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「妹さんがいるんだってね?」

 普段はグズグズ管を巻くコーマックを適当にいなしたり強制的に解散させたりするだけなのだが、今日はなんと珍しく話題がある。

 いつものパブへ足を運び店主にファッジ一キロをお裾分けと称して押し付けてから、すっかりコーマック専用となった奥のテーブルにつく。意気揚々と話し出した私へ、コーマックはどうしてか信じられないものを見るように目をぎょろぎょろとさせた。お決まりの文句も飛ばそうとしてこないことに私も訝しむ。

「どうかした?」
「まさかお前、アイツの名前どころか存在も知らなかったなんて言わないよな? あんなに見つめられてたのに?」
「……」

 沈黙は金であり、そして正解だ。
 酔いも醒めたのか、兄の眼差しはいつになく冷徹だ。醸し出す空気で非常識を訴えかけるコーマックに、私はわたわたと慌てて弁明した。
 
「いや、ちが、存在は知ってた! でもちゃんと話したことはなかったし――あとここだけの話、去年度って五ヶ月も在学してませんからね私!」
「だとしても同じ寮で生活していた相手だぞ。そんな薄情な教師がいていいのか?」
「正論すぎてぐうの音も出ない、ごめんなさい……。妹さん、なにちゃんって言うの?」
「……リーナ――アイリーンだ」
「いい名前! 賢そうな感じ」
「グリフィンドールだっつってんだろ鳥頭」
「分かってるよそのくらい!」

 吠える私を歯牙にもかけず、コーマックは「どうだかな」と鼻で笑った。

「あんなに慕ってもらっておいて、ひどい奴もいたもんだ。なァ?」
「……いや、とか言ってさぁ。コーマックの方こそ私を名前まで含めてちゃんと認識したのって、どうせ二年の石化以降からなんじゃないの」
「……」

 コーマックは酒を片手に、すいっと顔を横に逸らす。 ……おい沈黙!

「ちょっと。薄情はどっちですか?? 石化されるまで一年半同じ寮で過ごしたはずだけど。五ヶ月の三倍以上の期間だよ」
「あーもう、黙れ黙れ。うるさい。お前のことなんかどうでもいいんだよ。教えてやる、お前は無価値だ。記憶に残す方が罪なくらい、どうでもいい存在なんだ」
「なん、えっ、そんなに言う……? どこでキレたの? コーマックのスイッチ分っかんな……」
「なら放っておけ。そう、何度も言ってる。……どうして構うんだ、お前は」
「友達になったし」
「フン。そのわりに、俺に酒をやめろと言わないじゃないか」
「いや散々言ってるんだけど? ああ、酔っ払いに記憶力を求めるのも酷か」
「違う。酒自体やめろとか禁酒しろとか、そういうことをお前は言ったことがないって話だ」
「それはほら……生きてたら飲みたい時もあるだろうし?」

 世の中って色々あるよね〜、と独りごちながらテーブルの端に置いてあったボトルからワインを注ぐ。お気に召さなかったのか、瓶の中身はまだまだたっぷり残っていた。

 コーマックはお口も素行も悪いけど、元のお育ちがいいからか酒を選ぶセンスが抜群にいい。いつも勝手にご相判に預かっているのは、回収目的以外にもそういった理由があったりする。えへ、いい思いをさせてもらってます。
 深いコクのある風味のワインを舌で転がしながら、自分で選んでいたらこうはいかなかったなと満足感に浸る。コーマックが酒のアテとして頼んだであろうチョコを口に放って、華やかなマリアージュを楽しんだ。

「――『エレナ・ワイアットは辛い瞬間に颯爽と現れ自分を慰めてくれた、偉大なヒーローだ』」
「……はっ?」

 ――なんてお気楽に晩酌していたところに、突然爆弾が落とされた。手元が狂ってうっかりワインを零しかける。コーマックは退屈そうに私を一瞥し、肩を竦めた。

「お前が名前も覚えていなかった俺の妹が、そう何度も話していた」

 およそあの――つい数十秒前にあんなに酷いことを言ってきた、あのコーマック・マクラーゲンの口からでたとはとても思えない台詞だ……と引いていたら、やはり彼の言葉ではなかった。コーマックは「夏に家へ戻ってからずっと、四六時中な」と皮肉げに頬を持ち上げて付け加えた。その笑みと声には、どこか自嘲が滲んでいる。

「あんな――今から大勢の人間が命を落としていくであろう、あんな状況で、お前は妹へ弾けるチョコレートなんかを握らせたらしいな? お前らしい能天気さだ。あいつはずっと甘いものが苦手だったんだぞ。家族がどれだけ勧めても拒否するばかりで。……なのに、そんなリーナは今では毎日欠かさずチョコレートを幸せそうに口へ運んでいる」

 命を落とす。あんな状況。チョコレート。
 一つずつ単語を拾っていくと、一人の少女の姿が結びついた。暗い大広間で泣き腫らした目をしていた、ちいさな女の子。そうか、あの子がコーマックの妹――アイリーン・マクラーゲンだったのか。あの後は色々とあり忙殺されていたし、こうして改めて教えられるまで復学以降見つめてきていた子とイコールになっていなかった。

 数ヶ月越しに判明した事実に密かに驚いていると、コーマックがチョコレートを一粒摘み上げた。口の前まで持っていき、ピタリと動きを止める。チョコレートを持ったままの手は、だらんと自身の膝の上に落とされた。コーマックは、指の熱でみるみる形を変えていくチョコレートを、何の感慨も浮かばない無機質な眼で見つめていた。

「起きてる時だけじゃない、寝てる時だってお前の名を口にしては微笑む」

 返事は求められていないと感じたので、私は黙って耳を傾けた。コーマックも口を噤んだ。
 何も言わず、まだ摘みっぱなしのチョコレートをすり潰すような動きで弄っている。溶けた茶色で、コーマックの指先が汚れていく。
 食べ物で遊ぶのはさすがに……と我ながら空気の読めない発言が口をついて飛び出しかける、が、口を開いたタイミングでコーマックがチョコレートを自身の皿へと置いたので、私は再び沈黙を貫くことにした。着席。ずっとしてるけど。
 無言のままおしぼりを差し出したが、コーマックは茶色く染まった指先を見つめるばかりで受け取ろうとしなかった。

「――俺はあの日、戦わなかった。怯える妹とともに、『例のあの人』の勢力が迫るあの城に背を向けた。ただの一度も振り返らず」

 淡々とした口調で、先程よりも温度がない。鈍い重みを感じる声音だった。

「この事実を家族に責められたことはない。両親からはむしろ妹を連れ無事に帰還したことを涙ながらに褒められ、感謝された。ただ――」

 コーマックは口に出すのを躊躇うかのように一度グッと言葉を詰まらせてから、喋るのを再開した。

「ただ、話すんだ。妹は。勇敢だったお前のことを。城を守った者たちのことを。目を輝かせて、頬を紅潮させて、恍惚と語る。毎日、毎日……」

 自分を落ち着けようとするように、コーマックは短く息を吐いた。その肩は荒く上下し始めている。話を続けさせるのは良くない気がして制しようとしたが、瞬間圧するようにきつく睨みつけられたので渋々引き下がった。

「……次第と、家にいるのが嫌になった。かといって行きたい場所もなかったから、ただなんとなくパブへ立ち寄った。酒を飲むと気分が高揚して、水の中にいるみたいに周りの声も聞こえなくなって……その内に割れるような頭痛や呼吸ができないほどの吐き気がしてきて――」

 ジョッキの持ち手に引っ掛けていた方の指先が震えていることに、自身でも気が付いたのだろう。コーマックは腹立たしげに歯を食い縛って、ジョッキに触れまいとするように拳を作った。

「それでも飲み続けたら、頭痛も吐き気もあまり気にならなくなって、ますます気分が良くなった。酒を飲めば余計なことを考えずに済むのだと知った。でも酒が抜けると……麻痺していた感覚が一遍に襲ってくる。頭痛と、吐き気と……――声が、する」

 話すうちに拳が解かれ、やがてたどたどしい動作で持ち上がる。大きな手のひらをべったり押し付けるようにして、コーマックは自身の顔を覆い隠した。

「声がするんだ」

 周囲は繁盛した夜の酒場らしく喧しい。けれどコーマックの蜘蛛糸のように細く震えた声は、不思議なほどに私の耳へよく届いた。

「声は、言う。“お前は逃げ帰った臆病者で恥知らずだ”と。俺が俺を責める声が――俺だけが、俺を責める、そんな言葉が……止まない鐘のように頭の中で響き回る。それが――」

 息苦しそうに声が途切れ、少しの沈黙を置いて顔を隠していた手がゆっくりと外された。晒された頬が頭上の灯りで照らされる。透明な線が二筋光っていた。浅い呼吸をしながら、コーマックは酸素を求めるように、色を失った唇を数度細かく戦慄かせた。

「どうしようもなく――苦しい。恐ろしい。……だから俺は酒を飲む。飲むしか、もう、なくなった」

 息も絶え絶えに喋り終えたコーマックは、深く息を吐き出して脱力する。それから緩慢な動きで前へ倒れるようにテーブルに両肘をついた。ぐったり下がっていく頭蓋を、守るように手で支えた。

 そんな消沈しきったコーマックを前に私が思ったことといえば、

「(お……重い)」

 これだった。
 あけすけであんまりで、余りにも友人甲斐のない感想すぎる。でもどうか許してほしい。だってこんな急にぶっ込まれるとは思っていなかった。心の準備がなかった。いつも通りグダグダ話して適当なところで帰す予定だったから……。
 クタクタになって縮んだ皿洗いスポンジのようになってしまったコーマックへかける言葉が見つからない。かといってこの落ちた肩を撫でてやり慰める、というのも私たちの間柄的に違う気がした。

 なにを、何を言ったら……。励ますとかそういう類のことに成功した実績がいまいちない。そもそも励まされてばっかりだから励ます側に回るのも――……あれ、もしかして初めて?!

 励ましビギナーだとしても、深く項垂れた暗い姿をこのままにしておくわけにはいかない。
 混乱しながらも、そもそもなにが切っ掛けでこんなしんみりした空気になったんだっけと思い出してみる。やりとりを順繰りになぞっていくうちに、ふと一つの可能性に辿り着いた。

「アルコホーリクス・アノニマス」
「……なんだって?」

 脈絡もない私の詠唱に、おしぼりで顔を雑に拭っていたコーマックはぽかんとした。

「アルコホーリクス・アノニマス。知ってる?」
「……知らん」
「そういう断酒会とはまた別の……飲酒をやめたい人達が集う自助グループがあるんだって」

 コーマックはもしや、アルコールに頼る生活をやめたいのではないだろうか。
 励まし方法を思案していた私は、当初のやりとりと先の告解じみた独白で、そういった結論に行き着いていた。私に禁酒を呼びかけてほしそう、だった気がする。本人にそういう意欲があるのなら、と私は最近知った団体の名を口にした。

 アルコホーリクス・アノニマス。無名のアルコールホーリクたち。通称AA。
 私も先日初めて知ったばかりなので、齧った程度の知識しかない。

「名前の通り、断酒会との大きな違いは匿名性。だから原則は個人参加になる。けど、もし本人が望むなら家族友人が同席を選択することも可能。それに会費も不要だし、参加しやすいんじゃないかな」
「……、そんなの……どこで調べたんだ。断酒とか、お前には一切縁のないことだろう」
「病院勤務の関係者に軽く聞いた。もし興味があるなら自分で……や、私も手伝っていいなら手伝うけど、ただほら、私の手なんて借りたら? マクラーゲン殿的には『あの性悪女があることないこと周りに吹聴するかも』とか要らない心配や気苦労を背負っちゃうんじゃないかな、とか……思ったりしたんだけど、なにその顔?」

 コーマックはレタス喰い虫を山盛りプレゼントされたみたいな顔をしていた。絶望的すぎるセンスにドン引きしてるみたいな顔。コーマックは疲れきった重たい溜息を吐きながら、眉間に生まれた渓谷のように深い皺をグリグリと親指で揉みほぐした。

「……お前はいつもそうだよな? いつも、そういう必要のない――わざわざ露悪的に振る舞わずとも喋れるくせに、意図して虫唾が走るような戯言を言って敢えてムカつかせる。この際だから教えてやるが、お前のその気遣いは空回りしかしてないぞ」
「? ……?? ???」

 何言ってんだこいつ? 
 そんな大層なこと考えて話したことは人生で一度もない。全て本心で話しているのに一体どこに気遣いの要素を見出したのか。謎すぎる。うん、やっぱり何言ってんだこいつとしか思えないな。
 さては妹さんにつられてコーマックも若干いいように私の事認識しちゃってるな?……ああ、前に言ってた『英雄』だなんだって妹さんの影響か。なるほど、可哀想に。人の価値観はそれぞれだが、それはちょっと毒されすぎというか刷り込まれすぎだ。もしかしてコーマックって妹さんが大好き? 微笑ましい一面を知った。そういう所をもっと全面に出していけばいいのに。

「表情含め貶してる感がものすごいけど、でも要は褒めてくれてるってことでオーケー? よく分かんないけどありがとう!」
「貶してるに決まってるだろ。……そうさ、お前のことなんて貶してやりたいさ。だってのにままならなくてウンザリする。素直に罵倒も感謝もさせない見事な手口、天晴れでご立派で有難いね本当に」
「あのさ、さっきから言ってる意味が正直全くよく分かってないんだけど……」

 禁酒してる?(笑) て感じでむしゃくしゃしてるコーマックへ、控えめに前置きをして様子を伺いながら口を開く。少なくとも落ち込みからは回復したようだし、初の励ましミッションは成功といえるのでは? 達成感を覚えながら、私も励ましモードから通常運転へと対応を切り替える。

「とりあえず私はきみの罵倒でいつもわりとしっかり傷付いてるから安心してほしい。十分貶せてるから自信持って。それ以上言葉の棘を鋭利にされたらショックで家から出られなくなると思うし」
「で、お前の補助職員の話も消滅?」
「そうなるね」
「願ってもないな。なんの罪もない大勢の生徒たちが救われる」
「その時は妹さんに直訴するから」
「ハ、減らず口め」

 コーマックは薄く笑いながら流れるようにジョッキを傾けようとしたが、寸でのところで耐えた。そっとテーブルは戻し、上げる両手を顔の横で構える。ハンズアップの姿勢だ。彼が我慢できたことに私は拍手して賞賛を示した。偉大な一歩だ。

「で、そのアルなんたらってのはどこでやってるんだ」
「ごめん、私も聞いただけだからよくは知らない」
「つっかえねえな」
「さっきの拍手返せ」

 コーマックは酒のかわりとばかりに、形の崩れたチョコレートを数個口へと放った。

「……俺はあの時逃げた自分が悪かったなんて思いたくない。その瞬間の自分の命を大事にしたことが間違いなわけあるか。――そうだ、きっとそうだ。だから、行くんだ」

 自身へ言い聞かせるようにそう呟くのが耳に入ったので、私は「いい考えだね」と素直に感嘆した。が、胡散臭そうに目を細められた。

「どうせそうやって肯定しときゃいいと思ってんだろ」
「そんなことない、本心だよ。この世で最も簡単で醜悪なことは『自分を許せないふり』をすることだし。だから自分を許せるってものすごく凄い――……こと、だと、私は思ってます。もちろん状況にもよるけど。尚これらは全て一個人の見解になります」
「……ふぅん」

 うっかり熱を入れて語ってしまった。早口の補足に返ってきたのは軽口ではなく意外そうな相槌で、ますます居た堪れない心地になる。気まずくなったので残り少ないワインを一気に飲み干した。「俺の前でよくやるな」と呆れられたが関係ない。だって私は別に禁酒の決意なんてしてないので。……いややっぱりしようかな? コーマックとの付き合いで飲酒量が増えたのはたしかだ。それに数日前からのファッジ生活のせいで体重もちょっと、アレだ。とにかく生活習慣の改善は私にとっても必要なことかもしれない。

「そうだこれ、良ければご家族でどうぞ」
「は?……は?!」

 とりあえず今日はお開きの流れとなったので、会計中のコーマックへ用意していた二キロのファッジを持たせ、私は一足先に帰宅した。
 

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