12.夜の海月だけが笑う
「オッ、おお、ぉ、おれ、おれと――デッデートしてくれませんかッ!」
「いいよ〜」
「軽ッ!」
二つ返事でOKした。だって断る理由もない。
街灯が落とす白いライトの下で立ち止まって急に短く切れた呼吸をし出すから、どうしたのかと思えば。退治終わりの帰り道のことである。恋人になった数日後のことでもあった。
「いつ? 明日?」
「う、ウン、そう。……アッごめん予定とかあった⁈」
「まあ」
運転免許証の更新時期だったので、早いうちに済ませておきたかった。正直に頷けば、ロナルドは「ヒギッッッ」と鳴いて硬直し、ビクビク全身を引き攣らせた。
「ごめんなさい俺は事前連絡もできない社会人失格のカスどこからでも切れますって書いてあるくせにどこからも切れない辛子……」
「どこからでも切れますは手の水気を切ってからやるんだよ。別に大した用じゃなかったし、ロナルドとのデートの方が大事だし、そんな気にしなくていいから」
「ンンッ、だ、だいじ……! へへ……、……ぅ、でもやっぱ用があったんなら……またあの、いつか……来年とかに……」
いいっていってるのにすごい引き下がる。来年て。
まったくこいつはと肩を竦めながら、私はしょぼしょぼ俯くロナルドの手を取った。吸い付くような触れ心地をした革の無骨な手を両手で包みながら、上目遣いを送る。ぱちぱちとあざとく瞬きをすれば、ロナルドの喉がゴクリと上下した。
「……ヒデくんとデートしたいな、私」
かわいこぶり過ぎたかと思ったけれど、童貞には効果覿面だったようで、チョロルドはぶわっと頬を桃色に染め上げた。自分でもちょっと恥ずかしかったけれど喜んでくれたならヨシ。これからもここぞという時はこの呼び方でゴリ押ししよう。
「おオッ、おれ、おれもデートしたいです‼」
「はい。で、どこに連れていってくれるの?」
「あ、うん、えっと――これ!」
ロナルドはずっとポケットに突っ込んでいた奥側の手から、いそいそとしわくちゃになったチラシを取り出した。広げた紙を前に掲げ、その影からぴょんと顔をだしたロナルドが、照れくさそうにはにかむ。
「花火大会!」
なにが来年だもっと必死に食い下がれオイ。
V
お前そういう大事なことは変に遠慮しないでしっかり言えとの旨の説教を三十分ほどしてから別れた、翌日。
「浴衣似合ってる、かっこいい」
「ウアッア、アリガトナ!……アノ、あのっお前もそのスっ、す、すゥ、ッ――」
花火の二時間前。待ち合わせ場所に現れたロナルドは、いつもの退治人衣装のような赤色をした浴衣を身にまとっていた。鈍く黒みがかった赤色は力強い凛々しさがあったし、瑠璃色の帯もばっちり決まっている。……裾のあたりになぜか大量の十字架が散らばっていて若干の小学生の裁縫セット感もあったけれど、まあ私は好きだよ。ロナルドのそういう所も。浴衣自体は、あの、まあ、あれですけど。でも生きてるロナルドが着てるってだけで百点だから。
そう微笑ましく思っていれば、ふと思い出す。
「――すごいニャッて、にあっア、ッ……かっかわ――!」
「ね、昔みんなで夏祭り行ったの覚えてる?」
「へっ? あ、アーうん! そうだな! そんなこともあったな‼……そっ、それであの、お前も浴衣――」
「あの時さ、ヒヨシくん、すごい綺麗な浴衣着てたよね」
昔、近くでやっていたお祭り。ロナルドは縞模様の甚平、ヒマリちゃんは桃色の甚平を。そして保護者であるヒヨシくんは、見ているだけで涼しくなるような澄んだ青の浴衣を着ていた。繊細な藍染の淡水色は、当然ヒヨシくんにもよく似合っていたけれど、でも私はきっとロナルドにもぴったりだろうなと思って。そのため、記憶に強く残っていた。
「懐かしいね」
まあ懐かしいとか言っても、たかが十年ちょっと前のことだけど。そういえばロナルドって、ヒマリちゃんと会ってるのだろうか。私はRINEでやり取りもよくするし、彼女の学部のこともあって結構頻繁に会ってたりするんだけど。なんとなく気になって尋ねようと、回顧に耽っていた瞳を持ち上げる。
「……ロナルド?」
どうでもいいことに意識を割いていたせいで、隣の彼がいつの間にか黙り込んでいたことにすぐ気が付けなかった。見上げた先の彼の顔は、目と眉の幅が険しく狭まっていて、結ばれた口には、僅かに力が篭っているように見えた。私が呼びかけても、その硬い表情は崩れない。
「ど、どうかしたの?」
どこか苦しげに見えて、けれどその理由も分からないので狼狽えてしまう。急に、えっ、どうしたの、お腹痛くなっちゃった? どこか休めるとことか……。
ロナルドはオロオロ戸惑う私をしばらく見つめてから、眉間に皺を寄せるようにして、「いや」と首を横に振った。
「なんでもねェよ。……ただ、ちょっと思い出しただけ」
「そ、そう……?」
「ん、そうだよ。ごめんな、妙な心配させちまって」
さっぱりした物言いから、これ以上追求されたくなさそうな雰囲気を感じ、私も口を噤むしかなくなる。ロナルドは気持ちを切り替えるように、軽く息を吐いた。
「じゃ、そろそろ行くか!」
「あ、うん……」
なんとなくなにかが腑に落ちなかったけれど、ロナルドはもう明るい笑みを浮かべていたし、「俺あれ食いたい、冷やしパイン」と屋台を探す顔は、すっかりいつも通りのように見えた。
花火大会の規模も大きいためか、出店の種類も多く、充実していた。光る氷の浮かぶオシャ映えなドリンクを買ったりしつつ、カラコロ下駄を鳴らして店を回っていく。
「串モンジャってなに……?」
「分からん……あっカメ! なつかしー! 俺昔カメ飼っててさ……」
「知ってるよ。私の名前つけようとしたよね」
「そうそう。お前泣いていやがったよな」
「そりゃあそう」
思い出話に花を咲かせながら、時々屋台で物を買ったり、射的にチャレンジしたりして、私たちは祭りを満喫した。
「さっきの射的、絶対中に釘刺して――……」
喧騒の中でリンと笑った鈴の音は、とてもささやかなものだった。けれどどうしてか、言葉も歩みも自然と止まる。私の鼓膜を狙い澄ましたみたいに、真っ直ぐ届いていた。笑い声の元を探して、視線が左右に動く。
「どうした?」
「あ、いや……」
いきなり立ち止まった私に、ロナルドはこてんと首を傾げる。ちゃんと言葉を返す前に、音の発生源と思しき場所を見つけた。
「あそこ、少し見てもいい?」
ロナルドの了承を得てから、気持ち小走りで露店へ近寄り、煌びやかなテーブルを覗き込む。宝石……ガラス細工だろうか。風鈴がまた笑い、鈴の音とともに色鮮やかな和紙を揺らした。箸置きやキーホルダーといった小物類に加え、ブレスレットやネックレスのアクセサリーの類も揃っている。店主はちょうど接客に忙しそうで、私たちに構っている暇はなさそうだった。
私は一通り並べられたものを眺めてから、ボードにかけられていた小さなガラス細工をそっと手に取った。手のひらサイズの風鈴を模したストラップだ。振ってみれば、控えめにだが音も鳴る。淡い浅葱色のような着色がベースとなっていて、随所にみられる気紛れな濃淡は、ガラス特有の透明感を際立たせると同時に、深い奥行も演出していた。表面に描かれた流水紋は光の加減によって表情を変え、揺蕩う波のようにも、たなびく雲のようにも見える。
「……欲しいの?」
「うーん……」
正直かなり惹かれている。今日の記念として買ってもいいかもしれない。少しそう思ったが、私は「いいや」と笑って、風鈴をボードへ戻した。
「行こ」
「えっいいの?」
「うん。綺麗だなって思っただけだし。……青が好きだから」
でも買ってもどうせ、次≠ノは引き継げないんだし。
∞
誘ったのは前日のくせに下調べはきちんとしていたらしい。屋台をある程度回って楽しんだあと、ロナルドは私を、人が少なくて見晴らしのいい河川敷へと案内した。風の通りもちょうどよくて、いい感じに涼しい。私がレジャーシートを出そうとしたら、「あ、俺も持ってる」と、ロナルドがバッグをごそごそして四人くらいは余裕で座れそうな大きなシートを取り出した。
「えっ、持ってきてたの? しかもそんなおっきいやつを? えらーい!」
「いや、あの……、……ドラ公に渡されて」
褒めたのだが、素直に白状したロナルドは気まずげに目を逸らした。わあ、さすが気が利く。
感心していると、ロナルドは続けて虫除けスプレーや懐中電灯などなど、なんかレジャーであったら良さげな感じのものを次々だしていった。全部ドラルクが持たせてくれたのだろう。いやマジで気が利くな。私の方が多分百倍くらい年上なのに、気の利かせレベルのこの差よ。惰性で生きてきただけの私とは大違いだ。負けた気分にすらなれない。素直に感嘆しながら、私は広いシートに腰を下ろした。
「ロナルド、お腹痛いのは治った?」
「へ? あっ、おー。治っ……た」
どことなく気持ちの籠ってない声だ。ほんとか? と睨めば、ロナルドは「ハハ……」と乾いた笑いを零しながら居心地悪そうに目線を逸らした。
ロナルドは、屋台を回っている途中で、「急に腹が……!」と言って姿を消していた。道の端に避けて心配しながら待っていたのだが、十五分もしないでかき氷とチョコバナナとイカ焼きとりんご飴を二つずつ抱えて戻ってきた。お腹痛いのに食いしん坊か? 呆れながら、戦利品たちを武器のように構えて得意げな彼から半分引き取った。
「そういう体調不良をギリギリまで隠す癖、よくないと思うなー」
「や、えっと……ほんとに大丈夫、です。……ごめん、お祭りなのに腹痛えとかいって空気悪くして」
「え、いや、」
突然しおらしく俯いたロナルドに困惑する。いつもみたいなネガティブ炸裂ではなく、しんみりとした自嘲。別に体調不良で空気を悪くしただとか、そんなことは全く思ってない。私はただ、心配しただけで――でもたしかに、ちょっと説教臭くなってしまった。
素直にそれを伝えようと、私は「あのね」と口を開いた。しかしひゅう、と、空気を絞ったような音が辺りに響き、声に被さる。私たちは見えない糸で引っ張られたみたいに、揃って空へと顔を向けた。
パキッと晴れた青黒い夜空を切り分けるように、細い線が伸びやかに天へと昇っていく。高いところで止まったそれは、一瞬の空白を作り、やがて盛大に弾けた。華々しく生まれた光の海月が、悠々と泳いでみせる。パッと空いっぱいまで垂れた極彩色の触手は、空の奥へと溶けるように消えていった。隣から感嘆の声が聞こえてくる。
「はじまった……おお、すげえ!」
「ね。私あれ好き、柳花火」
「分かる。来るとしたら多分ラストだよな。……あ、おにぎり!」
「ハートだと思う……」
大小様々な彩り豊かな花が、夜を埋め尽くすように咲き乱れる。ロナルドが元気になってくれたことに安堵しつつ、私も次々上がる大輪の雫を楽しんだ。たこ焼きやベビーカステラを摘みながら、空を指して二人でやいやい言って。そうして私たちは、自然な流れで黙った。
軽食をとるふりをして、こっそりロナルドを窺う。打ち上がる閃光が、その横顔にぼんやりと被さっている。色とりどりの炎色反応は、楽しげに垂れた青い瞳にも映りこんでいた。
さっき見た風鈴よりも遥かに清澄で、花火よりもずっと鮮やかな光彩の青。
そんな美しい青をこうして隣で見れている。ずっと、千年も恋焦がれていた青を、こんなにも近くで。
そう思った刹那、心臓が締めあげられたような痛みを訴えた。何重にも巻かれた太い麻縄に、きつく絞られているような痛みだった。吐き出す息が震えそうになったので、咄嗟に唇を強く食む。そうすると今度は喉まで苦しくなってきて、いよいよ呼吸が困難になった。
でも今は、そんな痛みすら愛おしくて仕方なかった。だって痛みや苦しさのおかげで実感できる。私はここにいるのだと、このしあわせは夢ではないのだと、信じることができた。
やにわにロナルドがこちらを向いた。とっぷりと感傷に浸っていた私は、注いでいた視線をすぐに外すことができず、ただビクリと肩を揺らした。まさかこちらを見るなんて思っていなかった。タイミング悪く花火が打ち上がる。目を見張るロナルドと、ばっちり視線が絡みあってしまった。
「……なあ」
「な、なに……」
ロナルドは、開いた口をなぜか静かに閉じた。呼吸も憚られるような、妙な緊張感のある沈黙が流れる。私たちは、屋台で買ってきた物を間に挟んで、並んで座っていた。だから特別近い距離というわけじゃない。いつも通りの距離感だ。なんなら並んで歩いているときよりも遠いくらいである。だというのに、ただ見つめ合っているというだけで、ロナルドの存在が急に近くになったように感じ、取り巻く空気の熱がぐっと上がった気がした。ロナルドの存在以外、何も感じない。パラパラと空気を砕く花火の残響も、遥か遠くに聞こえて、ロナルドの息遣いの方がずっと強く私の神経を揺らしていた。
私は一人どぎまぎしながら、彼が話し出すのを待った。ロナルドは、感情をしまうようなゆったりとした瞬きを一度してから、眉を下げてへにゃりと笑った。
「写真撮ってもいいか?」
「え?」
「アニキに送ってやりたくて」
なんで急にヒヨシくん? 疑問を湛えて視線を送れば、ロナルドは「ほら」と相好を崩した。
「せっかくお前もそんな粧し込んでんだからさ、見てもらいてェだろ?」
「う、ん? まあ、髪型とかね。せっかくやってもらったんだしね……?」
でも私、別に色んな人に見てもらいたいタイプじゃないんだけどな。インスタとか熱心にやってるほうじゃないのは、ロナルドだって知ってるはずなんだけど。今日の格好だってロナルドのためのお洒落だから、ロナルドに見てもらえたなら私的にはそれで十分というか……。
モヤッとはしたものの、また落ち込ませたくなかったので強くは否定せずにいれば、ロナルドは「だろ?」としたり顔をした。それから「じゃあ撮ろうぜ!」と私を立ちあがらせて、自分はそそくさと私から距離を取ってしまった。
「えっ私だけ? やだ、一緒に映ろうよ」
「何言ってんだよ」
なぜか冗談と捉えられたのか、軽く笑ってあしらわれてしまった。え、えー……デートなのにピン……?
釈然としないながらも、携帯を向けられたので仕方なくピースする。「もっとニコッとして」「りんご飴とか持つ?」「ちょ、なんかこう、かわいい感じの花火が頭上にきたら……」とかの細かい指示がカメラマンから飛んできたので、私はちょっとの間、花火を背にカメラへ向いたままだった。
「ねえ、カメ谷さんに変な影響受けてない?」
「そうか?……ッシ、撮れた!……うん、きれいだ」
「ほんと?」
花火のことだろうけど、そう真剣に言われるとなんだか気恥ずかしい。ロナルドに言ってもらってると思えばなおさらだ。意味もなくうなじ付近を撫でながら、照れ隠しにへらりとはにかむ。
「ああ、ほんとだぜ」
ロナルドは茶化したりせず、真面目な顔で頷いた。構えていた携帯はもう下がっている。ロナルドは、私だけを真っ直ぐ見つめていた。
「すごく綺麗だよ」
その瞬間、背後で花火が打ち上がる。色鮮やかな光に照らされたロナルドが、眩しげに目を細めた。高い頬骨に降り注いだ光が当たり、一筋の線が走っている。それがまるで涙の線みたいに見えたものだから、私は思わず呼吸も止めてロナルドを見つめてしまった。
「……おまえがさ」
無理に歪めたような形をしていた口が、ゆっくり動いていく。
「――俺だけのものならよかったのにな」
「……え?」
一拍遅れてやってきた花火の音が、ドンと空気を揺らす。当たり前のようにかき消されたロナルドの声は、うまく拾うことができなかった。喋っていたのは分かるんだけど。
「……なんでもねェよ」
けれど私がなにか聞く前に、ロナルドは緩慢な動作で首を横に振った。
∞
盛大な柳花火がラストを飾り、花火大会は何事もなく終了した。そんな帰り道。ごった返す人混みの中を、流れに身を任せて進んでいく。
「おっ、さっきのニイちゃん!」
撤収作業の最中だったガラス細工の露店の店主が、こちらを見て溌剌とした声を上げた。さっきの? 心当たりのない単語に、私は人違いかと思ったが、ロナルドは居心地悪げに「あ、どうも……」と頭を下げた。驚いて隣を見る。
「え、なにかあったの?」
「いや、なんかてか、あの……」
「花火が始まる三十分くらい前だったかな、そこの男前が駆け込んできて――」
「ワギャー⁈ 勘弁してください⁈」
ロナルドが真っ赤な顔で叫んだ。たちまち周囲の人たちからの視線が注目したのを感じたので、私は息をひそめて気配を消し、ロナルドからそっと距離をとった。幸いなことに、ロナルドはなにかを隠すのに夢中なようで、私の挙動には気付いていない。
「おいなんだよ、まだ渡してねえのか?」
「いやだって、その――……い、色々ありまして……」
「なんだ色々って。ネエちゃんだって渡してほしいと思ってるはずだぜ? なあ?」
「えー、あは、そうですねー……」
「エッ」
急に話を振られたので、私はなんとなく持ち歩いていたりんご飴を手提げにしまいながら、気もそぞろに返事をした。何の話かは皆目見当つかないが、とりあえずここは肯定しておこう。このおじさん、そうでもしないと解放してくれそうにないし。この人がしゃべり好きのややお節介な人柄であることは、立ち寄った際に別の客へとしていた接客対応で十分伝わっていた。
「だよなぁ? ほら聞いたか? だからほら、自信持ってさァ――」
「っいやでも、だっ、ッ――お、おれたち急いでるんでェ‼」
「うわっ⁈」
ロナルドがスミマセンと叫んだかと思えば、急に体がグンと前に傾いた。なにも構えていなかったので、突然の揺れに虚を突かれて目の前が真っ白になる。地面が斜めに傾いたのかと思ってしまった。なにかに引き摺られる動きに合わせて、足が勝手に前へと動いていく。訳も分からないなりにそうして何歩か地面を踏みしめてから、私はやっと、自分の身に何が起こったのか気付いた。
「……えっ?」
分厚い皮膚をした、汗ばむ手の平が、私の右手を包んで引っ張っている。
私は、ロナルドと手を繋いでいた。
どれだけ凝視しても、その事実は変わらなかった。じわじわと現状を受け止めて、引っ張られている右手と、それから頬が、燃えるようにあつくなった。太陽を飲んだかのように、身体の内側が激しい火照りを訴える。つい先ほどまで空気を轟かせていた花火の音よりもずっと苛烈な爆音が、体内から鼓膜を突き破る勢いで鳴っていた。指先はもちろん、足の裏にまで鼓動が強く響いている気がする。心臓が何個も増えたみたいな感覚だった。掴まれっぱなしの手から伸びている指が、ぴくんと震える。
「ぁ、の……」
ひ、ひで、日出男さん、手。手が。繋がってるんですけど。あの。
という、飛び出しかけた指摘を、私は寸でのところで飲み込んだ。動揺で上擦った声は、喧騒に飲まれてロナルドの耳には届かなかったらしい。手は、握られたままだった。
うれしくてしあわせで、私からもつい握り返したくなる。が、耐えた。繋いでいることに気が付いたら、その瞬間にロナルドは放り投げて離してしまいそうだ。
……けれどやっぱり我慢しきれなくて、私は結局ほんの少しだけ、触れるか触れないか程度を慎重に意識して、彼の手の方へと指を寄せた。
歩くのも早すぎで着いて行くの大変だし、浴衣も足元が捲れちゃってるんですけど。握られてるとこだってちょっと痛いし――とか。
そもそも私、忘れてないんだよ。ヒデくんには好きな人がいるってこと。好きな人がいるのに、迂闊にこんなことしちゃっていいの? 恋人とはいえ仮なんだよ、私――とか。
色々言ってしまいたいことはあったけれど、それらは全て胸の内にしまっておくことにした。ズルかもしれないけれど、今回だけは許してほしい。今回だけだから、すべて。
引き継げるのは記憶だけで、形のあるものは何一つ残らない。
そんな無情なループに、疎ましさややりきれなさを感じて絶望することのほうが多かった。でも私というやつは現金なもので、記憶が引き継げるという事実に、今は泣いてしまいそうなほど感謝していた。
この思い出は、この記憶だけは、この人生だけは、絶対に忘れない。
相も変らぬ痛いくらいの力で引かれながら、人知れずそんな誓いを心に立てる。
たとえあと何千回繰り返そうとも、絶対に忘れない。この思い出だけは、なにがあっても、絶対に。
強く思いながら、体温を、感触を、痛みを、胸に焼き付ける。この思い出だけであと千年は生きていけると、そんなことを本気で思っていた。
「……ところであの、風鈴、さ。み……見てただけ、なんだよな?」
「うん」
「おおおおう、そうだよな⁈ じゃああの、ほんとはそんな欲しくない、んだよな⁈ さっきのは社交辞令だよな⁈」
「ん? うん(店主さんの話はよく聞いてなかったけど、多分)そうだよ」
「アッウン……じゃあ解散で……」
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