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 ネビルに誘いをかければ、二つ返事で応じてくれた。


【最高! 絶対行くよ! なにがなんでもばあちゃんを説得してみせるから!】


 返ってきた慌てた筆跡の手紙には興奮からか所々インクが滲んでいた。叔父さんが懸念していたお祖母様も、ダンブルドアから譲り受けたものだと知ると渋々ながらも観戦を許可してくれたようだ。やったぜ。

「叔父さん、ほんとに来ないの?」
「仕事だからな。それに学生時代からクィディッチに興味はないし。余ったチケットは……そうだな、オークションにでもかけるか」
「不敬」
「譲られた時点で私の物だ、どうしようが勝手だろう」

 貰い物なのに。そう非難すると叔父さんはしれっとした顔をした。



「シェーマスとディーンもチケット取れたんだって。アイルランドが固まってるところにいるらしいけど」
「ほんと? 適当に歩いてたら会えるかな」

 テントを張り終わり散策がてら見知った顔を探しにキャンプ地を歩く。私たちのテントはアイルランドに近かったらしく、シェーマスとディーンはあっさり見つかった。シェーマスのお母様は熱狂的なアイルランドファン、というか愛国心が強いのかな。とにかくアイルランドを応援しろという圧が強かった。

「ばあちゃんに見つかったら怒られそう……」

 夫人から勧められたフェイスペイントを断り切れず、目の下に小さなクローバーマークを描かれたネビルが心配そうに言った。落とそうかなとブツブツ言いながらもどこか嬉しそうだ。こんな日くらい羽目を外して楽しんでもきっと大丈夫だよと慰めていれば、ワンと犬の鳴き声がする。何気なく振り返るとネビルがヒッと小さくひきつけを起こした。

「グ、グ、グ、グリムだ!」

 ネビルの叫びに周りの魔法使いたちがぎょっとこちらに注目した。それを気にすることなく、黒い犬は駆け寄ってくるとハッハッと短い息をしながら私にじゃれついた。ちぎれんばかりに尻尾を振る、艶々とした毛並みの身体を両手で抱き留める。

「は、離れろ! エレナに近付くな、この──」
「待ってネビル! 違うの、死神犬なんかじゃないの」

 庇うように私と犬の間に割り込んで手を広げたネビルを慌てて止める。黒い犬がもう一度大きく吠えた。タッと駆け出し止まったかと思えば、離れた所からこちらを呼ぶように振り返る。

「行こう」
「でも……」
「大丈夫だから」

 まだ不安そうなネビルの手を引いて犬の後を追っていく。
 犬について少し歩くと開けたキャンプ地に辿り着いた。見知った顔ぶれが私たちを見て笑顔を浮かべた。ハリーやハーマイオニー、それにウィーズリー家の子どもたちもいる。ネビルの表情がやっと明るくなった。

「じゃあこの犬は皆の──?」
「ああ、ハリーの忠犬さ」
「アオーン!」
「そうだったんだ……僕、ハリーに犬がいたなんて知らな──」

 ロンがニヤッとして言った。双子がふざけて遠吠えをする。それを聞いて、ネビルはやっと安心できると改めて犬がいた場所を振り返り、再び悲鳴をあげた。

「シ、シリウス・ブラック!」

 シリウス・ブラックが無罪だということは今や魔法界中が知っている。でも死神犬がいきなり現れた、かと思えばついこの前まで殺人鬼と容疑をかけられていた人に変わっていた、なんて事情を鑑みればネビルの驚きはもっともだ。またタチの悪い悪戯を……誰だ立案者は。怒らないから名乗りでなさい。ひっくり返ったネビルをフレッドがげらげら声をあげて笑った。

「な? いい反応するだろ、ネビルは」

 なるほどね。フレッドさん、ちょっとお話があるのですけど。
 しかし声をかける前に何かを察したのか、双子は「リーのとこ行かなくちゃ!」と走り去っていってしまった。ちっ、逃げ足が早い。


 まだ状況を整理できていないネビルを焚き火の近くに座らせると、ジニーが紅茶を渡してくれた。

「やあ、エレナ」
「こんにちは、シリウスさん」
「さんだなんて! そんな畏まらないでくれ」

 犬だった彼がにこやかに話しかけてきた。挨拶をすれば大袈裟な仕草で嘆かれる。畏まるなと言われましても。叫びの屋敷で少し話して以来だし。

 シリウスの見た目はあの日に比べてかなり変化していた。
 伸ばしっぱなしだった髪や髭はすっかり整えられ、服も綻び一つない上等なものを纏っていた。その頬はまだ少し痩けていたけれど、血色は健康的なものになっている。そしてなにより笑顔が常に煌めいている。セドリックに少し似てるかもしれない。

「じゃあハリーは今シリウスと暮らしてるの?」
「うん。夏休みが始まって最初の何日かはダーズリーのとこに戻ったけどね」

 ここに揃っているということは、と思って聞けば当たりだったみたいだ。ダーズリーの家には魔法がかかってるんだっけ。だから絶対一度は帰らなきゃいけないとかそんな約束があったような。しかしそんなことはもはや気にならない、とハリーは機嫌よく話す。夏休みの殆どはグリモールド・プレイスの掃除に費やしたとにこにこしながら教えてくれた。シリウスとしてはハリーが来る前に家を綺麗にしたかったらしく、やや不服そうだった。

「ただでさえ十三年のハンデがあったというのに、これでは名付け親の面目が立たないと思わないか?」
「ハリーは家族と共同作業できてすごく幸せそうですけどね」
「それは、ウン。まぁね」

 私の言葉に、ハリーは照れくさそうにしながらも否定はしなかった。その反応にシリウスの顔がだらしなく緩む。キリッとしたハンサム顔があんまり一気に溶けたものだから面を食らう。ロンとハーマイオニーがまたかという顔で二人を見ていた。この親子漫才は早くも恒例行事となっているようだ。反抗期とか来たらシリウス泣くんじゃないの、これ。来年あたり危なそうだけどどうだろうね。


 溶けた顔をきゅっと固め直したシリウスはネビルの方へと向かった。ネビルを立たせ、離れた茂み近くまで移動するとなにかを言った。おどおどしていたネビルが弾かれたように顔を上げる。何を言われたんだ? ロンが「エレナの顔が怖い」と呟くのが聞こえた。
 しばらくシリウスの話を聞いたあと、ネビルは震えて俯く。え、泣かせた? 泣かせたよねあれ。立ち上がった私の裾をハーマイオニーが、左腕をハリーががっしりと掴んだ。どちらもビクともしない。この場から一ミリたりとも移動なんてさせないし、ポケットに手なんていれさせないぞという強い意志を感じる。

「あの、二人とも? 別にシリウスに呪いをかけに行ったりはしないよ」
「分かってるけど、念の為」

 諦めて腰をおろせば、手の力が弱まった。弱まるだけで離されることはなかった。なんでこんなに信用ないんだろう。

「ネビルの絡んだ件でエレナを怒らせたら、ハグリッドだって手に負えないから」
「それ言ったのロンでしょ」
「どうして分かるんだよ?」

 普段あれだけ怖がられてれば分かるよそりゃ。ため息を吐きながら、もう一度向こうの二人を見る。シリウスはネビルの彼の肩を引き寄せて抱き締め、慰めるように背中を叩いていた。



 ハリーたちと別れ、自分たちのテントへと帰る道すがら、ネビルはずっと黙り込んでいた。こんな調子のままお祖母様の元に戻るわけにはいかないだろう。足を止めて名前を呼べば、ネビルは不思議そうに私を見る。私はとん、と自分の目元を叩いた。

「ペイント、よれちゃってるよ。直そうか」
「──あ……お願いしてもいい?」
「もちろん」

 ハンカチと杖でちょちょいと形を整えていく。ここは魔法使いが沢山いるから私たちが使ってもバレないって、なんかゲームのバグ技みたい。『匂い』制度、結構ザルだよね。見直した方がいいんじゃないかな。

 ネビルの目元は赤くなっていた。本人にも自覚はあるのか気まずそうだ。

「あの、エレナ──」
「煙が目に入ったのかな」
「え?」
「ほら、風下で話してたじゃない?」
「ん、ああ……」

 そう言うと、ネビルは迷ったように逡巡したあとどちらともとれない返事をした。




 さて、そんなこんなで。
 あまり明るいとはいえない日中を過したわけだったが、夜になり試合を観終えた頃にはネビルは調子を取り戻していた。目元にはクローバーマークがしっかり鎮座しているにも関わらず、その口からでるのはクラムの名前ばかりだ。

 クィディッチは怪我する競技というイメージが強いしルールも未だにふんわりとしか理解出来てない。だけどクラムが凄いのはど素人の私でも一目で分かった。自由自在、縦横無尽に空を飛び回って。まるで泳いでるみたいだった。ネビルも元気になったしクラム様様だなと内心で感謝する。でもこんなに大ファンになっちゃって大丈夫かな。こんなんじゃホグワーツ来たとき嬉しすぎて倒れちゃいそう、ネビル。

「あと二〇点差がついてればなぁ。そうしたらブルガリアが勝ててたのに──これシェーマスには言わないでね──あ、クラムの箒見た? ハリーと同じファイアボルト! 中盤でやってたフェイント、もしかしたらハリーも出来るんじゃないかな? ほらあの、ウロン、えっと」
「ウロンスキー・フェイントだっけ」
「そう、それだ! こう、真っ逆さまに地面すれすれまで……」

 ネビルは熱に浮かされたように、購入したばかりのクラムのフィギュアを上下に動かし再現する。フィギュアは先程のクラムと同じように重力に耐えて顔を歪めた。ディテールが細かい。
 大きく身振り手振りをするネビルの背後でお祖母様が顰めっ面をしていた。はしたないと言いたげな顔だ。怒られるかなと少しひやりとしたが、今日くらいはおおめに見てあげるつもりなのか、特に何も注意はされない。

「まぁ、一体なんの騒ぎかしら!」

 だがそれはネビル限定無礼講だったらしい。一際大きな爆発音と騒ぎ声が響いた時、彼女は目を吊り上げた。厳しい声音にネビルも我に返ったのか口を噤んで心配そうに祖母へ顔を向ける。

「アイルランドかな、この近くに固まってたみたいだし」
「だとしても限度というものがあるでしょう、全く……」

 「いい大人がなんてみっともない」と言いながらお祖母様はきびきびと外の様子を見に行った。ネビルが慎重にクラムのフィギュアを設置している隣で、私はこっそり杖を握り締める。不意にネビルがテントの外へ視線を向けた。

「いまなにか悲鳴が──?」

 テントが開きお祖母様が物凄い勢いで戻ってくる。私たちの腕を痛いほどに掴んでテントの外へ引っ張りだした。そうして視界に飛び込んできた光景に絶句する。

 テントの外は酷い惨状だった。
 至るところで炎が燃え、緑のクローバーの飾りが無様に転がっている。倒されたテントから這い出てくる人や逃げ惑う人。家族の名前を叫ぶ声や怒鳴る声。
 キャンプ地の中央からやってきた仮面を被った集団が、杖でなにかを掲げながら行進している。頭上に掲げられた一番小さな影──幼い子どもが高い声をあげて泣いた。集団が耳につく不愉快な笑い声をさざめかせた。

「あの人、入口にいたマグルだ」

 ネビルは浮かせられた一人を見ている。私も見覚えがあった。彼はキャンプ地の管理を任せられていたマグルの男性だ。浮かせられているのはあの男性の家族なんだろう。不意に女性がくるりと逆さに回転させられ、ネグリジェがめくれた。むき出しにされたズロースに、下の群集から煽るような歓声が上がる。「ひどい」ネビルが思わずといったように呟いた。突然ぎゅうっと右腕に力が込められる。

「いっ……痛いよばあちゃん!」
「いいから足を動かし!」
「でも──」
「あっ」

 背後から走ってきた団体のせいで掴まれていた手が外れた。勢いによろけていると人混みに呑まれ、どんどんネビルたちと距離が離れていってしまう。私を探すようにキョロキョロとネビルの頭が動いていた。随分遠くになった私を見つけて、ネビルの瞳が恐怖で見開かれる。

「エレナ! 待ってばあちゃん、エレナが──」
「大丈夫、大丈夫です! 行って!」

 前方から聞こえてきたネビルの声に必死で呼びかける。この人の群れじゃ戻ってくるなんてもってのほかだ。そんなことをしたら怪我しかねない。それにネビルたちまでバラバラになってしまう。二人に聞こえるように叫んでから一先ず道の端にズレた。

「……よし」

 一息はいてから頬を叩く。多少心配させてしまうかもしれないがこれはこれで結果オーライ。クラウチJrを探しに行ける。
 あの人がいたのは森の外れとかじゃなかったっけ。確かウィンキーが近くにいるはず……人を避け、テントの残骸を避けながら元来た道を戻り、皆とは反対側の森を目指す。

 そうして森に着く頃には喧騒も途絶え、辺りは静まり返っていた。

「ホメナム・レベリオ」

 闇雲に探すのもどうなんだろう。だってほら、これでも魔女なんだし。そう思って人探しの呪文を唱えてみる。初めて使うからちゃんと効果がでるかは分からないけど……。

 一応効果はあった。
 一人分の白い人影がすぅーと現れ、森の奥へと消えていく。それを見てあ、こんな魔法なんだと少し拍子抜けしてしまう。だってこれでは探し人かどうか分からない。それに一人分ならクラウチJrじゃないかも。だってウィンキーと一緒のはずだし……屋敷しもべ妖精はノーカンとか? よく分からないしとりあえず一応向かってみるか……。


 影を追ってしばらく歩くと、それは唐突に宙へ溶けた。効果切れ……いや、この付近にいる?

「誰かいますか?」

 私の声に動揺したようにガサリと地面を踏み締める音がした。暗闇ばかりで何も見えなかったが、誰かいるのは確かだ。
 もしかして迷子だろうか。こんな大騒ぎの中では親とはぐれた子どもがいてもおかしくない。


 沈黙が続いたあと、森の奥から足音が近づいてきた。やがて唐突にのっぺりとした乳白色の仮面が浮かび上がる。

「これはこれは」

 初めてだけど初めてじゃない声だった。凍った手で心臓を掴まれたような錯覚が襲う。ひゅっと喉が鳴った。

 お前か。お前だな。お前なんだな。

 短い声だったが聞いた瞬間理解する。記憶の彼方に潜むあの声は、去年ホグワーツ特急で聞いたあの声は。瞬間的に叩き出した回答は正解であると全身の細胞が訴えていた。
 逃げたい、逃げなきゃ。この声の届かない場所へ。そう思いながらも、私は杖を持つ手に力を込める。

 目の前の男──死喰い人が動いた。

「クルーシオ!」
「エクスペリアームス!」

 ほとんど反射で呪文を叫ぶ。赤と緑の閃光がぶつかって弾けた。衝撃で数歩よろけながらもすぐに杖を構え直して次の呪文を放つ。いや磔の呪いって。どこのどなたかは存じませんが相変わらず私のことが大嫌いなんですね。ああ、死喰い人だからマグルがウザいだけかな。だとしても、そもそもどこで知り合ったんだか……。

 呪文の撃ち合いが続き、疲労で頭が朦朧としてくる。愚直に呪文を唱えてくれる人で助かった。今の私は音で次のタイミングを測ってるから無言呪文なんてされたら手の打ちようがなくなってしまう。

「穢れた血が、生意気な」

 そんな調子に乗ったことを考えたからだろうか。
 死喰い人が憎々しげに呟いた。仮面の奥から睨む瞳には紛れもない殺意が篭っている。本能が鳴らした警告音に不味いかもしれない、と乾いた唇を噛んだ。

「アバダ──」
「インペディメンタ!」

 破裂音がした、と思えばいきなり大きな背中が私と死喰い人の間に立ちはだかった。聞き慣れた声に安堵の息をつく。叔父さんは横目で私の無事を素早く確認してから再び死喰い人に視線を戻した。

 相手は叔父さんが闇祓いと知っているのか迂闊に動けないようだ。少しの間睨み合いの硬直状態が続く。
 しかしそれは上空が緑色に照らされたことで唐突に終わりを告げた。


 思わず、というように光源を見上げた叔父さんが「ああ」と掠れた声をだす。

「闇の印だ」

 緑の光が大量に集まり描かれた巨大な髑髏の口からは不気味な蛇が姿を覗かせている。突如として空に現れた刻印に、森の反対側から爆発的な悲鳴が巻き起こっていた。あちら側はパニックでひどいことになっていそうだ。


 不意にバシッと大きな音が響いた。見れば目の前にいた死喰い人が消えている。叔父さんの悔しそうな鋭い舌打ちだけが森に残った。
 

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