24
◆◆◆
ロンが小さく「狂ってる」と呟いた。その顔は先程より白くなっている。恐怖やショックだけじゃなく、出血が酷いせいでもあるだろう。
「どうかしてるよ」
「ピーター・ペティグリューは十二年前にお前が殺した!」
「殺そうと思った。だが小賢しいピーターに出し抜かれた……今度はそうはさせない!」
「証拠は?」
すーぐ実力行使。十二年越しの復讐に気持ちが急ぐのは分かるけどさぁ。
少し呆れつつ、シリウスがロンに飛び掛る直前にそう尋ねれば、彼は動きをピタリと止めた。今初めて私をしっかり認識したというようにじろじろと見つめる。
「スキャバーズが動物もどきで、正体がピーター・ペティグリューだっていう証拠はなに?」
「ネズミを渡してくれさえすればすぐに──」
「そんな力技以外で教えてよ。なにか確信があったからあなたは今更脱獄してきたんでしょう?」
促せばシリウスは口を噤んだ。いやなぜ。喋って、早く。スネイプ先生が動き出す前に。もどかしさに内心焦れる。だって透明マントの中で絶対杖構えてるでしょ、先生。
なんで原作で叫びの屋敷でスネイプ先生が合流したときシリウスの話を一切聞こうとしなかったのか。それは多分『裏切り者はブラック』『リリーの死の原因』だと強く思い込んでいたからだ。あ、あとシンプルに大っっっ嫌いっていうのもあるだろうね。
対面するとそんな憎しみで何もかもをシャットダウンしたくなる、というならば。今この隠れてる、少しは冷静な精神状態のときにある程度の事情を聞けばスネイプ先生も頭ごなしに否定はしようとはしないんじゃ……ないかな……しないと思いたいんだけど……なんかあんまり自信なくなってきた。目の前に仇(仮)がいて冷静になれてるのかな。今のところ隠れてくれてるし、まだ大丈夫だと信じたい。
黙っている間に少し落ち着いのか、シリウスは静かに「……前足だ」と言った。「指が1本ない」続けられた言葉に全員がスキャバーズを見る。暴れてるせいで見づらかったが、シリウスの言う通り欠けていた。ハリーが思い出したように口を開く。
「ピーターの亡骸は指一本……」
「そうだ、あいつは自爆したのさ。直前に指を一本切り落としてな。そして素早くネズミがうようよいる下水道へと逃げ込んだ。私に追い詰められたときに──」
「追い詰められた? お前に?」
「そうだ、私がピーターを追い詰めた。裏切り者のピーターを──」
「違う、逆だ。秘密の守り人はお前だった。親友だった父さんを裏切ったのはお前だろう!」
ハリーの激昂にシリウスは苦しそうに顔を歪めた。喘ぐように荒く息を吐く。顔を覆ってパッと下を向いた。「確かに最初はそうだった」俯いたまま小声で言う。
「始めは私が秘密の守り人だった。しかし直前になってジェームズとリリーにピーターを守り人にするように勧めた……誤った決断だった……──私が殺したも、同然だ」
息が詰まったように言葉を区切る。そんなシリウスの様子に、ハリーはというと、顔に怒りを残したまま当惑していた。どうみても、今のシリウスは親友の死を悼み悲しんでる人そのものだ。
シリウスが顔を上げた。瞳が涙で潤んでいる。
「だが私は二人を裏切っていない。私がジェームズを裏切ることは絶対にない。それこそ、死んでもだ」
「……」
「──信じてくれ、ハリー」
しばらくスキャバーズの鳴き声だけが響いていた。ハリーは言葉を失っていた。今の台詞、どうだろ。スネイプ先生的に微妙かもしれない……。どうか先生の心に引っかかりませんように、と祈っていれば、ハリーが「どうしてスキャバーズがピーターだと?」と聞いた。先程よりも大分剣のない声色だった。
「十二年間アズカバンにいたのに、分かるはずがないだろ」
「ファッジが新聞を持ってきた」
ハリーが話を聞く態度になったことに安心したのか、シリウスはさっきよりも少し明るい声になっていた。うわチョロ、じゃなくて単純、じゃなくてえっと、すごい素直だ。ハリーだってかなりグラついているとはいえ、まだ完全に警戒解いてるわけじゃないのに。
そんなことを思われてるとは露知らず、彼は慌てた仕草でボロボロのローブからくしゃくしゃになった新聞の切れはしを取り出してみんなに見えるように掲げた。そこに映っていたのはウィーズリー一家だ。ロンの家族は休暇中に懸賞金が当たってエジプト旅行に行っていた。その時のものだろう。
「ここに──この子の肩の上だ──ピーターが乗っていた。すぐに分かった。こいつが変身するのを何回も見たからな……」
「……でも、おかしいわ。そんなはずないです、ルーピン先生。スキャバーズがピーターだなんて……」
「どうしてかね?」
「魔法省は動物に変身できる魔法使いや魔女を全員記録しているはずです。なんの動物でどんな特徴があるとか、そういうことを記録した登録簿──マクゴナガル先生の名前もありました──があって。でも今世紀は七人しかいなかったしピーターの名前もありませんでした」
授業中かと思うくらい場違いに真面目な会話が始まり、ハリーとロンが『でたよ』という顔をしていた。戸惑いながらも真剣に説明するハーマイオニーに、ルーピン先生は「ではそこにシリウス・ブラックの名前はあったかい?」と質問した。ハーマイオニーは首を振る。先生は「ジェームズ・ポッターは?」とさらに続けた。
「父さん?」
「ジェームズ、シリウス、ピーター。この3人は私のために三年近くを費やして動物もどきになってくれた。人狼である私と一緒にいるためにね」
彼は怪訝な顔のままのハリーたちに「人狼は人は襲うが動物は襲わないんだ」と不器用に微笑みながら付け加えた。父親の話題にハリーの目が興味で輝いた。
「どんな動物に?」
「ジェームズは牡鹿、シリウスは犬、そしてピーターは──」
「アイタッ」
突然ロンが悲鳴を上げた。血で真っ赤になった手をもう片方の手で抑えながら辺りをキョロキョロ見回している。
「スキャバーズ!」
「しまった、ピーターが!」
飛びついてくるシリウスを避けてスキャバーズはピアノの鍵盤を走り回った。ベッドの下や椅子の影、絨毯を潜りながら、ルーピン先生の放つ呪文から逃げていく。私はポケットにしまったリングを手に取り、スキャバーズに向かって投げつけようとした。
突然部屋を包んだ青白い閃光に思わずギュッと目を瞑る。
どさりと部屋の中央で重い荷物が落ちる音がした。みんながケホケホと咳をしている。舞った埃にむせ返りつつ、恐る恐る目を開けた。
「──ネズミ一匹まともに捕えることもできないとは」
なんと情けない。
冷たく嘲るような声で、透明マントを脱ぎ捨てたスネイプ先生がそう言い放った。
「スネイプ? なぜお前がここにいる」
「シリウス、スネイプもここで教師をしているんだ。私の脱狼薬を作ってくれている」
「左様。今夜君はそれを飲むのを忘れたようだから、我輩がゴブレットに入れて部屋まで持っていった。そしてそこで地図を見た……」
そこまで話してからスネイプ先生は部屋の中央をじろりと睨めつけた。目を合わせられたソレは「ひぃ」と情けない声をあげる。部屋の隅ではハリーがコソコソと捨てられた透明マントを回収していた。汚れを落とすように念入りにパンパンと叩いている。
「下らん戯言を、と思って聞いていたがどうやら嘘は吐いていなかったようだ……今回は」
「私がいつ嘘を吐いた? お前のような汚い男と一緒にするなこの──」
「落ち着け、黙るんだシリウス」
ルーピン先生がシリウスの言葉を遮ったが、それでも癇に障ったのだろう。スネイプ先生の杖の先から火花が飛び散った。それにまた泣き声のような哀れっぽい声がする。ロンは目を大きく開いてそれを凝視していた。気持ちは分かるよ。私もアンブルが実は見知らぬおっさんなんだと知ったらきっとこんな反応しちゃうもの。
使わないですんだ叔父さん特製リングをしまいながら、「じゃあ」と声を出す。仕切りたくないけどこの調子じゃ一生仲良く喧嘩してそうだし。
「そろそろ城に戻りませんか?」
「そうだね、早くこいつを城まで──」
「城までかね? 柳を出たらすぐに吸魂鬼を呼べばよかろう」
「スネイプ、吸魂鬼を呼ぶ前にまずは城に戻ってダンブルドアに事情を説明しなくては。そうでなければまたシリウスが連れていかれてしまう」
「両方引き渡せばいい。どちらでも同じことだ」
「なんだと貴様」
「いい加減にしてくれ二人とも……」
うわ『どちらでも同じ』と来たか。うーん、恨みが根強い。挑発するスネイプ先生といきり立つシリウスにルーピン先生が疲れたようにため息を吐いた。
「誤解だ!」
突如として聞き知らぬ声が大きく叫んだ。2人は言い合いをやめて声の主を見据える。"彼"は視線の圧にビクリと身を丸めて啜り泣いた。ルーピン先生が柔らかく話しかけた。
「なにが誤解だというんだね、ピーター」
「リ、リーマス……私は、違う、違うんだ。ブラックだ、全てはブラックが仕組んだんだ……『名前を言ってはいけないあの人』とともに……」
「私がヴォルデモートと?」
馬鹿にするように告げられた名前に、ピーターが悲鳴をあげながら怯えながら毛の少ない頭を覆った。
「馬鹿なことを! 私ではない、お前がヴォルデモートのスパイだったんだ。迂闊だった。何故気づかなかったのか……お前はいつも自分の面倒を見てくれる親分にくっついているのが好きだった。かつては我々、そして──ヴォルデモートだ」
シリウスは憎悪を込めてピーターを睨みつけた。ご主人様の名前にピーターは丸めた身体を大きく震わせた。
「完璧な計画だと思った。目眩しだ。ヴォルデモートはきっと私を追う。お前のような弱虫の能無しを利用しようとは夢にも思わないと……」
「要するに貴様の欺瞞が原因というわけだ」
「黙れスネイプ!」
要しかたが雑〜! いや間違ってはないけど……。シリウスはせせら笑うスネイプ先生に律儀に噛み付いた。ルーピン先生はもう無視することにしたのか、なんのやり取りもなかったかのようにただじっとピーターを見つめていた。
ハーマイオニーがおずおずとシリウスを呼びかける。「あの、ブラックさん──シリウス?」丁寧に話しかけられ、シリウスは驚いたのか飛び上がった。隣のスネイプ先生はそんな彼を軽蔑するように横目で見ていた。
「闇の魔術を使わずにアズカバンを脱獄できるものなんですか?」
「その通り! それこそスパイである証拠で──」
スネイプ先生がピーターを蹴飛ばした。……蹴飛ばした?! ブチ切れじゃん……。お前がスパイを語るなって気持ちなのかな。
転がったピーターを見ながら、シリウスは「自分でもよく分からない」と言った。
「私は自分が無実だと知っていた。だから正気を失わずに済んだのだろう……。吸魂鬼が耐え難くなったとき、私は犬に変身した。吸魂鬼は目が見えなかったから、犬になった私の感情を正しく感知出来なかったんだ。奴らは他の人間同様正気を失ったのだろうと思っていた」
「……あの」
つい手を挙げた私をみんなが見る。窓を指さした。
「その話、お城じゃだめですか? ほら、もう夜なので……」
「──! あ、ああ……そうしなければ」
ルーピン先生がハッとした顔をして硬く受け答えた。
確かに月が出てしまうことも気掛かりだったけど、今話を止めたのはその理由というより、脱獄の方法をピーターに教えちゃいけないだろうと思ったからだった。ダシにしてごめんね先生。
不意にピーターがひんひんと泣き出した。城に行くということは突き出されるということと同義だからだろう。だからさっきから城に行く話になる度に妨害してくるのだ。
「シ、シリウス、リーマス……私は、友達だろう? それなのに──?」
「触るな、汚らわしい裏切り者め」
「私と君では友達の定義が随分と違うようだ」
二人の旧友から冷酷に突き放されたピーターは息も絶え絶えになりながら「けど、」と必死の形相で言葉を紡ぐ。
「誰にも内緒で勝手に計画を変更するなんて、おかしいと思わないか?」
「思わないね。周りの誰がスパイかも分からないのに簡単に話すわけがない。シリウスはきっと私をスパイだと思っていたのだろう」
「すまない、リーマス」
「気にするな、我が友、パッドフット。そのかわり、私が君をスパイだと思い違いしていたことを許してくれるか?」
「もちろんだとも」
ぎこちない笑みを浮かべたシリウスが腕を広げてルーピン先生に歩み寄った。先生はそれを受け止め、二人は抱きしめあう。美しき友情の姿を見たスネイプ先生は『反吐が出る』というように気色悪そうに顔を顰めた。「反吐が出る」あ、言った。
「わ、私は勇敢ではない──君たちとは違ったんだ……私はやろうと思ってやったのではない、『名前を言ってはいけないあの人』が無理やり──」
「嘘をつくな! お前がジェームズとリリーの死ぬ一年も前から密通していたことは分かっている!」
「あ、あ、あの方はあらゆるところを征服していた! 君には分からない! シリウス、私が殺されかねなかった──」
「それならば死ねばよかったんだ。友を裏切るくらいなら死ぬべきだった。我々も君のためにそうしただろう」
ピーターの縮こまった身体からぴたりと震えが止まる。小さく「そんな」と呟くのが聞こえた。
シリウスはそれを無視して、一度息を吐いて呼吸を落ち着けると「一緒に殺るか?」と問いかける。ルーピン先生は「もちろんだ」と答えた。
え、今殺すの? この人たちが?
驚いたのは私だけではなく、ハリーたちも目を見開かせていた。道理でペラペラ喋っていたわけだ。殺すつもりなら脱獄方法を聞かれても問題ないもんね。亡骸を城に運ぶつもりだったの? ダンブルドア許すかなそんなの。
「スネイプ……きみは、きみなら分かるはず……私の葛藤や苦しみがきみならきっと……」
スネイプ先生は何も言わなかった。ただ黙ってピーターを見下ろした。返答としてはそれで充分だった。
ピーターは泣きながらロンの方へ転がり込んだ。
「私はいい友達、いいペットだったろう? ロン、お願いだ……」
「お前を自分のベッドに寝かせてたなんて!」
ロンは拒絶して足をズルズルと引き摺りながら距離をとった。元ご主人のすげない態度に口元を抑えながら、ピーターは哀れみを誘うようにハーマイオニーとハリーの方へ擦り寄った。そうしてたらい回しにされ、最後に私の前に膝をつく。特に接点もないはずの私に何を言うんだろう、と少し興味が湧いた。
「頼む……殺させないで……嫌だ……」
多分、私以外に誰も聞こえなかったんじゃないだろうか。そう思ってしまうくらい小さなこえだった。震える手に足を掴まれる。力はほとんど篭っていない。きっと泣いてるせいで力が入らないのだ。
「どうして裏切ったんですか?」
「……え?」
ピーターの震えが止まった。体液でベチャベチャになった顔をこちらに向けはくはくと口を魚のように開ける。
「こいつはいつだって強いやつが好きな腰巾着だからに決まって──」
「あなたには聞いてないです」
遮られたシリウスが憤慨したような顔をした。いやだって裏切ったのはピーターだし……シリウスに事情聞いても意味ないし……でもそんなに喋りたいなら聞いてあげるか。私は仕方ないなとシリウスを見た。
「なんでこの人はあなた達を裏切ったと思いますか?」
「さっきも言った通りさ。こいつは強いやつの元につく。当時は我々が劣勢だった。このままじゃヴォルデモートには到底敵わないと思ったのさ。だから裏切ったんだ」
「じゃあこの人がハリーの家族を裏切ったとき、どんな気持ちだったと思いますか?」
「きっと、こいつの惨めな生涯のうちで最高の瞬間だったのだろう!」
吠えるような声にピーターは身を縮こまらせた。嘲笑うシリウスの隣でルーピン先生も険しい顔をしている。同様の気持ちなんだろう。
「命乞いしてるのを見てどう思いました?」
「情けない奴だと。なんてみっともない奴だと軽蔑しているよ」
「それだけ?」
十年の付き合いなのに?
私の言葉にシリウスが僅かに動揺する。しかしすぐに調子を取り戻して「それ以上考える必要がない」と吐き捨てた。
「それともなんだ? 同情しろと? 卑怯な裏切り者のこいつに?」
「そうは言ってません。ただ、どうしてそこまでして生きたがるのかな、とか気にならないんですか? と聞いただけです」
「それは……」
シリウスは言葉を窮した。考えたこともない、と分かりやすく顔に書いてありすこし笑った。正直な人だな。
この場に味方がいないのはもはや分かりきっている。それでも死ぬことを忌んで恥も外聞も投げ捨てて人を選ぶことすらせず縋りついて。そうまでして生に執着する理由はなんだろうか。
『この場面』のピーターの行動で、前世から考えていたことだった。
『私はいいペットだったろう?』
先程ロンに縋っているときに零した台詞。あれはきっと本心のはず。彼はウィーズリー家に拾われてからネズミに徹し、言葉の通り『いいペット』を演じてきたんだろう。
つまり彼に人としての幸せはなかったということだ。
ヴォルデモートはいない。旧友は自分を死んだと思っているから頼れない。誰にも人として接してもらえない。家族も友達もいない、会えない。誰とも話せない。
残っているのは『友達』を裏切り大勢の人を殺した過去だけ。
それって、生きてて楽しいんだろうか。どうしてそこまでして生きたいんだろう。
その答えは裏切りの理由と繋がるんじゃないかなと思っている。
ピーターに視線を合わせてもう一度最初の質問をしようとした。が、考え直して別の質問を口にする。これもずっと気になってたんだよね。
「ジェームズさんのこと、嫌いでしたか?」
「……っ! う、ぁ……わ、たしは、……」
ピーターはなにか言おうと口を動かした。しかしすぐに声を詰まらせて俯いて再び泣き出した。
シリウスが『友を裏切るくらいなら死ぬべきだった。我々も君のためにそうしただろう』と言ったとき、ピーターは一際大きな反応を示していた。『そんな』という呟きからは後悔が含まれていた……ような気がした。私はピーターじゃないからこの解釈が正しいかは分からない。ちょっと私の希望的観測も混じってるかもしれない。
ピーターはやっぱり嫌いだったのかな、と思う。一緒にいるだけで劣等感が煽られて堪らなかったのかなと。シリウスたちも一緒にいて『あげて』いると無意識のうちに思っていたのかもしれない。さっきまでの話しぶり的に。
それでも十年だ。
ピーターの忖度からだとしても、ジェームズの気まぐれからだとしても、十年間も続いた『友達』だったんだから。ただ嫌いなだけではなかったはずだ。この人たちはもっと話し合うべきだったんだ、きっと。
相互理解が足りなかった、歪な友情の末路がこれなのだろう。
涙まじりのピーターの声が、この場にいない親友の名前を紡いでいるのを、シリウスとルーピン先生は愕然とした表情で見つめていた。
ハリーが殺すのに反対したことで、結局ピーターは殺さず城へ連れていくことになった。そもそもシリウス杖ないしね。殺人に使われるってわかっててみんな貸すはずもないよね。柳への道を歩きながらそれを指摘すれば、シリウスは気まずそうに顔を逸らした。
「そうだ、ファイアボルト。送ったの貴方ですか? ですよね?」
「あ、ああ。そうだ、私だよ。クルックシャンクスにお願いしてね」
「ほらロン! 聞いた?」
「聞いたさ、でも呪いなんてかけてなかったじゃないか」
「呪いだって?」
ピーターと一緒に縄に繋がれたロンが不服そうに切り返した。怪訝そうなシリウスに事の顛末を話すと、彼は苦々しい顔をした。まさかそんなふうに疑われるとは思っていなかったらしい。でしょうね!
「私はただ名付け親として十三年分の誕生日プレゼントでも、と思ってだな……」
「だからってあんなに高い物を無名でいきなり送りつけるなんて怪しすぎるでしょう。呪いがないにしても新手の詐欺かと思ったし。そもそも逃亡中にあんな大きい買い物するなんて有り得ない。ファイアボルトを購入するために脱獄したの? 魔法界中に追われていた自覚がおありではない?」
「すまない。すまない、いや本当にすまなかった。私が悪い、浅慮だった」
懇々と畳み掛ければシリウスが平謝りしてくる。本当に分かってるのかな。精神年齢がやんちゃすぎるからいまいち信用できない。ジト目で睨むとシリウスは慌てた。「あとで血判を押そう!」いやそこまでしなくても……血判て。背後でルーピン先生がクスクスと笑っていた。
「笑うなリーマス!」
「だって君、たじたじじゃないか」
「情けないことだな。これだから室内犬、いや牢屋犬は」
「なんだと貴様!」
さっきも聞いたなその台詞。シリウスは一瞬にしてなんだと貴様botに成り果ててしまった。忍耐力を養いますって血判でも押してもらおうかな……。
「エレナ!」
「ダメだ下がれ!」
「(さっきまでは覚えてたんだけどなぁ)」
スネイプ先生を取り込めた(言い方はアレだけど)ことで浮かれてた。あと穏やかなやり取りに気が緩んだというのもあった。本当にこういううっかりとか凡ミスとかいい加減に直さなくちゃいけない。でないとそろそろ真面目に死ぬ気がする。
柳からでて、暗い校庭を少しだけ歩き始めたところで突然辺りに光が差し込んだ。それはなんてことないただの"月"の光だった。あとはお察しだろう。
狼人間になってしまった彼──ルーピン先生と一緒に繋がれていたロンとピーターは犬になったシリウスがなんとか安全地帯まで引き摺ることができた。だが流石に私の避難までは間に合わなかった。どうしようかななんて考えてる内に掴まっちゃった大間抜けなだけなので気にしないでほしい。視界の端でスネイプ先生が杖を構えていたが私が邪魔で呪文を打てないようだ。
「グルル……」
「っい、た……」
唸り声と痛みで意識が現実に引き戻される。先生の爪が肩に食い込んでいた。抉りとられそうなくらい痛い。え、本当に痛い痛すぎて感覚が無くなってきた気がする。もうこれ肩とれたんじゃない? 既に抉れた後なのでは……?
不意に食い縛られていた歯がぱかりと開いた。鋭い牙を見せつけながら迫ってくる──口の端から涎が垂れていた──犬の吠える声、それからハーマイオニーが叫んでいる──赤い閃光とバンという音──そしてポケットの中で重みをもった何かが揺れた。
「(あ、使い時じゃん)」
牙を立てられる寸前、ギリギリもギリギリになってから存在を思い出したリング。
私はそれを迫るギラついた口元へと投げつけた。ちゃんと嵌っているかなんて見る暇はない。ガチッという音だけは聞き取れた。あばらの浮き出た先生の腹を思い切り蹴り飛ばし、その勢いでロンたちに近付き呪文を放つ。
「ステューピファイ!」
赤い閃光は縮みかけの身体にしっかりと当たった。毛を逆立たせたクルックシャンクスがすぐさまぴょんと飛び上がり、地面に落ちきる前に飛び付いてそれを口に咥える。前足の指が欠けたネズミはぐったりとその身を猫の口の間から垂れさせていた。
ホッとしながら、今度はルーピン先生を振り返る。彼は口元を抑えながら、地面をころげ回っていた。こちらもちゃんと当てられたみたいだ。
咄嗟に投げたリングや呪文がこうもちゃんと当たるなんて私ってばエイムが天才的じゃない……? しかも肩痛いのに……サバゲーのセンスがある気がする。
投げたときは手のひらサイズだった黒いリングは投げた瞬間に大きさが変化したようで、今は猿轡の役割を果たしていた。外そうと躍起になって爪を立てているせいで先生の顔周りは傷だらけだ。
現在進行形で引っ掻き傷が増えていく彼の顔に、ちょっと後悔する。噛まれると思ってつい口に嵌めちゃったけど、もっと別の場所の方がよかったかな。手とか脚とか。でもまあほら、咄嗟だったし私も肩怪我したし。おあいこってことにしてほしい。
掴まれた穴を残す肩を触っていると、ハーマイオニーが泣きそうになりながらハンカチを渡してくれた。そんな顔しないで、と笑えばなぜかもっと顔を顰められる。
「大丈夫だよ、マダム・ポンフリーならきっとすぐ治せるでしょ」
「そうかしら……」
「そうそう。つまり今の私は無傷といっても過言ではないよ」
「それは過言よ」
いやこれ治らなきゃまじで困るんだよね主にお母さん関連で……。今だけでも無傷(広義)だと思い込ませてほしい。
私は倒れているロンに近付いて「エネルベート」と唱えた。しかし特に効果はないようで、彼はぴくりとも動かない。他の治療系の呪文は分からないんだよな〜。これも失神呪文の反対呪文だったから流れで覚えてただけだし。ピーター、なんの呪文かけたんだろう。
「さっきのって、前に読んでた……」
「うん。やっぱり覚えててよかった」
便利だったでしょ、と私が笑うとハリーは神妙な顔で頷いた。うん、成功してよかった。風邪ひいてまで練習続けた甲斐があったよ、ほんと。
「モビリコーパス!」
スネイプ先生が杖を向けると、のたうち回っていたルーピン先生が宙に浮いた。そしてそのまますぐ後ろの暴れ柳に向かうと、じたばたと空中で暴れ続けるルーピン先生を容赦なく根元の穴へ放り込んだ。うわそれ骨何本か折れてません? 大丈夫? 怒声のような悲鳴が木霊しながら奥へと消えていく。ルーピン先生、次会ったとき五体満足だといいけど。原作の流れを変えてもルーピン先生が不憫で散々な目にあうのは変わらないんだな……。
スネイプ先生はクルックシャンクスの口元に手を差し出す。手の上にペッと吐き出されたピーターを見て不快そうに眉根を寄せた。
「ついてこい」
ピーターをギュッと握り締めた先生は私たちにそう言うとさっさと城へ向かって歩き始める。必要以上に手を振り回してるように見えるけど気のせいかな。手の甲に何本か血管が浮き出てるように見えるけどこれも気のせいかな。周りのみんな同じような顔をしていたから多分気のせいじゃないんだと思う。気絶しててまだよかったねピーター。
城の玄関にはダンブルドア先生が佇んでいた。なんでいるの、というのはもはや愚問だ。でも玄関まで来てくれるなら柳の方まで来てほしかったな! しれっとした顔で微笑む校長の隣にはマクゴナガル先生とファッジ大臣と思しき人物もいた。私あの人の顔よく知らないんだよね実は。映画で見たきりなのでめちゃくちゃ曖昧なのだ。記憶に近い顔立ちだし山高帽被ってるから合ってるでしょ、多分。
スネイプ先生が事情をあらかた説明し、ネズミをみんなの目の前でピーターの姿へ戻してみせる。血の気の失せた顔で横たわる小男に、大臣は「なんてことだ!」と叫んで顔を覆った。せやな。冤罪十二年だもんな。お疲れ様です後処理頑張ってください。
スネイプ先生による説明──シリウスに対する罵倒や一部の曲解を私たちで訂正しつつ──がされているその間、ハリーとシリウスは少し離れた場所でなにかを話していた。おい当事者たち。と、思わないでもなかったけど。話したいことが積もりに積もっているんだろう。それが分かるのでみんな言及はしなかった。なんとあのスネイプ先生ですら。ちらりと彼らの後ろ姿を見てかなり不満そうに鼻は鳴らしただけだった。
結局その日はもう夜も遅いということで一先ず解散となり、私たち生徒は医務室へ押し込められた。詳しい話はまた後日聞くらしい。
医務室の扉が閉まる直前、ダンブルドア先生は、スネイプ先生に「ピーターを西の塔へ」と短く告げるのが聞こえた。西の塔。本来ならシリウスが閉じ込められた場所のはず。ということは、とりあえずシリウスの冤罪はほぼ完全に晴れたと思っていいのだろう。
そんなことを考えながら、ぼんやりとベッドの上でマダム・ポンフリーに渡された透明の液体を口に含んだ。
「にっっっがぁ?!」
「薬が甘いわけありません、当たり前でしょう」
吹き出したせいで追加で注がれ泣きそうになる。無色透明で無臭の液体なのに激苦とかそれはもう罠だと思います。別に甘いかなとか期待してたわけではなかった……水かと思っただけなのに……。
えずきながらなんとか飲み干し、布団を被って横になる。全身が疲れを訴えているのに目だけは爛々と冴えていた。
とか言いつつ、いつの間に寝ていたのか。周囲の騒がしさに目を開ける。
「放して! 放してったら!」
「いけません! それにあなたが行ったところで──」
「……え、なにごと?」
ハリーが医務室を飛び出そうとするのを、マダム・ポンフリーが羽交い締めにする勢いで止めている。「ば、バックビークが」私の呟きにハーマイオニーが泣きながら口を開いた。
「バックビークが消えちゃったの」
「…………え?」
「──それから、ピーターも」
◆◆◆
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