13
◆◆◆
おそろしい唸り声──が聞こえた気がして体がびくりと跳ねた。その衝撃で目を覚ます。視界に移るのはいつもの、見慣れた女子寮の寝室の天井だ。唸り声もしなければ、焼き焦がすような炎もない。
無意識のうちに詰めていた息を吐いて、額を手で覆えば少しじっとりとしていた。
部屋の中は真っ暗で、みんな静かに寝入っている。まだどくどくと早鐘を打つ心臓を抑えながら起き上がり、そっとベットからおりた。ひんやりとした空気に一瞬身が震える。音を立てないようにカーテンを少しだけ開いた。冷たい月光で満ちた夜の校庭には、当然ひとつの影も見当たらない。
背を向け、窓へ凭れてその場に座り込む。ぎゅっと抱え込んだ膝に頭をあずけた。
「(大丈夫、きっと大丈夫)」
うまくできるかは分からない。だけどダンブルドアが見てるんだし。たとえ失敗したとしても死にはしないだろう、多分。だって死ぬのは今日じゃない。私はドラゴンに殺されるわけじゃない。
「……だいじょうぶ」
今日はまだ大丈夫。
きっとまだ、生きていられるはずだから。
「──エレナ」
肩を叩かれる感覚に目を開ける。顔を上げると、ハーマイオニーが心配げに私を見下ろしていた。いつの間にか部屋が明るい。パーバティやラベンダーも不思議そうにこちらへ視線を送っている。暗示をかけてる間に寝落ちしてしまったようだ。
立ち上がってぐっと体を伸ばす。うわ、全身がバキバキいう。お尻も痛いし。いたた、と零しながら体をほぐす。
「こんなところで寝るからよ」
「寝るつもりはなかったんだけどね」
ハーマイオニーは「顔に跡がついてるわ」と自分の右頬を指差した。パッと頬に手を当てると、彼女が小さく微笑んだ。その顔は安心したように和らいでいる。ハーマイオニーとこんなふうに普通に話すの、久しぶりだ。ネビルとは少しずつ前のように一緒に過ごすようになっていたけど、ハーマイオニーには直接『あんなこと』を言っしまった手前、話しづらくなっていた。
「ね、第一課題までもうあと数時間よエレナ」
着替えを終え、髪を整えながらラベンダーがニヤニヤと声をかけてきた。楽しそうな様子につい苦笑するが、ハーマイオニーは咎めるように眉を寄せた。
「ちょっと、プレッシャーになっちゃうでしょ」
「なによ、エレナはそんなの気にならないわよね?」
「どういうイメージついてるの、私って」
確かに今のはプレッシャーには感じなかったけども。そう言うとラベンダーはほらねと得意げにした。ラベンダーの中の私って結構図太いイメージなのかな。え、なんで?
「もうなにするのか知ってるの?」
「黙秘で」
「あ、その反応知ってるわね」
「えぇ? 全然知らないよ!」
あえてわざとらしく返事をすると、パーバティは「絶対うそじゃない」とクスクス笑った。私もつられて笑ってしまう。せっかく真面目な顔を作ってみてたのに。パーバティの笑いってなんかつられちゃうんだよね、どうしてだろう。
全員支度を終えて、次々と寝室を出ていく。私は部屋を出て行こうとする一人を呼び止めた。
「ハーマイオニー」
「なに? どうしたの?」
ハーマイオニーは不思議そうに振り返った。顔を逸らしたくなりながらも、ぐっと堪える。
「この前はごめん」
「なんのこと?」
「いやその……ひどいこと言ったじゃない?」
二回目を口にするのがはばかられ、もごもごと言葉を濁した。いやほんと、ほんとに……『話したくない』だなんてひどいことを言った。よくもあんなこと言えたな。今普通に話してもらえてるのが奇跡みたいだ。あんなの、絶交されたって文句は言えないのに。
思い出し罪悪感に苛まれていると、ハーマイオニーが視線を下に向けながら「私も」と小声で呟いた。どうしたのかと首を傾げる。ハーマイオニーは口を結んだ後、意を決したように私の目を見つめた。
「私もあなたにひどいこと言ったことあるわ」
「え? ないけど」
「あるわよ。ほら、一年のハロウィーンのとき」
「一年……」
一年のハロウィーンといえばトロール女子トイレ襲撃事件だ。……でもあの日喧嘩したのってたしかロンとハーマイオニーだし私なにか関係あったっけ?
「覚えてない?」
「トロールが出たのは覚えてるんだけど……」
「……そう。それなら私もあなたになに言われたかなんて覚えてないわ」
「どういう理屈??」
いやそうはならないでしょ。食い下がろうとすれば、おもむろにハーマイオニーが腕を広げた。唐突な行動に戸惑ってハーマイオニーを見るが、彼女は至って普通の顔をしている。え、なにそれどういう感情……というかどういう状況なの、これは。
なにをすればいいのかわからなくて動けずにいると、ハーマイオニーは私の両手を掴んで引き寄せた。そしてそのまま私を緩く抱き締める。
「あの、ハーマイオニー?」
「あなたからの謝罪なんて受け取らないわ」
ハーマイオニーは疑問の声すらも跳ね除けるように、ぴしゃりと言った。私には何も言わせない勢いだ。
「だってなんのことか全然分からないもの。この意味分かる?」
「……分からない」
「つまり全く気にしてないってこと」
回された手が、子どもをあやすようにぽんぽんと背中を叩く。
「だから、なんのことかは知らないけど謝らなくていいのよ」
「……いや絶対うそ、絶対分かってるでしょ」
「知らないったら」
「うそ、」
「しつこい」
「ぐえ」
今度はぎゅうっと力が込められた。潰れたトレバー……。おそるおそる私もハーマイオニーの背中に手をあてる。力が緩まった。
「……いまなら」
「ん?」
「今ならドラゴン百匹でも倒せる気がする」
彼女の肩口に顔をうずめてそう呟くと、呆れたような、それでも優しい笑い声がした。
正直、憂うことはもはやほとんどなかった。
夜中はちょっぴりメンがヘラってしまったが、しかしそれもラベンダーやパーバティ、それからハーマイオニーのおかげでかなり持ち直した。あとは自分の作戦がうまくいくか祈るだけ──もうこんなのテスト前に腹を括ると同じようなものだ。いや別にやけくそではないです。ないです。
いつも通りぼんやりと午前の授業を終えて、大広間で──さすがに今日ばかりはここで食べた──バターロールをだらだらと食べていると、マクゴナガル先生が私たちのテーブルへ早足でやってきた。
「ポッター、ワイアット。代表選手はすぐに競技場へ行かないとなりません……第一課題の準備をするのです」
「はい」
「わかりました」
パンの残りを口に押し込み、水で無理やり流し込む。立ち上がりざまにネビルと目が合った。心配するように眉が少し垂れている。内容は知らないはずなのになと思いながら、私は笑顔を作った。
「行ってくるね」
「うん、がんばって」
大広間をでて石段を降りきるなり、マクゴナガル先生は不意に振り向いた。先生の手が私たちの肩に置かれる。
「さあ、落ち着いて。冷静さを保ちなさい」
マクゴナガル先生は硬い声で話しながらハリーと私を交互に覗き込む。先生の猫のような瞳が忙しなく動いていた。
横目でハリーを見る。聞いているのかいないのかよく分からない様子だ。心ここに在らずのように見えた。
「手に負えなくなれば、事態を収める魔法使いたちが待機しています……大切なのは、ベストを尽くすことです。そうすれば誰もあなたたちのことを悪く思ったりはしません──大丈夫ですか?」
「はい。はい、大丈夫です」
ハリーに続いて私も頷く。私たちの返事を聞いても、マクゴナガル先生はやっぱりまだ心配そうにしていた。
禁じられた森の周囲を回るようにしてしばらく歩き、城も湖も見えなくなった頃、分厚い板で柵を巡らせた囲い地の手前に張られたテントにつくと、先生はやっと立ち止まった。
「ここに入って、ほかの代表選手たちと一緒にいなさい。そして自分たちの番を待つのです。バグマン氏が中にいます──バグマン氏が説明します、手続きを……」
マクゴナガル先生はいつになくぐちゃぐちゃな話し方で私たちをテントの中へと促した。私たちがテントに入ったのを見届けると、最後に「がんばりなさい」と一言付け加えて入口の垂れ幕を降ろしてその姿を隠した。
片隅の低い木のスツールに座っていた青い顔のフラーと視線がかち合う。が、それも一瞬のことですぐに逸らされた。クラムといえばいつものように──いやいつも以上の仏頂面で壁際に寄りかかっている。この二人は授業がない分余計に意識しちゃってたんだろうな。乙です。
バグマンさんがハリーと私を見て嬉しそうに立ち上がった。
「よーし、よし! 揃ったな。さあ選手諸君、楽にしたまえ!」
手招きをして私たちを呼び寄せる。代表選手に囲まれる中、バクマンさんは陽気に話しだした。紫色の絹袋を全員に見えるように掲げる。
「観衆が集まったら、わたしから諸君一人ひとりにこの袋を渡し、その中から諸君はこれから直面するものの小さな模型を選び取る。そして、あとはなんだったかな──ああそう! それから、諸君の課題は金の卵をとることだ!」
一番大事なところ忘れかけちゃうってどうなの?? なんて呆れてしまったのはどうやら私だけのようで、他の選手は真剣な顔のまま話に集中していた。ものすごい場違い感だ。
クラウチさんの説明なら私だってちゃんと聞けたと思うんだけど。説明役変わってくれないかな。というかどこにいるんだろうあの人。採点係だからここにいないとか?
「(──そうだ、クラウチさんの件も考えなきゃ)」
そんなことを考えている合間に、テントのそばを大勢の生徒たちが通り過ぎていく。その音が完全に途絶えたあと、バグマンさんが絹袋の口を開けた。
「さて、レディ・ファーストだ」
バグマンさんはフラーへと袋を差し出す。フラーは口を固く結んで手を入れ、緑色のドラゴンの模型を取り出した。首周りに「2」の数字をつけている。
「ウェールズ・グリーン種。さあ、お次は……」
そう言いながら、バグマンさんは私が取りやすいように袋の口を向けた。中は暗くて見えないが、"なにか"がいるのははっきりわかる。箱の中身はなんじゃろなやるときってこんな気持ちなんだろうな。手を突っ込んであたたかくザラザラしたものを一つ掴む。毒々しい赤色の鱗をしたドラゴンが、手のひらの上で威嚇するように大きく口を開いた。数字は「3」だ。
「中国火の玉種……それじゃあ──」
クラムがスウェーデン・ショート・スナウト種の「1」を、ハリーがハンガリー・ホーンテールの「4」を引き当てる。バグマンさんが「よろしい!」と言って空になった袋をローブのポケットに押し込んだ。
「番号はドラゴンと対決する順番だ。いいかな? それではクラムくん、きみが一番だ。ホイッスルが聞こえたら、まっすぐ囲い地に行きたまえ。いいね?」
クラムが無言で頷いたのを確認するとバグマンさんは再び「よろしい」と頷く。そしてハリーを呼ぶと、彼の肩を持ちテントの外へと連れ去っていった。
競技場のほうから試合開始を待つ人々のざわめきが聞こえてきた。いよいよだ、とみんな察しているのだろう。ぴりぴりとした空気がテント内を満たしている。クラムはともかく、フラーもこういうのって慣れてるのかな。
遠くから開始を知らせるホイッスルが聞こえてきた。クラムは素早く立ち上がると、大股でテント内を横切り、外へと向かう。そんなクラムと入れ違いでハリーが戻ってきた。
観衆の歓声や悲鳴、バグマンさんの実況を聞きながら、私たちは自分たちの番をじっと待った。誰も喋らないまま、時間が過ぎていく。そうして十五分ほど経ったころ、地面を揺らすような大歓声が響いた。きっとクラムが卵を取ったのだ。
「一人が終わって、あと三人!」
バグマンさんが叫んでいる。ホイッスルが鳴った。
「ミス・デラクール。どうぞ!」
名前を呼ばれたフラーは、一瞬だけ震えた。しかしすぐさま持ち直して、頭をしゃんと上げると、杖をしっかり掴んで歩き出した。
毅然とした姿勢のフラーを見送ると、テントには私とハリーだけになる。私を見て、ハリーがぎこちなく口端を歪めて笑顔のようなものを浮かべた。これ話しかけてもいいのかなぁ……邪魔になったりしないかな。
「私、ドラゴンなんて初めて見る」
「……うん、ぼくも」
悩みつつも小声で呟いてみる。するとハリーはほっとした顔をして答えてくれた。よかった、私もじっと待つよりも気を紛らわしたいタイプだから助かる。安心して小さく笑った。
「うそ、ハリーは一年生のとき見たでしょ」
「え、ああ……エレナ知ってたんだ」
「うん、ハーマイオニーから聞いた。……一五十点減点、懐かしいな」
「うわやめてよ」
当時を思い出したのかハリーはうんざりした口調になったが、すぐに得意げな面持ちで「でも結局優勝杯はスリザリンから奪い返せたよ」と告げた。
「ネビルの十点のおかげでね。……あれ、あの時ってなんでネビルも五十点減点されたんだっけ」
「たしか──」
思い出話をして時間を潰す。そうして十分も話していれば、ハリーの顔も幾分か和らいでいた。
しかし二回目の大歓声を聞いた途端その笑顔も強ばった。一瞬の静寂、そして拍手。
ホイッスルの音がした。
「お次の挑戦者は──ミス・ワイアット!」
「……じゃあ、またあとでね」
「うん……がんばれ」
「ハリーも」
不安そうなハリーの応援に頷いた。にこりとしたつもりだったけど上手くいっていたかは定かじゃない。
一歩一歩、地面の感覚を踏みしめるようにして囲い地へ向かう。先程までの歓声が嘘のように静かだ。そのせいか、自分の心臓の音が今更大きく聞こえてくる気がする。
ひとつ深呼吸してから柵を超え、競技場の中へと入った。張り詰めた空気の中、大勢の観客がスタンドから私を見下ろしている。
岩だらけの競技場、私を睨みつけるドラゴン──その奥で、ただ一つの金の卵がきらりと輝いた。
◆◆◆
- 73 -
←前 次→