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 ずっと一人で生きてきた。
 自分の身以外守るものなんてなにもなかったから、どんな犠牲を産んでだって逃げてきた。多少の良心の痛みなどは、気にしていられなかった。気にする余裕なんて、とてもなかった。自分が――母が、博士が、サウロが残そうとした意志が、ロビンにとってはなによりも大切だったから。

 禁忌と知りながら、母や博士が手を出した“歴史の本文”。
 そうまでして追い求め、また政府が島を地図から消滅させるほど必死になって隠そうとする『空白の百年』とは、いったいなんなのか。

 これらを解き明かすまでは、例えどれほど苦しくて辛くて死にたくなったとしても、簡単には死んではいけないと思っていた。

 だってでなければ、彼らがなんのために殺されたのかさえ分からない。


 海に帰った影法師たちを原動力に、ロビンは闇に紛れて、逃亡と裏切りに身を浸して生きてきた。
 けれどそんな、身を守り夢を追う唯一の手段も、“麦わらの一味”という光を知ったロビンには、もう使えなくなってしまった。

 もういい。もう疲れた。
 彼らを裏切りたくない。これ以上、嫌われたくない。


 ――自分を除く“麦わらの一味”の七人が、無事にこの島を出航する事。


 だからこそロビンは、それを条件として、CP9がつきつけてきた二つの条件――暗殺の罪を麦わらの一味にきせる事、そしてその後は政府に身を預け従う事――を呑んでいた。

「――俺ァいま気分がいい……お前らにも特別に見せてやろう」

 呑んだはずだったのに。

 これはいったいなんだ。
 ロビンは眼下に広がる光景に瞳を震わせていた。





 司法の島、エニエス・ロビー。名ばかりの裁判所。CP9長官スパンダムは、抵抗できないロビンとフランキーへ一頻り癇癪を爆発させたあと、醜悪な笑みを作って「ついてこい!」と顎をしゃくった。


 ロビンたちは、吹き抜け構造になった広い部屋の二階へと連れてこられた。緩やかな傾斜となったガラスの壁が全面に張られていて、階下を見下ろせるようになっている。
 四方を白塗りされた広い部屋には、中央に椅子が一脚。それから、その傍らに、数百冊はあろうかという量の本が山のように積まれている。

「誰だ、ありゃあ……?」

 部屋を覗き込み、フランキーは目を眇める。安っちい椅子にぽつねんと座らせられたナツをみとめて、ロビンは鋭く息を呑んだ。

「そんな」

 ショックで数歩後退るロビンに、スパンダムは満足げに目を細める。

「どうして……どうしてあの子がここに?! これはいったい――約束は?!」

 ナツの足と椅子は鎖で繋がれており、さらにその先には大きな鉄球も伸びていた。遠目から見てでも分かるほどにナツの髪も顔も、服も体もボロボロで、どこもかしこも血に汚れている。憔悴しきって生気のない様子からは、少なくともロビンたちより数時間は早くからここにいたであろうことが、容易に察せられた。
 あんまりなナツの様にロビンは噛み付いたが、スパンダムはそれさえもニヤニヤと楽しんでいた。

「知らねェなァ! 第一、あの女は“麦わらの一味”じゃねェ」
「なにを……!」
「そうだろう、ルッチ?!」
「ええ。本人に確認したところ、『自分は麦わらの一味ではない』とはっきり口にしました」
「……!」

 ロビンはがっくりと膝をついた。絶望に打ちひしがれるロビンへ、スパンダムは喉を鳴らす。

「オイオイ、お楽しみはこれからだぜ」

 そう言って、スパンダムは備え付けてあったボタンを押した。部屋にあるたった一つの出入口が自動で開き、囚人服を身につけた屈強な男が一人、警戒しながら入ってきた。

「あれは……」
「インペルダウン地下三階 “LEVEL3”にいた、懸賞金五千ベリー越えの犯罪者さ――オイ、お前!」

 スパンダムの声が、天井に付けられていたメガホンを通して男へと届けられる。男は傷だらけの顔を上へ向け、スパンダムたちの存在に気が付いた。

「その女を殺せたら、お前の罪を帳消しにして、自由の身にしてやる!」
『……本当か?』
「なにを――」
「誰が質問を許可した?! やるのか、やらねェのか?!」
『……分かった』

 スパンダムは抗議の声をあげようとしたロビンの後頭部を、足蹴にして黙らせた。ガラスの壁へと額を擦り付けさせられたロビンは、男とナツの距離が少しずつ縮まっていくのを、固唾を飲んで見つめる。
 座ったまま微動だにしないナツの目の前まで来た男の右手が、ゆっくり持ち上がる。男の大きな手は、ナツの細い首を軽く一周して捉えた。

「えっ……?!」

 これまで人形のようにただ座り、なんの反応も見せてこなかったナツが、突として動きだす。幽鬼のように手を持ち上げると、自分の喉を締め上げようとしている手へ軽く触れた――刹那。男の姿が消え、代わりにどこからともなく、一冊の本が現れた。膝の上に落ちた本を、ナツは感慨もなくパラパラと捲っていく。一分ほどでその作業を終えると、ナツは持っていた本を投げ捨てるようにして傍らにあった山へと加えた。

「なんだ、今のは……!」
「……あっ!」

 突然がくりと頭を落として俯いたナツに、ロビンは声をあげる。「また気絶したか」スパンダムは億劫そうに溜息を吐いて、「おい、やれ!」と部屋に向かって怒鳴りつける。ナツの背面、ただの壁かと思われた箇所から縦線が一本生まれ、扉が開き、防護服を纏った人間が二人現れた。

「ったく、手間かけさせやがって。何回気絶すりゃァ気が済むんだ」

 現れた二人はナツの腕を慎重にとると、二の腕に注射針を刺して、青色の液体を注入した。ぐったりしていたナツの体躯が電流でも流されたようにびくりと大きく跳ねる。
 ナツが意識を取り戻したことに安堵するも、ナツのその尋常ならざる様子に、ロビンはキッとスパンダムを睨みあげた。

「今の薬はなに?! あの子になにをしたの?!」
「Dr.ベガパンクの作った“悪魔の実の能力を一時的に増強させる薬”さ。世間にゃ当然発表されてねェ……強力すぎるから下手すりゃ脳が破壊されちまうかもだが――ま、ヤクヤクの実なんて最悪な実を食ったんだから、それも相応の罰だろ」
「っ……さっきあなた、『また』、と言ったわよね。『何回気絶すれば』……とも! そんなおぞましいものを、いったい何度あの子に……?!」
「さァ。覚えてねェ」

 そんな強力な薬が大量にあるはずがない。稀少なはずだ。覚えていないなんて、有り得ない。しかしスパンダムは、敢えてそう答えたのだ。『覚えられないほどの薬を打ったのだぞ』と、ロビンに分からせるために。
 どこまでも人をバカにした態度のスパンダムに、込み上げる怒りや悲しみによりロビンの視界がぼやける。

「ま、つまりこういうことだ。あの女にはヤクヤクの実の能力実験も兼ねて、ああして罪人の処刑の手伝いをさせてやってる……」
「こんなこと今すぐやめさせて! あの子はこんなことのために悪魔の実を食べたんじゃない! ただの事故だったのよ!」
「あ?」

 取り乱して声を荒らげるロビンを、スパンダムはウザったそうに睨みつけた。

「理由なんざ俺が知るかよ。あんな実、口にした時点で犯罪者も同然だろうが! とにかくな、アレは政府が一生飼い殺しにすることが決定してるんだよ! むしろ管理してもらえるだけでも、温情に咽び泣いて感謝するべきだろうが! エェ?!」
「……クソだな」
「あァ?! 罪人風情がスパンダム様に向かって、何様のつもりだテメェ!」

 短く吐き捨てたフランキーに、スパンダムは拳を振り上げた。しかしそれよりも早く、ロビンは勢いをつけて、自身の頭をガラスへと落とす。激しい殴打音がして、辺りには血潮が飛び散ったが、政府独自の特殊な技術で造られた分厚いガラスは、当然ビクともしなかった。

「おい、なにやって……!」
「ははっ、気でも狂ったか?!」

 額から血を流すロビンに、フランキーがぎょっと狼狽した。「まァ元から狂ってるよな、お前は!」二度、三度と同じことを繰り返すロビンが、“ガラスを割ろうとしている”ことにも気付かず、スパンダムは愉快げに笑い上げた。スパンダム以外の全員がロビンの意図に気付いていたが、誰かがそれをスパンダムに伝えることはなかった。
 しかし頭突きの理由に気付いていたとしても、やはりスパンダムは笑っただろう。仮にロビンの能力が封じられていなかったとて、この特殊ガラスを突き破ることは、どう足掻いても不可能であるのだから。

 もちろん、ガラスを頭で割るなんて無理だということは、ロビンだって理解している。けれどそれでも、ロビンは頭を振り落とすことをやめられなかった。ナツと自分を隔てる忌々しいガラスへ向けて、無心で頭突きを続ける。皮膚が裂けるのも、せぐり上がる激情でヒクと喉奥が引き攣るのも構わず、ロビンはガラスに血を塗り広げた。



 探究心を悪とされ、生きてるだけで罪だと言われた。

 政府の言い分に正当性があったことなど、一度もない。それでも、ロビンはそんな理不尽から二十年も逃げ、必死で耐え続けていた。母のため、博士のため、命の恩人のため。そして自分のために。辛かったけれど、まだ耐えてこられた。

 でもこんなの、あんまりだ。
 こんなことをされるために生まれてきたんじゃないのに。

「いい加減うるせェんだよ!」
「っ……!」

 頬を蹴り飛ばされたロビンは床に転がり、うつ伏せになって倒れた。目の前の床に、血と涙の混じった水溜まりが広がっていく。ロビンは音が出るほどにきつく歯を食い縛った。


 こんなことのために生まれてきたんじゃない。

 私は運命だったのかもしれない。だから今日までギリギリやってこれた。理不尽だって辛うじて飲み込めたし、戦えた。

 でもあなたはちがう。ちがうのに。私はそうでも、少なくともあなたはそんなんじゃない――なかったはずなのに。



 ロビンは乱れた髪の合間から、階下のナツを見た。土気色をしたナツの顔には、なんの感情も浮かんでいない。そんなナツを見て、ロビンは思い出していた。


 自分を抱き締めている麦わら帽子の少年へ、控えめに凭れるナツの、いつもより少し気の抜けた顔を。

 広がる雲の海を見て、落ちるのも構わず身を乗り出す無邪気なナツの顔を。


 生えた腕に動揺しながらも、着替えが終わった最後にはお礼を告げるように、一つひとつの手の甲を撫でてはにかむナツの顔を、思い出していた。


 幸せな思い出だけは、どれもこれも色鮮やかで、残酷なまでに鮮明だ。そよ風のような笑い声も、穏やかな海のような香りも、掠り傷一つない滑らかな指先の感触も、柔らかなその温度も。目を瞑るだけで全て蘇る。これからの地獄では、それが唯一の救いになるとロビン自身思っていた。それなのに――。


 ロビンはより一層、口を引き結んだ。流れる涙を止めるのがもう無理だとしても、嗚咽だけは零さないようにと、固く、固く。
 

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