしましょうか? 非常に偶然なことながら、今貴方の目の前に座っているのは元寮監であり且つ現職の校長です」
「お心遣い痛み入ります大丈夫ですたった今思い出しましたとってもラッキーな評定だったこと」
「よろしい。貴方が実技筆記ともに大変優秀な生徒である事実の議論はもはや不要です。この私が保証しましょう。それでもなにかまだ不満が?」
「……あり、ま……すん……」
「そもそもの前提として、私は成績面のみを評価して貴方を推薦しているわけではありません。成績だけで評価するならば、貴方より優秀な成績を収めた上でホグワーツ以外で働く道を選んだ卒業生は歴代にもいます」
「まあそれはそうですよね。あー、じゃあ……もしかして前々任の校長がまたなにか余計な絵の具を飛ばしたりました?」
『おいおい、私なぞがミネルバ殿へ意見することがあるとでも?』
「今回の件に関し、尊敬すべきワイアット元校長先生の助言は頂いておりません」

 ……そういえば今更だけど叔父さん、校長室で浮いてないかな。物理的な話ではなく。いいいじられキャラになってるのかな……。

「――聞きなさい、エレナ・ワイアット」
「はい!」

 なんてお得意の現実逃避をしていたのだが、体に染み付いた習慣とでもいうのだろうか。凛とした声に反射で軍隊よろしく返答をし、全身が緊張で強ばる。この声は怒られるやつ。絶対そう、私には分かる。伊達に叱責を食らいまくっていない。

「エレナ。貴方の影の奮励を私は知っています」
「え……」

 けれどそんな身構えをあっさり透かし、マクゴナガル先生は、いつになく穏やかな声音で喋りだした。

「貴方が踏み締めていった多くの足跡を、我々は確かに見ています。努力を努力と思わない勤勉な精神。友へひとしく寄り添おうとする心。絶望の嵐の中でも光を信じて歩き続けることのできる姿勢」

 マクゴナガル先生は自身の紡ぐ言葉で私が戸惑う様を、静かに見つめていた。いつも通りの、平等に厳しくて、それでも慈しみが滲む瞳だ。私たちを指導し守ってきてくれた、寄りかかっても良いのだと思わせてくれる、そんな瞳。

「それこそが、私がホグワーツで教え導く者に望む素養です」
「――……」

 瞬きを忘れたみたいに目を見開く。口を開けているのに、呼吸がろくにできない。透き通った言葉たちは驚くほどすんなりと私の胸深くへと染み込んで、私をひどく動揺させた。だってこんな――こんな言葉!

 言葉をなくすしかない私に、マクゴナガル先生は柔らかく微笑んでいた。全て分かっている、というような笑みだった。それがまた心を揺さぶり、喉がきつく締め付けられるような感傷に襲われる。
 それでも感情を捩じ伏せて、私は息を吸った。妖精が通った時間はだいぶ長かったがこの場の誰も私を急き立てるような真似はしなくて、有難かった。私の周りの人は本当に優しい。ふふ、知ってた。
 
「……私は、闇祓いとして魔法界の平和に貢献できるような勇気ある人間ではないし、ましてやマクゴナガル先生からそんな――こんな素晴らしい言葉をいただく価値のある人間ではないと思っています。本当に」

 紛うことなき事実を、今思っていることを偽らず口にして、一拍挟んで視線を持ち上げる。マクゴナガル先生はただ黙って私が続きを話し出すのを待っていた。

「……それでもそんなことを言ってもらえたからには……私は出来る限り、“そう”成れるよう最善を尽くさなくてはと――尽くしたいと、思いました」

 今は無理でも、未来で胸を張れるように。
 背筋を正して真っ直ぐ前を向く。少しでも自分が恰好よく見えるように。贈られた言葉に見合うように。
 そんな願いを込めて、私はマクゴナガル校長と向き合った。

「未熟者ですが、ホグワーツ魔法魔術学校の補助職員の職務を謹んでお引き受けさせていただきます」
「……ええ、エレナ。ホグワーツは貴方を歓迎します」

 差し出された手を握り返す。努力と研鑽が幾重にも刻まれた尊敬すべき手。この手を支える側に回れることが心の底から誇らしくて、自然と力が篭ってしまった。





「――さて。では補助職員を務めるにあたり、貴方には動物もどきの技を習得することをホグワーツの校長として命じます」
「……動物もどき? 私が?」
「ええ」
「だっから無茶ッッッ……!」
『おお、よく耐えたな』

 だって次はないと言われてるので。スーッと息を大きく吸って吐いて、そうやって深呼吸で様々な感情を抑え込み、最終的に、不平不満を顔の全面にこれでもかと乗せた。せっかくいい感じに終わりそうだったのに就職前からパワハラやんけ勘弁してよ。

「私知ってますよそれ。マンドレイクの葉っぱを一ヶ月咥えてたりしなきゃいけないやつでしょう」
『満月の日までな。それにそれだけじゃないぞ。その後はその葉となんかの露――なんだったかな、日光に当たってなきゃなんでもよかったか? まあ詳しくはミネルバに聞け――と、ドクロメンガタスズメの繭を瓶に入れて誰にも見られない完璧な暗所に保管する。極めつけには、雷雨の日が来るまで日の出と日の入りの刻に自身の心臓に魔法をかけなくちゃいけない。それも雷雨の嵐が来るまで毎日欠かさずときたもんだ』
「バーカバーカバーカ!!」

 なんでだよ。なんで魔法界初の動物もどきになった人はなんでこんな手順でそんなややこしいことしようと思ったの?? 絶対動物もどきになることに生涯を費やしたでしょ。
 脳を使わず飛び出したやけくそ罵倒はあまりに幼稚すぎて見逃されたらしい。マクゴナガル先生は素知らぬ顔でお茶を啜っている。温情を有難く思いながら、探るような気持ちで口を開く。そりゃ、あんな啖呵は切りましたよ? でも人間にはやっぱり出来ることと出来ないことと、それから限度ってものがあるし。

「叔父さんは、動物もどきじゃないんだよね?」
『当たり前だろう』額の中で叔父さんが胸を張った。
『マンドレイクの葉なんて口に入れてたらろくに食事を楽しめない!』
「はいはいでしょうね知ってたよ。で、ムーディ先生も違う?」
「必要なかったからな」
「なるほど。えーとそれから……変身術の歴代教師も、全員が全員動物もどきってわけじゃない、ですよね?」

 回りくどいながらも私が何を言いたいのかマクゴナガル先生も察しがついたようで、少し呆れたように頷いた。

「ええ。とても高度で洗練された専門技術です。生徒たちへ変身術を教えるにあたって、必ずしも必要な技能というわけではありません」
「じゃあやっぱりそこは免除とか……!」
「しかし私は貴方になら技能の習得が可能だと考えています」
「うっ、ぐ、真っ直ぐな信頼ァ〜……!」

 やめて、それは私に効く。今日のマクゴナガル先生強すぎない? て思ったけどマクゴナガル先生が強くない時なんてなかったわ。解散。
 現状は敗色濃厚でしかなかったが、私はそれでも最後の悪足掻きを捻りだそうと呻いた。私の基礎スペックを思い出してほしくてもう必死。今は成績優秀に見えてるかも知れないがそれは一時的なブーストがあるからってだけに過ぎないのだ。

「でも立ち位置的には補助なんですよね? 私って一応。なら……」
「出来ないことで不足はありませんが、出来ることで不足もありません。何事も挑戦なくしては始まりません」
「ド正論……うう、でも、でも――アッていうか私の勤務日っていつからになるんですか?! もし九月からならあと……二週間? そんなの確実に間に合わない! ですよね?! ただでさえドタバタで準備することになるのに、記念すべき初年度をマンドラゴラ咥えたまま迎えるのは流石に可哀想だと思いませんか?!」
「思います。なので現在の貴方の都合も考慮し、早くとも来年の秋からはどうか、と提案する予定でした。意欲があるのは私としても喜ばしいことですが」
「墓穴、私ってばいつもこう。ていうかだとしてもたったの一年じゃないですか! そもそも習得に何年かかるか分からないのに……」
「何年かかろうとも諦めないのが貴方です」

 あっけらかんと言い切られて唖然とする。慈愛と信頼を湛えた瞳を緩めて微笑まれては、もう私に勝ち筋なんてとてもなかった。はーあ、マンドレイク、せめて美味しいといいなぁ!





 ご機嫌なマクゴナガル先生と不満げなムーディ先生が暖炉からお帰りなった後は、私は暫く机にぐったり突っ伏していた。色んなことがありすぎた、疲れた。決断って体力使うよね。私にとってあの選択は、相当に勇気のいる決断だった。

「……それにしてもさ。あのマッドアイ・ムーディも丸くなったもんだよねえ」
『何故そう思う?』

 頬杖をついてふと思い出したことを口にすると、叔父さんは怪訝そうに片眉を持ち上げた。てっきり一も二もなく賛同を得られるかと思ってたので、その反応も意外に感じた。

「だって私の淹れたお茶をすんなり受け取って普通に飲んでた。あの、“あの”マッドアイ・ムーディなのに!」
『……そこは素直に信頼と受け取ってやればいいだろう』
「えー、うーん、それはちょっと解釈違い?」
『無体を言う奴め』

 この場にはマクゴナガル先生もいらしたし、私だってもちろん毒を盛ったりなんかしない。だから元同僚の言通り『信頼』を得られている、ということなら当然嬉しいし光栄だ。
 でも紙面と次元越しに憧れてた身としては、やっぱり一抹の寂しさがあったりするわけなんですよね。マッドアイ・ムーディはいつまでもマッドアイ・ムーディでいてほしいよー! という複雑なオタク心。『信頼とかではなく私が警戒をする必要もないくらい小物』という理屈で責めるとしても、いや油断を大敵としないで自前スキットル以外をあっさり口に運ぶマッドアイなんてマッドアイじゃないでしょという気持ちが勝ってしまう。……あれ、でも思い返すとこれわりと今更だな?? 終戦後なんて特に騎士団メンバーで食卓を囲む機会も少なくなかったし――うわ気付いちゃったのかなりショックかも? 心を許された嬉しさと時が進んでいる実感の寂しさが入り交じって複雑だ。


 とはいえ、こんな厄介オタクの呟きを当人へリークされては堪らないので、額縁の人へは釘を念入りに刺しておいた。
 

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