2



 スネイプ先生は結構料理上手なんじゃないかなって思うんだよね。だって料理は化学だし。魔法薬学も化学みたいなものだと思う。

 つまり魔法薬学のプリンスは料理のプリンスでもあると言ってもいいだろう。まあそうは言っても先生が自炊してるイメージはないけど……。先生ってご飯食べてるのかな。自前の特製栄養ドリンクとかで済ませてそう。固形物とか温度のある食べ物滅多に食べてなさそう。今年は食事のとき先生の方をよく見ておこう。


 話が逸れた。
 私が何を言いたいかと言うと、スネイプ先生ならこのレモンメレンゲパイが如何に素晴らしいか理解してくれるんじゃないかということだ。ほんのり上辺に狐色を纏うメレンゲの完璧な焼き色やレモンクリームの酸味と甘味の程よいバランス、そしてパイ生地のサクサク加減などその他諸々。全方位死角のない完成されきったレモンパイの美しさをきっと分かってくれるはず。

「……叔父さんと違って」
「なにか言ったか?」

 私は机に両肘をついた体勢で目の前に座る叔父をじっとり見つめる。ほんの少し詰る色が滲んだ呟きに、叔父さんはやっと資料から顔を上げた。


 今年ホグワーツで開催されるイベントのせいか、叔父さんは今年の夏も忙しいようだった。闇祓いって大変なんだなと他人事に考えながらのんべんだらりと夏休みを過ごすこと約一ヶ月。
 珍しいことに、そんなご多忙極めし叔父さんも今日は丸一日非番らしかった。昼頃にやっと起きてきたかと思えば資料を読み始めて、声をかけても空返事ばかり。資料に目を釘付けにしたまま無言でパイを口に運び続けている。さすがに食べ物を渡せば目を離すだろうという目論みはあっさり外れてしまった。

 休みの日まで仕事の資料(と思しきもの)から目も手も離さないって、実は意外とワーカーホリックだったりするの? よくないよそういうの! 休みは休むもの。あとレモンパイをもっとちゃんと見てほしい。
 私の態度を不思議そうにしていた叔父さんは、机の中央を見て目を瞬かせた。

「どうしたんだこのパイ」
「え、そこから? さっきからずっと食べてたじゃない」

 私の言葉に、叔父さんは口周りを撫でると指についたパイの食べカスを見て驚いた。いやこっちが驚きなんですけど。もしかして食べ物の匂いが目の前にきたから無意識のうちに食べてたの? 集中力すごいな。そりゃ感想もでないはずだ。食べてる自覚がなかったんだから。可哀想な私のレモンパイ。こんなに完璧な出来なのに無心で頂かれちゃってたなんて。スネイプ先生ならグリフィンドールに五十、いや三十……十五点はくれたはずなのに。


 集中力が切れたのか読み終わったのか、パサリと机に置かれた資料を瞳だけ動かして見遣る。特に隠されることはなかった。もしかしたら仕事の資料じゃないのかもしれない。

「春先に発表された吸血鬼が輸血パックを飲んだ時のアレルギー反応に関しての論文だよ」
「なんか聞いたことあるなそれ……あ」
「ん?」

 私の視線に叔父さんが答えてくれる。ルーピン先生のだした吸血鬼レポート、あれって三月頃じゃなかったっけ。じゃあ発表された直後くらいになるんじゃ……? 本当にハーマイオニーの勉強意欲と情報収集力どうなってるんだろう。

 『ルーピン先生』という言葉で思い出し、つい零れた声に叔父さんは首を傾げた。大したことじゃないんだけど、と前置きを口にする。

「忘れてる記憶を思い出す方法ってある?」
「忘却術の解呪ってことか?」
「そんな物騒なものじゃなくて。ただ単に覚えてないだけの記憶のこと。ほら、小さい頃の思い出とか」
「ああ……。そういう魔法具ならないわけじゃないが」

 忘却呪文ってオブリビエイトだよね。そこまで大層な話ではない。初っ端で上がる候補がそれって、やっぱり闇祓いなんだなぁなんてしみじみと感じいってしまう。
 魔法具というのは思い出し玉のことだろうか。一年生の時ネビルがたまに使ってたけど、あんまり実用的ではない気がする。ちなみにネビルは二年に入る頃にはなくしてた。

「アルバスに頼んでやろうか」

 名案だ、というようにポンと手を叩いた。なんで校長の名前が。

「『記憶』は人間の人格形成に大きく関わる、繊細な分野だ。一口に魔法具と言ってもそう簡単に誰でも取り扱えるもんじゃない」
「そうなの?」
「ああ。そもそも『憂いの篩』──記憶を保存しておく魔法具だ──自体が貴重だからな」

 確かに一般家庭にぽんと置いてあるイメージはないかも。実際叔父さんの家にもないし。だから校長に仲介してくれようとしたんだ。そっか……

「なるほどね、お気持ちだけで結構です!」
「何故じゃ?」
「何故ってそんなの……私は叔父さんと違って校長とはなかよしこよしのキャッキャウフフできる仲じゃないからね」
「寂しいことを言うのぅ」
「そんなこと言われても事実だ、し……」

 喋り方が変、というか声が違う。そんなことに今更気付いて顔を上げた。

「こんにちは、ミス・ワイアット」

 叔父さんの隣──私の斜め前に座ったダンブルドア先生は、やっと目を合わせた私に悪戯っぽく瞳を煌めかせた。律儀に挨拶をされるが声がでない。えっこんなの何故じゃとか私の台詞じゃん。何故じゃ、何故ここにいらっしゃるのじゃ??

 呆然としたまま口を開きっぱなしにする私を見て、叔父さんが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。「相変わらず人が悪いな」本当にその通りだと思う。

 校長がレモンパイを指差して「頂いても?」と小首を傾げた。それは全然いいですけど……驚いた余韻でまだ少し手が震えてしまったが、それでも一切れ小皿にサーブして渡す。「見事な焼き色じゃ」ダンブルドアは朗らかにそう言った。彼は一口分をフォークに乗せ、もぐもぐと美味しそうに咀嚼してからまた口を開いた。

「それで、憂いの篩の話だったのぅ」
「いやあの、本当にもう大丈夫です。平気です、ちょっと気になっただけだったので。お気持ちだけで本当に……あの、すみません」
「謝る必要はなかろうて」
「え────っと……あ、レモンパイ、おかわりどうです? もう今は充分とかでしたらお土産用に包みましょうか? 先生さえよければ」

 別に是が非でも思い出したくて叔父さんに尋ねたわけではない。吸魂鬼のときの記憶が思い出せたらいいかなってちょっと思っただけだ。ルーピン先生が向き合わないといけないよって言ってたから、じゃあなにか思い出せる方法ないかな〜って、本当に軽い気持ちだった。
 だからわざわざダンブルドア校長先生様のお手を煩わせてしまうなんてとんでもないのだ。ほんとに。もう忘れてほしい。私のことなんてなんにも気にせず、どうぞレモンパイを味わい続けててほしい。自信作なんで、それ。

「……それで、結局アルバスは何しにきたんだ?」
「ちと二人に伝えたいことがあっての」

 話題を変えようと必死な私を見兼ねてか、叔父さんが助け舟をだしてくれる。二人にって、叔父さんだけでなく生徒の私にまで? なんだろうとつい身構える私に「悪い話ではない」と先生はにこりとした。

「一つはバックビークが発見されたことじゃ。コペンハーゲンの沖合で泳いでるところを保護された」
「ああ、ヒッポグリフで空を飛ぶよりネズミ姿で下水を潜ったほうが目立たないもんな」

 もっと早く気付いてもよさそうなもんだが。
 叔父さんは付け加えて皮肉った。その通りだ。二匹が消えてから一ヶ月以上経っている。逃亡中の身であるピーターがバックビークの面倒を見るのはそう簡単なことではなかっただろう。

「それじゃあバックビークはハグリッドの所へ戻ったんですね?」

 私の確認に、ダンブルドア先生は頷いた。

「新学期が始まる頃には体調もよくなっておるじゃろう。そして、もうひとつの報せは──」

 先生が杖を振るとポンと軽い音を立てて白い封筒がテーブルの上に現れる。宙に浮いた封筒はひとりでに開封するとその中身をパラパラと落とした。四枚の紙切れが机上に散らばる。
 
「クィディッチワールドカップ……」
「折角貰った切符じゃが、生憎と儂は用事があって行けんでの」

 四人分。私と両親と叔父さんでちょうどだ。正直お母さんは行かせたくない。だってクィディッチ……怖いし……。あれを見ても魔法界に対するヘイトが高まるだけな気がする。しかも公式試合だからもっと激しいだろう。

「(それに死喰い人も来ちゃうし)」

 火事やらで結構な大騒動が起こってたはずだし、マグルも辱めにあっていたはず。そんな場所に家族を連れて行きたくはない。しかし私個人としてはすごく行きたい。だってもしここでクラウチJrが闇の印を打ち上げることを阻止出来ればヴォルデモートの計画は始まらないかもしれない。でもどう言えば家族は連れて行かなくて済むだろうか。

 叔父さんが渋面をしながら切符を持った。しげしげと眺めて首を振る。

「残念だが私もその日は仕事がある。これは別の人に渡して、」
「えっ私観戦したい」
「……お前クィディッチ嫌いじゃなかったか?」
「ほら、ワールドカップだし」
「む……しかしだな、魔法使いが大勢集う中でお前たち家族を野放しにはできないし」
「お母さんとお父さんは誘わなくていいよ。私、お母さんにクィディッチは見せたくないし」
「だからといってエレナ一人で行かせる訳にはいかないだろう」
「友達でも誘えばよかろう。ミス・ワイアット、誰か連れて行きたい人はいるかね?」

 断る方向で話が進みかけてしまい慌てる。叔父さんの意思は意外と頑なで、なかなかOKがでない。だがダンブルドア先生の言葉が決定的だった。だって誘いたい友達と言われて思い浮かぶ人物はもちろん一人しかいない。

「ネビルと行きたい!」
「決まりじゃな」
「……オーガスタの説得は骨が折れそうだ」

 ダンブルドア先生が瞳を楽しそうにキラキラさせたのに対し、叔父さんはやれやれと大きなため息を吐いた。
 

- 61 -
 ←前 次→
 back
 >>HOME