4.おもひでぽろぽろ


「――ちゃん、――ちゃん!」
 子ども特有のあどけない高い声、それからポンポン肩を叩かれる感覚がして、緩やかに微睡みから引き揚げられる。静かに瞼を持ち上げれば、柔らかい銀、透けるような青――。
「……え?」
「こんなとこで寝ちゃだめなんだぜ!」
 目の前にしゃがみこんで私を覗き込んでいた懐かしい少年が、歯を見せて得意げに笑った。その顔にドッと心臓が大きく跳ね、一気に意識が覚醒する。瞠目する私に、少年は――幼い『ヒデくん』は、「あのな!」と声を弾ませた。
「あっちにめちゃくちゃ――こーんくらいでっけーナメクジみてーなんがいてさ!」
 両腕を目一杯大きく広げてから、『ヒデくん』は、内緒話をするように顔を近付け、「もしかしたら、ツチノコってやつかも」と声を潜めた。けれど茫然としてばかりの私に、彼の無邪気なワクワク顔もたちまち曇る。
「ツチノ、ぅ…………そんなにねむいなら、もう帰る?」
 提案しつつも、帰りたくないと顔にありありと書いてある。そんな白くてまろい頬へフラフラと手を伸ばした。やわらかい、あたたかい。彼は不思議そうに瞬きをしながらも、振り払おうとはしなかった。少しだけ顔を傾けて、私の手へと頬を押し付け――。
「ん、へへ、どうしたの?」
 なんて、緩いはにかみを浮かべていた。
 背後の空とそっくりの青い瞳を、心の底から嬉しげにして、蕩かして。
「ろ」
「?」
「ろなるどぉ!」
「えっ⁈」
 背中を預けていた木の幹に弾かれたような勢いで、目の前の少年へと飛びつく。小さな身体では当然私を受け止めることはできず、『ヒデくん』は背後へ倒れて尻餅をついた。
「ろな、なに⁈」
「ろな、ろなるど、ろなるど!」
「へ、お、おれ? えっえっ、おれ、ろなるろ? じゃ、な――……」
 腕に閉じ込めた彼がわたわたと困っているのが分かったけれど、自分を制御できなかった。首元に縋り付いてわんわん泣く。
 不意に背中へ手が置かれた。小さく熱い手が、そろそろとぎこちなく動く。
「ろなる、ど……」
「う、ん……。だいじょうぶ――だいじょうぶだぜ」
 なにも分からないはずなのに、彼は「だいじょうぶ」と宥めるように何度も繰り返した。やさしい彼を困らせてしまっていると分かりながらも、その声に心が解けていく。涙腺がさらに緩み、否応なくひゅうひゅうと呼吸が上がった。ますますひっしとしがみつくと、彼からも手が回った。

 これは夢なのかもしれない。
 都合のいい夢かタチの悪い吸血鬼の催眠で、起きれば消える、仮初の泡沫でしかないのかもしれない。
 けれど、夢でも催眠でも、もうなんでもよかった。一生醒めないならば、もうそれでいい。これでいい、この世界以外、私はもうほしくない。例えここが空蝉のからっぽな世界だとしても、私はもう二度と、このぬくもりを手放したくない。
 木漏れ日が作る薄ぼんやりとした灰緑色の影の中、つられて泣き出してしまった『ヒデくん』と、お互いの体を押し付けるようにしてぎゅうぎゅう抱き締め合いながら、私は切にそう願った。
 
- 6 -
*前次#


back
>>HOME