17
目を覚ますと、嵐のように怒り狂っていた森たちの声も、しくしくと嘆いていた動物たちの声も、人間たちを嘲笑していた風たちの声も、綺麗さっぱり消え去っていた。海だけがいつもと変わらず、私の名を呼んでいる。
「……おはよう?」
甲板の手摺に手を置き、気紛れに朝の挨拶をしてみた。ディ○ニープリンセスみたいで恥ずかしかったけど、まあ誰も見てないし。仄かな青で色付く海は、一瞬の静寂ののち、シャンシャン鈴を鳴らすように喜びの声を上げた。地上の海より無垢な気がする。ちょっとかわいいかも。そう手を伸ばしかけて正気に戻る。溺れた時地上にすら落としてもらえず海底ギリギリをゆらゆら遊ばれたことを忘れてはいけない。しっかり、私。
メリー号には私しかいなかった。最後の記憶だと祭壇の上に設置されてたはずだけど、今は普通に雲海の上に乗り上げている。私は船の持ち主たちを探そうと、縄梯子を使ってよたよたと地上に降り立った。海に事情を聴いたって、笑うばかりで話にならないし。
――いってらっしゃい、気を付けてね
子どもの円やかな声に振り返る。視界にはなにも――ゴーイング・メリー号以外、なにもない。
「行ってきます、メリー」
柔らかい陽射しに照らされた船首の羊は、どこか笑っているように見えた。
すうすう眠る森を進んでいれば、やがて遺跡の散在する開けた場所に出た。人が集まっている方に足を進めると、人集りの中心で黒のストレートが揺れている。やっと見つけた見知った姿にホッとしながら、私は足を動かす速度を少し早めて、ロビンへと近寄った。
ロビンは一面に文字がびっしり書き込まれた、大きな掲示板のような遺跡を読んでいた。私が隣に来たのも気付かないほど深く集中している。彼女に倣って私も掲示板を目で浚った。なに……『ポセイドン』? 海の神様? この世界にもギリシャ神話とかあるの?
一通り読んでみたが、内容はよく分からなかった。古代兵器とかなんとか書いてあるっぽいのはなんとなくのニュアンスで読めたけど……所々の言い回しが古文のように難しくて、いまいち頭によく入ってこない。欠伸をひとつ零しながら、視線を外す。
「『我ここに至り この文を最果てへと導く 海賊 ゴール・D・ロジャー』……誰?」
「……えっ?!」
欠伸混じりに、ふと目に付いた端っこにある走り書きを呟くと、ロビンが弾かれたように振り返った。彼女は焦燥で満ちた顔をして、私の肩に掴みかかってくる。指がぎりぎりと食いこんでかなり痛くて身を捩ったが、力が緩まることはなかった。
「あなた、この文字が――“歴史の本文”が読めるの……?!」
「え? まあ……えっ?」
なにをそんな騒ぐことが……だってただの文字じゃん。
動揺したまま私がそう言うと、ロビンだけではなく、一緒に遺跡を囲んでいた空島の人達までざわめいた。その仰々しい反応に困惑する。いや、ロビンだって普通に読んでるじゃん……? そう思いながらもう一度遺跡に目を向け、目を窄めて文字をよく見てみる。
「……あ、違う言語だ。全然気が付かなかった。ところでロジャーって誰です? 有名な人?」
「……ゴール・D・ロジャー。二十年も前に処刑された、この大海賊時代を作り上げたかつての海賊王よ。まさか彼も空島に来ていたなんて……それにこの文字を扱えたなんて」
いつもクールなロビンの狼狽えぶりをみるに、なんかすごい人がなんかすごいことしたみたいだ。や、でもやってること上京してきたヤンキーだけどな。だってこれ要は『ロジャー参上!』ってことでしょ? あれ違う? まあ海賊も輩には違いないか。
ていうかこの文字を扱えることってそんなにすごいことなのか。へえ。じゃあ翻訳本とかだしたら私でもこの世界で生きていけるだけの稼ぎになるかな。次の島に行ったら本屋とか見てみよう。もし需要がありそうならハウトゥー“歴史の本文”とか書いちゃおっかな。
「ロビンさん? どうかしました?」
「……! いえ、なんでもないわ」
「……そうですか」
なんて呑気に生計を立てていたのだが、ロビンが深刻げに俯いて怖い顔をしている。声をかければ彼女はハッとして微笑んだけれど、ぎこちなく強ばったその顔は明らかに『なんでもある』人の顔だった。まあ、本人がそう言うならそれ以上踏み込まないけど。話せないことがあったって仕方ないよね。だって私は仲間じゃないんだし。
「具合はどう?」
「元気です! だって私、半日くらい寝てましたよね?」
「……一日半よ」
「寝過ぎだろ」
なんとも言えない表情で教えてくれたロビンに、思わず自分でも引いてしまう。そんなに寝てたらこんな元気なの逆におかしくない? 血管膨らみまくってるでしょ……あ、やだ、急に頭痛い気がしてきた。冷えピタが欲しい。
私とロビンは、空島の住民さんたちが折れた黄金製の鐘楼の柱をわっせわっせと運ぶ列の最後尾にいた。ルフィがエネルとかいう神をぶっ飛ばしたお礼にくれるんだと。たしかに不法入国の件とかどうなったんだこのフレンドリーさ、とは思っていたけど、まさかそんなに事が進んでいたとは。結局エネルが落としたっていう雷しか見ないで終わっちゃったよ。お荷物ちゃん、本当にいい加減にしてほしい。事件が起こってるときいつも眠ってばかりで、恥ずかしくないんですか?
いやにしてもこの鐘楼、バカでかいんだが。人の力だけで持ち上げて移動させられてるのが謎すぎる。あれかな、空島の人たちは常人より筋肉が発達してるとか……関係ないか。真実はいつだって『ワンピースの世界だから』でファイナルアンサー。
「これ船に乗るんですか? 沈まないです?」
「さあ、どうかしら……。それよりねえ、あなた、本当はそういう喋り方をするタイプじゃないんじゃない?」
当然の疑問はあっさり流され、かわりに妙な質問が返ってきた。ロビンの言葉に目を瞬かせる。独り言やらでたまに崩れてしまうのを指摘されているようだ。悪戯っぽく微笑むロビンに「あー……」と零して頬を搔く。
「これは、なんていうか……その……」
「その?」
悠然とした笑みを崩さないロビンにますます居心地が悪くなり、視線を足元へと落とす。爪先がちょうど苔むした小石を蹴飛ばすところだった。ロビンから逃げるように、石が転がっていく先を目で追う。
私はただの居候。お荷物。仲間じゃない、友達じゃない。そういう意思表示というかせめてもの抵抗というか自分への言い聞かせというか……。
「(心の中では呼び捨てしてたりしますけど)」
そもそも私はワンピ未履修の民だ。つまり敬虔なワンピファンというわけではない。ミリしらだからこそ『くん』も『さん』も付けずバカスカ呼ぶ。が、いざ会話をするとなればそれはもちろん話が別なわけで……。だってほら、日本人の常識的に? そんな仲良くない人の名前を気安く呼んだりは――ねえ?
「まああの、あれですよあれ……最後の砦的な?」
そんな理屈をもだもだ捏ねながら――後半部分はもちろん言わなかった――、ろくろを回す。絞り出した苦し紛れ過ぎる回答に、ロビンは目を丸くしてから、くしゃりと困ったように微笑んだ。
「……よく分かるわ」
- 17 -
←前次→