23
◆◆◆
マクゴナガル先生と別れ、今度こそ寮へ戻ろうという道すがら、ネビルが思い出したように口を開いた。
「制限時間は一時間だっけ。そんな長い間、どうやって息をするの?」
「泡頭呪文使おうかなって。セドリックにコツ教えてもらったし」
空いてる時間をみて何回か練習に付き合ってもらったんだけど、これがまたスパルタだった。
完全に忘れていたのだが、彼はクィディッチのキャプテンを務めた男である。つまりああ見えて──爽やかマスクを被っているように見えて、その実かなりのスポ根だった。今年はクィディッチ自体ないし、それどころじゃなかったこともあって会話には全然上がってこなかったけど……だがこの四年間でした彼との会話のおおよそ六割五分はクィディッチのことだったのに。それを忘れてたなんて私としたことが……。覚えてたら頼まなかったはずだ。
セドリックは『“やれない”じゃない、“やる”んだよ』といつもの爽やか笑顔で抜かし、私の声がかすかすに掠れて杖が一ミリも振れなくなるまで指導を続けた。
「というわけで鬼コーチに叩き込んでもらいました」
「いつ習う呪文だろう、聞いたことないや。僕はエラ昆布が思い浮かんだよ」
「エラ昆布」
「食べると水中で一時間だけ体にエラやヒレが出来て普通に呼吸ができるようになる昆布なんだ。……でも湖かぁ」
「なにか問題なの?」
「問題ってほどじゃないんだけど、潮水の場合と真水では効果が変わるかもしれないって薬草学者の中でも意見はわかれててさ」
「ああ、そういう。昆布っていうくらいだから塩分濃度が高い方が馴染みやすそうな感じはする」
「大きくても誤差十分前後だと思うけど。……でもエレナは使わないんだろう?」
「まあ、私は……」
つい言葉を濁してしまい後悔する。含ませのある物言いに、ネビルは案の定不思議そうに首を傾げた。ああ、もっとうまく誤魔化せるようになりたい。
「他の人は使うの?」
「いや、知らないです」
「なんで敬語──あ、ハリーたちだ」
話題が逸れて安心する。彼の言うとおり、いつもの三人組が山ほど本を抱えて図書室からでてくるところだった。八時になったからマダム・ピンスに追い出されたのだろう。彼らは私とネビルに気付かずよろよろと階段を上がっていく。全員とても疲れきった顔をしていた。
きっとハリーはまだ解決策を見つけてない。でも一応ライバルの立場にいる私がエラ昆布を渡しても受け取ってもらえないはずだ。自分で使えばいいじゃんってなるよね普通。分かる。どうしようか……。
『簡単さ、果物が持ってある器の絵の裏に隠し戸があるんだ。梨を──』
「ハーマイオニー以外の人があんなにたくさん本持ってるの初めて見たな」
「──ごめんネビル、先行ってて」
不意にフレッドの声が頭をよぎった。
いるじゃないか、ハリーに協力しても怪しまれない人──ではなく、“妖精”が。
私は歩いてきた道を戻り、大広間横の石段を駆け下りていく。松明で照らされた地下廊下の壁には食べ物を描いた楽しげな絵がいくつも並べかけてあった。私は巨大な銀の器に果物を盛った絵の前で立ち止まる。梨が描かれているのはこの絵画だけだ。人差し指で鮮やかな黄緑色の梨をなぞるように擦ってくすぐる。すると梨はクスクス笑いながら身を捩り、突然その姿を大きな緑色のドアの取っ手へと変えた。ドアを開け、中へと入る。
大広間と同じくらい広い部屋だ。中央には各寮の長テーブルが置いてあった。奥のほうには大きなレンガの暖炉がある。石壁に沿うように設置された台では屋敷しもべ妖精たちが食器や調理器具をピカピカに磨いたり手入れしたりとそれぞれの作業を行っていた。
「お嬢様?」
背後から不思議そうに呼びかけられ、ハッと我に返る。いけない、うっかり見入ってしまっていた。でもドビーの方から見つけてくれるなんてラッキーだ。この中から彼を探せるか不安だったし。
しかし私は振り返ってすぐにその考えを改めることとなる。
「ドッ、わぁ……ドビー、そのバッジ、すごいその……光ってるね」
「はい! ダンブルドア校長からいただいたお給料で買ったのでございます!」
前見たときはなにも付いていなかったティーポット・カバーという名の帽子には、キラキラしたバッジがこれでもかというくらい隙間なく留め付けられていた。ドビーはにっこりと「特に、これがお気に入りでございます」と頭の真ん中辺りで一際ギラつくバッジを指さした。うん、いいと思う。目立つね、すごく。素敵。
完全に杞憂だった。多分ドビーを見つけるのはラックスパートを見つけるのよりも簡単だ。
「それでお嬢様は、私たちになにか御用でしょうか?」
「え……ああ、そうだった。ねえドビー」
「なんでございましょう!」
ドビーは『なんでもやりますよ!』と顔いっぱいに書いて元気よく受け答えてくれる。私は小さい彼に視線を合わせ、密談するかのように声を潜めた。
「──ハリー・ポッターを助けたくない?」
思い出し玉のような緑色の目が頭のバッジに負けじときらりと光った。
###
ゴブストーンをするシェーマスとディーンをテーブルに肘をついて観戦する。じわりと込み上げてきた欠伸を噛み殺した。すごく暇だ。課題も終わらせてるし、ネビルは本読んでるし。めちゃくちゃに暇。だけど寝る時間にはまだまだ早い。いくら明日が課題当日だといっても、さすがに八時前に寝るのはちょっとな……。
隣からコトンと何かが落ちる音がした。床を見ると、小さな白いボタンが一つ転がっている。
「ネビルから落ちたけど」
「ええ? 別にどこも……あっ」
ネビルは自分の体を見回して、小さく声を上げた。右腕の袖口が大きく口を開けている。マクゴナガル先生が見たら「なんてだらしない」って怒りそう。魔法使いでよかったって痛感するの、まさしくこういうときだよね。利き腕だしやりづらいだろうと私がかわりに直そうと杖をとった。
ちょうどその時肖像画の扉が開き、件の寮監が姿を見せる。彼女は私を見て、それからネビルを見るときびきびと歩み寄ってきた。え、ほんとにボタンが取れたせいで怒られるの? ボタン取れたのを察知して減点しにきたの?? と思ったが、どうやらそうではないらしい。先生は重苦しい深刻そうな顔をしている。
「ロングボトム、私の部屋に来なさい」
「え、はい……あの、僕なにか──?」
「いいえ。でも来るのです、今すぐ」
談話室では寮生の大半が寛いでいたため、そうなると当然マクゴナガル先生は多くの注目を浴びることになる。しかしマクゴナガル先生は、ちらちら視線を送られる中きっぱりとした態度でネビルを呼んだ。彼女はこんな場所で詳しい事情を説明するつもりはないようだった。
「じゃあまた、明日ね」
ネビルは最後まで『なにを怒られるのだろう』という表情をしたまま連れられて行く。完全に怒られること前提で不安がっていた。
「……あ、ボタン持ったまんまだった」
本当にボタンのことで怒られたらごめん……。
ちゃちゃっと直せばよかっ……あれ、今の呼び出しってまさか明日のやつ?
それなら『これ』はもしかしたら明日の課題に使えるんじゃない? いやむしろこの方法しかない。別に忘れてはなかったけれど、明日の課題はなにも一時間息をすることを求められているわけじゃない。それよりも、奪われた彼らを見つけることの方が重要なんだった。
……思い付いた案はちょっとズルな気もするけど、まあそんなの私には今更だ、きっと。
◆◆◆
- 83 -
←前 次→