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 それは楽しい女子会&簡易拷問学を学んだ翌日で、時刻は午後の三時を回ろうとしていた時のことだった。

「ねえコーマック・マクラーゲンと付き合ってるって本当?!」

 庭先に姿あらわししたネビルが声を荒らげて聞いてくる。魔法をかけたばかりのジョウロがうっかりその場でぐるりと反転して、カボチャに浴びせるはずだった水は全て地面へ吸い込まれた。

 私は水遣りを一度保留にすることにした。だって可及的速やかになによりも優先すべきクエストが発生した。なんの一報も入れず現れた、片手に手紙の束をきつく握り締めて今にも涙を零しそうな親友を捨て置くなんて到底できるわけもないし――肝心要のその内容もちょっと、余りに看過し難い。

 いかにも仕事帰りですといった装いのネビルが呼吸を十分に整えるのを待ってから、私は大きく息を深く吸い込んだ。

「いつどこでだれがどうしてなぜどのような目的があって、そんな突拍子もない与太話をネビルにしたの? 全くもって意味が分からない、理解できない――いやもういいや。動機はこの際置いておこう。とりあえずそんなことを言い出した人の名前と所在地だけ教えてくれる? え? 別に怒ってないよまさか! 絶対に絶対に、絶対に怒らない。怒ってない。誓ってもいい。誰に誓う? ダンブルドア? この世界の偉大なる創造主? 別に誰でもいいか。とにかく怒ってなんかないからさ。なんなら私産まれてから一度も怒ったこととかないし。でもこのような許されざる虚言を寄りにもよってネビルへ吹聴した犯人を野放しになんてとてもしておけない。でしょ? だってこんな慮外者を放置しておけばいずれイギリス魔法界に極めて甚大で取り返しのつかない被害を与えることは現時点で明白だもの。そう、今私を突き立てているのは単なる怒りではなく純然たる使命感なの。このような猛悪凶徒へは確実に然るべき制裁が必要って私は気付いた。気付いたからには実行しなくちゃならない。分かってくれるよね。ダモクレスの剣と一緒、大いなる力には大いなる責任が伴うってわけ。つまり私がダンブルドアの下で修行し今日この瞬間まで息をしていたのも、こうして正義の鉄槌を下すべく力を奮うため。これ、総括すると全ての道はローマに通じてるってことになるのかな。つまりこの世の真理? じゃあ心臓が止まるより先にその事実に気付けたのってとっても幸運なことだよね、ああ感涙に咽びたくなってきた。アルキメデスだってきっと嬉しすぎてエウレカを叫び全宇宙へ轟かせやがてはその声量でブラックホールさえも破裂させるに違いないよというわけで一体どこの誰からそんな根拠がどの世界線にも存在し得ないバカバカしい空言を吹き込まれたのか早く教えてくれるネビル?」
「オーケー。僕も落ち着くからきみも一旦落ち着こう。僕もパニックになってファッジを二十キロも買ってきちゃったし」
「二十……二十?!」

 ファッジを?!



 ファッジ二十キロショックのお陰でほんの少しだけ冷静になった。ファッジでみちみちの紙袋の大群に迫られてはならざるを得なかったというか。
 とにかくお湯を沸かし、お茶の用意をする。無論、カボチャの水遣りの手筈も整え済みだ。

「僕も手紙を受け取ったのはついさっきでね」

 コートを脱いでシャツの袖を捲りすっかりリラックススタイルとなったネビルは、二十五種類にも及ぶ色とりどりのファッジを適度にカットして大皿に並べながら、ポツポツと事の顛末を語り出した。

「エディンバラにある特別施設での実習が終わったタイミングでさ。施設の近くの通りに美味しそうなファッジ屋さんがあって、エレナにも幾つか買っていこうかなってちょうど考えて並んでて――ねえエレナ、お皿がちょっと足りないかも」
「だろうね」

 二十五種類を累計二十キロだ。足りるはずがない。ファッジに気を取られて話も入ってこないし。呆れ返りながら、テーブルに置ける最後の大皿をネビルへ渡す。

「ネビルって買い物苦手だったんだね」
「混乱してたから、つい」
「見れば分かるよ」

 混乱してない人はこんなにファッジを買わない。あと“つい”で買う量でもない。
 しかも見たところ、結構な値段がついていそうな立派なファッジだ。こんなに買って……かなりの金額になったんじゃない? そういえばネビルってストレスを感じると散財しがちな気質だったな。二年生の頃、それから五年のO・W・L時を思い出す。定期的に通帳確認したくなってしまいそう。

 複雑な心境で、順番待ちをしている大量の紙袋たちをそっと壁際へ纏める。ごめん、君たち全員を並べるのは無理だよ。

 とりあえず全種類、四皿分“だけ”並べて、ネビルと二人しげしげと眺めてみる。……うん、信じられないくらい贅沢で壮観。ファッジ専門家業でもない個人宅にあっていい量ではない。近隣住民から根こそぎ強奪したんだと言ってもきっと誰も疑わないし、きっと誰も笑わない。そんな致死量のファッジが今我が家にはあった。
 そりゃあ山盛りになった小粒のファッジたちはカラフルでポップで美味しそうだし、正直かなり胸が踊るし、色んな人に自慢して回りたくなる。しかしそれもこれも、リビング入口から物言いたげにこちらを見ている紙袋の山さえ視界に入らなければ、の話だった。

「ファッジ屋さんになっちゃったな」
「よかったね、エレナの昔からの夢だったもんね」
「たった今突然憧れてたことにされた夢だけど、言われてみたらそうだったかも。叶って嬉しいな、ありがとうネビル」
「お安い御用だよ。またいつでも言って」
「ごめん、しばらくはいい」

 今日の夢は大量のファッジに圧死させられる夢だと思う。夢を叶えるのには代償がつきものなんだね、勉強になった。これも未来の生徒たちへの教訓としよう。

 さて、買ったからには食べなくてはならない。この篭もりきったバターと砂糖の匂いで窒息する前にと窓を開け、それから私たちはそれぞれ席についた。

「レモンメレンゲパイ! ファッジで! ああすごい、レモンメレンゲパイの味がする……私も今度作ってみようかな……」
「んん? ん? なにこれ――メープルシロップ? ねえ説明が載ってる紙どこやったっけ」
「キッチンに置いてるかも――はいどうぞ。私にも見せて……あ、ああこれ、この生姜の! 絶対マクゴナガル先生好き! 今度渡しに行こう」
「いいね、よろしく言っておいて――……誰がこれを何キロ買ったとかは黙っておいてね」
「約束はできないかな」
「そんな!」
「縋るような顔したってだめ」

 いくらなんでもこれはさすがにお叱りが必要な量だと思う。
 問答の末やがてネビルが「心底反省してる」と半泣きで懺悔したので、同じようなことをあと最低三回やったら報告するからねと約束した。

 最終的には小粒ファッジを半分の半分にしたりして、私たちは時間をかけて全種類味わった。もちろんお気に入りの味は追加で幾つか摘んだりもした。ファッジってこういう風にバクバク食べるものじゃないと思えば思うほど背徳感で脳汁が溢れた。……ところで素朴な疑問なんだけど、英国人ってどうしてなんでもかんでもミントフレーバーにしたがるんだろう? 十八年経っても解消されない謎だ。不味くないじゃんと言われたらまあそうねと頷くしかないので、誰かに聞けたことはない。

 拡張現実のような途方もない情報量で疲弊した脳を大量の糖分で労り、私たちはようやくホッとひと心地つく。

「……で」
「うん」

 四杯目に差し掛かった紅茶をそっと端に避けて重々しく口を開いた私に、ネビルも同じようにしてから慎重に頷いた。

「手紙ってなに?」
「エレナがコーマック・マクラーゲンと路地裏で激しく抱き合って熱烈なキスをしてたってみんなから一斉に……」
「みんなって誰」
「ハーマイオニーとラベンダーとパーバティ」
「なるほどね。その三人にとってのエレナってエレナ・ワイアットだけかと思ってたけど自惚れてたみたい。これを機に認識を改めなきゃ」
「じゃ、きみじゃないってこと?」
「エレナ・ワイアットにとっては事実無根もいいとこ……、……ちょっと待って」

 ふとした引っ掛かりに口を噤む。路地裏、それからこの誤情報の源である三人。……もしかしたらあの日のことかも? 私は唯一の心当たりを恐る恐る口にした。

「あの……ハーマイオニー達と女子会した帰りにコーマックに会って……で、いたって健全な友人的じゃれ合いの拍子にコーマックを壁に貼り付けたあと、アー、その――まあ――軽い水遊びとかをさせてた事実ならある、かな……」
「軽い水遊び」
「……喉が渇いたっていうから、口内に直接アグアメンティした」
「それはね、エレナ。拷問っていうんだよ」
「ごめんなさい。もうしません」

 真剣に言われては謝るしかなくなる。けどここで「もうしないならいいよ」とあっさり許しちゃうネビルもネビルで私に甘すぎるしコーマックに酷だと思う。親友の特別扱いが嬉しいので余計なことは言わない。
 なーんだあの事か。スッキリした。勘違いのされ方がえげつなかったけど、ともかく謎は解けたし誤解も解消できてよかった!
 ニコニコする私へ、ネビルはまだちょっと疑わしそうな顔をしていた。

「ハーマイオニー達は私を尾行してたの? なんでそんなことしたんだろ、そんなに寂しかったのかな」
「それもあるかもしれないけど、とりあえず三人からの手紙には、エレナが用事の内容を妙に伏せるから怪しかったって書いてあったよ」
「伏せたわけじゃない、ただ話さなかっただけで……まったく、なんでも恋愛に結びつけるのはティーンの良くないところだよね」
「僕らって同い年だと思ってたんだけど。そもそもどうしてマクラーゲンと一緒にいたのさ?」
「うーん、それはねぇ……まあ私が行った場所に計らずもコーマックがいたってだけだよ。偶然にもね。たまたま。ああ或いは数奇なる運命の巡り合わせとでも言いましょうか……」

 後半は思いつきでトレローニー先生を憑依させてペラペラと紙よりも薄い言葉を重ねたが、ネビルからは胡散臭そうな眼差しを送られた。間違ったことは言ってないはず――言ってるのかな? 占い学には造詣が深くないのでちょっとよくわかりません。

「そういえばマクラーゲンといえば、同じ寮に妹がいたよね」
「えっ、そうだったっけ」

 そんなの聞いたことも読んだこともない。目を瞬かせると、ネビルは合点がいったように「ああ、そっか」と零した。

「去年度の入学生だったから、エレナはあんまり関わる機会もなかったもんね。今は二年生になってると思うよ。……あの子、エレナが復学してからはいつもきみのこと見てた」
「なんで?……ああいや、たしかにめっちゃ見てる子いたかも。話しかけられたことはないけどあの子ってコーマックの妹だったのかぁ。……えっ尚更なんで見られてたの?」
「さあ」
「こわい」

 お兄ちゃんをコケにしやがって、ってこと? 少なくとも彼女の前でコーマックと絡んだことってないはずなんだけどな……。

「……ま、いいか! 誤解は解けたんだから一先ずはこれで満足しとこうっと」
「僕はまだイマイチ納得いってないんだけど」
「なんで?!」
「いつの間に名前で呼び合う仲になったのかと聞けてないし」
「呼び合ってない!」

 全力で否定した。こういう些細な所から事実ってねじ曲がっていく――というのを体験したばかりなので。ネビルは「でも」と不服げだった。

「本当だよ。コーマックは私の事名前でなんて呼んでないもの。呼び『合う』は大きな間違い」
「エレナが呼んでるのだって十分おかしいんだってば」
「そう? 呼び方なんてそんなにこだわることでもないと思うけど」
「それリーマスの顔見て言える?」
「なんかしょっぱいものが食べたくなってきたな。夕飯は食べてくよね? じゃあ買い出し行ってくるからアンブルと遊んで待ってて!」

 言うだけ言ってさっさと家を飛び出す。たちまちすっきりとした秋の空気が肌を撫ぜて心地よかった。室内が甘く重たかったので余計に気分がいい。ほら、なにせ業者の量があるから。換気してたってほとんど意味がなかったのだ。

 薄暮の空には茜色に光る雲が線を引いている。空気は美味しいし夕焼けは綺麗だし――決めた、今日は姿あらわしは無しで行こう。それに少しは歩いて、食べ過ぎたファッジのカロリーを消費しなくてはならない。
 人の少ない道を伸びた影ととも足取り軽く進んでいく。等間隔で並ぶ街灯が、ぽつぽつとオレンジ色を灯し始めていた。


 私が幼い頃は車じゃないとスーパーになんて行けなかった。が、ここ数年でこの辺も発展したもので、一番近いスーパーへはなんと徒歩十五分ちょっとで行けてしまう。知らないうちに便利になった。
 そうして辿り着いたスーパーで適当に野菜や肉、酒をカゴに入れていき、手早く買い物を終わらせる。手紙でのやり取りも頻繁にしていたし半年記念式典でも顔を合わせたけれど、こうしてネビルと二人での食事は久しぶりだ。一ヶ月に一度は会いたいよねやっぱり。うそ、一週間に一度。毎日でもいい。というより毎日がいい。
 とにかく訪れた機会は意図してなさすぎたものだったが、折角なら楽しもう。明日はお休みだろうし。
 バタついた出際だったのでエコバッグは忘れた。大きなレジ袋を右肩にかけて、行きよりも青暗くなった道を戻っていく。

「(ネビルの関心をアンブルのやんちゃで逸らせてたらいいけど)」

 大体、呼び方なんてそこまで気にすること? いやルーピン先生は特別枠だから置いておくとしてね。だってそれで言うなら皆だってハグリッドのことをルビウスって呼ばないじゃない。彼の場合は、つまりそういうことだ。……なんとなくだけどイマイチ納得してくれなさそうだな。

「(――ああ、そういえば)」

 どう言いくるめたらいいかなとグルグル悩んでいた頭が、ふと遠い昔の思い出を呼び起こした。

 名前を呼ばれて、そして呼ぶことを許されて、たったそれだけのことなのに私はあんなにもはしゃいで笑顔になれた。一度目、そして二度目だって、空を飛び回りたくなるくらい胸が弾んだ。
 そんな輝く思い出が脳裏へ鮮やかに蘇り、自然と口元が綻んでいく。

 うん、それを踏まえるとたしかに割かし重大なことなのかも――いやでも相手はたかがコーマックだしな。やっぱりどうでもいい気がする。

「(コーマックとドラコを一緒にするのはやっぱりちょっと話が違うというか――)」

 難しい顔をして歩いていれば、後ろからけたたましいクラクションを鳴らされた。なんの前触れもなかったそれに思わずびくりと肩が跳ねる。反射的に少しだけ振り返って車を確認した。こんな田舎では珍しい高級車……だと思う。ライトが眩しくてよく見えないし、そもそも車には詳しくない。
 そんなに車道に寄ってたかな? とはいえ、暗い道を考えに耽って歩くのはたしかに良くなかった。自省してそっと道の脇へと寄って足を止める。背後でエンジンが激しく唸り、やがて発進する気配がした。
 いやにゆっくりとした速度で進んでいく車を眩しい視界でなんとなく観察する。恐らくクラシックカーってやつな気がする。そうなると車種なんてますます分からなくなるのだが、それでもドイツのアマガエルでないことだけははっきりしていた。クラシックカーってどれも顔みたいだよね。かわいい。
 なんて思考を散らしていられたのもそこまでだった。車が去ってから歩きだすつもりでいた私を少し追い抜いたところで、黒塗りのテカテカした車は急に動きをとめた。運転席の窓ガラスがするすると下がっていくので、思わぬ挙動に私は咄嗟に後ろ手で杖を握って身構える。

「――家まで送ろうか?」
「……えっ」

 見知らぬ車の運転席から掛けられた気さくな声は、ちょっと聞き覚えがありすぎた。

 最近はシフトも減って、ああこうして徐々に縁が切れていくんだろうなぁとひっそり思っていて、そしてちょうどたった今コーマック・マクラーゲンとの比較対象として思い描いていた、正しくその彼。

「いい夜だな、エレナ」
「ド……ドラコ・マルフォイ……さん……」

 “あの”ドラコ・マルフォイが、得意げに車のハンドルを握っている。

 それは致死量のファッジと同じくらい目を疑いたくなる光景だった。

 名前を絞り出して以降、まともな言葉が音にならない。ドラコは素敵なサプライズを成功させた子どものように、無邪気さと悪戯っぽさとが程よく混ざった素敵な笑顔を見せた。
 

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