8.5



 数々の肖像画にじろじろと見られながら、ハリーは部屋を進んでいく。先に部屋に入っていたビクトール・クラムとフラー・デラクールは暖炉の周りに集まっていた。フラーはハリーに気付くと振り向いて、長いシルバーブロンドの髪をサッと後ろに振った。

「どうしまーしたか? わたーしたちに、広間に戻りなさーいということでーすか?」

 ハリーが伝言を伝えにきたと思ったのか、フラーが目線を合わせて優しい口調で聞いた。問いかけながら、フラーの目がハリーの背後へ映る。ホグワーツ代表はまだ来ないのかしらという表情をしていた。
 ハリーがどう説明したらよいのか困って黙っていると背後から頼りない足音が聞こえてくる。

「エレナ?」
「……」
「その紙──」

 ハリーの問い掛けに返事をしないまま、エレナはキュッと唇を固く結んで紙切れを握り締める力を強めた。エレナの指先が白くなる。

「すごい!」

 そんな彼女の肩越しからルード・バグマンが喜色満面でせかせかと部屋に入ってきた。瞳をキラキラさせながらハリーとエレナの背中に手を置いて、クラムとフラーの近くへと引き寄せる。

「ご紹介しよう──信じ難いことかもしれんが──ホグワーツの代表選手だ。この2人が」

 背中を丸め、暖炉に寄りかかっていたクラムが身を起こした。むっつりとした顔が、ハリーとエレナを眺め回しながら暗い表情になる。フラーはニッコリしてからまた髪をなびかせた。

「とてーも、おもしろーいジョークです。ミースター・バーグマン」
「ジョーク? とんでもない! ハリーの、そしてエレナの名前がたったいま『炎のゴブレット』からでてきたのだ!」

 クラムの太い眉が微かに歪んだ。フラーがニッコリを崩して顔を顰めると、軽蔑したようにハリーとエレナを見た。

「なにかーの間違いです! このいとたち、競技できませーん。若すぎまーす」
「さよう……驚くべきことだ。しかし、知ってのとおり、年齢制限は、今年限りの特別安全措置として設けられたものだ。そしてゴブレットから二人の名前が出た……つまり、この段階で逃げ隠れはできないだろう。これは規則であり、従う義務がある……」

 バグマンがそう言ったとき、エレナの指先がまた一段と白くなったのをハリーは見た。

 背後の扉が荒い音を立てて開かれる。ダンブルドアを先頭に、すぐ後ろからシリウス、クラウチ氏、カルカロフ校長、マダム・マクシーム、マクゴナガル先生、スネイプ先生が入ってきた。マクゴナガル先生が扉を閉める前に聞こえた大勢の生徒たちの喚き声が聞こえた。

「マダム・マクシーム! この小さい子たちも競技に出ると、このいとが言っていまーす!」

 フラーがマクシーム校長を見つけ、つかつかと歩み寄って抗議した。信じられない思いで、痺れた感覚のどこかで怒りがビリビリと走るのをハリーは感じた。小さい子だって?
 ハリーはこの憤慨した気持ちを共有したくて、同じ扱いをされたエレナを見遣った。しかし相変わらず彼女は顔を白くさせたまま床をじっと見つめている。

「ダンブリー・ドール、これは、どういうこーとですか?」
「私もぜひ、知りたいものですな、ダンブルドア。ホグワーツの代表選手が二人とは?」
「オグワーツが二人も代表選手を出すことはできませーん。そんなことは、とーても正しくなーいです」
「我々としては、あなたの『年齢線』が、年少の立候補者を締め出すだろうと思っていたわけですがね──」
「ポッターのせいだ、カルカロフ」
「なにが言いたい、スネイプ」

 マダム・マクシームが威圧的に、カルカロフ校長が冷徹に、それぞれ怒りを滲ませて言葉を畳み掛けていく。そこにスネイプが低い声で言った。底意地悪く光る暗い目に、ハリーは厄介な奴が加わったと思ったが、それ以上なにか思う前にシリウスが素早く切り込んだ。

「ポッターが、規則は破るものと決めてかかっているのを、ダンブルドアの責任にすることはないということだ、ブラック」
「ではハリーが自ら進んで名乗りをあげたと? この子がそんなことするはずがない!」
「ポッターは本校に来て以来、決められた線を超えてばかりいる。──最も、貴様はずっと牢獄にいたから知らずとも当然だが──」
「黙るのじゃ、二人とも──君たちは『炎のゴブレット』に名前を入れたのかね?」
「いいえ」

 実際のところ、破って名乗りをあげたいと思わなかったわけではなかった。しかし思っただけで本当にはやっていない──自分を見下ろすダンブルドアにそれが伝わるよう、ハリーは透けるような青の瞳を真っ直ぐ見返した。
 ダンブルドアはそんなハリーと、一向に顔を上げないエレナを交互に見つめる。すぐさま答えたハリーに対し、エレナは黙って首を横に振るだけだった。

「上級生に頼んで、『炎のゴブレット』に名前を入れたのかね?」
「いいえ」
「ああ、嘘をついてます!」
「この子たちが『年齢線』を越えることはできなかったはずです」

 マダム・マクシームが叫んだが、マクゴナガル先生がビシッと言った。

「このことについては皆さん、異論はないと──」
「ダンブリー・ドールが『線』をまちがーえたのでしょう」
「もちろん、それはありうることじゃ」
「ダンブルドア、間違いなどないことは、あなたが一番よくご存知でしょう!」

 マダム・マクシームの小馬鹿にしたような物言いにも、ダンブルドアは礼儀正しく受け答えた。それを聞いてマクゴナガル先生が声を荒らげる。

「まったく、バカバカしい! この子たち自身が『年齢線』を越えるはずはありません。また、上級生を説得して代わりに名を入れさせるようなこともしていないとダンブルドア校長は信じていらっしゃいます。それだけで皆さんには十分だと存じますが!」
「クラウチさん……バグマンさん。おふた方は我々の中立の審査員でいらっしゃる。こんなことは異例だと思われしょうな?」

 マクゴナガル先生は怒ったように未だ不信感を顕にするスネイプをキッと見た。そんな彼女を見ないようにしながら、カルカロフ校長がへつらい声で話しかけた。
 クラウチ氏は、暖炉の明かりの輪の外で影の中に顔半分を隠しながら口を開く。

「規則に従うべきてす。そして、ルールは明白です。『炎のゴブレット』から名前が出てきた者は、試合で競う義務がある」
「わ……わたし、出ません」
「な、なんだって?」

 クラウチ氏が厳格に言いきったとき、エレナが初めて声を上げた。ずっと黙っていたからか、その声は掠れていた。彼女は深く俯いて前髪で顔を隠している。
 仰天したように聞き返すバグマンに、エレナは顔を上げて、今度こそはっきり「出ません」と繰り返した。不自然に口角を吊り上げ、笑顔の作りそこないのような顔になっている。

「私、出られません。……もちろんハリーも。だって私たち十七歳未満ですし、名前なんていれてません。だから……ねぇ、辞退するよね、ハリー?」
「僕は──」
「あなーた、なにを言っていまーすか?」

 ハリーが答える前に、フラーが上から威圧するようにエレナへ詰め寄った。瞳はキツく吊り上がって、髪は広がり、華奢な身体が大きく膨れ上がったように見える。ハリーはその姿に、なぜかワールドカップで見た怒り狂ったヴィーラを思い出した。

「あなーた、戦うチャンスありまーす。学校の名誉をかけて! 賞金をかけて──みんな、死ぬおどおしいと思っていたチャンスでーす!」
「その“みんな”っていうのは望んで立候補した人の事でしょう。私、たちは──」
「わたしたち、何週間も選ばれたーいと願っていました! それなのに、今更辞退したいなんて有り得ませーん!」
「だから、私は願ったことなんてない!」

 エレナがほとんど叫ぶように声を上げた。フラーに負けないくらい怒っている──というより錯乱しているようだった。ハリーは目を見開く。エレナがこんなに取り乱すのは初めて見た。寮監であるマクゴナガル先生も知らない生徒を見るような目をして驚いている。

「それでも、あなーた、選ばれまーした! 誇りをかけて、最後まで戦うべきでーす!」
「最後って……」

 憤然とするフラーの言葉にエレナが息を呑み、唖然として口をわななかせた。大きく見開かれた瞳がゆっくりと動き、ハリーを捉えて止まる。彼女の恐怖で満ちた表情に、ハリーはたじろいだ。

「じゃあ、じゃあ私は──」

 絞り出すような小声でエレナが言った。最後まで言わないで声が途切れる。それきり、エレナは再び口を噤んでしまった。
 
「辞退はできん」

 静かになった室内で、唐突に唸るような声がした。みんなが一斉に扉の近くを見る。ムーディが部屋に入ってきたところだった。

「選ばれた者は全員、競わねばならんのだ。ダンブルドアも言ったように、魔法契約の拘束力がある。都合のいいことにな」
「都合がいい? なんのことか分かりませんな、ムーディ」
「本当に分からんか? イゴール・カルカロフ」

 ムーディは、軽蔑した言い方をしたカルカロフを角度をつけて睨み上げながら、噛んで含めるようにその名前を呼んだ。

「簡単なことだ、ゴブレットから名前が出てくれば戦わなければならぬと知っていて、誰かが入れたのだ──二人の死を欲して」

 バグマンが困り顔をした。カルカロフ校長は引きつけのような態とらしい笑い声をあげ、マダム・マクシームは馬鹿なことを、とばかりに頭を振った。

「あの強力なゴブレットを欺き、試合には三校しか参加しないということを忘れさせるには、並外れて強力な『錯乱の呪文』をかける必要があったはずだ」
「この件には随分とお詳しいようですな、ムーディ」
「闇の魔法使いの考えそうなことを考えるのがわしの役目だからな、カルカロフ!」
「もうよいアラスター──……どのような経緯でこんな事態になったのか、我々は知らぬ。しかしじゃ、こうなってしまっては結果を受け入れるほかあるまい」

 マダム・マクシームがフランス語で嘆いた。しかし代案をあげられるわけでもなかった彼女は睨むことしかできない。スネイプは憤怒の形相だったし、カルカロフも青筋を立てていた。ただ一人、バグマンだけが楽しそうに手を揉む。

「さあ、それでは開始といきますかな? 代表選手に指示を与えないといけませんな、バーティ?」
「……フム、指示ですな。よろしい──最初の課題は、君たちの勇気を試すものだ」

 クラウチ氏の言葉にフラーが鼻を鳴らす。先程辞退を申し出たエレナには到底無理だろうと言いたげだった。エレナはそれになんの反応も示さない。無視しているというより聞こえていないようだった。エレナはクラウチ氏を見上げてはいたが、ハリーには、その目は伽藍堂のようでなにも映っていないように思えた。

「競技は十一月二十四日、全生徒ならびに審査員の前で行われる。武器は杖のみ。第一の課題が終了の後、第二の課題について情報が与えられる。試合は過酷で、また時間のかかるものであるため、選手たちは期末テストを免除される」

 クラウチ氏はそこまで一気に言い切ると、ダンブルドアに目配せをして、やることは終わったと言わんばかりにその場を去っていく。マダム・マクシームとフラー、クラムとカルカロフも黙りこくってそれに続いて部屋を出て行った。

「さて──ハリー、エレナ。二人とも寮に戻るがよい。みんな君たちと一緒に祝いたくて待っておるじゃろう」
「私が送ろう」

 ダンブルドアが疲れをみせず微笑みながら言う。名乗りをあげたシリウスにダンブルドアは小さく頷いた。

 三人で部屋を出る。大広間にはもう誰もいなかった。ぽつんと残されたくり抜きかぼちゃだけが不気味に光っている。燃え盛るゴブレットを見て歓声をあげていたのが、もうずっと昔の事のように思えた。

「二人とも、大丈夫か?」

 大広間を抜け、階段を上がりながらシリウスが神妙に言った。気遣わしげな視線を向けられる。そうだ、シリウスは僕が入れてないと信じてくれているんだ……その事を思い出し、ハリーは胸が熱くなった。つい気が緩み、感情のままに口が開く。

「ほんとなの? ムーディが言ってた、あの──?」
「確かに大変なことになった。だがなにも心配することはない……私たちがついてる」

 ハリーの不安を打ち消すように、シリウスがにっこり笑う。肩に回った力強い手に、ハリーは自身の緊張が解れていくのが分かった。

「うん……ありがとう、シリウス」
「もちろんきみにもだ、エレナ」
「……うん」

 シリウスは一言も声を発さないエレナに優しく声をかけた。心ここに在らずといった様子だったが、それでもエレナは小さな返事を寄越した。しかしその顔は相変わらず暗いままだった。

 

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