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「本当なら、もっと早くにこうする予定だったんだ」
こんなに長引くなんて想定外だったと忌々しげにボヤきながら、オーナー……否、コロンは、いかにも成金が持っていそうなデザインのライターを、分厚い指でクルクルと弄んだ。
「食事に薬を混ぜてたんだが、なんでかなかなか効かなくて、参ったよ。強硬手段をとる前に効いてくれて助かった。こっちとしてもその方が楽だからな」
「薬って……」
「裏で流通してる違法薬さ」
効かなかったのは、チョッパーから処方されていた薬を服用していたおかげだろう。本当ならもっと早くにこうなっていたのかもしれない。
不意に男が立ち上がり、私の頭上の地面に膝をついた。額辺りから手を差し込まれ、そのまま前髪を鷲掴みされる。無理やりくの字にされたうなじの骨や筋肉が痛くて、反り返った喉から意図せず呻き声が零れた。
「う、っ……!」
「顔の腫れはだいぶ引いてるな」
パッと手を離され、片頬を地面へ強かにぶつける。
「引渡しの際にイチャモンつけられちゃたまんねェからな」
この男は、これから私を賞金稼ぎか、シャボンティ諸島の人間オークションの商人へ売りに出すつもりらしい。先程から電伝虫を複数使ってひっきりなしに連絡している。まだ値上げ交渉中のようで、「元が一億だ、まだ儲かるぜこりゃ」と金歯を剥き出しにしてほくそ笑んでいた。うわ転売ヤーだ、最悪。
「本当はお前のお仲間も欲しかったんだが、他のやつはなかなか隙がなかったからな……仕方ねェ。今回はお前だけで満足してやるよ」
コロンは短くなった葉巻を地面に落とし、私の髪ごと踏み潰した。「元々おれァ別に賞金稼ぎじゃあねェからな」ヒッヒッと耳障りな笑い方をしながら、グリグリと靴を動かす。その度に頭皮が引っ張られる感覚がして、私は唇を噛み締めた。
「普段は海賊にゃそうそう手は出さねェが……生け捕りときたら話は別さ。利用方法がいくらでも思いつく。エニエスロビーにいたってことは、ウォーターセブンに滞在してた可能性が高い……この島にも寄るだろうと踏んで準備をしておいて正解だったぜ」
「準備……?」
「新装開店店舗とか、サクラとか? お前をあの店に引き留める理由作りさ。いくら平和ボケしてそうな面とはいえ、一億だ。さすがのおれも、そう簡単に捕まえられるとは思わねェさ」
なにそれ、そんなことしてたの? ウケる、絶対無駄だよ、それ。随分と買いかぶってくれたんだな。喜ぶべきか憐れむべきか……だめだ、面白すぎる。ここは心に従い、素直に「ばかじゃない?」と鼻で笑った。その瞬間背中を強く踏みつけられ、臓器がぎゅうっと押し潰される。
「おーおー、さすが億の首。こんな時でも余裕とは。殺されねェと高を括ってるようだが、人間を苦しめる方法はなにも殺すだけじゃないと知らねェのか?」
後ろからチャキ、と金属が擦れる音がした。見えないけれど、本能的に銃弾を装填した音だと分かり、心臓がドクンと跳ねる。息苦しい中、首を捻ってコロンを見上げ、「ねえ!」と声を張り上げた。
「命乞いか? 安心しろ、殺しはしねェよ」
「グ、っ……“歴史の本文”って知ってます?」
「あ?」
「世界政府、が、バスターコールを使ってまで隠したがってる……『空白の百年』についてが書かれた、石碑のこと、なんだけど」
喘ぎ喘ぎでなんとか説明をすると、バスターコールという単語に、コロンが暗がりでも分かるくらいに顔を青くさせた。背中から急に足が消え、呼吸が一気に楽になる。たしか政府の掲げる名目は『古代兵器復活の阻止』だけど……まあ真偽なんてこいつにはどうせ分からないし、結局関係あるまい。軽く呼吸を整え、ころりと体勢を変えて仰向けになって、試すように目を細めてコロンを見上げる。
「それについて私があなたに喋ったって知ったら、政府はどう動くでしょう」
「ふ――ざけるな! おれはそんなの聞くつもりはねェ!」
「聞いたか聞いてないかなんて問題じゃない。大切なのは、私が『喋った』と言うか言わないか」
口端を上げてみせたのは精一杯の虚勢だったけれど、コロンは気圧されたように後ずさった。いや拘束されて動けない女にビビりすぎじゃない? そんな? レスバ雑魚おじさん……?
「(このまま好きなようにされてたまるか)」
政府が生け捕りを命じてまで危険視するヤクヤクの実の能力者――“災厄の翻訳家”とは、つまりこういうことなんだろう。政府が恐れているのは、こうして情報をばら撒かれること。この男はそこまで知らなかったようだけど。
しかしいくらビビってるとはいえ、来るかも分からない私のためにあんな入念で無意味な下準備をしたコロンが、そう簡単に私を解放するとは思えなかった。だからこれは、ただの時間稼ぎに過ぎない。
「今すぐ私を解放するか、未来の海賊王に殴られる栄誉を賜るか。あなたに選べるのはそのどちらかです」
「か、海賊王だァ……?!」
――そう、ルフィが助けに来るまでの。
喧嘩したくせに――いや、喧嘩したからこそだろうか。私はルフィは来ることを、なぜか確信していた。
「なんのことか分からねェが……この場所を知るものは少ない、助けなんてくるかよ。明け方にもなればお前らのログもたまっちまうんだから――」
「ルフィは来る、絶対に」
私が怒らないことに怒ってくれるルフィなら、きっと来てくれる。絶対助けに来てくれる。
静かに見つめ上げる私に、コロンは少しだけ後ろに下がり、ゴクリと唾を飲み下した。
「っ、調子に乗るな……!」
脂ぎった額に玉のような汗を浮かべたコロンが、唾を吐き散らかすように怒鳴った。銃を握り直すと、趣味の悪いゴテゴテした指輪を嵌めた指が、トリガーにかかる。
――そのタイミングで、すぐ外から響いた轟音と複数人の叫び声が、張り詰めていた空気を震わせた。
次いでボロい扉が吹き飛ばされ、木材の破片が降り掛かってきたので咄嗟に目をつぶった。騒音が止んだころ恐る恐る瞼を持ち上げて、扉口だった場所を薄目で見遣る。麦わら帽子を被った影が、こちらへ大きく伸びてきていた。
「お前、そいつになにやってんだ」
ルフィの低く掠れた声は、張り上げたわけでもないのに轟々とした海風に呑まれることなく、真っ直ぐにここまで届いた。「ぁ……」コロンの手から銃が呆気なく滑り落ちる。
逆光だというのに、ルフィの黒い瞳は、強い光を宿してギラついていた。
ルフィの気迫に最初は情けなく震えていたコロンだったが、彼も腕利きの能力者を雇っていたらしく、ルフィは暫し苦戦を強いられていた。まあ当然勝ったけど。
「(これも原作だったのかなぁ)」
そんな呑気なことを、命乞いするコロンを異様に膨らんで大きくなった腕で海へ殴り飛ばしたルフィを見ながら考える。骨風船ってなに? どういうこと? 字面がエグいんだけど。
「っし――ナツ! 帰ろう!!」
訳が分からなすぎて引いていれば、廃屋の外からルフィがこちらを振り返った。萎みつつある腕を背後にニカッと笑う彼へ、力が抜ける。
「鍵なら取ったぞ! 待ってろ、今外すから」
「ル――待っ、なに?! なになになに?!」
う、腕どころか体全体が!! しゅうっと音を立てて体まで萎ませながらルフィがタッタッタッと駆けてくるので、慌てて身を起こす。なにそれ?! 大丈夫?! 私の動揺も気にせず、三歳児くらいになったルフィは素早く私の背後へ回り、私の手錠を外した。それから両手で麻縄を握り締め、「んぎぎ」と心なしかいつもより高い声を絞り出してちぎった。その体のどこにそんな力が……。
「ていうかその体ほんとなに?」
「ギアサード使うと何分間かこうなっちまうんだよ」
「ギア……? そ、そう……」
なにその自転車みたいな。どういう原理……いやもう考えたって仕方ないからやめよう。私は理解することを放棄して、立ち上がり私の膝くらいの高さになったルフィを改めて見下ろす。
「なんだ?」
「……えっかわいいな」
「は?!」
ちっちゃ。思わず「赤ちゃんじゃん」と零せば、ぽこぽこと足を殴られた。可愛い効果音のわりにいたい。赤ちゃんのくせに。手を避けてひょいと抱き上げると、ルフィは「なにすんだよ!」と高い声で抗議してきた。
「だってこうした方が早そうだし。しばらく戻らないんでしょ? 私も早くサニー号に帰りたいから」
「じゃあおれが抱えて走る!」
「させるか」
無理を言うな。というかどんだけいやなんだ。暴れないでという意味を込めてしっかり抱え直せば、ピタリと動きが止まった。お、急に素直。どうしたのかと顔を覗き込むと、ルフィの顔は耳まで真っ赤になっていた。
「……うわぁ、(ちょっっっろ)」
「な、なんだよ?!」
「別に」
顔を背けて惚けると、ルフィはヤケクソのようにぎゅうっと背中に腕を回してしがみついてきた。少し痛かったが、黙って波止場を進んでいく。ここは例のクソゴミ治安の通りと言っていた。この道を進めば街か、もしくは直接サニー号の停まっているところへ出られるだろう。
「……でこ、血ィでてる」
「ん? ああ、拐われる時に殴られたかな」
「髪も焦げ臭ェ」
「葉巻落とされて踏まれたから」
「……遅くなってごめん」
ぽつりと鼓膜を揺らした囁きが思いもよらなくて、ちょっと瞠目してして、それから吹き出す。自分の方がボロボロのくせに何言ってんだ。
「最近のルフィは謝ってばっかりだね」
「ぐ……だって、それは……」
足を止めて、ルフィの顔を覗き込む。いつもよりずっと幼い顔立ちの彼は、苦痛に耐えるように顔をぐちゃぐちゃに顰めていた。パグみたい。親指で眉間を数度撫で、刻まれた皺を解す。私の行動が予想外だったのか、ルフィはぽかんと口を開けた。
「ナツ?」
「私もごめんなさい」
「え……」
「意固地になってた。ごめん」
「お前は悪くねェって!」
「もう本当に怒ってない。なくしたことは残念だけど、未練を断ち切るいいきっかけになったって今は思えてる」
「……おれは別に、お前に故郷を捨てさせたかったわけじゃないぞ」
豪胆に見えて、結構言葉尻をとる人だよなぁ、ルフィって。「分かってるよ」と苦笑する。
「ただ私の中で吹っ切れてよかったなって意味。……それから、喧嘩中だったのに、助けに来てくれてありがとう」
感謝の意味を込めて、呆然としているルフィの柔らかい髪を撫でる。来てくれるって信じてた……けど、実際に来てくれるとやっぱり嬉しい。耐えきれずへらりと相好を崩せば、ルフィはわなわなと口を戦慄かせ、ぐりぐりと肩口に顔を押し付けてきた。
「う〜……!」
「ルフィ?」
グズるように呻くルフィが本当に子どものようで、まさか心まで退化したのかとちょっと戦きながら名前を呼ぶ。もぞ、と顔を上げたルフィから、じっとりした眼差しが下から差し向けられた。
「ちゅーしてェ」
「……その姿で言うのやめてくれる?」
「この姿じゃなきゃいいのか?!」
「よくない。ていうか謝った矢先によく言えるな」
パッと顔を輝かせるルフィへ、ばっさり切り捨てる。何言ってんだダメに決まってるだろ。ただ子どもの姿で言われると尚更犯罪感がでるじゃんって話だ。
「だいたい、なんで急に?」
「……お前がへにゃってしたから」
「ルフィの前では二度と笑えないなぁ」
揶揄い半分本気半分でそう言えば、ルフィは両足をじたばたさせた。背中を摩ってどうどうと宥めながら、雲の敷き詰められた空を見上げる。
「……いつかルフィに、『月が綺麗ですね』って言えたらいいな〜」
「はあ?」
ルフィは意味わからんとばかりに声を上げ、雲の間からちらちら見える細い三日月を見上げた。そりゃ分からないだろう。というか分かられたら困る。
「月はいつも綺麗だろ」
「…………」
「ナツ?」
「……うっ、ぐ、うあ〜?! ま、負けねえ!」
「は?! なんにだよ。さっきから意味分かんねェぞ、お前」
「一生分からなくていい」
そっぽを向くと、ルフィはむき〜っと歯噛みして「あとでロビンに聞くからな!」と言った。どうぞご勝手に。聞いたってどうせこの世界の人には分からない。
そう、誰も分からなくていい。私だけが分かっていればいい。
スマホなんかに縋らなくても、記憶も思い出もこれからますます薄れていくとしても――例えもう、元の世界に戻れないのだとしても。
私が
私たる証明は、自分の中にこうやってちゃんとある。
だから別に、『この世界』で生きていくことを恐れる理由なんて、なにもないのだ。ルフィが――彼らが傍にいる限り、怖いことなどなにも。
私はルフィへ回す腕に力を込め、小さく熱い存在を、殊更強く抱き締めた。
/✲/✲/✲/
「――ねえ、フランキー。あのさ、あれって結局直せてたの?」
「……おう。なにせこのおれに任せたんだからな。直るのが当然ってもんよ」
「そっか。さすがだね」
「アー……また怒りのボルテージを上げちまったか?」
「ううん、むしろ本当に吹っ切れた」
ちゃんと仲直り、できそう。
金色のカモミールティーの水面を見つめながら口角を緩めると、フランキーは「そうか」と一言落として、弧を描いたままの口元へコーヒーを運んだ。
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