20
◆◆◆
フラーを先頭に会場のなかへ足を踏み入れると、耳が割れんばかりの拍手と歓声が私たちを出迎えた。口角をあげて笑顔を貼り付ける。
大広間は昼間よりももっとずっと美しくなっていた。
壁も床も天井も、全てがスワロフスキーのクリスタルのようにきらきら光っている。いつもの各寮のテーブルは取り払われ、代わりに十人ほど座れる小さなテーブルがいくつも設置されていた。
大広間の中央を歩き、一番奥の横長な審査員テーブルに座った。前を向くと、すぐ近くのテーブルからネビルが小さく手を振っている。振り返すと、張り詰めていた緊張が少しだけ和らぎ、やっと一呼吸つけたような気持ちになった。
テーブルの上には、それぞれの前に黄金の皿が用意されていた。皿の横にはメニューが置いてある。初めての仕様にみんなが戸惑っていれば、ダンブルドアが自分の皿に向かって「ポークチョップ」と言った。何もなかった皿の上にポークチョップが現れる。屋敷しもべ妖精すごすぎない? どういう原理なんだろう。
私はライアンさんの勧めでポワレを頼んだ。郷土であるフランスの料理で、彼のお気に入りらしい。フランス出身なのかと驚く。とても流暢な英語を話すからてっきり同郷か北欧の人かと。
「母がノルウェー人なんだ。夏休みには毎年遊びに行くし英語には慣れてるよ」
「なるほど。上手だと思った」
「ありがとう。──ああそれから、この髪も母譲りさ」
ワックスできっちり固められた自身の髪を指さす。そして「きみのお気に入りだろ?」といたずらっぽく笑った。持っていたフォークを落としかける。
「な、なんで?」
「だってずっと見てるから」
「別に、そんなことは──……ごめん」
「謝ることないさ! でも髪以外も見てほしいな」
「え……うわっ!」
そう言って彼はぐっと頭を下げる。突然顔が近付いてきたので、反射的に少し仰け反ってしまった。うわって言っちゃったし。しかし彼は気にしてないのか、至近距離でにこにこ顔のまま楽しそうにしている。あとちょっとで鼻がくっついてしまいそうだ。あまりの近さに、フォークを握りしめる手に力がこもった。
「どう?」
「えっと──あ、……目は茶褐色なんだ」
「そう、こっちは父譲り」
私の答えに満足したのか、ライアンさんは姿勢を戻した。遠ざかる距離にホッとする。ああ、あとは毛穴がないなぁと思いました。これは言わないけど。
食事を食べ尽くしてしまうと、ダンブルドアが立ち上がり、生徒たちに立ち上がるように促した。杖を一振りすれば審査員テーブル以外のテーブルたちが壁際へと退く。大広間の中央に広いスペースができた。
前に設営されていたステージに衣装を黒で揃えた数人の男女が乗りあがった。熱狂的な拍手が轟く。「妖女シスターズ」の曲を聴くのは初めてだ。楽しみ。ボーカルの人、なんか雰囲気がシリウスに似てる。
なんて呑気に思っていると、テーブルのランタンがいっせいに消えた。周りの人たちが立ち上がる気配がする。あっそっか、これから踊るんだった。私も慌てて立ち上がり、ライアンさんの腕をとった。
「ダンスは得意?」
「実はあんまり」
「僕に任せて」
一曲目だからか、「妖女シスターズ」は意外にも物悲しい曲を奏はじめた。私たちは煌々と照らされたダンスフロアの中へと進み出た。スローなリズムに合わせて足を動かしていく。
バラードのような曲調と、ライアンさんのリードのおかげで思っていたよりは様になっている気がする。彼は簡単で動きやすいステップを踏んでくれていた。そのおかげで目を合わせて笑い合うくらいの余裕はでてきている。この調子なら恐れていたこと──つまり『もしみんなの前で転んだら』というやつだが──は起こりそうにない。
曲が中盤に差し掛かるころには観客も大勢ダンスフロアに出てくる。周りを伺うと、他の代表選手たちも楽しそうに踊っていた。そんな中、ハリーだけはなぜかぼんやり上の方を見ながらパーバティの動きに身を預けていた。視線の先を追っても特に何もなかったから多分ただぼーっとしてるだけなんだろうな。
バグパイプが最後に長く音を震わせ、演奏が終わる。大きな拍手のあと、先ほどよりずっと速いテンポの曲が始まった。
「一旦休もうか?」
「ううん、踊りたいな」
彼はこちらを気遣う素振りを見せたが、断りをいれる。だってライアンさんの顔は、曲が流れ出した途端明らかにわくわくしだしていた。きっと好きな曲なんだろう。せっかくならリードしてほしい。
ハリーとパーバティがそそくそとフロアから離れていくのを横目に、私は彼の手をぎゅっと握り直す。シンバルを強く打ち鳴らす音がフロアに響き渡った。
その後続けて激しい曲で二曲踊る。その後始まったジャズ調の曲を踊り終えると同時に私はやっと手を離した。
「ごめんなさい、疲れちゃった!」
「オッケー、なら飲み物とってくるよ」
額の汗を拭いとる。ドラゴンから逃げてるときばりに息が上がっていた。ライアンさんのほうはというとまだまだ余裕のようで、なんなら物足りなさそうだった。それでも笑顔でテーブルのほうまで手を引いてくれる。
持ってきてくれた冷たいジュースを一気に飲み干す。身体の内側からじんわり冷気が染みていくのが分かった。
座りながらフロアを見渡す。アンジェリーナたち、ずっと元気爆発させてるな……。
私たちのように椅子に座って休んでいる人はほとんどいなかった。みんなダンスに明け暮れるかパートナーと中庭かどこかかへ抜け出しているのかのどちらかのようだ。
「(ハリーとロンはいるかと思ったのに)」
あの二人ってずっと座って不貞てたんじゃなかったっけ。もう寮に帰ったのかな。それアリなの?
「……私も帰ろうかな」
「えっ」
「足もちょっと痛くなってきちゃったし」
それならば、という呟きがもれる。ライアンさんは口をポカンと開けた。四曲も踊ったし、ネビルもハーマイオニーも見つからないし、きっとちょうどいい頃合いだろう。
「ライアンは?」
「あ──ウン、僕も休みたいなってちょうど思ってたんだ。だから──」
「あっそうなんだ。とりあえず私は帰るけど、このあとも楽しんでね。今日はどうもありがとう」
「え?!」
「え?」
お互いのタイミングが噛み合ってたみたい。よかったね、じゃあ解散! というつもりで締めのお礼を告げると、彼は先ほどよりも尚仰天した顔になった。え、今なにか変なところあったっけ?
私は帰りたくて、ライアンさんは休みたい。休みたいってことは休んだあとまだ踊るつもりがあるってことでしょう? 私はもう踊る気はないから、これ以上一緒にいても意味はないだろう。
「じゃあおやすみなさい」
「うん、おやすみ……」
大広間の入口で別れの挨拶をする。ライアンさんは上の空で返事をしてのろのろとフロアへと戻っていった──かと思えば、数歩で足を止め、踵を返して大股で帰ってくる。なぜか意を決したような顔付きだ。眉と目の幅を狭くして、真剣な表情を浮べていた。
「やっぱり送るよ。送らせてほしい」
「え、大丈夫」
「えっあ──そ、そう……そっか……」
送るもなにも寮は学校の中だ。それに、そもそもそれじゃ休めないだろう。そう思ってお断りすれば謎の気迫は穴の空いた風船のように萎んでいった。私は今度こそ、肩の下がった背中がフロアの群衆の中へ消えていくのをちゃんと見届けた。
というか他校の人は基本校舎内に入っちゃいけないのに。知らなかったのかな。また話す機会があれば教えてあげよう。
「ワイアット!」
大広間をでてすぐに鋭い声が私を呼び止める。振り返れば、ムーディがドア脇に仁王立ちしていた。相変わらず魔法の目があちらこちらへとぎょろぎょろ動いている。
「卵の謎はどうだ? 解けたか?」
「どうって、いや……」
なんでハリーじゃなくて私に訊くの? 間違ってない?
意図が掴めず、なんとなく答えたくない。結果的に曖昧な返事になった。それをどうとったのか、ムーディは「いいか」と囁いた。
「風呂に入れ」
「はい?」
「風呂に入ってゆっくり考えるのも手だと言っとるんだ」
「はあ……でもお風呂なんて寮にないですよ」
「六階、『ボケのボリス』の像の左側、四つ目のドアだ。合言葉は『パイン・フレッシュ』──」
「いやいやいや待ってください。それって監督生専用のお風呂場でしょう?」
セドリックから場所を聞いたことがある。監督生になったばかりのころ中の様子を詳しく説明してくれた。しかし監督生でもない私にわざわざそこまで行けって? 合言葉まで教えて? まじでなんのつもりなんだクラウチJr。困惑する私に彼は唸りながら口をひん曲げた。
「第一課題、見事な作戦だったな」
「ありがとうございます……」
「わしにはない考えだった。さすがあのエドガーのやつの姪だと舌を巻くほどのデキだった──それだけ素晴らしかったんだから、ちょっとくらいご褒美があってもいいとは思わんか? ン?」
「(仕事帰りにコンビニスイーツ買うOLみたいなこと言い出したな)」
なんだこの人。
結局よく分からないが、ムーディはどうあっても私を風呂に入らせて謎解きをさせたいらしい。それで分かった答えをハリーに伝えろってこと? まだろっこしいことするなぁ……。もう直接ハリーにアドバイスしにいけばいいのに。私にゴリ押しするより絶対楽でしょ。
あからさまに怪訝な顔をする私の背中をムーディは力強くばしばし叩く。やめろ。そして「いいか、風呂だ」と念押しして義足を少し引き摺りながら地下牢の方へと消えていった。
大広間から離れ、すっかり人気がなくなった場所で立ち止まる。動かないタイプの階段の途中で座り込んだ。誰も来なさそうだけど、一応端の方へと寄って、壁に頭を預ける。
「(さっきのってポリジュース薬の材料盗みに行ったのかなぁ)」
防犯カメラとか使えないのがこの城唯一の欠点──いや別に唯一でもないか。なんだかんだいって抜け道が複数個あったり結構ザルなところあるし。あと動く階段もあるし。
「(今日パーシーがいたってことはクラウチパピーはもうホグワーツには来ないのかな。あの人が逃げだしてくるのは確か第二の……いや第三課題の前か?)」
ハリーが見つけてたような。禁じられた森だっけ……。どうしよう、タイミングうろ覚えだな。こうなったらしばらくハリーにストーカーするしか方法が……。
曲がり角から走ってくる足音が近付いてきた。そろそろ帰るか。休憩終わり、と私は立ち上がる。部屋戻ったら化粧落としてシャワー浴びて……あ、監督生用のお風呂行ってみるのもいいかもしれない。今日なら夜中歩いてるのが見つかっても怒られないだろうし──
「エレナ!」
階段を登りきったところで突然私の名前が叫ばれ、ビクッと肩が跳ねる。めちゃくちゃびっくりした、心臓止まるかと思った。なんなんだと振り返り、目を見開く。
階段の一番下では、息を切らしたドラコが私を見上げていた。なんでここに、スミルノフさんは。
彼は呼吸を整えて、階段を登ってくる。そして同じ場所まで上がってくると足を止めた。私は俯いて自分の足元を見つめたまま口を動かす。
「なんの用?」
言ってすぐ『しまった』と思う。普通に聞いたつもりだったのに思っていたよりもかなり冷たい言い方になってる。しかも目も合わせてないし、今の私はすごく態度が悪かった。最悪だ、せっかくドラコから話しかけてくれたのに。
「すまなかった」
「……え?」
「前学期、酷いことを言って。……悪かったと思ってる」
気まずさも忘れて顔を上げる。目が合ったドラコは一瞬怯んだように瞬きをし、少し目を伏せた。長いまつ毛が目元に薄らと影を落とす。
「あんなこというつもりなかった。お前が『そう』だなんて本当に思ってもないんだ──そんなの一度も思ったことない」
「……あの時は私も悪かったよ。事情も知らないのに首突っ込んで口出して。ごめんなさい」
「いや、いいんだ、そんなこと……僕もカッとなってしまったし」
ドラコはどこか縋るように言葉を重ねていく。必死な様子と伝えられたことに戸惑いながら私もあの日のことを謝罪する。彼はホッとした顔で僅かに口元を緩めた。
私は続きを話そうと口を開いたが、声が出なかった。喉を絞られているように呼吸すらも困難で、苦しくなってくる。胸に浮かぶ言葉を言ってしまえば──ここで違えてしまえば、もう一生仲直りできない予感がしていた。
でも、話さなきゃ。
静かにゆっくりと息を吸い込んだ。
「私、自分の血が穢れてるなんて思ったことないよ」
「ああ、うん、もちろん──」
「それはきっと、私以外のマグル生まれの子も思ってる」
そう言った直後、ドラコの顔から血の気が一気に失せた。元々白い顔色がますます白くなる。
「ドラコが『そう』だと思ってないのは私だけなの?」
「それは──それは、──」
「私と他のマグル生まれの子たち、なにも変わらないのに?」
ドラコは絶望したような表情でなにか言おうとするが、結局何も言わない。けれどそれだけで、彼は他の子に対しての認識は変えていないんだということがわかった。
「どうしてドラコが私と友達になってくれたのか分からない」
「僕は、ただ──」
「分からないけど、私は……私はマグルを『穢れた血』と思う人とは、友達ではいられない」
私はもう知らないふりはできないし、そんなこともうしたくない。
長い沈黙が流れる。近くの松明からパチパチと火花が爆ぜる音だけが聞こえた。
「──特別なんだ」
唐突に、ドラコが消え入りそうな声を落とした。
「他のやつらと変わらない? そんなわけないだろ」
彼が苦しげに自身の胸の辺りを握り締めると、シャツに皺が寄った。ぐしゃぐしゃに顔を歪めて睨みつけるように私を見つめる。
「全然ちがう。どうしてそんなこと言えるんだ?」
「いや、どうしてもなにも──」
「お前が覚えてなくたって──たとえもう思い出すことがなくたって、それでも僕にとってはあの日々が──」
「ドラコ……?」
「……エレナだけがずっと、特別なのに」
一言一言を恨んでいるみたいに力を込めて紡いでいく。最後まで言い終えると、ドラコは俯きながら絞りだすように長く息を吐いた。
それに対し、私は困惑していた。
「(“覚えてなくたって”? “あの日々”?)」
混乱して支離滅裂に話しているだけにしては、声に篭もる感情は真に迫っていた。私がなにを忘れていると言っているのだろう。あの日々って、去年の最初のとき……? しかしそれにしては懐かしそうな声だった。
悩んでいると、やがてドラコが「どうしたらいい?」と呟く。途方に暮れたような情けない声だ。彼の腕が力なくだらりと下がった。
「どうしたらって……」
「どうしたら、エレナの隣にいられるんだ」
取り繕いのない言葉に声が詰まる。表情は窺えない。セットされていた髪もすっかり崩れ、プラチナブロンドが一房垂れて顔を隠していた。今にも折れてしまいそうに危うげな雰囲気だ。なんて言葉をかければいいのか分からなくなる。つい胸のあたりで手を握り締めれば、不意に花の香りが漂って鼻を掠めた。
「……まず、あの言葉を言わないでほしい。それから、もう誰に対してだってそんなこと思わないで」
おそるおそる、ドラコの手に触れる。ひどく冷たい手だ。振り払われることはなく、ほんの少しだけ力が込められる。私も指先を握り返した。
「すぐには無理でも、少しずつでいいから。そうしたら──」
「……」
「そうしたらきっと、一緒にいられるよ」
続けるか迷って言葉が途切れてしまった。それでも言い切れば、返事のかわりか、握り締める力が強くなる──と思ったら引き寄せられる。いきなりのことだったので反応できず、ドラコの肩口に顔を埋めてしまった。離れようとすれば、後頭部を抑えられ固定された。腰にも腕が回っている。……えっなにこれ。
「あの、ドラコ……」
「お前のいったこと、ちゃんと努力する」
「!」
「努力するよ、だから──」
続きを紡げないのか、言葉が止まった。ドラコの声は不安定に揺れている。私は冷たい彼に少しでも自分の体温が移ればいいと背中に手を回した。
「ありがとう、ドラコ」
結局、ドラコがどうして私と友達でいたいと思ってくれているのかはよく分からなかった。それでも私も向き合わなきゃいけないと思った。彼がしてくれたように。
とりあえず、近いうちにクリスマスプレゼントのことを聞いてみようと思う。
「(ところでいつまでこの状態なんだろう……)」
「お前、ダンス得意じゃないだろう」
離れるタイミングが分からない。手も緩まらないし。どうしようかなと思っていればドラコの声が耳元から聞こえる。え、この状態で話すの?
「うんまあ。そんなあからさまだった?」
「ちがう、ただ相手のリードが下手くそだったんだ」
「そんなことはないと思うけど……」
「ある。……なんなら僕と踊ってみるか?」
「えっ今ここで?」
「ああ。僕なら完璧にリードしてやる」
「ほんと? それなら、……、……やっぱりいい」
「はあ?! あ、おい!」
一瞬受けかけたが、少し考えてから断る。ついでに憤慨するドラコの腕から抜け出した。
私に怒られても困る。
だって最初に『踊らせない』と言ってきたのはドラコのパートナーさんなんだから。
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