34.5
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ハリーは、瞼を閉じれば、すぐにでも今夜の光景の一つひとつが目の前で繰り広げられるように感じられた。ヴォルデモートを蘇らせたあの液体から出る火花。大鍋を囲むようにして「姿現わし」してくる死喰い人。優勝杯のそばに横たわるエレナの亡骸。
ハリーはヴォルデモートの復活の様子や死喰い人たちへの演説を、思い出せるかぎりのすべて話していった。しかし金色の光がハリーとヴォルデモートを繋いだ件では、ついに喉を詰まらせてしまった。ハリーを助けようと現れた年老いた男、バーサ・ジョーキンズ……そして母と父を思い出し、胸がいっぱいになってしまったのだ。
「杖が繋がった? ……直前呪文か?」
「おそらく。ハリーの杖とヴォルデモートの杖には共通の芯が使ってある。それぞれに同じ不死鳥の尾羽根が一枚ずつ──このフォークスの羽根が」
ダンブルドアの言葉にハリーは驚愕して膝に安らかに止まっている真紅と金色の鳥を見た。
「オリバンダー翁が四年前、君があの店を出た直後に手紙をくれての。君が二本目の杖を買ったと教えてくれたのじゃ」
「杖が兄弟杖に出会うと、何が起こるのだろう?」
「杖の持ち主が二つを無理に戦わせると……非常に稀な現象が起こる」
それまで部屋の隅で一人俯いて座ってずっと沈黙を貫いていたエドガーが低い声で言った。三人は同時に彼を見たが、エドガーは見向きもせずにぽつぽつと語る。
「どちらか一本が、もう一本に対して、それまでにかけた呪文を吐き出させる──逆の順序で。一番新しい呪文を最初に、そしてそれ以前にかけたものを次々に……」
「ということは──エレナが何らかの形で現れたのじゃな?」
「えっ? い、いいえ」
確かめるような目のダンブルドアにハリーは動揺して口篭った。否定したハリーに、ダンブルドアは「なんじゃと?」と鋭く訊ねる。ハリーはしどろもどろになりながら口を開いた。
「最初に現れたのは年老いた男で、その次はバーサ・ジョーキンズ。それから……母さん、父さんが……でも彼女は、エレナの姿はでてきませんでした」
ハリーがそういった途端、エドガーが驚くほど俊敏に立ち上がった。エドガーは数歩で広い校長室を横切ると、入口から飛び出していく。呆気にとられているハリーとシリウスを余所に、ダンブルドアも立ち上がった。
「ハリー、すまぬが続きは歩きながら頼めるかの」
「ええ、はい──でもどうして、どこに?」
「医務室じゃ」
「どういうことだ?」
聞きながらもすでに動き出していたダンブルドアを慌てて追いかける。走らないとついていけないくらいの速さだった。廊下にでるとちょうどエドガーのローブが階段を降りて消えていくのが見えた。ダンブルドアは、息を切らせてついてくるハリーとシリウスを、足を止めずにちらりと見た。
「エレナはまだ生きておるかもしれぬ」
「人殺し!」
医務室に入った瞬間に飛び込んできた女性の怒鳴り声に、ハリーは心臓が止まるような心地になった。先頭のダンブルドアに続いて恐る恐る足を踏み入れる。けれど部屋に入ってすぐに、ハリーは、あの言葉は自分ではなく、部屋の中央で俯いている長い黒髪の少女へ向けられたものだと分かった。
「この、最低で、下劣な──よくも──!」
「生徒になにを──おやめください!」
「おい、やめないか!」
部屋の中央では、顔を涙でぐちゃぐちゃにしたワイアット夫人が激しく怒りを顕にし、ぼんやりと立ち尽くしている少女に掴みかかろうとしていた。ワイアット氏とマクゴナガル先生が必死で収めようとしている。ワイアット氏は少女を背に庇うように二人の間に割り込んだ。
少女は殴られたのか、不自然に顔を斜め下へと向けて微動だにしない。艶やかな黒髪が暗い影を作ってその顔を隠しているせいで、少女が今どんな表情でいるのかハリーからは見えなかった。しかし恐らく、この少女こそがエレナの名前をゴブレットに入れたというレベッカ・スミルノフなのだとなんとなく理解する。
二発目の張り手を食らわせようとする夫人の肩を疲れた顔のワイアット氏がしっかり掴んだ。夫人は癇癪を起こした子どものように、夫をどうにかしようとめちゃくちゃに腕を振り回して拘束から逃れようとする。
「どうして?! だって、この娘のせいでエレナは──」
「この子を責めたって、もう仕方ないだろう」
「なにを──」
落ち着いた口ぶりの夫を息を巻いて顔を上げた夫人は、夫の顔になにをみたのか荒らげていた声を消した。夫の胸を叩いていた拳が、糸が切れたようにだらりと下がる。口を噤み、今度はすすり泣きを始めた夫人を、ワイアット氏は静かに引き寄せた。
ベッド周りに巡らされたカーテンの中から、目を真っ赤に腫らしたハーマイオニーやロン、それからウィーズリー一家がこちらを見ていることに気付く。しかしそれよりも、ハリーはカーテンの隙間から覗くシーツの上に、ぴくりともしない白い手があることのほうに意識が持っていかれ、また胸が締め付けられる気持ちを味わった。
ベッドに近付くとエレナの姿、そしてその傍らで彼女の手を握るネビルがいた。ネビルは涙の一筋もない平坦な顔でただひたすら眠ったように目を閉じている彼女をじっと見つめている。ハリーたちが来たことにも気付いていない──いや、気付いているのかもしれない。しかし彼はハリーたちを全く気にすることなく、エレナの手を握り続けていた。
「エドガー、なにか分かったか?」
杖を片手にエレナの体を調べているエドガーにシリウスが問いかけた。エドガーがなにか答えるより前に、病棟のドアがバーンと開く。ファッジがドカドカと尊大な態度で部屋に押し入ってきた。ファッジは不服をその顔に色濃く浮かべている。
「何事じゃ、コーネリウス。病人たちに迷惑じゃろう?」
「ダンブルドア! 私には魔法大臣として、容疑者を尋問する権利があるはずだと認識していたのだが?」
「もちろんだとも。それがどうかしたかの」
「報せを受け、先程バーティ・クラウチの元へ向かった! しかしマッド・アイ・ムーディに追い返されたのだ! あなたの指示だと言って! いったいあなたはどういう了見でこの私を締め出そうと──」
「今夜の事件を引き起こした死喰い人を捕らえたと、ファッジ大臣にご報告したのですが」
ファッジのあとから入ってきたスネイプがわめきたてるファッジの声を静かに押しどかすような低い声で言った。
「すると大臣はご自分の身が危険だと思われたらしく、城に入るのに吸魂鬼を一人呼んで自分に付き添わせると主張なさったのです。大臣はバーティ・クラウチのいる部屋に、吸魂鬼を連れて入られた──」
「なんてこと! 吸魂鬼が一歩たりとも城内に入るだなんて、ダンブルドアはお許しになりませんわ!」
「失礼だが! 護衛を連れて行くかどうかは私が決めることだ。尋問する相手が危険性のある者であれば然るべき措置をとる必要がある!」
「──が、アラスターが吸魂鬼を追い払ったんだな」
エドガーはエレナから離れると、ファッジを冷たく見据える。ファッジはその視線と、エレナの姿にぎくりと怯んだように見えたがすぐに持ち直して挑戦的で意固地な表情になった。
「そうだ、ダンブルドアの命令だの一点張りでな。ダンブルドア、あなたはどういうつもりなのか──」
「たしかに儂はアラスターに見張りを頼んだ。アラスターは恐らく吸魂鬼がクラウチに死の接吻を執行すると考え、追い払ったのじゃろう」
「それのなにがいけない?」
静かに語るダンブルドアに、ファッジは食ってかかった。まるではじめてはっきりとファッジを見たかのように、ダンブルドアはじっと見つめていた。
「コーネリウス、クラウチは今回の事件の特別重要な参考人じゃ。なぜ何人も殺したのか、その証言が必要じゃろう」
「なぜ殺したか? ああ、そんなことは秘密でもなんでもなかろう? あいつは支離滅裂だ! マッド・アイやセブルスの話では、やつはすべて『例のあの人』の命令でやったと思い込んでいたらしい!」
「たしかに、ヴォルデモート卿が命令していたのじゃ、コーネリウス」
ファッジはだれかに重たいもので顔を殴りつけられたような顔をした。呆然として目を瞬きながら、ダンブルドアをまじまじ見つめ返した。
「そ──それじゃまるで──『例のあの人』が復活したとでもいうような言い方じゃないか。バカバカしい、そんなことは……」
「その通り、復活したのじゃ。つい先刻に」
「まさか──まさかそんな、クラウチは『例のあの人』の命令で働いていると思い込んでいただけで──そんなたわごとを真に受けるとは、ダンブルドア……」
「今夜ハリーが優勝杯に触れたとき、まっすぐにヴォルデモートのところに運ばれていったのじゃ。ハリーが蘇るのを目撃した。わしの部屋まで来てくだされば、一部始終をお話いたしますぞ」
一瞬沈黙が流れる。ファッジはハリーをチラリと見て、それからダンブルドアに視線を戻した。
「ダンブルドア、あなたは──アー──本件に関して、ハリーの言葉を信じるというわけですな?」
奇妙な笑いを漂わせ、ファッジは変に仰々しい口調で尋ねる。ダンブルドアが瞳をメラメラ燃やした。
「もちろんじゃよ、わしはハリーを信じる。彼が見てきたもの、聞いてきたもの、そしてそこで経験してきたもの──それら全てを信じるとも」
そのときハリーは、何気なく視線をエレナへと向け、そして自身の目を疑った。
なぜなら固く結ばれていた彼女の口が「うるさい」と動いたのをたしかに見た気がしたからだ。食い入るように見つめかけ、すぐにまさかと視線を外す。見間違いに決まってる。エドガーはああ言っていたけど、そんなことはありえない……。
ハリーは自分が現実を受け止めきれていないのだと思った。だがしかし、もし、もし本当に動いたとしたら? エレナはもしかしたら、死んでなんかいないのだとしたら? そんな思いでもう一度彼女を見つめる。横たわっているエレナが、今度こそはっきり、小さく呻いた。
全員が一斉に飛び上がって少女を見る。穏やかに眠っていたはずだった彼女の顔は今や鬱陶しげに歪んでいた。ハーマイオニーが息を呑んで倒れるようにふらりと窓に背を預ける。
「なに、さっきから……うるさ……」
「ああ、エレナ!」
「おかあさん……」
はっきりと言葉を口にしたエレナに、とうとうワイアット夫人がわっと泣きだした。首にすがりつかれた彼女は少し重そうにするが、目線をワイアット氏へと向けてへらりと笑う。ワイアット氏は言葉もでない様子で、充血した目をなんとか微笑んでいるように見せようと努力していた。
エレナは横になったまま部屋を見回した。彼女が最初に目を向けたのは自身の手が繋がれている方向だった。
「ネビル、……ただいま」
「おかえり、エレナ」
ネビルは「遅いよ」とぎこちなく口を曲げていびつな笑顔を作った。そんなネビルの瞳からダムが決壊したかのように大粒の涙がぼたぼたととめどなく流れていく。自身の手を涙で濡らされながら、エレナが小さく謝った声が聞こえた。
やがてエレナはハリーに気が付くと、「あっ」と呟く。口元にうっすら笑顔を浮かべていた。
「ハリー、げんき?」
「えっ僕──僕は……元気だけど」
「よかった……あの──あれ、さっきの。ピーターだよね?」
「ああ」
彼女は眉間に軽く皺を寄せ、思い出しながら喋るような話し方をした。眠気に抗いながら口を懸命に動かしていたが、気を抜くと今にも眠ってしまいそうだった。ゆったり喋る彼女の声を遮らないように、みんなは言葉の続きをじっと固唾を呑んで待つ。
「じゃ、持ってた布、かたまり? は……」
「ヴォルデモートだった。あいつは帰ってきた、復活したんだ」
不意打ちで発せられたハリーの言葉に再び室内のほとんどが飛び上がる。飛び上がらなかったのはマグルのワイアット夫妻とダンブルドアやシリウス、エドガーといった面々だ。後者は落ち着いて静観しているのに対し、ワイアット夫妻は周りの反応に困惑しきった顔をしている。そんな中で、ファッジは自分は飛び上がってなんかいないと言わんばかりに威嚇するトドのような唸り声をあげた。
三者三様の反応を示すなか、エレナは「ヴォルデモート」とぼんやり繰り返す。先程飛び上がった人たちが戦々恐々として彼女を見つめた。彼女は突き刺す視線に気付いていないのか、相変わらずぼうっとした辿々しい口調で言葉を続ける。
「やっぱ、あの鍋で茹でたの? 置いてあった、あの大きいの」
「茹でっ、……うん、そう、茹でられてたよ」
「へえ、そっか……、……──おつかれ、ハリー」
ギュッと口を固く結んだあと──ハリーにはなぜか彼女の口が笑いを堪えるように動いたように見えた──エレナは、労いの言葉を紡いで目を伏せる。
「──ハーマイオニー……窓……」
「え? ……、……あっ!」
目をつぶったまま途切れ途切れに伝えられた言葉に、ハーマイオニーがパッと背後を振り返った。窓から身を乗り出してしばらく外をきょろきょろ確認する。やがてハーマイオニーが突然バーンと大きな音を立てて窓枠を叩いた。周囲の困惑をまるっと無視したハーマイオニーは、サプライズでプレゼントを貰ったかのように嬉しげに頬を染めてエレナの名前を呼ぶ。しかし返ってきたのはすぅすぅという静かな寝息だけだった。疲れが限界に達したようだ。
「それじゃ、続きは場所を移すとしようか?」
「続きもなにも、私は──」
「まあまあ大臣、そう言わず。クラウチのやつを尋問したいんでしょう? それならほら行きましょう、ほらほらほら」
場違いに明るくエドガーは提案した。それは決しておちょくっているわけでも気を使っているわけでもなく、本当に心から明るい気持ちで振る舞っているらしい。先刻と比べ数段若返ったエドガーの表情がそれを分かりやすく物語っていた。
エドガーは対談を拒絶しようとするファッジを無理やり部屋の扉のほうへと追いやっていく。ダンブルドアはそれを見送りながら深く息を吐き、スネイプの方を向いた。
「セブルス、レベッカを寮まで送ってやってくれ──それから、これから君に頼まねばならぬことはもう分かっておろう。もし、準備ができているのなら……もし、やってくれるなら……」
「大丈夫です」
スネイプはいつもより青ざめて見えた。冷たい暗い目が、不思議な光を放っている。足早にレベッカを連れて部屋をあとにするスネイプの後姿を、ダンブルドアは案ずるようにじっと見つめていた。
「我々はクラウチの元へ行かねばなるまい。ポピー、ここは任せてもよいかの?」
「もちろんですわ」
やっと半分まで減った部屋の人口にマダム・ポンフリーが一息ついた。見舞客は一度に六人までなのに、先程は──今だって一人多いが──大幅にオーバーしていたからだろう。
「さて、なにはともあれ、ハリーには休息が必要のようですね」
マダム・ポンフリーが、キビキビとハリーをエレナの隣のベッドへと押し込む。マダム・ポンフリーはハリーに紫色の薬が入ったゴブレットを渡した。夢を見ずに眠れるという薬だと説明したあとは「全部飲むように」と言ってからワイアット夫妻へ向き直る。
「ワイアットさん、もしここにお泊まりなりたいのでしたら、今夜はこちらの事務所で──」
ハリーはゴブレットを二口、三口飲んでみた。薬は口に含むと途端にじんわり熱をもち、たちまち眠気が身体を絞めるように巻き付いてきた。残りを一気に飲み干して枕に倒れ込む。
ふかふかのベッドの感触がろくに分からないくらいクタクタだった。つい十分前まで今日が人生で一番のどん底だと言い切れるくらいの陰鬱とした気分を味わっていた。
けれど、今この瞬間はそこまで悪い気分じゃない──ハリーは強烈な微睡みの中で漠然とそう思った。少なくとも最悪とまでは言わなくていいような心地だ。
ヴォルデモートが復活した事実より級友が生きていた事実のほうが、ハリーに大きな影響を与えていた。
ハリーは隣で眠るエレナの横顔を確かめるように一度ちらりと確認して、ゆっくりと目を閉じた。
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