51
焼け爛れた皮膚が空気に曝されて鋭く痛む。とめどなく血が溢れ、投げ出された指先を伝って地面へと流れていった。
オーズは倒した。モリアも同様に。
それなのに、どうしてこんなことになってるんだっけ。
「――“獅子歌歌”!」
ゾロの声、それから斬撃と破壊音に、微睡みの底を漂っていた意識を叩かれた。重たい瞼をなんとか持ち上げる。ぼやけた視界に映った巨大な男は、肩から煙を上げてバチバチと電気を迸らせていた。
「……俺は“パシフィスタ”と呼ばれるまだ未完成の政府の“人間兵器”」
「パシフィスタ……?!」
浅い呼吸を繰り返していれば、少しずつ二人の姿に焦点が合っていく。そうだ、こいつが……“七武海のくま”が来てしまったんだ。それでルフィの首を渡せとかいうふざけた要求を拒否して、爆弾でまとめてこうか。
「(ルフィは……)」
ルフィはすぐに見つかった。くまの足元にいる。オーズやモリアとの戦闘のせいで消耗はしているけれど、最後に見たとき以上の酷い怪我をしているふうではない。でも完全に寝てしまってるから、このままだと連れて行かれてしまう。あの様子だとゾロももう動けないだろう。
「――分かった、首はやるよ」
彼自身それを分かっているのか、くまへ向けて覚悟を決めるような間を作り、徐に背を丸めた。
「……ただし、身代わりのおれの命一つで! 勘弁して貰いてェ!!」
「(……ああ、そういう感じか)」
身代わりが必要なのか。
身代わりがあれば、許されるかもしれないのか。
そうか。
なら、光明は見えた。
でもまだだ。まだ動けない――気付かれる。失敗はできない。そんな体力も余裕もないから、チャンスは一度だけだ。
私はしばらく気絶したふりをし、体力をできる限り温存することにした。瓦礫の上に磔になったまま、じっと耳を澄ませ、『その時』を待つ。けれどサンジまでもが身代わりになると名乗りでたときはさすがに焦った。あれ、この流れか?! 今なのか?! って。でもゾロはサンジの鳩尾に容赦なく刀の柄をいれて、サンジの意識を刈り取ってくれたので胸を撫で下ろす。いくらなんでもこの二人を相手取るのは無理。
「これで麦わらに手を出せば、恥をかくのはおれだな。……そのかわり、お前には地獄を見せる」
くまがルフィの胸に手を当てると、ルフィの体から大きな肉球の塊が弾き出された。蓄積した痛みとか疲労とか、そういうものらしい。肉球とかニキュニキュの実とか、なんか妙にファンシーでかわいいから余計に腹立つんだよな。じゃあ能力ももっとかわいくあって?
「――なんのつもりだ、“災厄の翻訳家”」
「地獄なら私がみます」
なんて、どうでもいいことを考えながら、私は背後からゾロの背に触れた。くまの挙動に全神経を使っていたゾロは、私に気付かなかったようで、呆気なく本へと変わった。威圧するようなくまへ精一杯にっこり笑ってみたけど、血濡れの女がそんな愛想良くしてもただのホラーかもしれないなと思った。
「私なら死んだっていいんです」
きっとこれも、私なんていなくとも彼らは乗り越えていたのだろう。今のだって、ゾロやサンジのかっこいいシーンだったんだろう。作中屈指の名場面というやつ。私のやっていることは、男や海賊の覚悟に水をさし泥を塗る最悪な行為だ。それは分かっていた。
けれど余所者の私で背負える痛みや苦労くらいは、私に受け持たせてほしいのだ。だって、私はもうこの一味のことが大好きになってしまっているから。みんなと関わった期間は短いし、本来なら存在しなかったはずの、余計な人間の分際で何を調子こいてるんだという感じではあるけれど。
「お前は捕縛を命令されている」
「それでも私は別に構いませんけど」
「……まあいい。おれは約束を違えたりはしない」
ゾロとくまとの約束だし反故にしたって誰も怒らないと思うけどな。しかしこちらとしてもそっちの方が都合がいいので黙っておいた。連行されるならやることが増えちゃうし、今の体力ではできる気がしない。
「試してみろ」
大きな肉球の塊から捻出された小さな肉球が、ふよふよと飛んでくる。それは胸に吸い込まれるなり、稲妻のような痛みをもって私の足の先から脳天までを一気に貫いた。おぞましい絶叫がスリラーバークに響き渡っている。鉄の風味を伴う張り裂けるような喉の痛みで、やっとその悲鳴が自分から発せられたものだと気がついた。
「どうだ」
いつの間にか私はその場に頽れて震えていた。あんな小さな欠片だったのに、全身が弾けたかと錯覚するくらいの激痛だった。今にも胸から飛び出さんばかりに暴れる心臓の鼓動さえもが全身に響き、どこもかしこも痺れるように痛む。バタバタと溢れた涙や汗が瓦礫を濡らし、黒ずんだ染みを作った。込み上げた血の塊を吐き出して、ゼェゼェと肩で息をしながら顔を上げる。肉球は、直径二メートル以上はあった。
「……場所、変えたい」
ここだと悲鳴のせいで誰かが目を覚ましてしまうかもしれない。騒ぎにはしたくなかった。
「それから……」
ガラガラの声でちょっと待ってと頼み、転がしていた本を捲る。痛すぎて集中力切れてたと思ったけど、よく本のままだったな。私、ちょっとは成長してるのかな、と調子に乗った思考の片手間に、ゾロの本に記されたくまとのやり取り部分を破りとる。破った紙はたちまち粒子となってキラキラ光り、清ける朝の空気に一粒残らずとけていった。
気力を振り絞り、ゾロを本にしたままサンジにも同様のことを行う。よし、これで全部なかったことに……なるのか? ちゃんと忘れてくれるのかな……確証なんてどこにもないからどうにも不安だ。しかし仕方ない、やらないよりマシだろう、多分。もし覚えてたら死ぬほどキレられそうだから絶対忘れててほしい。忘れててくれますように!
「……あ、そうだ。これで口縛ってくれません? もう手が上がらなくて」
ふと思い付いてハンカチをくまに渡す。素直に受け取ってはくれたが、くまは一向に動こうとしなかった。
「お前の所在は誰も知らず、その声すら辿れない。お前、確実に死ぬぞ」
「……これ、今回ルフィが負った痛みや疲労って言いましたよね」
見上げるほどに大きな塊。血を水でうんと薄めたような、毒々しいピンクで縁取られたそれ。たった一欠片が私に及ぼした激痛を思い、胸が締め付けられて泣きそうになる。ルフィはあの痛みの何百倍も苦しんでくれたのか。自分を擦り減らして、無茶をして、『それが当然』という顔をして。こうして目に見える形にされるまで、私はルフィがこんなにも消耗していただなんて気付きもしなかった。
「私たちを守るために船長が負った傷でしょう。それを肩代わりできるなんて、そんなの、船員の誉以外のなにものでもない」
「……覚悟は決まってるようだな。ならばこれ以上の口出は野暮か」
これ以上の問答はお互い時間の無駄だとあっちも分かってくれたのか、くまはやっと動き出した。私はくまに背を向け、目の前に差し出されたハンカチを噛む。ていうか、こんなに心配してくれるって実は案外いい人だったりする? なーんて。今のこの惨状を思えば、笑えない冗談だ。
しかしキュッと後頭部にかかった圧に、またおかしくなる。だって私が痛くないように配慮してくれてる力加減だった。やめてよ、笑うと傷に響くんだから。
- 51 -
←前次→