31
◆◆◆
第三課題までいよいよ残り数日となった夜。特訓も終わったので寮へ戻ろうと玄関ホールでコーチと別れた。
大広間横の階段を降りていくセドリックの背中を見届る。私も早くグリフィンドール塔へ帰ろう。
「黙れ、この陰険蝙蝠男め!」
「……シリウス?」
ひどい罵倒に動かしたばかりの足を止めた。声の方向に顔を向けてつい半目になる。もうすぐ消灯時間なのになにしてるんだあの人……達? シリウスが絡みにいっただけな気もするが、大人げなさではあっちもじゅうぶん負けてないからな……。
シリウスが悪態ついて怒鳴る相手なんて決まってる。というのは建前だ。ぶっちゃけ罵倒内容で察してしまっていた。不敬な生徒ですみませんスネイプ先生。
聞いちゃいけないかな、いやこんな大声で喧嘩してるくらいだし内密の話とかでもなさそう。地下牢の階段の方へと戻っていく。
地下牢に続く階段を覗けば、シリウスが階段の中段辺りから振り返ってスネイプ先生を見下ろしていた。私からはシリウスの背中しか見えない。スネイプ先生はシリウスの背後から顔をだした私に気が付くと、疎ましそうに目を細めたままほんの少しだけ眉を上げた。そんな先生の様子にシリウスは気が付いてないようだ。
「調子に乗るなよ、スニ──」
「きゃー手が滑っちゃったグリセオ〜」
「は、なにっうおあああ?!」
シリウスが立っていた付近の階段が滑らかな傾斜になる。シリウスは尻もちをついてそのまま滑り落ちていった。シリウスの荷物が散らばって、バタバタと大きな音が立つ。スネイプ先生は自身の前に落ちてきたシリウスを、汚いものから逃げるようにサッと素早く横に退いて避けた。
私もシリウスのあとに続いて階段だったものを滑り降りる。わ、結構とツルツルだ楽しい。
「わあ、シリウス先生ごめんなさい、大丈夫ですか?」
「今のは明らかに故意だろ……」
シリウスは腰を摩ってぶつくさ言っていた。聞こえなかったことにして、私は彼が落とした荷物を拾い集めていく。近くに転がっていた大きめな木箱からヘビの皮や葉っぱなどが飛び出していた。うわこれ直触りオッケーなやつ? 迂闊なことすると減点されそう、魔法でやったほうがいいかな。
「……こんな時間までなにをしている、ワイアット」
「明後日に向けて対策をしてました」
杖で片付けながらスネイプ先生の問いかけに答える。廊下で魔法使っても減点されないってことは触らないのが正解だったらしい。
「シリウス先生、これどこまで運ぶんですか?」
「いや、別に手伝いは──」
「そんなこと言わず是非手伝わせてくださいよ。どこまでですか? ほら立って、ほら」
ほらほらほらとシリウスを無理やり立たせる。木箱を抱えてスネイプ先生に「じゃあ失礼します、おやすみなさい」と会釈した。
とぼけた顔のシリウスの背中をぐいぐい押して地下牢(スネイプ先生)から離していく。
「……あっ階段直すの忘れてた」
階段をのぼり廊下を何個も曲がったころやっと思い出す。ていうかあれこそ減点対象だよね。シリウスにダメージ入ったからノーカンにしてくれたのかな。
「どうせあいつが勝手に直すから気にしなくていい。それよりそこあんまり押さないでくれ。さっきぶつけたところなんだ」
「うそ、ごめん」
ずっと大人しく私に押されていたシリウスが口を開いた。もう地下牢からはかなり離れている。よくこんなところまで黙ってされるがままだったな。どんな気分でここまで押されてたの?
「押すならもうちょっと上押してくれ」
「あっうん。……いや自分で歩いてよ」
「はは、どこまで連れて行ってくれるのかなと」
ははじゃないよ。
爽やかな声音に少しイラッとする。……まあさっきまでの怖い声よりはいっか。彼は流れるように私が持っていた木箱をかっさらった。
「ああ、ここでいい」
「……ここがシリウスの部屋なの? まさかムーディの指示で?」
「こんな物置小屋が私の部屋なもんか。ここはただの準備予備室さ」
しばらく歩くとシリウスは一つの教室の前で立ち止まり、扉を開いて入るように促した。シリウスが杖を一振すれば入口のランプに火が灯る。橙色に照らされた部屋の中はありえないくらい散らかっていた。元々の狭さに加えて、溢れかえった本や細々した道具で足の踏み場もろくにない。よかった、シリウスの部屋ってわけじゃないのね。シリウスまで物置部屋で生活してるのかと。ハリーが見たら泣くぞとか思っちゃった。
木箱から次々に物が飛び出してあるべき場所へひとりでに移動していく。狭い部屋をピュンピュンと飛び交う物を避けつつ私は入口近くの棚に寄りかかった。
「手伝いなんて必要なかったね」
「そんなことはない、大事な話し相手さ」
ウインクを飛ばされる。その途端、差し出がましかったなという反省が一瞬で失せた。シリウスのウインクには不思議なパワーがあるなぁ。
「生徒の厚意はありがたく受け取るのが私の教師としての信条でね」
「教師っていうなら生徒に聞こえるような場所で同僚と喧嘩するのやめてくださーい」
「……すまない」
淡々とした私の口調が居心地悪いのか、シリウスは顔を逸らした。先程のはカッとなっていた自覚があるらしい。
「そういえば明後日の対策をしていたと言っていたな。どうだ? うまくいきそうか?」
「呪文は結構練習してるよ」
「そうか……しかしエレナはしっかりしているから心配はいらないな」
「ハリーも頑張ってるよ、ロンとハーマイオニーがアザだらけになるくらい」
「うん? そうか……うん?」
「まあまあまあ……それよりゴブレットに私たちの名前をいれた人は見つかったの?」
シリウスは表情を真面目なものに切り替えて黙って首を横に振った。でしょうね。聞いといてなんだけど期待はしてなかった。シリウスは「調査はしているが進展はないな」と言って床をじっと見つめる。しかしそう話すシリウスの顔はどうしてかさほど深刻には見えなかった。
私が不思議がっているのが分かったのか、彼はにっこりと顔を明るくさせた。
「たしかに最初はどうなることかとは思った。しかしきみたちがとてもよく頑張ってくれているから」
楽しくなってきちゃったって?
ああそう、それはなによりです。シリウスは「最年少だというのに今や一位と二位だし」なんて言って感慨深げに瞳を緩めた。嬉しそうににこにこされて気が抜けてくる。
「第一課題のハリーを覚えているか? まさか飛ぶなんて!」
「あっうん、ね」
満面の笑みを前に全く見てないとはとても言えず、曖昧に返事をする。まあ見たことには見たから、前世で。
「素晴らしい飛行術だった。それに箒を使うなんていう素晴らしい機転──ああ、本当に、ジェームズの生き写しのようだ」
シリウスさんは陶酔しきって独りごちた。声がだせなかったが、私からの返事は別に必要とされてないのはその声色から分かる。うーん、これは結構重症なんじゃ。
「ハリーの好きな食べ物はなーんだ」
「なんだいきなり。糖蜜パイだろ?」
突然のクイズに首を傾げつつもシリウスは律儀に答えた。なんなら少し得意げだ。適当にぽんぽん質問していく。
「──今何問目だっけ。えーっと、それならハリーの苦手な教科」
「それはもちろん魔法薬学……──いや、占い学か?」
「まあ両方なんじゃ? 次、ハリーの目の色は?」
「リリーと同じ、緑色だ」
「“ハリー・ポッター”の親友は?」
「……私になにを言わせたいんだ?」
やっとなにかおかしいと思ったのかシリウスは怪訝そうに眉をひそめた。ただ笑って答えを促せば、彼はしぶしぶ二人の名前をあげる。
「ロン・ウィーズリーとハーマイオニー・グレンジャーだ」
そう、ハリーの親友はロン・ウィーズリーとハーマイオニー・グレンジャー。
シリウス・ブラックやリーマス・ルーピン、それからピーター・ぺティグリューではない。
「いったいなんなんだ、これは」
「ハリーとジェームズ・ポッターさんって、本当にそんな似てるのかな」
「……なにが言いたい」
シリウスの声が低くなった。波が引くように感情が失せ、冷えた瞳になる。少し開いた扉の隙間から入り込んだ宵の春風が不気味な音を立てた。ランプの灯りが揺れ、シリウスの顔に深い影を落とす。おっかない顔だけど少し懐かしい。去年もこんな顔で睨まれたっけ。
「シリウスってハリーとジェームズさんを同一視しすぎてそうだなって」
決定的だったのか、途端に空気がピリッとする。わあ血の気はやい。ついさっきまで和やかに話してたのに舵の切り方えらい急だな。100私のせいだけど。
「ハリーのことをちゃんと見れていないとでも?」
「まあ若干。……若干だってば! 睨まないで!」
「私はハリーとジェームズを重ねてなどいない!」
「え、本当に自覚ない?」
シリウスは怒りを顕に歯を剥き出してがなり立てたが、静かに問いかければぐっと黙り込む。その様子を意外に思う。
「なんだ、あるんだね」
「……時々だ。本当に時々──……」
途中で声を詰まらせると片手で目頭を抑えた。気持ちを落ち着けるように長い息を吐く。「悪いことなのか」独り言とも思えるトーンで呟いた。
「ジェームズを、もう二度と会うことのできない親友を想うのは……」
「……」
「そんなにいけないことなのか……?」
「……いや、……」
こんなずるい言い方するんだ。驚きでつい反応が遅れる。いや詰めたのは私なんだけどね? だからってうんと年下の子どもによくそんな……まぁいいや。
「それ自体は全然悪くないし、私は忘れろなんて言ってないよ」
「だったら、」
「でもシリウスはもうハリーとジェームズさんとの違いをちゃんと分かってるのになって」
「──……私がか?」
「そうだよ。だってハリーの苦手なものとか、私は知らなかったし」
先程投げていった質問の一つだ。ハリーって鳩苦手なんだね。初めて聞いた。私の知らないハリーをたくさん知っているシリウスなら、その理由だってきっと知ってるんだろう。
この一年、ハリーと一緒に過ごしてきたことはシリウスの中にちゃんとある。なにもかもが見えていないわけじゃない。
ハリーがジェームズさんじゃないなんてこと、本当はもうとっくに分かっているはずなんだ。
「ていうか、そもそもハリーは三十なんぼのおじさんじゃなくてうら若い十四歳の青少年なんだから」
「おじっ……そうは言ったって、きみたちだっていずれこうなるんだからな」
「分かってるよ。でもまだ先の話だし」
私はすでに精神的にアレだからアレですが。けれどハリーたちにはずっと未来のことだ。実際重ねてるのが二十くらいのジェームズさんだとしても一緒にするのは、ねえ? どちらにせよだ。
「だからとにかく、親友じゃなくて……子供扱い?」
「ハリーをか?」
「うん、だってシリウスはハリーの親なんだし」
シリウスがハッと息を飲んで感極まった様子を見せる。いやなんでや。これまで散々「親代わりだから」って豪語して甘やかしてたじゃん。隔週十ガリオン制度を廃止させるのに私たちがどんだけ苦労したと、って話が逸れた。
張り詰めていた空気はいつの間にか弛んでいた。すっかり平静を取り戻した落ち着いた顔をして、シリウスは眩しげに目を細める。
「きみは本当に大人びているな」
「……そうかな、自分じゃ分からないけど」
なんて返すのが正解なのか分からない。ここって喜んでいいんだっけ。いつだかに叔父さんからも似たようなこと言われた気がする。あのとき私なんて言ったっけ。
適当に言葉を濁す私に、彼は「そうとも」と微笑み優しく肯定した。
「だからきっとみんな甘えてしまうんだろう」
「……いや、今年相応な扱いしましょうねって話したばっかだよね。え? 聞いてた?」
慌てるシリウスにがっくりと肩を下げて額を抑える。
これ血判……血判案件なのかな、ついに。
◆◆◆
- 91 -
←前 次→