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厄年なのかもしれない。
ぐでーっと机に頬を押し当てて、ぼんやり窓を眺める。アンブルが楽しそうに大空を旋回しているのが見えた。いいな、私も空飛んでみたい。箒もいいけど、あれはほら、脚が筋肉痛になっちゃうし。ちょっと苦手。もしアニメーガスになるならフクロウにしよう。なる気はないけど。
アニメーガスといえばほんと『あの人』どうしようかなぁ……もう今年じゃん。えっ時間過ぎるの早くない? だって二年になったのもついこの間のことみたいで……あ、石になってたっていうのもあるからか。というか結局昨年度もハーマイオニー助けるとかいって全然できなかったし。
ああもう、全てが上手くいく手っ取り早い方法とかないのかな。なんて狡いことを暫し思案してみるも、私の矮小な脳みそじゃそんな高度な演算はできなかった。一瞬で白旗をあげた。助けてグーグ〇先生。もしくは知恵袋さんでも可。しかしどれも所詮は脳内会議。どの検索エンジンも当然役に立つわけがない。
真面目にやれと各方面に怒られそうだが、私だってこんなふざけた真似してないでさっさと有効な対抗策考えたい。でも何一ついい案が見つからないのだ。もう頭から煙がでそうなくらい考えた。しかし現実性のない案を思い付いては自分でダメだししてまた考えて……とエンドレスループでぐるぐるぐるぐるぐーるぐる おらこんな村〜いやだ〜〜おらこんな村、……だめだ、集中切れた。
とっ散らかった思考に蓋をするように息を一つ吐いて瞳を閉じる。
そうすると、思い返されるのは今から約一か月前のことだった。
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「もうあの学校へ行くのはやめない?」
「……どうしたの、お母さん」
八月に入った頃、ホグワーツから新しい学期についての手紙が送られてきた。買うものリストを広げて父といつ買いに行こうかと話しているとき、母がぽつりとそう問いかけてきたのだ。
父と二人で顔を見合わせる。その顔には『やっぱり』という感情がありありと浮かんでいた。きっと私も似たような表情なんだろう。
心配性な母親。娘を得体の知れない学校へと送り、離れて暮らすというのを渋ったそんな彼女が。『娘さんは秘密の部屋の怪物に襲われました。今は石になっています』と伝えられて平常心を保てるかどうか。答えは言わずとも分かるだろうが──敢えて言おう、ノーであると。
クリスマス休暇明け、叔父から説明を受けたとき、母は酷く取り乱して学校へ乗り込んで石になった私を連れ帰ろうと暴れたそうだ。それはもう闘牛の如き迫力だったとかなんとか。(叔父談)
しかし固まったままの私を連れ帰ってどうするつもりだったのだろう。甲斐甲斐しく看病でもするつもりだったのだろうか? それはそれで闇が深くて怖い。薮蛇はごめんだからと父と私で話し合ってつつかないことにしたので真相は不明だ。数十年後とかに笑い話として聞けることを祈って……いや数十年後でも怖い、一生聞かなくていいや。知らなくてもいいことって、世の中いっぱいあるしね!
まあとにかく、夏休みに至るまでにそんな経緯があったわけで。だから私と父はなんとなく予想してたのだ。母が私をもうホグワーツへは行かせたがらないんじゃないか、と。
「あれは私の不注意というか……とにかく事故なんだから」
「そうかもしれないけど……でも二度とあんなことが起こらないとは限らないでしょう? 現に二回目らしいじゃない」
再三した説明を繰り返す。当然反論された。それも割とぐうの音も出ない意見で曖昧な笑みを浮かべるしかない。でもほら、三度目はないことは確約できますから……少なくとも私が在学してる間は。しかしそんなこと言えるわけもない。不安そうな顔になんと言葉をかけていいか分からなかった。押し黙っていると母は口端をぐっと上げて歪な笑みを作りあげる。
「魔法とか魔術とか、そんなこと知らなくったって生きていけるわ」
「……でも知ってた方が人生楽しそうだなって私は思、」
「楽しいかどうかで判断するのは間違ってるわ! だって一度しかない人生なのよ? 死んでしまったら元も子もないもの!」
私の主張はどこかヒステリックな色を含んだ叫び声に遮られる。母の言いたいことも分かる。分かるが、『一度しかない人生』だからこそ楽しいことをしたい。それは『二度目の人生』を送っている私だからこそいえることだと思う。
一向に納得した様子を見せない私に母は痺れを切らしたのか、膝をついて私の肩を摩るように掴んだ。そして安心させるように優しい声音で語り掛けた。
「あなたが石になっている間ね、近くのスクールを探しておいたの」
「……え?」
「あなたは頭がいいから今からでもきっと遅れを充分取り戻せるわ。ね、だからそこに行きましょ?」
「ちょ、ちょっと待ってよ、私は、」
「大丈夫、大丈夫よ。私たちが近くで見守っていてあげるからね」
近くのスクールだって? そんなこと聞いてない。父を見ると彼も驚いた顔をしていて、これはつまり母の独断だということが窺える。改めて母を見れば、心なしか目が虚ろで頬もコケている。しかし肩を掴む力だけは異様に強くて痛いほどだった。
最近、やけに元気がないなとは思っていた。食事もあまり食べてなかったし、夜も眠れてないようだったから。襲われたことで心配をかけてしまったということは分かっていたが、しかしまさかこれほど不安定になって衰弱してしまうほどだったとは。この母の提案は、彼女が色々思い詰めて、たくさん悩んで、必死に考えた結果なんだろう。
そういうふうに、母の気持ちを汲むことは容易だった。一応見た目以上の年齢を生きているんだから、『母親』になったことはないけれど想像することくらいはできる。大事な一人娘を蝶よ花よと育てて玉のように可愛いがりたいと思うのは当然だと思う。
……そう、分かってはいるはずなのに。
こちらの意見をまるっと無視して勝手なことばかりいう母に段々と苛立ちが募っていく。どうしてだか、自分でも抑えきれなくなりそうなほどに、それはふつふつ熱を増した。カタリと背後で花瓶が揺れた音がする。
「それに最近はなにかと物騒だし……ほら、殺人鬼とか」
「でもホグワーツより安全な場所はグリンゴッツ以外ないよ。それとも私を金庫に閉じ込める気?」
「安全だ安全だと言うけどその安全な場所であなたは襲われたんじゃない! また石になるために学校に行く気?!」
「だからそれは解決したって何回も説明されたでしょ?!」
うんざりとした調子を隠しもせずにそう言い放つ。それと同時に窓がひときわ激しくガタガタと唸った。風が強くなってきたようだ。ちらりと外を見遣ればどんよりとした黒い雲が空で渦巻いていた。さっきまで晴れていたのに、急に天気が悪くなっている。山付近だからよくあることだけど。雨が降り出す前に洗濯物仕舞わなきゃ。そのためにもこの無意味な論議にさっさと決着をつけたい。
「じゃあお母さんの傍にいれば石にならないの? 殺人鬼に会わない? そんなこと確約出来る? できないよね」
「それでも近くにいればきっと助けられるわ!」
「馬鹿なこと言わないでよ、そんなの無理に決まってるじゃん!」
「っ……あなたのためを思って言ってるのにどうして分かってくれないの?!」
「それはこっちのセリフなんだけど!」
ピリピリとした嫌な空気がダイニングに蔓延する。両者とも冷静さを失っていた。轟々と風の音が強くなっている。暫く睨み合っていたが、不意に母がぱっと立ち上がり素早くこちらへ手を伸ばした。
「返して!」
「これは私が預かります。そして学校へお手紙を書くわ。『もうエレナはホグワーツへは行きません』って」
「なっ……!」
手紙を私から奪って届かないように高く上げ、冷たく見下ろしてくる。ひどい、なんでそんなこと。あまりの勝手さにカッと目の前が赤く染った。怒りで顔に熱が集まる。
頭は沸騰しそうなのに、身体の芯はなぜか恐ろしく寒かった。栓が抜けてしまったかのように、どんどん体温が下がっているような気さえしてくる。加えてドクンドクンと耳の奥で響く心臓の音がひどく不快で眉間を痛いほど寄せる。全身を取り巻く寒気と震えを振り払うように、衝動のまま声を大きく荒らげた。
「いい加減にしてよ!!」
「痛っ……?!」
「え……」
そう私が叫んだ瞬間、シュッと手紙が素早く母の手からは滑り落ちる。まるで意思があるような動きだった。小さな呻き声とともに開かれた手のひらにはは鮮やかな紅色が線を引かれていて、ぱっくりと大きな割れ目を作っていた。
その赤に驚き数歩後ずさってテーブルに手をつく。しかし手がテーブルに触れた途端バキッという大きな音をたてて真っ二つに割れてしまった。慌てて振り向き、テーブルだった木片を前に呆然と立ち尽くす。粉々になった桃色の陶器とフローリングに広がる水溜まりに、無惨に散らばった花。テーブルが割れたんだから、当然花瓶も壊れてしまった。せっかくお母さんと選んだ花瓶だったのに。
今度は窓がカタカタと動き始めた。振動はどんどん大きいものへと変わっていく。しかしその揺れは唐突に止まり、部屋はあっという間に静寂に包まれた。何かはわからない、でも何かが終わったんだと、誰もが安堵のため息を吐いた。
その油断を、待っていたかのように。
「危ない!」
「プロテゴ!」
部屋中の窓ガラスが一斉に割れて砕け散る。強風に煽られた大粒の破片たちは私と母へ向かって降り注いだ。
視界を埋め尽くすキラキラとした光の欠片。
鼻腔をくすぐる土臭の湿った臭い。
耳に届いた父の叫び声。
それから誰かが呪文を唱えた。
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