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◆◆◆
「え、エレナ来ないの?」
「吸血鬼のレポートで気になるところができたからやり直したくて」
「それなら私も一緒に残って──」
「だめでーす、ハーマイオニーは絶対ホグズミードに行ってください」
玄関口でネビルとハーマイオニーにそう伝えると、2人は顔を見合わせた。ハーマイオニーの言葉を遮って、彼女の肩を掴んで反転させる。ハーマイオニーには息抜きが必要だ。こんなにいい春の日、しかも恐らく試験前最後のホグズミードの日にまで勉強なんてさせられない。
「ハーマイオニーが課題を完璧以上に仕上げてるのは知ってるんだから」
「でも輸血パックを飲んだ時のアレルギー反応に関しての論文の私見でまだほんの少しだけど根拠の薄い部分があって……」
「待ってなにその論文……?」
「え、僕も読んでないんだけど……?」
「…………と、とにかく、ネビル、ハーマイオニーのことちゃんと連れてってあげてね」
彼はまだ論文のことが気掛かりなようだったが、それでも迷ってから「分かった」と頷いてくれた。ありがとう、論文は私が探しておくね。こちらを気にしながらも遠ざかっていく背中を最後まで見届けて寮に帰ろうと校舎に戻る。しばらく無心で歩いていたが、不意に頭がぐらりと揺れた。立っていられなくなり、つい石像のそばに膝を抱えてしゃがみこんだ。
「(階段の途中じゃなくてよかった)」
動く階段で倒れたりなんかしたら大事故だ。それでもし死んだら私はここのゴーストの一人になるのだろうか。なんかカッコイイ二つ名とかつくのかな。落下のエレナとか? あ、ダサいなこれ。
馬鹿なことを考えながら、魔女の石像に寄りかかる。石像特有の冷たさが気持ちよかった。緩慢に瞼を下ろす。うーん、もしかしたら微熱のエレナかも。さっきより酷い名前になった気がする。
「……えーっと、エレナ? さっきからそんな所でなにしてるの?」
「……ん?」
少しうつらうつらとしていれば、恐る恐るというふうに声がかけられる。ハリーが角からこちらに向かって歩いてきていた。その表情はなぜか曇っている。
「ちょっと眠くなっちゃって」
「こんな場所で?」
「そういうこともあるよ。ハリーこそ、なにかあったの?」
「いや、僕は、えっと……」
言葉を探すハリーの手がもじもじとポケットをいじくった。続きを待っていれば、頭上に大きな影が落ちてくる。それと同時にハリーが『嫌なものを見たぞ』というように顔を僅かに歪めた。
「ここで何をしているのかね?」
低く落ち着いた声だ。するりと耳から入ってくる声色に首だけ回して振り返る。スネイプ先生は瞳だけで私を見下ろして「立ちたまえ」と言った。『こんな所に座るとはなんと行儀の悪い』って十点くらい減点されるに三クヌート賭ける。展開を予測しながら立ち上がった。
「奇妙なところで待ち合わせするものですな……」
「僕たち、待ち合わせしたわけではありません。ただ──ここでばったり出会っただけです」
じろじろと怪しむように睨めつけられ、ハリーが早口で弁明する。確認するような先生からの視線に同調の意味を込めて首を縦に振った。事実その通りなので。
「ほう? 人を待っているように見えたが」
「いえ、ちょっと立ち眩みがしたので休憩していただけです」
私がそう言うと先生は「立ち眩み」と馬鹿にするように繰り返す。
「最もな言い訳だ──」
「マグルが立ち眩みになってはおかしいですか?」
思いがけず試すような物言いになったことに言ったあとで気付く。ハリーが小さく息を呑んだ。片眉をあげた先生の顔は少し驚いてるようにもみえる。先生はフンと鼻を鳴らした。
「ならばさっさと自分の寮に戻りたまえ。二人ともだ」
ハリーも私もそれ以上何も言わず、その場を離れる。特にお咎めも減点もなく解放されたことを意外に思いつつ角を曲がると、廊下の端にハリーのカバンが放られていた。え、イジメ?
「これは気にしないで。エレナ、体調悪いの?」
「あー……悪いってほどじゃないよ、少し熱があるなってくらいで」
「……医務室まで付き添おうか?」
「やめてよ、そんな大袈裟な。……でも静かなところに行きたいな」
どこがいいだろうか。図書室で休んでたら怒られそうだよなぁ……。
最後の方はもはや独り言だった。どこがいいかなと思案している内に、また立つのが辛くなってきて壁に寄り掛かる。できればもう少しどこかで休んでいたい。グリフィンドールの塔まで登っていく気力が今はちょっとない。
ハリーは少し考えて迷った素振りを見せたあと、周りを確認した。誰の気配もないことが分かると、ポケットからボロボロの羊皮紙を取り出した。
「それって……」
「……われ、ここに誓う。われ、よからぬことを企む者なり」
私のつぶやきには答えず、ハリーが羊皮紙を杖で軽く叩く。叩いた場所から広がったインクが紙全体に線を描いていく。ハリーは素早く全体を目でさらって「一階の空き教室だ」と呟いた。
「え?」
「そこなら誰もいない。ちょっと遠いけど、一緒に行こう」
ハリーは私の腕を引いて階段を駆け降りていく。急いでるのかひどく早足で、少しでも遅れたら巻き込んで転んでしまいそうだ。いや、確かに登るのはキツいって言ったけど、それは降りなら楽勝って意味では、ない……。
だがハリーがあんまりにも切迫した様子だったので何も言えず、転ばないことだけに意識を向けてただひたすら足を動かした。
そうして教室に辿り着いた頃には私一人息が上がっていた。そんな私を他所にハリーは「玄関ホールが近いから少し騒がしいかもしれない」と心配そうにホールを見つめていた。呼吸を整えて、最後にひとつ息を吐く。
「大丈夫だよ、ありがとうハリー」
「いいんだ、このくらい。君には色々お礼したかったし」
「お礼……」
「守護霊とかファイアボルトとか……あっいや、これはお礼のオマケみたいなもので、また今度ちゃんとした何かを──」
「いいよ、そんなの」
慌てて付け加えるハリーの声を遮って笑う。一番近くの椅子を引きながら、もう一度お礼を言うと、彼は居心地悪そうに微笑んだ。しかし壁にかかった時計をちらりと見た途端、その顔は焦ったものになる。「じゃあお大事にね!」とほとんど叫ぶように言うと、ハリーは脱兎のごとく教室から飛び出していった。
急いでたはずなのにわざわざ介抱してくれるなんて優しい。私の方こそ改めてなにかをお礼しなくちゃな。……というかどこに行くんだろう。ハリーはホグズミードに行けないはずなのに。
椅子にもたれて目をつぶった。
魔女の石像の方がひんやりしてたな……。
玄関ホールの方からドタバタという大きな音がする。無理やり破られた微睡みに頭が少し痛んだ。時計を見ると、ハリーがいなくなってから一時間が経つか経たないかくらいの時間が過ぎていた。
ふらふらと歩いて戸口から音の方を見れば、見覚えのあるプラチナブロンドがちょうど地下へと消えていくところだった。
「(追わなくちゃ)」
直感的にそう身体が動きだす。階段を下り、角を曲がったところでやっとその背中に追い付いた。
「ドラコ!」
「お前、どうしてここに……」
「なんだか様子がおかしいかったから……気になって」
私の声に、ドラコは立ち止まって振り返った。少し息が乱れている。驚いたように私を見つめた。
数ヶ月ぶり正面からちゃんと見たなと私も見つめ返す。よく見たら髪がなにかで汚れていた。私の視線に気付いたドラコは自分の頭をゴシゴシと袖で擦った。その仕草があんまり乱暴なものだから、慌ててドラコの手を止める。せっかく綺麗な髪なのに傷んだらどうするんだ。ハンカチを差し出せば、彼は気まずそうに受け取った。
「それで、どうしたの?」
「……そうだ、ポッター!」
ドラコが思い出して忌々しげに舌打ちをする。「アイツとウィーズリーが叫びの屋敷にいたんだ」とことの経緯を掻い摘んで説明してくれる。原作でそんな事あったっけ……。驚いた顔を作りながら記憶を探る。……だめだ、熱のせいか頭がぼーっとしてうまく働かない。
彼は不愉快そうに顔を顰め、ハンカチを握り締めたまま腕を組んだ。指先が神経質に腕をトントンと叩いている。
「あの卑怯者のポッターめ……。だがどんな手を使ったか知らないがあいつには許可証がない──ホグズミードにいたことがバレたらきっと罰則どころじゃすまないはずだ──」
独り言のつもりなのか、聞き取りずらかったがそんなようなことをドラコは言っていた。その頬は怒りからか紅潮していたが、次第に嬉々としたものに変わっていく。「試合にもきっとでられない」と小さく笑みを浮かべた。ここでもクィディッチの話……。聞こえた言葉にちょっと辟易とした。
「でもハリーならさっき会ったよ」
「なんだって?」
「一時間も経ってないかな、多分」
意識がふわふわとしている。まだ半分寝てるみたいだ。思ったことを思ったままに口にする。
「ここからホグズミードは往復で三十分近くかかるし、それにほら、叫びの屋敷だって結構遠いし」
「……それで?」
「だから、ハリーが叫びの屋敷にいたとはちょっと思えないっていうか」
「何が言いたい」
感情を無理やり押さえ付けたような声でドラコが問う。制御しようと努力しているようだったが、それでもその顔は強い怒りで満ちていた。初めて見る剣幕に思わず息が詰まる。
「お前は何が言いたいんだ」
彼はもう一度同じ調子で繰り返した。ピリピリとした空気に声が震えそうになる。あれ、私なんでこんなこと言ってるんだっけ。自分でもよく分からないうちに、口が勝手に動きだしていた。
「ドラコの、見間違いだったとか」
「──は、」
「……別に、先生に伝えなくてもいいんじゃないかなって」
わかりやすい擁護にドラコの表情が固まった。紅潮していた頬からみるみるうちに熱が引いて、青白いものへと戻っていく。
「それじゃあ、」
彼が小さく呟いた。口の端を意地悪く吊り上げる。そして「つまりきみはご存知だったわけだ」と冷たい声で言った。彼は全部分かったぞという嫌なしたり顔を作る。
「グルだったんだな? アイツが僕に悪ふざけをするのをどこかで見て楽しんでたのか?」
「ちが……知らないよ、そんなことしてない」
畳み掛ける彼に慌てて否定する。グル? 悪ふざけ? 本当に何の話か全く分からない。だが私が軽率なことを言ったことだけは確かだった。
ハリーを庇ったからだろう。向けられた瞳にははっきりとした侮蔑が渦巻いていた。私の言い訳を、ドラコは「へぇ」とせせら笑う。
「僕も知らなかったよ。きみがそんなに上手にシラを切れるだなんてな」
「そんな、私本当に──……ごめんなさいドラコ、私はただ、」
「僕に触るな!」
「いっ……」
「っ、この──」
自分でも何をどう弁解するつもりだったのか分からない。ただ"間違えてしまった"という気持ちでいっぱいだった。とにかく話を聞いてほしくてつい手を伸ばす。だがそれは勢いよく振り払われた。叩かれた場所がじんと熱を持つ。途中で切られた声には激しい憎悪が込められていた。
「この、穢れた──」
「なにを騒いでいる」
扉を開く大きな音がドラコの声を遮った。地下牢教室からスネイプ先生がでてくる。じろりと私たちを観察するように見た。
「我輩の寮の者が愚かしくも廊下で大声を喚き散らすなど、まさか有り得まい?」
「……、……あの、実はお話したいことが」
「すみません、失礼します」
少し声を張り上げる。頭を下げた私を、先生は一瞥するだけで何も言わなかった。踵を返し、その場から去る。二人の声を聞かないようにしながら足を早めた。
「……あ、思い出した」
これ、忍びの地図が没収されるイベントじゃん。
地下からもうずっと離れた、周りに誰もいない廊下で立ち止まった。動かすのをやめた途端、足の力が一気に抜けていく。壁を背にしてズルズルと座り込んだ。
体調不良だからホグズミードには行かなかったのに、なんだか今日結構歩き回ったな。なにしてるんだろう、私。笑いが洩れる。特段、なにが面白いわけでもない。
没収された忍びの地図でルーピン先生自身がピーターを見つけることがキーになるわけだし。ハリーもふざけ過ぎた自業自得の事件だし。じゃあ私、今回は特になにもしなくてよかったのか。なーんだ。まあ今更思い出したってなにもかも無駄なんだけど。
──『この、穢れた──』
最後までは言われなかった。言われなかっただと違うな。邪魔が入って言えなかっただけか。
なんにせよ、彼がなにを言いたかったのかは分かりきっていた。
「なるほどなぁ」
お茶の葉占いは間違ってなかったというわけだ。
そう言った声は、自分の声なのにどこかぼんやりしていて実感が湧かない。
夢現とした呟きは時間を報せる鐘の音に紛れて呆気なく消えた。
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