3.もう届かない空


 どういう服装が好みだろ。
 どんなものを貰ったら嬉しい? 
 最近元気がないっぽいんだけどハムカツとかあげたら喜ぶかな。

 ぢまむらマネキン買いしとけば? ホットドッグTシャツとかお茶目に思われていいかもね。
 センスのある男の人ってモテるし、そういう一面を見せてあげれる物がいいんじゃない。ほら、キーホルダーとか。
 一緒にいて元気ないの? それつまり脈ナ……いやなんでもない。なんでもないよごめんね、忘れて。

 私はロナルドの疑問に、かなりの意地悪を混じえつつも、基本的には丁寧に答えてやった。ただハムカツに関しては忖度抜きで真面目に悩んでしまったけれど。いやそれは……人によると思う……。例えばそれこそロナルドなら喜ぶんだろうけど。私もロナルドからならこいつ、と思いながらも『らしさ』という付加価値一点のみでハチャメチャ喜んでしまうだろうけど。でもとりあえず、さすがにそれはやめおくよう助言しておいた。もうちょい無難なものをね。個人の意見ですが、落ち込んでる時に急な揚げ物はかなり人を選ぶと思います。恋敵とはいえ、さすがに胃が可哀想だ。
「ご報告があります」
 そんな日々を送っていた折に呼ばれた事務所にて、ロナルドが向けてきた真剣な顔に、何かを言われる前に、分かってしまった。
「告白しました」
「そっか」
「はい。で、あの、オツキアイ、を、することになりました」
 一度だけ瞬きをする。告げられた言葉をゆっくり咀嚼し、そうして胸に広がっていくのは落胆ではなく安堵だ。
 ああ、本当に長かった。やっと終わるのだ。
 苦痛から解放されたと安心するのは、人として当然の感情だと思う。
 ロナルドが夢見がちロマンチックゴリラでよかった。グダグダうだうだ長いこと、一ヶ月近くかけて愛しの人のために悩んでくれたお陰で、私はこの日を迎えるための心の準備を――笑顔の練習を、存分にすることができたから。
 うまく笑えているだろうか、なんて少女漫画にありがちでありきたりな不安を覚える必要は一切ない。彼を祝福するために、練習の通り頬の筋肉を動かして、完璧な笑顔を作り口を開けた。
「やったね、おめでとう!」
「おう! お前のおかげだぜ!」
 笑顔にかんして憂うべきことはない。しかし今度は声が震えていたんじゃないかと心配になってしまった。しまったな、言う練習もちゃんとしとくんだった。そこまで頭、回らなかったな。でもまあいっか。
「誕生日前に付き合えてよかったじゃん」
「えっ? あ、そういえばもう明後日か……たしかに。ほんと、ありがとな」
 晴れ晴れと呑気に笑うこいつは、私の砕けた心になんて、どうせ気が付きやしないんだから。

 ロナルドから恋愛相談を受けていた地獄のような時間は、期間にしてみれば一ヶ月。千年にも感じたくらい長かった。しかしそれは、私が彼に片想いしていた時間の、およそ何十分の一になるのだろう。計算する気はまったく起きない。とにかく遥かに短いということは明白だった。
 あーあ、ほんとに。すっごいばかだな、私。私には多くのチャンスが転がっていた。それらに気付かず――いや、気付いていて、それでも見ないふりをして逃げ続けた。これは、自分自身が招いた結果だ。それなのにとめどなく溢れてくる後悔で身体が千々になってしまいそうだ。
 自己嫌悪と、それでもなお沸き起こる後悔や悲しみで吐きそうだ。とか考えながらとぼとぼ家に帰り布団にくるまったら、寝ながら本当に吐いていた。息ができなくて死ぬかと思ったし、吐瀉物がべっとり付着した布団とパジャマを手洗いするのは、死にたくなるくらいに惨めだった。

     X

 ロナルドから報告を受けた翌日は、丸一日家から出なかった。外は朝から地面に穴を開けるつもりかというほどの強い雨が降りしきるひどい天気であったし、気圧やロナルドショックで体調を崩していたからだ。たかが失恋ごときでこんなボロボロになるなんて、自分でも情けないとは思う。
 吸対の隊長さん――つまりヒヨシくんから電話がかかってきたのは、夜明け頃、時刻は朝の四時半になる直前だった。寝ぼけ眼で端末の画面に表示された名前を見て、彼から電話だなんて珍しいな、と通話ボタンをタップする。
「もしもし」
『……』
 ガラガラの喉で呼びかけるも返事はない。でも電話口でハッと息を呑んだ音がしたので、聞こえなかったわけではないのだろう。彼はまだ外にいるのか、周囲はやけに騒がしかった。のそのそ起き上がって枕元に置いていたペットボトルを取る。すっかり常温になった水は生ぬるくてさして美味しくもなかったけれど、とりあえず喉は潤ったし寝過ぎでぼんやりする思考も少し冴えた。
「もしもし? 隊長さん?」
『あ、ああ、起きとったか』
「まあ……どうしたの、こんな時間に」
 起きてると思ったからかけてきたんじゃないのか。彼の妙な態度を不思議に思いながら、自分の声の調子を確認しつつベッドから降りてカーテンを引っ張る。まだ夜が明けたばかりのはずだが、敷き詰められた雲のせいで広がる空は真っ白だった。寝起きの目には眩しい。しぱしぱする目をギュッと窄めて凝らせば、線のような雨がさあさあ降っているのが辛うじて分かった。半日以上寝ていたはずだけど、まだ降ってるんだ。でももう少しで止む感じかな? 
 そんなことを考えながら欠伸を噛み殺し、再び沈黙してしまった端末を耳から離して眺める。なんだろ、やけに言いづらそうにしてるな。緊急要請? にしては吸血鬼の活動時間も過ぎてる気がするけど……それに、雨なのに。流水を厭う吸血鬼は、雨も忌避する者が大抵だった。
 とりあえず着替えようとスピーカーボタンを押した端末をベッドへと放った瞬間、『あの、な』というヒヨシくんの声がじっとり蒸した室内に響いた。除湿をつけるためにエアコンのリモコンへと手を伸ばす。
『たった今、日出男が、息を引き取った』
「え?」
『吸血鬼との交戦中に……深手を、負って。救急車も、間に合わなかった』
「……は? えっ?」
 触れたばかりのリモコンが手から滑り落ち、落ちた衝撃で裏の蓋が外れて電池が床に散らばる。そのやかましい音は電話の向こうまで届いたはずだが、ヒヨシくんは何も言わなかった。コロコロと電池の転がる音の余韻が完全に消えた頃、私はようやく我に返って、がっくりと膝をつく。じんとした痛みを訴える膝小僧を無視して、ベッドに置いていた小さな端末へ両の手で縋り付いた。
「は、な、なに?」
 心臓がいきなり走り出したせいで呼吸が上手く出来なくて言葉が詰まり、面白くもないのに弧を描く口端がヒクヒクと細かく引き攣った。
「な、なに言ってるか、え、意味わかんないよ」
 分かりたくない。タチの悪い、悪すぎる冗談だ。声がふわふわと浮ついていた。そんな私の名前を、苦しげに、窘めるように呼ばれる。
「ヒヨく、えっ? え、だって、なに、朝からそんな――タチが悪いよ。ぁ、ほら、だってあめ、雨だよ、なのに、交戦って」
「流水の弱点を克服してたのか、元から効かない性質の奴じゃったのか……どちらかは俺も知らん。……詳しい事情聴取はこれからじゃ」
 いつだって余裕のある大人として振る舞っていた彼の、絞り出すような声は、初めて聞いた。そんな事実がますます先の言葉の真実味を帯びさせていて、気道がきゅっと狭まるのを感じる。私は見えないなにかを振り払うように、いやいやとかぶりを振った。
「でも、だって今日――今日って何の日か、ヒヨくんだって分かってるでしょ?」
『……ああ、知っとるよ』
「知ってるなら、なんでこんなひどいう、うそ――」
『うそじゃない』
 怒鳴ったわけじゃない。けれど、圧の籠った強い口振りに肩が跳ねる。彼は『うそじゃない』とさっきより落ち着いた言い方で同じことを繰り返した。
『……俺だって、うそであってほしいよ』
 だって今日は、あいつの誕生日だったのに。
 ベッドボードのデジタル時計が、見計らったようにぼうっと光る。浮かび上がった、AM5:00と、8/8の数列。いやにグラつく視界で、私はそれを悄然と見つめた。
『日出男はたまたま居合わせちまった市民を庇って、それで――それで……』
 堪えきれないというように音が揺れて、やがて潰れるように途切れた。少しの間と震える吐息を一度挟んでから、ヒヨくんは『ロナルドは』と再び話し出す。たった数秒で、彼の声は凛とした、意図して情を抑え込んだような毅然としたものへと変わっていた。
『ロナルドは、最後まで立派な退治人じゃったよ』
 立派じゃなくったって、よかったのに。
 瞬間的にそんな思いが込み上げたけれど、歯を食い縛って堪えた。だってヒヨシくんが我慢したことを、彼の前で私が言うわけにはいかないだ。そんな、なけなしの理性だった。
『お前には伝えておくべきじゃと思ってな……早朝から、すまんかった』
 謝らないで。ヒヨシくんも辛い中、わざわざありがとう。
 そう返さなきゃいけないことは分かっていたが、固く口を噤む。ひとたび口を開けば、そこからはもう、嗚咽しか飛び出していかないであろうことが分かっていたからだ。
『……それじゃあ、俺はまだやることがあるから』
 付き合いが長いからだろうか。返事をしなくても会話は進み、また連絡する、という言葉を最後に会話が締めくくられる。電話が切れたあとも、私はラグにへたりこんでしばらく放心していた。
 やにわに窓から射し込んできた光に目を眇めた。のろのろと顔を上げて窓の外へと視線をやれば、いつの間にか雨が上がっている。降り注ぐ陽光がそこかしこへと散った雨粒をダイヤモンドのようにキラキラと反射させ、早暁のどん曇りを鼻で笑うように、世界は明るく輝いていた。
「あ……」
 雲ひとつない青天井を見た瞬間、ひとりでに顎が震え、噛み合った歯がカチと鳴る。熱いなにかが喉までせりあがってきて、また息ができなくなった。青、青――もう二度と拝むことはできない、彼の瞳。
 突き抜けるような青い空が霞んでぼやけて、まるで海の底から見上げているようにぐらりと波打って揺らいだ。
「あ、ああ」
 どこまでも透ける、遥か遠い青!
 あんなにも恋い焦がれた青は、今や爪先を掠めることすら、本当に叶わなくなってしまった!
「ああぁっ……!」
 それを唐突に理解してしまい、濡れた声が意思を介さず吐き出された。堰を切ったように、熱い涙がボタボタと零れていく。激しい鼓動が肋骨まで響いて痺れ、膨らんだ肺が胸の内でぎゅうぎゅうと押し潰れているような錯覚がした。
 立派じゃなくても、彼が生きていてくれるなら、この世にしあわせに存在してくれるのなら。それ以外に望むべくものは他になにもなかったのだ。
 こんな当たり前のことに、私は今更――永遠に失ってから気が付いてしまった。私以外の人と幸せにだって、いくらでもなってほしかったのだ、ということに。

 ああ、あの時あの日、あの海岸で。ちゃんと言っておけばよかった。誰かのものになってしまう前に、玉砕覚悟で正面からぶつかっていればよかった。思いの丈を告げていれば、少しは私を見てくれたかもしれないのに。もしかしたら、私の手を握ってくれたかもしれないのに。もしかしたらいま、隣にいてくれたかもしれなかったのに。仮に私を選んでくれなかったとしても、少なくとも私は自分の気持ちにきちんと折り合いをつけることができていた。彼に恋人ができた事実にショックを受けて無様に寝込んだりもしなかった。ちゃんと彼の隣で戦って、彼を守ることができた――きっとできていたはずだったのに!

 そんなどうしようもないたらればが浮かんでは止まない。無意味と分かっていても、考えずにはいられなかった。

 
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