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 なんとなく陰気で不吉な空気が漂っている。なんの飾り気もない四方の壁にはびっしりとベンチが階段状に並んでいた。部屋のどこからでも、肘のところに鎖のついた椅子がはっきり見えるように並んでいる。逆パノプティコンみたい。

「みんな僕たちのことが見えてない」

 二百余りの魔法使いたちがひしめく、そんな地下牢を見回してハリーが呟いた。
 ハリーはちょっと躊躇ってから自身の隣に座るダンブルドアの目の前で激しく手を振ってみせる。めちゃくちゃ邪魔なはずなのにダンブルドアは身動ぎ一つしない。見事に無視されている。しかし彼は傷付くどころかそのことで確信をもったようだ。

「ここは『記憶』の中だ」

 理解の早さに感心する。リドルの日記からの経験値かな。

「でもここはどこなんだろう──」
「ハリー、あそこ」

 部屋の中央にある椅子に向かって指さす。ちょうど吸魂鬼が鎖付きの椅子に男を座らせたところだった。座らされた男はカルカロフだ。目玉をギョロギョロ動かし忙しなく周囲を確認している。椅子の肘の鎖が急に金に輝き、クネクネ這い上がってカルカロフの腕に巻き付き椅子に縛りつけた。
 今とさして変わらない見た目のダンブルドアとは違い、カルカロフはずっと若く見え……ないな、別に。たしかに髪も髭も黒々としてるけど頬が痩けてすごく不健康だからかな。震えてるのは薄いローブのせいだけじゃないだろう。

「イゴール・カルカロフ。お前は魔法省に証拠を提供するためにアズカバンからここに連れてこられた。お前が我々に有益な情報を提示すると、そう言ったからだ」
「そのとおりです、閣下。わたしは魔法省のお役に立ちたいのです。闇の帝王の残党を一網打尽にする手助けができるのでしたら、なんでも喜んで……」
「汚いやつめ」

 ねっとりした笑顔を貼り付けるカルカロフに関心を持って品定めする者や、不信感を顕にする者もいた。ざわめきの中でダンブルドアの後ろ側から聞き覚えのある唸り声がはっきり耳へと届く。「魔法の目」をもたないムーディは普通の両眼に嫌悪をたっぷり込めてカルカロフを見下していた。

「クラウチめ。六ヶ月もかけてやっとあの男を追い詰めたのに、仲間の名前をたくさん吐けばやつを解放してやるつもりだぞ……」
「わたしは主だった支持者たちの名前を知っています、あの人の命令を実行しているのをこの目で見ました──まず、エバン・ロジエール」
「ロジエールは死んだ。彼もお前の直後に捕まり戦い、抵抗して殺された」
「そ──それは喜ばしい! 当然の報いで!」

 カルカロフが引き攣った不気味な笑みを浮かべて高く声を震わせる。全然そう思っているようには見えなかった。

「ほかには?」
「スネイプ! セブルス・スネイプ!」
「その件に関しては、儂がすでに証明しておる。セブルス・スネイプはたしかに『死喰い人』であったが、ヴォルデモートの失脚より前に我らの側に戻り、自ら危険を冒して我々の密偵になってくれたのじゃ」

 静かな口調で説明するダンブルドアの背後でムーディがそれはどうかなと言いたげに鼻を鳴らした。

 自分を縛り付けている鎖を引きちぎらんばかりにもがき、必死で待ってくれと叫ぶカルカロフの声がだんだん遠ざかっていく。地下牢の周囲が煙のように靄がかり消えかかっていた。全てがぼんやりとしていき、渦巻きながら暗くなっていく。



 気が付くと私たちはまた別のベンチに座っていた。クラウチさんのすぐ横だ。どうやら違う日の裁判らしい。法廷は先程……先日とは打って変わって静まり返っていた。今回の法廷では、クラウチさんの奥に座る弱々しい儚げな魔女のすすり泣きが響くばかりだ。
 向かい側のベンチを見れば若かりし頃のリータ・スキーターさんが座っていた。まだ羽根ペンは自動じゃないらしい。

「連れてこい」

 クラウチさんの冷たい声を合図に隅のドアが三度開いた。四人の被告を六体の吸魂鬼が連行してくる。その中でも黒髪の女性が特に私の目を引いた。あれはきっとベラトリックス・レストレンジだろう。彼女は鎖付きの椅子が玉座でもあるかのようにふんぞり返り傍聴人たちを馬鹿にするように眺め回していた。

 クラウチさんが幽鬼のようにふらりと立ち上がる。だが目の前の四人を見下ろす瞳には混じり気なしの憎しみが表れていた。

「この評議会は、お前たちに評決を申し渡すを罪状は極悪非道の──」
「お父さん、お父さん……お願い……」
「──この評議会でも類のないほどの犯罪である」

 自身の隣の魔女の嗚咽と、情けなく縋る息子の声ごと押し潰すように一層声のボリュームをあげる。クラウチさんは侮蔑と憎しみを込めて、震える薄茶色の髪の少年を一睨みした。

「お前たちは一人の『闇祓い』──フランク・ロングボトム──を捕らえ、『磔の呪文』にかけた咎で訴追されている。ロングボトムが、逃亡中のお前たちの主人である『名前を言ってはいけないあの人』の消息を知っていると思い込み、呪いをかけた咎である。またお前たちはその妻アリスに対しても同様に『磔の呪文』をかけて拷問した」
「お父さん、僕はやってません! 誓って──吸魂鬼のところへ送り返さないで──」

 隣で息を飲んだ音が聞こえる。鎖に繋がれた少年が喚く声をかき消すように、「そしてさらなる罪状は」とクラウチさんが声を張り上げた。

「お前たちはウィンストン、エミリーのワイアット夫妻を拉致監禁し、ひどい拷問で長らく甚振った末になぶり殺した咎だ──彼らが何も知らないマグルであると知りながらである──」
「……は?」

 自分の低いつぶやき声がスイッチだったかのように、突然周りの声の一切が聞こえなくなる。三人の被告が颯爽と立ち上がった──少年だけがもがいている──クラウチさんが歯を剥き出しにして大きく口を動かしていた──しかしそれらなにひとつが耳に入ってこない。目の前の映像全てが音のない人形劇に見えていた。ハリーからの視線を感じたが今はそんなの構っていられない。


 だってウィンストンとエミリー・ワイアットは私の祖父母と同じ名前だ。
 彼らは父方の──お父さんと叔父さんの両親で、交通事故によって亡くなったはずだった。



「──もういいじゃろう、二人とも」

 腕を強く掴まれた。
 地下牢がボヤけ、一瞬全てが真っ暗になり、宙返りを打ったような感覚のあと、突然どこかにぴたりと着地する。私たちは陰気臭い法廷とは大違いの柔らかい陽射し溢れるダンブルドアの部屋に戻ってきていた。
 固まった首を僅かに動かすとダンブルドアと目が合う。彼はなにを考えているのか定かではない表情でじっと私を見据えていた。

「好奇心は罪ではない、しかし慎重に使わんとな……」
「ごめんなさい、いけないことをしたのは分かっています──そのつもりはなかったのです──戸棚の戸がちょっと開いていて、それで──」
「分かっておる。これはの、『憂いの篩』と言って一度見たものを見直すことができる」

 ダンブルドアはハリーに向かって安心させるように笑みを浮かべた。怒られるかとヒヤヒヤしていたハリーの表情がホッと緩む。

「誰ですか?」

 和やかな雰囲気をぶち壊す声は自分でもドン引くほど冷えきっていた。ダンブルドアは笑顔を引っ込めて私を再び見つめる。その瞳がどこか潤んでみえるのは気のせいだろうか。

「さっきの、ウィンストン・ワイアットとエミリー・ワイアットっていうのは、誰なんですか」
「……その答えは、もうすでに君の中にあるのではないか?」
「……私の、お祖父さんたち?」

 ダンブルドアは何も言わない。ただ哀しそうに目を伏せるだけだ。私は信じられなくてかぶりを振った。

「でも、そんな……違います、だって私の祖父母は交通事故って──」
「君の父上にエドガーはそう伝えたのじゃな」

 一瞬で悪あがきが底を尽いたので口を閉ざす。空っぽの頭に浮かぶのは私ってやっぱアドリブ弱いよなとか、そんな馬鹿なことばかり。

「彼らはヴォルデモートの失脚どころか、もとよりその存在も知らぬ、ごくごく善良で一般的なマグルじゃった。知っていることといえば──自分たちの息子の内一人が『魔法使い』であるということのみ」
「……それだけですか?」
「そう、たったのそれだけじゃ。エドガーが『戦争』に前線で参加していた『闇祓い』ということの何一つを、彼らは知らなんだ」

 体温が一気に数度上がった気がする。唇を噛み締めればじわりと鉄の味が滲んできた。ダンブルドアは痛みを堪えるようにぎゅっと目をつぶる。その一瞬、なぜか偉大なる魔法使いであるはずの彼がただの老人に映った。

「エドガーを許してやってほしい。きっと、君たち家族のためを思っての嘘だったのじゃろう」
「(許すって──)」

 重苦しい沈黙が横たわる中、ハリーが遠慮がちに「あの」と切り出した。

「クラウチ氏の息子の裁判の……あの……あれも、ネビルのご両親のことを話していたのでしょうか?」
「ネビルは、なぜおばあさんに育てられたのかを、君たちに一度も話してないのかね?」

 ダンブルドアが鋭い視線で私とハリーを見る。ハリーは首を横に振った。黙り込んだ私にダンブルドアは察したのか、安心したように息を吐く。

「……ネビルの父親、フランクはムーディ先生と同じように『闇祓い』じゃった。君が聞いたとおり、ヴォルデモート失脚のあと、その消息を吐けと母親ともども拷問されたのじゃ」
「それで、二人は死んでしまったのですか?」

 ダンブルドアは苦々しさで満たした声音で「いや」とゆっくり目を瞑った。

「正気を失ったのじゃ。二人とも、聖マンゴ魔法疾患障害病院に入っておる。ネビルは休暇になるとおばあさんに連れられて見舞いに行っているはずじゃ。二人には息子だということもわからんのじゃが」

 ハリーの体がぐらつき、カタンと戸棚に背を預けた。ショックで打ちひしがれた表情を浮かべ、なんとか立っている状態だ。

「ヴォルデモート失脚後、みんながもう安全だと思ったときにロングボトム夫妻とワイアット夫妻は襲われた。この事件に関しては、儂がそれまで知らなかったような、激しい怒りの波が巻き起こった。魔法省には、四人を襲った者たちを是が非でも逮捕しなければならないというプレッシャーがかかっておった」
「それじゃ、クラウチさんの息子は、関係してなかったかもしれないのですか?」
「そんなわけない」

 怖々と訊くハリーの声に被せて否定の言葉を吐き出す。ダンブルドアは黙って私に目線を向けた。多分、咎められている。だけどこれに関しては曲げてやらない。謝るもんかと、私は初めて逸らさずに青い瞳を見返した。

「そんなわけありません」
「……それについては、儂にはなんとも言えぬ」
「あの……スネイプ先生は……」
「……スネイプ先生はあれ以来、一度も闇の活動で罪に問われたことはない」

 頑なに繰り返す私に、ダンブルドアは諦めたのかため息を吐いた。続けてのハリーからの質問にあえて感情を取り払った声をだす。さすがのダンブルドアも今ばっかりは『こいつら……』と思ってそう。あれおかしい、ハリーはともかく私は優等生のはずだったんだけどな。ハリーはともかく。

「先生はどうして、スネイプ先生が本当にヴォルデモートに従うのをやめたのだと思われたのですか?」

 ダンブルドアはハリーの食い入るような眼差しを数秒間受け止めた。

「それはの、ハリー、スネイプ先生と儂との問題じゃ」

 きっぱりした口調だ。この話はもう終わりだろう。ハリーもそれを悟ったのか「はい」と大人しく返事をした。

「さて、すっかり話が逸れてしまったの。改めて、君たちが昨日体験した話を教えてくれぬか?」





 基本ハリーが説明して、たまに私が補足して。そうして昨夜のことをすっかり話し終えると、ダンブルドアはすぐに私たちを解放する。
 立ち去る寸前、閉まる扉の隙間から見えたダンブルドアは憂いの篩を覗き込んでいた。


 私たちは今日もやっぱりなにも話さず、帰り道を歩いた。ハリーは時々話しかけたそうにこちらを見ていたが、私はことごとく気付かないふりをした。

「(でもハリーはそれすらも気付いていたのかも)」

 怒りっぽくてたまにびっくりするくらい無神経だけど、それと同じくらい純粋で優しいところもある人だから。私が話したくなくて気付いてないふりしてるってことも分かっていたのかな。

 そんな当たり前のことに思い至ったのは寝室に戻ってからのことだった。


 まだ人のたくさんいる談話室を通ってここにきたはずなのに、誰かと言葉を交わした記憶は全くない。多分──いやきっとそれはハリーのおかげだ。彼が様子のおかしい私をフォローしてくれたに違いない。大変だっただろうな。ハリーだってあんな濃い情報大量にぶち込まれて疲れてるだろうに。


──『許してやってほしい』

「……許すもなにも」

 なだめるような縋るような、あのらしくもない震え声を思い出して呟く。ダンブルドアにしては随分と的外れなことを言ってくれたな。


 叔父さんを一番許せないのは、叔父さん自身のはずだ。

 もし自分が戦争に参加していなければ。
 もし自分が闇祓いでなければ。
 もし自分が魔法使いでなければ。

 もし自分が彼らの子どもでなかったのならば。


 そんな悲しい“もし”をいったい幾つ考えてしまったのか。あの人がどれだけ己を責めたのか。私なんかでは到底想像もつかなかった。唯一分かることは、だからこそ私たちには嘘をついて隠していたんだということだけだ。
 それを悲しいと思うけれど一人で全部背負い、守ろうとしてくれた叔父さんを許さないなんて。そんなこと惨いことを誰が言えるというのか。
 

 写真で見たきりの祖父母を思い出す。
 叔父と父によく似た、あの二つ並んだ優しい顔を。

 怖くて痛くて悲しかったはずだ。
 なんにも知らない彼らにどうしてそんな酷い真似ができるのか、どれだけ考えても理解できない。……したくもないけど。

 親族に闇祓いがいたから?
 彼らが──私たちがマグルだから?
 たったそれだけの理由で、どうして殺されなければならないの?


「(そっか、叔父さんは知らないんだ)」
 
 そんな事実にはたと気付く。

 叔父さんは知らない。
 家族のかたきの主犯の一人が、死んだフリをしてまだのうのうとこの世界で息をしていることを。
 つい先日、自分がそのすぐ目と鼻の先で相対したことさえも。
 

「……ゆるせない」

 改めて空気に吐き出すことで、自身の憎悪が鋼の硬さを持ったのが分かる。

──『父さん、僕はやってません!』

 惨めったらしく泣き喚くクラウチJrの声が脳内で煩わしく響いた。耳の奥底にこびり付いた不愉快な絶叫に奥歯を噛み締める。

 うそだ、そんなわけない、信じない。誰がなんと言おうと、信じるものか。絶対にお前たちだ。お前たちが私の家族を殺した。お前たちが私の親友の家族を傷つけた。

──『吸魂鬼のところへ送り返さないで』

「許せない」

 不快な声を打ち砕くように口が勝手に動いた。腹の底からでた言葉は一言繰り返すごとに、重く深く心臓に刻まれていく。怒りで膨らんだ血管がぴくぴくと動く。全身全霊ありったけを込めて握った拳の震えが止まらなかった。呼吸が激しく切れる。
 この心臓の速さも、有り得ないほど早いこの血の巡りも。今が生きてきた中で一番だ。きっとこれからだって今以上はない。


 それなりに長らく生きてきたはずだ。
 だというのに、今になってやっと『この世界で生きる』ということがどういうことかを、突き付けられた気がした。
 

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