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席に座りノートやら教科書やらを準備していれば、隣の席が大きく揺れた。ネビルが疲れた顔で腰掛けている。彼は顔を机に突っ伏してぐったりとしていた。
「ごめん、遅いから先行ってた。……もしかして“また”?」
「そうなんだ」
ネビルは元気のなくした声で肯定する。なかなか戻って来ないからもしやとは思ったけど。お疲れ様ですと巻き込んでごめんねの気持ちを込めて、最近流行りの梨飴を渡した。
最近ネビルがこうなってしまっている理由は第二課題のせいだった。
みんなは湖の底で何が起こったかを詳しく聞きたがり、時間さえあればロンやネビルを拘束した。ハーマイオニーは早い段階から第二課題の件やクラムに関する周囲からの質問や揶揄いの一切をシャットダウンしていたけれど。
ロンは嬉々として(ちょっとずつ話を盛りながら)、まるでヒーローインタビューを受けてるかのように朗々と語っていたが、それに比べてネビルの困惑ぶりといったらない。最初のほうこそ律儀に受け答えしていたけれど、どこへ行っても囲まれるものだから最近では逃げることを覚えはじめていた。かなり辟易しているらしい。
「だって僕、ずっと眠ってたんだ!」
四六時中ほとんど知らない生徒からですら質問責めにされ、ネビルはすっかり参ってしまっているようだった。
「何が起きてたかなんて知るわけないよ!」
もう何十回も擦られたセリフなんだろう。その声には彼にしては珍しい類の力と熱がこもっていた。ネビルの簡素な説明でみんなが納得してくれないのは、きっとどこかのロナルドなんちゃらさんがやたらめったら話を盛っちゃってるからだろうな……。ネビルはどうもそのことを知らないらしい。その真実を教えたらロナルドさんがどうなるかちょっと分からないくらい疲れ果ててるからあまり迂闊に伝えられない。
「エレナは逃げるのうまいよね」
「アイアムジャパニーズニンジャ!」
「本当にそんな気がしてくるよ」
私の雑なボケは雑にかわされた。おかしいな、外国だから日本ネタはばかウケの抱腹絶倒間違いなしと思ったのに……ネビルったら相当疲れてるんだね。梨飴もう一個あげよ。
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ホグズミードの、地図にものってない小さな鬱蒼とした森の奥。その最深部には蔦や蔓を大量に巻き付けた立派な巨木がひっそりと佇んでいる。分厚い木の幹にある一際大きなウロの底にカフェの扉が隠されていることは、ホグワーツの上級生でもそうそう知らない──らしい。したり顔のドラコがそう教えてくれた。
週末、そんな文字通り穴場カフェの窓際カウンターで、お茶とケーキを前にして私が思い出すのは、つい昨日魔法薬学でスネイプ先生が『週刊魔女』に掲載されたハーマイオニーのゴシップ記事を朗読したことだった。
「スネイプ先生ボイトレしてる説、あると思います」
「あるわけないだろ」
至極真面目に切り出したというのに、ドラコはにべもなくばっさり切り捨てた。涼しい顔で紅茶を口に運んでいる。
ひどい、私結構本気なのに。つれない態度にむっとしながらフルーツタルトにフォークをいれる。
「だってあんな低い声なのに教室の隅から隅まで通るなんておかしくない? 絶対してるよ」
「自分の寮監がそんなことしてるなんて考えたくないんだが」
そう? もしマクゴナガル先生がしてたら『さすが!』って感嘆しちゃうけどな。と思ったけどスネイプ先生がしてるとしたら嫌味のためか。なるほどたしかにそれは嫌だな。
「でもネビルもそう思うって言ってくれたのになぁ。アメンボ赤いなアセンディオ……」
「なんだそれ。お前たちいつもそんな会話ばっかしてるのか?」
そんなわけない。スネイプ先生のボイトレの有無だけに娯楽の生産性を見出してると思われるなんて遺憾だ。呆れ顔のドラコにキリッと決め顔を作る。
「『こんなスクリュートはいやだ』とかも議論するよ」
「くだらない……」
「いや考えてもみてよ。スクリュートに敬語使われたらいやじゃない?」
「言語を扱える前提なのが既にいやだ」
想像してしまったのか、ドラコは心底嫌そうに顔を顰めた。ちなみに今のはネビルの意見だ。
「スクリュート、もうやらないのかな」
「まさかやりたいのか? アレが好きなのか? あんな怪物が?」
「好きではないけど、ユニコーンに怯えられるのすごい心にくるんだよね」
項垂れながらそう言うと、信じられないという表情が納得したものへと変わった。ハグリッドには申し訳ないけど好きなことは全然ないです。
数週間で授業に復帰したハグリッドは、不在を埋めてくれていたグラブリー先生に対抗してなのか最近はずっとユニコーンの授業をしている。ヒッポグリフをはじめとしたありとあらゆる生物に嫌われる私がユニコーンに嫌われないはずもなく、当然いつもの如く避けられた。眩い光を放つ可憐な銀色のユニコーンに怯えられる切なさといったら。比較的人懐っこいらしい赤ちゃんユニコーンにさえものすごいいきおいで震えながら距離とられたときはもう泣いちゃおっかなって思ったよね。
だからもうそれならばいっそ、スクリュートに威嚇されてた方が精神衛生上ずっとマシなのだ。
「そういえばお前たちは知ってたのか? あの森番が半巨人だって」
「まさか。あの悪質な暴露記事がでるまで誰も知らなかった。……あんなひどい記事、よく書けるよ」
あからさまに怒っている私の物言いに、ドラコは返事をしなかった。私もこの件に関してドラコからの同意が得られるとは思ってない。彼はどちらかといえば批判したい側だろう。彼というか世間一般の魔法使いの大半は巨人に対する認識が良くないらしいし。そう考えると黙ってくれるだけでも気遣ってくれてるんだなと分かる。が、それと記事に対する怒りはまた別の話。
「ハーマイオニーの記事に至っては大嘘だし」
「ああ、昨日の。『愛の妙薬』ね。あれがもし本当なら傑作──」
「ドラコ?」
「なんでもない」
『ハーマイオニーがクラムに愛の妙薬を盛った』とかいう嘘八百なくだらない記事を思い出したのか、ドラコは意地悪く笑いかける。しかしすぐに笑顔を引っ込め、突然テーブルに置いてあったシュガーポットの蓋が気になってしょうがないようなフリをしだした。装飾がどうとか早口で話している。私はため息を吐いてから紅茶を飲んだ。
ドラコは急にシュガーポットから興味をなくして「そうだ」と真剣な顔をした。
「週明けからグレンジャー宛の手紙が大量に届くだろうが、それには絶対触るなよ」
「ハーマイオニーに手紙? どうして?」
「あんな記事が世間に出回ったらどうなるかなんて決まってるだろう。きっと呪いの手紙だとか吠えメールだとかの嵐さ」
「そっか……ハグリッドにも届いてたのかな」
「多分な。とにかく触るなよ」
この世界にもそんなことあるんだ。いやこの世界魔法とかファンタジーな概念で作られてるくせに結構普通に俗っぽいもんね。そりゃあるか。念を押されたので頷く。ハーマイオニーにちゃんと伝えておこう。
ドラコはちらりと腕時計を確認すると、紅茶を飲み干して椅子を引いた。
「さて、それじゃあ買い物に行くか」
「いいけど。なにか買いたいものがあるの?」
「あるにはあるが僕じゃない、お前にだ。第二課題で一位になったことだしなにか買ってやる」
「わっすごーい、貴族っぽーい! 結構でーす」
「はあ? なんだよそれ」
口端をくっと吊り上げてどこか自慢げに笑うドラコへお気持ちだけで、と即お断りする。当然、彼の顔は一瞬にして機嫌悪く歪んだ。
いや分かるよ。こういう好意は素直に喜ぶほうがいいんだろうってことは。……でも精神的にかなり歳下の子どもからご褒美を頂くというのはちょっとあの、かなりいたたまれなくなるんですよね。完全に自分だけの理由で断ってしまって申し訳ない気持ちもあるけれど。ここはちょっと譲れない。
「だって一位っていってもまだ第三課題もあるもの。優勝と決まったわけじゃないし受け取れないよ」
「それはまた別の話だろ」
「別じゃないんだよなぁ」
「ああもう……じゃああれだ、今までの誕生日も合わせた分として」
「いや誕生日まとめてって……誕生日なんて知らなきゃノーカンでしょ」
ぐだぐだ言い訳をすればドラコは投げやりにどこぞの名付け親理論を持ち出してきた。ドラコとシリウスって遠縁なんだっけ。もしかしてだからちょっと似た思考になってるの? それともこれはただの貴族理論なのかな。
黒犬を思い出して呆れていればドラコは当然のごとく「八月一日だろ」と言った。思わず目を瞬かせた私に彼は不思議そうに小首を傾げる。
「なんだ、違わないよな?」
「うん、合ってる、けど……え、教えたっけ」
「…………聞いた」
「誰から」
「……誰でもいいだろ」
「よくないよ??」
全然よくない。いくら寮生活という閉鎖的空間であったとしても、さしもの私とてそこまで個人情報を開けっぴろげにはしてない。それに私の誕生日は夏休み真っ只中だから、朝大広間で友人たちに祝われるみたいなこともない。だから知ってる人はごく少数のはずだ。多分ネビルとハーマイオニーとセドリックくらい?
「ネビルから聞いたの? いつ?」
「違う」
「じゃあハーマイオニー?」
「違う」
「うそ、まさかセドリックなの?」
「そんなわけないだろ」
顔を逸らしながらコートを羽織るドラコに順をあげて聞いていく。それまでは無心で答えていたのに、最後の候補だけはマフラーを巻きながらきっちりこちらを睨んだ上で強めに否定された。セドリックに対するその苦手意識はなんなの? なにかされた? 絡み合ったっけこの二人。……あっクィディッチか。これだからあのスポーツは。
「もういいだろ、行くぞ」
「よくな、あっちょっとお金!」
ドラコは出入口付近にあるレジ前に伝票とガリオン金貨を数枚置くと、店員さんの反応を見もせずにさっさと店から出ていってしまう。会計ってお金置けばいいもんじゃないんだよドラコ。見てこの店員さんの困った顔を。彼の代わりにお釣りを受け取り、スタスタと歩く背中を追う。お釣りと自分の分のお金を押し付ければ面倒くさそうな顔をされた。はいはいすると思った。あとこういうときにお金持ちがなんていうかも知ってる。ドラコがなにか発する前に「小銭が溜まるの嫌なんでしょ」と言えば、彼はちょっと意外そうに眉を上げた。
「ああそうだ。分かってるならお前が持ってろ」
「ええ……ならせめてガリオンだけでも受け取ってよ」
「別にいい、いらない」
本気で鬱陶しそうだ。これ以上食い下がったら言い争いになりそうな予感がする。ただでさえ先程可愛げなく断ってしまってるし。もっと早くお金だせばよかったな……。後悔しながら渋々お金を財布にしまう。
「じゃあ次は私がだすから、ね」
「……つぎ?」
「そう、絶対だから」
「絶対……」
交互にだすなら公平だろう。しかしそんな私の妥協案をドラコはぽかんと繰り返した。なんだその顔は。完全に想定外という表情を向けられ自然と眉間に皺が寄る。
「……次回も払わせないとか言うならもうドラコとは──」
「言わない、言ってないだろ!」
ほんとかしら。やたらと慌てた様子に、つい猜疑心から目を細めると彼は「言わないって」と目を逸らしてぼそぼそ呟いた。
「じゃあどういう感情の顔だったのあれ」
「それはお前が──……ああもう、いいから行くぞ」
「行くってどこ……あっ誕生日?! だからそれはいいってば!」
ドラコは私の声を無視して先程よりもずっと早足で歩き出した。流れてなかったんだその話。ていうかそれを流さないなら私も情報源について流さないからね。
「ねえ──……」
問い詰めようと口を開いてそのまま止める。『誰から』と聞こうとしていたのを少し考えてから別の言葉に変えて吐き出した。
「私たちって昔どこかで会ったことある?」
ドラコが立ち止まった。少し距離を開けて私も足を止める。私たちのたてる音しかなかった森がさらにシンと静まり返り、唐突に深い静寂が訪れた。
「どうしてそんなことを?」
「……や、クリスマスのときになんかそれらしいことを言ってた……ような気がして」
背中を向かれたまま、静かな声で問われる。彼のその一言だけで、流れる空気がやけに重たさを含んだ。もしかしたらドラコは聞かれたくないのかもしれない。それがなんなのかすら私には分からないけれど。しかしそう考えると気後れしてしまって言葉がまごついた。
ドビーのうっかり発言よりクリスマスの彼の発言から探ったほうが聞きやすいかと考えたのだが、間違いだったんだろうか。でもきっとあの二つの発言は無関係ではないだろうし、それならいっそこう質問するのが一番手っ取り早いかなと思ったんだけど……。
「あるのか?」
ドラコは急に振り向いて短く訊いた。彼は落ち着き払った様子で、その顔から特別な感情は読み取れない。
「お前の中にそういう──僕と過ごした記憶が」
一瞬だけ声が揺れ、彼は言い淀んだ。表情は相変わらず凪いだものなのに、声色だけに僅かな緊張が滲んでいる。
その答えは、もちろん私が一番わかっているはずだ。きっと、ドラコだって。分かっているはずなのにどうしてそんなことを訊くのだろう。どうしてそんな、どこか期待しているような顔をしているのだろう。
ドラコと過ごした記憶なんてそんなものはない。
そうはっきり言える──はずだというのに、どうしてだか声がだせなかった。喉奥が勝手にぐっと狭まり、空気を震わせるのを拒絶してくる。吐息が震えて、口内で奥歯がカチリと小さく音を立てるのが聞こえた。加えて唐突に頭がじわりと痛みを訴えてくる。なんだか最近偏頭痛が多い。なぜだろう、これまではそんなこと……。
──『なんだ、笑うのか』
「え……」
「……エレナ?」
──『お前も僕の名前が変だって、そう思ってるんだろう』
「ッ、……?」
「おい、どうした?」
「ちが、ごめん、なんでもないから……」
鋭い痛みとともに、あどけない子どもの声が頭の中で大きく反響した。咄嗟に頭を抑える。声を逃すまいとするように、手が勝手に動いていた。頭上から降ってくる慌てた声に俯いたまま片手を上げて答える。現に今は痛みよりもこの声のほうが気にかかっていた。
今のは初めて聞いた声だった。
吸魂鬼のときに聞こえる声──ワールドカップのあの日聞いたあの声とも、この前なんとなく思い出した自分のような声とも全く違う声だ。しかしやっぱり聞き覚えがあるような気がする。聞いたこともない声なのに、なぜか懐かしいと思ってしまう。でも自分の名前を気にする知り合いなんていただろうか。そんな会話をだれかとしたこともないはず……。
……やはり聞いたことはない、と思う。
けれど少し似ているかもしれない。心当たりがある。バジリスクのせいで寝てたときだ。
あのとき聞こえた声は、ええとたしか──そう、誰かは分からなかったけど、泣きそうになりながら私の名前を、
「エレナ!」
「──え?」
「大丈夫なのか?」
「……あ、ああ、うん。平気だよ」
肩を揺さぶるように強く掴まれると同時に呼びかけられてハッと顔を上げた。ドラコはどこかはっきりしない私をじっと見つめる。そして数拍後、穏やかに瞳をやさしく緩めて「冗談だ」と微笑んだ。
「さっきのはただの冗談だからそんな気にしなくていい。変なことを言ってすまなかったな」
「いや、でも──……本当に?」
「ああ。だって僕らが初めて会ったのはホグワーツ特急の廊下だ。そうだろ?」
「……そう、だよね……うん、そう──その、はず……」
「そうだよ。そんなことより、突然で悪いんだがやっぱり今日はもう帰らないか」
彼は「締切が近いレポートがあったんだった」と苦々しく顔をゆがめた。絶対に嘘だ。ドラコが締切直前まで課題を溜めるはずがない。そのくらい知っている。
「そっか、それならしょうがないね」
「悪いな、また今度行こう」
彼の言葉を素直に飲み下したフリをしてにっこりする。ドラコは眉を下げて少し申し訳なさそうに笑った。
その灰色の瞳に安堵が見え隠れしていたのはきっと気の所為じゃなかったはずだ。
喧嘩はしなかった。ケーキも紅茶も美味しかった。とりとめもない、ちょっとくだらない会話も楽しかったし、和やかな時間を過ごせたはずだ。
それでもどこかすっきりしないような重苦しい気持ちが私の心に大きなしこりを残していた。
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