10



「ハグリッドの授業、楽しみだね!」

 昼食も終えて、ハグリッドの小屋をめざし坂をくだりながらネビルに話しかける。ネビルは曖昧に頷きながらも抱えた本を不安そうに見遣った。

「でもちょっと怖いかも。教科書もこんなだし……」
「そう? 意外と面白かったよ」
「……え? エレナ、あの本読めたの?!」
「え? いや全部は読んでないけど……あ、ごめん!」

 驚くネビルに首を傾げる。イラスト多めで分かりやすい内容だったと思うんだけど……そこまで考えて彼の教科書を見てハッと気が付く。本の開き方、まだ教えてなかったんだっけ。だから今ちょっと話が噛み合ってなかったんだ。全部読むなんてハーマイオニーじゃあるまいし私にできるわけ……と思っちゃったよ。

「背表紙を撫ぜればいいんだって」
「撫ぜる?」
「叔父さんがそう言ってたの」

 ネビルは半信半疑で背表紙に手を滑らせる。ぐるぐる唸っていた彼の本は、一瞬大きく身震いをするとピタリと動きを止めて静かになった。本としての役目を果たせるようになった教科書にネビルは感嘆の声をあげる。

「あ、ほんとだ面白そう……でもこんな開け方、普通分からないよ」
「リストに書いといてくれたらよかったのにね」
「ほんとだよ……」

 疲れたようにネビルがそう呟く。あれ、でもネビルはリスト無くしちゃってたから仮に書いてあったとしてもあんまり意味がなかったんじゃ……、……まあ言わなくていいこともあるよね。



 ハグリッドは禁じられた森から五分ほど歩いた場所にある放牧場まで私たちを連れて行った。みんなを柵の周りに集め、見回す。

「ちゃんと見えるようにしろよ。さーて、イッチ番先にやるこたぁ、教科書を開くこった──」
「どうやって?」

 ドラコが冷たい声で聞く。何を聞かれているか分からない、という顔でハグリッドが「あぁ?」と自分よりずっと下にある顔を見下ろした。

「どうやって教科書を開けばいいんです?」

 ドラコ、ちゃんと敬語を使ってるの偉い! それが例えしぶしぶ、っていう不服が全面にでてる声だとしてもとりあえずは偉い!
 ドラコの質問にポツポツと同意するようなさざめきが漂う。グリフィンドール生ですら質問の声にホッとしたような顔をしていた。

「だ、誰も教科書をまだ開けなんだのか?」

 あからさまに狼狽え、がっかりするハグリッドにネビルと二人おずおずと手を挙げる。パッと目を輝かせたハグリッドがちょいちょいとこちらへ向かって手招きをした。え、行くの……? ネビルに軽く押されたので一人で傍に近寄る。集まる視線に自然と背筋が伸びた。
 ハグリッドは、ベルトもなしに大人しくしている私の教科書を見て、嬉しそうに笑う。

「どうやって開けた?」
「せ、背表紙を撫でました」
「そうだ! グリフィンドールに五点!」

 加点されると同時に背中をばしばし叩かれた。五点だから五回叩かれたの? そういう制度だったっけ?? 痛みに耐えながらネビルの隣へと戻る。……そういえばハグリッドの『撫ぜりゃあいい』って台詞、なくなっちゃったな。好きだったのに、あの台詞。

「どうだ、愉快なやつらだろう?」

 満足げに教科書について語るハグリッドの話を聞いていれば不意にドラコと視線がかち合う。少し恨めしそうに睨まれた。な、なんで? もしかして開け方教えなかったからだろうか。別に意地悪して教えなかったわけじゃないから許してほしい。こちらも視線だけでそう訴えてみる。

「……よし、それじゃあ次は魔法生物だ。そんじゃ、連れてくるから待っとれよ……」

 教科書について、一通りの説明を終えるとハグリッドは大股で森へと入り姿を消す。

「まったく、この学校はどうなってるんだろうねぇ。あのウドの大木が教えるなんて、父上に申し上げたら、卒倒なさるだろう──」
「黙れ、マルフォイ」

 誰かに聞かせるように、ドラコが声を張り上げた。原作では教科書が開かない段階から煽ってたけど今回はなかったし大人しくしてくれるのかなと思ったけど……ハリーがいるのにドラコが大人しくするわけなかった。知ってました。ラベンダーが甲高く叫ぶまで言い争っていた二人を見ながら、小さくため息を吐いた。

 金切り声をラベンダーを筆頭に、悲鳴のようなざわめきは生徒たちの間を伝染していった。ハリーとドラコですら言い合いをピタリと止めて、二人揃って顔から血の気をサッと失っている。仲良し。いつもそうあってほしい。


 薄暗い森の奥から現れたその群れは、確かに見る者に対してかなりの威圧感を抱かせる。

「(でも、叫ぶくらい怖い生き物じゃないと思うんだけど)」

 気まぐれな木漏れ陽が先頭にいる一頭の身体を銀色に煌めかせた。雨上がりの雲を太陽が柔らかく撫でたような輝きに目が離せなくなる。

 そんな『彼』にぼうっと見惚れていると、唐突にその橙色の双眸が私を捉えた。突き刺す視線の鋭さに思わず身が竦む。逸らすこともできずに硬直したまま見つめあっていたが、興味が失せたのかあちらの方からふいと頭ごと視線を外された。
 ……魔法界の『蛇に睨まれた蛙』枠に『ヒッポグリフに睨まれた人間』があったもいいと思う。バクバクと鳴る心臓をそっと抑えた。

「ヒッポグリフだ! 美しかろう?」

 戸惑い、怯える生徒たちをどう捉えたのか、ハグリッドは誇らしそうに顔をにんまりさせた。ハグリッドの言葉を否定するように、シン、と辺りが静まり返る。ネビルも、「分、からなくもない、けど……」とどちらかといえば未知の生物に対する不安の方が勝っている様子だ。

「よし──、誰が一番乗りだ?」

 その言葉にネビルが私の腕を掴んで後ずさる。周りのみんなも同じようにヒッポグリフから距離を取ろうとしていた。……ちょっと挑戦してみたいけどここはハリーの見せ場だし……というかそれ以前にネビルのガードが硬くて抜け出せなさそう。

 そんな生徒たちにハグリッドはしょぼ、と目をぱちぱちさせた。な、泣きそう……やだ、早く行ってあげて! そうハリーを見れば彼は困ったように数度瞬きをしてからキュッと表情を引き締め口を開いた。

「……誰もおらんのか?」
「僕、やるよ」

 柵の中で対峙し合うハリーとバックビークを見つめる。
 彼らの深緑と橙色が重なり合うさまはさぞ綺麗なことだろうと、ぼんやり思う。決して視認することは叶わないけれど、だからこそ。


 『助ける』だなんて烏滸がましいし、もとより私が彼に対してできることなんて殆どない。
 だけど、ほんの少しだけでもいいから力になれれば、なんて。


 とりあえず今は、

「私も背中に乗せてもらえるくらい仲良くなりたいかな」
「正気か?」

 雄叫びをあげながら空へ飛び上がったハリーとバックビークを見ながらなんとなしに呟けば、シェーマスにドン引きされた。切ない。



 頭を下げて縋り付くように情けなく見つめる私と、そっぽを向くヒッポグリフを前に、ハグリッドが低く唸る。

「お前さん、あんまり動物に好かれん質みたいだな」

 意気揚々と柵を超えてから、十数度目の挨拶の失敗。
 それを見届けたハグリッドはバッサリと、躊躇なくそう言い放った。

「好かれ、…………ええ?!」
「なんだ、自覚はなかったのか」
「な、なかったです……」

 ない、というかハグリッドの気の所為なんじゃ……だってアンブルもトレバーも普通に接してくれるし……ま、まあふくろう小屋に行ったらふくろうたちの視線が突き刺さってちょっぴり肩身狭いなとか思うことも、なくはないけど……で、でもそれはみんなそうでしょう?

「うーん、僕はないかも」
「うそ?!」
「そもそもあのヒキガエルはちと鈍いからなぁ」
「……確かにスキャバースやクルクシャンクスともあんまり仲良くないような?」

 真剣な顔のネビルに追い打ちをかけられる。スキャバースが懐かないのは中身が人間だからだろうしクルクシャンクスとまだ仲良くなれないのは元々彼女がそういう性格だから、なはず……。

 試しに、ともう一度ヒッポグリフに向き直ってみる。が、コンマ一秒で威嚇された。

「…………今から授業変更ってできないよね」
「俺の前でなんてこと言うんだ……」

 ついこぼれた私の本音に、ハグリッドはがっかりした声をだす。心なしか大きな体がしゅんと小さく見え、慌てて謝った。ドラコにあんなこと言っておいて初回の授業を私が台無しにしてどうするんだ。


 しかしこれ、かなり前途多難だ。動物に好かれない人間が履修できる科目だろうか、これ。……楽しみにしてたのにな、ハグリッドの授業。まさかそんな体質だったとは夢にも思わなかった。……やっぱりマクゴナガル先生に履修変更の相談したほうがいいのかな。

「どうしたの?」
「……ネビル」

 黙り込んでいると、ネビルが不思議そうに小首を傾げた。名前を呼ぶ声は自分でもびっくりするくらい小さいものだった。少し驚いたように目を丸くした彼だったが、すぐに眉を垂らして微笑んだ。

「エレナならきっと大丈夫だよ」
「え……」
「だって絶対に全動物に嫌われるってわけではないだろうし」
「……そうかな」
「そうだよ、だってトレバーとも仲良くしてくれてるじゃないか。だからヒッポグリフだってきっとすぐ慣れてくれるよ」

 ほんとかなぁ? なんだか変に自信満々だ。猜疑の眼差しを受けたネビルは、「それにほら、僕だってまだ全然だし……」と、困ったように頬を掻いた。

「だから、一緒に頑張ろう?」
「……」
「ね……?」

 自信満々だったのがだんだんとしゅんと萎んでいき、しまいには窺うように視線を合わせてきた。い、今は同い歳だとはいえ本来の年齢的にはずっと歳下の子にこんなに気を遣わせてしまっている……なんて情けない……申し訳なさで胸が張り裂けそうになった。

「わ、分かった、頑張る」
「本当? よかった!」
「うん……、……そう、それに私は勇敢なグリフィンドールの生徒なので! このくらいの壁乗り越えてみせる!」
「おお、その意気だ!」
「厄年なんかに負けない!」
「厄年……?」

 おー! と手を挙げやる気を表明する。ネビルはネビルで色々頑張ろうとしているのに私が簡単に諦めようとするなんて! ちょっと好かれないくらいでくよくよしてはいけない。グリフィンドールに入ったからにはネバーギブアップ精神を持ち続けなくては。

「よし、ほんじゃあエレナはまずバックビークで練習していくか!」
「タイムで」

 いやタイムで。
 

- 44 -
 ←前 次→
 back
 >>HOME