34



 割るような頭の痛さ、それからどうしようもない息苦しさに襲われていやに重たい瞼を開く。薄くしか開かなかったが、その隙間から見える景色はうんざりするほど真っ白でひどく眩しい。いたい、染みる。

「(どこ、ここ……)」

 光に馴染んだ視界がやっと捉えたのは見覚えのない天井だった。
 起き上がろうにも、なぜか力が入らない。いや、全力でいれてるつもりではある。でも全く動かない。

 顔になにか付けられてる。これのせいで息苦しい……いや、息自体はこれのおかげでしやすい。じゃあ息苦しいのはなにかついてるせいでそう錯覚してるだけなのかも。なんか吐きそうなのも気のせいなのかな。
 何かが体中に巻き付けられている感覚がした。だから動けないのだろうか。指先すら、ベッドに縫い付けられているようにピクリともしない。


 とりあえず、さっきからずっと聞こえていた機械音のほうへ目を動かす。テレビのようなモニターが線と数字を映していた。モニターからでる管は私の体へと伸びている。……これ、心電図っていうんだっけ。でも電子機器ってホグワーツでは使えないはずじゃ──

「(そうだ、試合)」

 たしかについさっき、私は墓場でピーターにアバダ ケタブラされた……と、思うんだけど。え、もしかして生きてるの? え、生きてるよねこの感じ。体は全然動かないしめちゃくちゃ頭痛いし吐きそうだけど。でもとにかく息はしてるし意識もばりばりにある。うっそまじか。死亡フラグ回避しちゃった。シレンシオしたからかな。そんなに効くんだあれ。土壇場で思い出したから使ってみただけなんだけど……コーチの先見の明に助けられた。
 でも私を助けてくれたのはコーチだけじゃない。

「(ピーターにも助けてもらった)」

 私が呪文を打つことができたのは、ピーターが一瞬躊躇いを見せたからだ。あの一瞬がなければきっと間に合わなかった。いま私がこうして生きているのは彼のおかげかもしれない。

 けれど彼はあのときどうして迷ったんだろう。申し訳ないが彼が今更ガキ一人殺すことに躊躇いを感じるとは思えない。良心が全くないとは言わないけど、それでもあの状況──ご主人様から直々に、それもあんなすぐ傍で仰せられたあの状況で、彼に迷う余裕も権利も選択肢もなかったはずだ。うーん、謎。

 
 まだ分からないこともたくさんあったが、分かることも増えてきた。

 要するにここは病院で、私は治療中の患者ってわけだ。聖マンゴではこういう化学系の器具も使えるのかな。
 アバダ・ケタブラでこんな重症扱いされるような怪我するとは思えない。推測するに、仮死状態になったあとヴォルデモートに遊ばれた……うわ死んでてよかった〜磔の呪文とか二度とされたくないもの。


 とりあえず意識が覚醒したことだしナースコールでもしなきゃだよね。こういうのはだいたい枕元にあると思うんだけど。
 私は心電図モニターとは反対側を見上げた。壁にかけられたカレンダーが目に入ってくる。右下に小さく、『20XX年』と書かれていた。ああ、20XX年ね。これって、ちょうど前世の私が死んだ年から十四年後の──。


 継続的に規則正しく鳴っていた音が、一瞬だけ途切れる。おとずれた沈黙の中、タイミングよくぴちゃんという小さな水音だけが響いた。機械音は何事もなかったかのように、再び次の音が刻みはじめる。先程よりもゆっくりしたものだった。


 ん? え? あれ、なに、なんで? おかしいでしょ、これ。だってさっきまで、一九九五年の六月二十日で……え、寝すぎた?

 それか、まさかまた誰かの記憶に……いや未来に飛べる呪文や魔法道具なんて……あれ、逆転時計って未来でもいけるんだっけ。でもそんなの使った覚えないんですが。そもそも持ってないし。いやていうか『逆転』なんだから未来にいけるわけないじゃん。はい解決解散。ちがう集合。結局西暦問題がまだ解決してないんだった。


 静かにパニックの渦へと陥っていれば、病室のドアが開き誰かが入ってくる。私は反射的に目を閉じた。閉じるといっても一ミリ程度しか空いてなかったから開けてたってバレなかっただろうけど。
 室内に入ってきた誰かは、おそらく椅子を引いてベッド横に腰掛ける。どうしよう、顔、見てみようかな。そうすれば少しは状況掴めるかも、

「“──”」

 呼ばれた名前に心電図がまた一瞬静かになった。やばいと思ったが、声の主は柔らかく笑う。

「呼べば、いつもそうして返事をしてくれるのにね」
「(この人、この声は──)」
「はやく起きて、元気な声でまた『お母さん』って呼んでよ、“──”」

 お母さんは──前世の私の母親は、震え声で私の手を握った。温度はまるで感じないが、なにかに包まれているということだけは分かる。



 これまでの人生を全部足した中でも最速で脳が動く。そして私は一つの答えを弾き出した。


 つまり、今生きているこの身体は『前世の私』のものらしい。


 え、トラ転じゃなかったの? 私は死んでなかったの? これまで──この十四年間、ずっと生きてたってこと?


 じゃあ、それなら今までのって全部夢だったということだろうか。
 ははぁ、なるほどね。作品への愛がこんな形で現れちゃうなんて。これだからオタクは。オタクは……


「(……いやそんなわけある?!)」

 ない、ないよ! いや、仮にあろうがそんなの認められない。

 誰がなんと言っても私はたしかにあの世界で生きていた。色んな人と触れ合って、友達になって、喧嘩をして。

 そうして幾つもの選択をして、その果てに失敗ばかりした。
 あんなままならない、リアルすぎる夢があってたまるか。


──『君はとっくに選び終えている。もう、戻ることはできぬ』


 不意に組分け帽子のしわがれた囁き声が聞こえた。今被ってたっけと思うくらい、鮮明な声色だった。意味の分からなかったあのポエムも、今なら理解できる。

 そうだ、私はもう選んでる。
 私を──エレナを呼んだだれかがいる世界を。

 あの人をあれ以上、泣かせたくなかったから。
 あの人の泣き声をもう聞きたくなかったから。

 また泣かせるつもりなの、エレナ・ワイアット。
 選んだならば、決めたならば、もうここにはいられないはずだ。

「(それに──)」

 シリウスやダンブルドア、フレッドやスネイプ先生の顔が脳裏を過ぎる。

 まだやることはたくさんある。
 こんな中途半端じゃとても終われない、終わらせられない。


「“──”? ……“──”?!」

 そんな想いが呼び水となったのか、機械音が三度目の停止をする。たっぷり数拍あけてまた鳴らして止まるというのを繰り返しはじめた。だんだんと、しかし確実に沈黙の時間が長くなっていっていく。

 泣き叫ぶ母親の声がした。遅れて父親の声。多分病院の人も集まってきたのだろう。室内に一気に音が溢れた。

 私は目を開けることもできなかった。
 その程度の力さえ、この身体にはもう残されていなかったから。


「(顔、見とけばよかった)」

 僅かな後悔が残る。……まあ、最期に声が聞けただけでもじゅうぶん幸せか。これ以上望むのは欲張りなのかもしれない。

「(親不孝だったなぁ)」

 私は静かに意識を落とした。








 どっちみち死んでるんじゃないの、これ。
 意識だけを奈落の底の真っ暗闇に放り出され、そんなことを考える。

 冷静に考えるとシレンシオで死の呪い防げるわけない。ピーターのアバダが上手く発動しなかった説ならまだなくも……いやあるか? うーん、ない気がする……。

 このまま進んで、本当にあっちの世界へ戻れるのかなぁ、なんて今更不安になってくる。進んでるのかすら怪しい。落ちてるだけなんじゃ……まさかここケタブラれた者が辿る世界の末路だったりしない?


『珍しい花なんだ。僕もこんなにたくさん群生しているのは初めて見る』

 恐ろしい仮説を立ててしまったそのとき、どこからともなく男の子の声が響いた。この前聞いた声だとすぐに気付く。
 
『なんだ締まりのない顔して』

 えへへ、と気の抜けた笑い声がする。男の子とは別の声で、なんていうかちょっとバカっぽい笑い方だ。

『ねえ、私、今日のこと絶対忘れないよ』
『ああ、僕もだ──エレナ』

 名前を呼ばれた。じゃあ、この女の子の声は私? え、バカっぽいとか言っちゃったんだけど。ていうかいつの話で、いったい誰と……。
 女の子が──私が『もう一回! もう一回呼んで!』とせがむが、男の子はピシャリとした調子で『断る!』と跳ね除けた。めちゃくちゃ嫌われてるじゃん私。

『ええ、マルフォイくんのケチ』
「……え?」
『ケチじゃ、……それなら、お前も呼べ。そしたら考えてやらなくもない』

 マルフォイ? マルフォイってあの? 私が知ってるマルフォイはドラコ・マルフォイしかいない。ドラコ・マルフォイ・リリィはちょっと存じ上げないのだけど。混乱している間にも話は進んでいく。ちょっと待ってよ頭が追いつかない、停止ボタンとかないの。

『ははっ馬鹿なやつ!』

 男の子がそう言った途端、真っ暗闇が一遍に取り払われる。サアと塵が風に巻き上げられて吹き飛ぶように闇が消え去り、そうして現れたのは眩い色彩溢れる世界だった。ピンクや黄色、赤に紫の花々、そして──

「ドラコ……」

 楽しげにはしゃいでみせる、幼いドラコの姿。



 目の前の光景が浮かんでは消えてを繰り返し、次々と移り変わるのをぼんやり眺める。

 そうだ、二人で花畑に行ったんだ。クッキーをあげたよね。ハンカチも貸したんだった。それにたくさんのことを話した。魔法界のこと、クィディッチのこと、誕生日のこと。

『悪く思わないでくれよ……オブリビエイト!』

──けれど最後は、ルシウス・マルフォイがその全てを。



「なにが『ホグワーツ特急』よ……」

 すべてを思い出した末に、最初に思ってしまうのはそんな恨み言だった。


 初めて会ったのは、あの山の湖で。
 誕生日を教えたのは私で。
 クィディッチだって、私が飛んでるところを見たいと言ったから。


「うそつき」

 私たち、ずっと前から友達だったんじゃないか。

 流れるはずもない涙が溢れたような、そんな感覚に襲われる。


 ああ、はやくあいたい。

 呪文ひとつでぜんぶ忘れてしまうような、そんなひどい友達の私を、ずっと諦めずに待っててくれたあの人に。

 何度も名前を呼んでくれたドラコに。
 
 

- 95 -
 ←前 次→
 back
 >>HOME