1.『コンテニュー』


「スッ、好きな人ができ、た……んだぜ……」
 ロナルドは、熟れたトマトよりも赤い顔をして絞り出した。育ちすぎた立派な体躯に釣り合わない、なんともか細い声だった。返事をせずその様相をまじまじ見ていれば、端正な相貌の朱がさらに濃くなる。熱暴走でも起こしそうな彼をみて、私はそのまま頭が爆発しちゃえばいいのにと思った。
「な、なんか言ってよぉ……」
「で?」
「で⁈」
「いや、それだけ言われても……」
 蚊の鳴くような声で縋られても、他に返す言葉がない。第一に、『よかったね』も『おめでとう』も『誰?』も、返してやりたくなかった。だってこれ以上この話題を広げたくない。
 しかしそんな私の心情にはまっっったく気が付かないまま、ロナルドは「そ、それもそうだよな」とへらりと笑った。ぎこちなく強ばった顔で瞳を上下左右へ忙しなく泳がせてから、怖々と改めてこちらを窺ってくる。
「好きな人が、できた」
 それはもう聞いた。
「から、」
 聞いたから、もうこれ以上は聞きたくない。
 そう言いたかったのに、口が動かない。耳を塞ごうにも、私の手はティーカップの細い持ち手をお守りのように固く握り締めていて、こちらもまた、ぴくりともしてくれなかった。せめてと思ったのに、澄んだ青から目を逸らすことさえできなくて。
「応援してくれないか」
 ――だから私は、こんな残酷な言葉を真正面から受けてしまった。
「……あっ、あの、応援ってあのあれ、なんかこうした方が好きになってもらえるんじゃないとか女ならこうしてほしいなとかあったら助言的なアレがほしいなっていう意味で――」
「いいよ」
「……へっ」
 矢継ぎ早な捲し立てを短く遮って、私はカップを持ち上げた。持ち手だけでは震えてしまいそうだったので、もう片方の指先をさりげなく添えて、カップの側面を支える。ドラルクが淹れてくれた紅茶はとても美味しい。事実さっきまで美味しくいただいていた。それなのに、今口内に流れ込んできた紅茶は、顔を顰めたくなるほど渋くなっているような気がした。
 そんな紅茶を、わざと喉を痛めるようにゴクリと飲み下して、空になったカップをゆっくりとソーサーへと戻す。カチリと陶器が触れ合うささやかな音と同時に顔を上げれば、緊迫した面持ちのロナルドと目が合った。固唾を飲んで私の一連の動きを見守っていたらしい。よかった、動きに気を付けていて。きっと仕草だけなら、いつも通りに落ち着き払って見えていただろう。――その内心がどれほど大荒れだったとしても。
「応援、してあげるよ」
 静まり返ったリビングにドラルクのやっているゲームの音がピコピコ流れる中、私はゆるりと目を細めた。
「ロナルドの恋がうまくいくように、助けてあげる」
 彼に、そして自分に言い含めるために一音いちおんをはっきりと粒にした声は上擦ってもいなくて、自分で思っていたよりも存外滑らかに吐き出された。喉も目の奥も、呼吸をすることさえ痛くて苦しくてたまらないのに、変なの。妙なタイミングで自分の演技力を思い知ってしまって、笑いたくなった。面白いことなんて一つもないのに。
「ほ、ほんとか⁈」
 ロナルドの瞳がパッと輝く。その煌めきで応援するって言葉は、こいつにとってそんなに嬉しいことなんだと、実感させられてしまった。胸を蝕む黒い感情が、ますます大きく重たくなる。
「え、ま、まじ? マジで助けてくれんの?」
「うん。ロナルドみたいな童貞ばかやろゴリごちゃい木偶の坊の顔面詐欺師から稚拙なアプローチを受けることになるお相手さんも可哀想だし」
「そんな言うことなくね⁈」
 ある。だって自分を守る術が、こんな言い方をするほかに今は思い付かないんだもの。
 涙目になっているロナルドをケラケラ笑いながらカップに手を伸ばす。けれど無機質な陶器に触れた瞬間、ついさっき飲み干したばかりだったということを思い出した。私はさも手持ち無沙汰なだけですというふうを装って、ツルツルした冷たい肌をただ撫でた。
「……あ、死んだ」
 ドラルクの感慨のない呟きと、ゲームオーバーを告げる不協和音が、いやに響いて鼓膜を突いた。ほんと、死にたいよ、私も。

     ∞

「あーあ」
 女が去りしばらくしたのち、ドラルクが不意に短く落とした。ミスでもしたのかとロナルドはテレビ画面へ視線を向ける。けれど液晶はスタート画面を映していて、まだ始まってすらいなかった。
 ロナルドが何気なく吸血鬼へと視線を流せば、ドラルクの方も首だけで振り返って、じっとりと詰るような色をした瞳でロナルドを真っ直ぐ刺していた。いつにない眼差しの鋭さに、ロナルドも一瞬だけ息を詰める。が、その視線のおかげで、先程の落胆めいた呟きが自分へと向けられていたことを察し、眉間へ皺を寄せた。
「は? あんだよ何見てんだよ殺すぞ」
「べ〜っつにぃ? ただ恋愛のれの字も分からん経験値ゼロどころかマイナスのドドドドドド初心者の青二才な若造にこの手の駆け引きは早かったんじゃないか、って慧敏聡明なドラちゃんは思っただけだが?」
「あ? めちゃくちゃ上手くいってただろうが視力まで死んでんのかなに見てたんだクソ砂」
「視力五.〇あります〜。お前こそどこ見てたんだボケ造眼科付き添ってあげまちょうか〜?」
「眼圧検査殺風ッ‼」
 ロナルドが怒りに任せて腕を突き出せば、拳の風圧で砂山が出来上がった。意思を持つ砂が憤りを現して激しく波打つ。
「必殺技みたいに言うなこの世の全てを暴力に変換する単細胞ゴリラ! 大人しく眼科行って謎の気球一生見せられる刑にでもあっとけ!」
「穴の開いてる輪っかマークの砂絵として壁に飾るぞ!」
「おお、この私が芸術という文化と看板をも担うに相応しいほどに完璧な存在であることが美的センス/ZEROの五歳児にも理解できスナァ……」
「ヌー!」
 再生するなり流れるような減らず口。今度こそしっかりと拳が振り抜かれ、再度砂山が形成された。「ったく!」とかなんとかブツクサ口にしつつ、ドラルクはジョンを撫でながら人型を取り戻していく。
「……とにかく私は忠告してやったからな。あとで泣きつくなよ」
「ンなこと誰がするかよ」
 フンと鼻を鳴らしておざなりにそう言ったドラルクは、ロナルドの返事もろくに聞かず、ゲームの世界へと戻っていった。勝手に話を畳まれたことがなんとなく気に食わなくて、ロナルドはむっつり口を結んだまま、【コンテニュー】が選択された画面を忌々しく睨みつける。今度こそミスっちまえと呪いを込めながら。
 

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