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 簡易ベッドで寝ているチョッパーを起こさぬよう、そっと診察室を抜け出す。時刻は真夜中をとうに回っていて、いつもは賑やかすぎるこの船もさすがに静かだ。まるで、誰もいないみたい。どことなく寂しさと心細さを感じながら、私は壁伝いでよたよたと船内を進んだ。

 甲板へでるなり、目の粘膜を乾かす勢いの強い風が私を出迎えた。あまりの強さに数歩たたらを踏んでしまったが、すぐに背後にも風が回ってきて体勢と立ち位置を戻してくれる。ありがとう、お前のせいだけどな。

 敷き詰められた雲の隙間からチラチラ零れる月光が、甲板全体を薄く照らしていて、船内に比べたら大分明るい。けれど如何せん雲が多く、空も海も重たい墨のような黒をしていた。

 数日ぶりに顔を見せた私に、海はわあわあ喜んだ。耳朶を打ち揺らす歓声に、なんだかスターにでもなった気分だと苦笑してしまう。
 海はよほどご機嫌なのか、小山を連ねたような波を幾つも作って喜びを分かりやすく形にした。「ちょっと」船が揺れ始めたので軽く咎めるけど、聞いちゃくれない。最初はかわいいものだったが段々シャレにならんくなってきたので、慌てて手摺にしがみつく。

「おっと」
「えっ……ぅおっ、あ、ブルック……さん」
「こんばんは、ナツさん」

 あわや海へ落ちるといったところで、肩を引き寄せられた。間近にあったのっぺりとした骨の顔に一瞬硬直する。深夜のガイコツ、思ってたよりかなり怖いな。失礼な本音を隠し、私は素知らぬ顔で「こんばんは」と挨拶を返した。

「寝ていなくてよろしいので?」
「あー、その……寝過ぎたのか、うまく寝付けなくて」
「では少し私とお話でもいたしませんか」

 意外な提案に目を瞬かせる。てっきり――。

「ベッドに戻るように注意されるかと思いました?」
「……はい」

 してやったりという声色に、私は緩く相合を崩す。ブルックも、いつもよりはトーンの落ち着いた、あの独特の笑い声を上げた。

「実は私も眠れないのです」
「そうなんですか?」
「ええ。生きていれば、どうしても眠れない夜というのもありますからね。あ、私死んでるんですけど!」

 こうして話してるんだから生きてるんじゃ? と言いたくなったが、これは彼の持ちネタっぽいしマジレスはやめておこう。

「ですが体を冷やすのはよろしくありませんね。こちらを」
「わ……え、いいんですか? ブルックさんが使うつもりだったんじゃ……」
「たしかに海風が少し肌寒……あ、私肌ないんですけど!」
「骨寒いならブルックさんが使ってくださいよ、私は大丈夫ですから」
「やだナツさんてば順応性たかァ〜!!」

 ギョエ〜とひっくり返るような反応を横目に、羽織らせてくれたタータンチェック柄のブランケットを外そうとする。が、無機質な骨の指がそっとそれを押し留めた。

「お気遣いありがとうございます、ナツさん。でも私は本当に平気ですよ。一応持ってきていただけなので」
「……じゃ、お言葉に甘えて。ありがとうございます」

 さっきまでのピン芸人が嘘のように、ブルックは凪いだ調子でそう言った。これ以上断るのも失礼かと思い、私も受け取ることにした。ふわふわのブランケットを胸元で寄せて握る。

 私もブルックもそれきりしばらく黙り込み、ザザーン、ザザーンと、海が船縁を使って遊ぶ音に耳を傾けた。ほぼ初会話なのに、沈黙が苦に感じないのは我ながら意外だ。絶えず笑う波風の音が、こうして間をもたせてくれているからかもしれない。

「(なにか話があるのかと思ったけど……)」

 気付かれないように、瞳だけこっそり隣のガイコツへと向ける。ブルックはわさわさと大きな頭を風に揺らされ「あっやだ毛根が……」と呟いていた。話はない、のかな。……なら、私が話してもいいだろうか。

「ブルックさん」
「なんでしょう」
「……あの、ルフィ――」

 突然頭上からバサバサと大きな音がしてびくりと身を竦める。発生源を顧みれば、麦わら帽子を被ったドクロの帆が大きくはためいていた。「大きな音でしたね〜びっくりして心臓止まるかと思いました。あ、私心臓ないんですけど!」そろそろ面倒臭いからマジレスも視野にいれよう。というかこの調子ならマジレスしても気にしなさそうだな。最強?
 
「それで、なにか言いかけてましたよね?」
「あ……」

 続きを話そうとしたが、少し迷って言い淀む。ちょうど話を切り出そうとしたタイミングでぶち切られたから、ちょっと言い出しづらくなってしまった。

「……異世界人っていると思います?」

 私は言うか言うまいか悩んで、結局全然別の話題を始めてしまった。『ルフィ』とまで言ったのにね。ブルックもそう思ったのか口を噤んだ。

「音のせいで何言おうとしたか忘れちゃって。雑談、付き合ってくれるんですよね?」
「ああ、なるほど……しかしそれを私に聞きますか?」

 ブルックは意外そうに声を高くさせた。質問の意図が分からなかったが、ブルックが続きを促すように眼差しを送ってくるので、とりあえず口を開いた。

「海賊経験の……新世界経験の長い人の意見が聞きたいなって」
「そうですねェ……ナツさんの言う異世界とは、どのような場所を想像しておられますか?」
「えーっと……完全に次元が違う? みたいな……例えば、こう、あー……あ、本の中の創造世界とか?」
「ふむ、なるほど」

 若干違うが、まあ分かりやすく噛み砕けばこうなるかなとろくろを回しながら説明してみる。ブルックは「なるほどなるほど」と何度も繰り返した。

「どうやったら行けますかねェ」
「えっ」
「本の中の世界、素敵じゃありませんか。私もぜひ行ってみた……あっ、別に行きたいわけではないんでしたっけ? そういう異世界からの来訪者がこの世界にいるかどうか、でしたっけ」

 バカバカしいと茶化すでもなく、あるわけないと否定をするでもなく。ブルックはのんびりと言葉を紡いでいく。あっさりとした返答に私の方が動揺してしまい、二の句が継げなくなってしまった。そんな内にも、ポンポンと話が進んでいく。

「それなら、私の答えは一つですとも」

 呆気に取られている私へブルックはいたずらっぽく笑って、突然くるりと優雅なターンを決めた。コツコツ靴音を鳴らして身を翻し、甲板に落ちた大きな雲の影の中にその長身痩躯を忍ばせる。

「ガイコツ人間がいるのです。『いない』などと、どうして私が言えましょう!」

 ブルックは朗々と高らかに謳いあげる。ブルックが舞台役者のごとく両腕を広げたのを見計らったように、ずっと隠れていた月が雲から顔を覗かせ、空高くから彼を照らしあげた。ブルックの元から細い影が、さらに細く伸びてくる。

「なにせ、この海は広くて大きいのですから。なんでもありですとも」

 雲をたなびかせた風が、ブルックの穏やかな声を運んでくる。彼の高い声は鼓膜にやさしく馴染み、緩やかに神経へと溶け込んだ。「……あは」自然と笑い声が零れてしまう。

「どうしよう。私、あなたが大好きです」
「おや、それはとても光栄ですね」

 彼は年の功でなにかを察したのかもしれない。だからこれは、ただの慰めなのかもしれない。けれど今は、それでもよかった。無条件に肯定してもらえたことが、どうしようもなく嬉しくて仕方なかった。別に元の世界に未練はないけれど、かと言って捨てたというつもりでもなかったから。

「私もナツさんが大好きですよ」

 じわりと解けていきそうな涙腺を必死で手繰っているところにそう続けられ、いよいよ我慢がきかなくなりそうになり、私は長く息を吐き出した。いきなり泣きだすような情緒不安定女にはなりたくない。

「勇敢なあなたを尊敬しています」
「……ん?」
「実は――」

 き か れ て た。
 ガイコツの口からつらつら述べられる、誰も知らないはずのあの日の真相に、血の気が引いていく。さっき浸っていたセンチメンタルもどこへやら。警鐘を鳴らす『目撃者消すべし』の精神に従い咄嗟に手を構えたが、 視界に映る包帯だらけの手に、すぐ構えを解いた。

「おや、やめるんですか?」
「手負いの私にやられてくれるほどあなたは軟弱じゃないでしょう。そもそも、今の満身創痍な私じゃ能力なんてまともに使えないので」

 今の素早く手を上げた動作でさえ痛むのだ。距離があるから弾を飛ばす必要があるけど、本にする弾の精製はただでさえ難しいのに、こんな状態じゃ集中できなくて無理。

「それに、みんなは知らなそうで、尚且つこうして二人きりの時にだけ伝えてきたということは、ブルックさんも言って回る気はないってことだろうし」
「ヨホ、仰る通り! 勝手に言うなんて無粋はいたしませんとも、ご安心を。ただ事情を知る者がいるというのは、あなたも知っていたら安心するかなと思いまして、申告した次第ですよ」
「はあ……」
「いざという時はお任せ下さい」

 ブルックはニコッと笑う。要するに、私が危なくなったら助けてくれるってこと? ほう、なるほどつまり。

「ぁぁあああおにもつちゃん……!」
「おにもつ?」
「う……なんでもありません……大丈夫ですお気遣いありがとうございますでも全然あのあれ、ああもう捨て置いといてください……」
「おやおや。果たしてルフィさんがそんなことを許すでしょうか?」

 不意打ちすぎて心臓が握り潰された。

「……ルフィ」
「はい」
「る、ルフィあの、あれ――お、おこ……怒ってました……よね?」
「さてどうでしょうねェ。ナツさんから見てそう感じたということは、そうなのかもしれませんね」
「うあ〜……」

 どっちつかずなようで肯定寄りなブルックの言葉に、呻きながらその場に蹲った。「ナツさん」抱えた膝に額を押し付けて頭を抱えていれば、くぐもった柔らかい声が降ってくる。

「死んでもいい人間なんて、この世にはいませんよ」
「……分かってます。……が、なんにでも例外はあります」
「うーん、頑な。……ナツさんはこの一味のことをとても大切にしているんですね」
「……まあ。関わった期間は、短いんですけど」
「ヨホホ、なにかを愛するのに時間なんて関係ないですよ」
「愛?!」

 ギョッとして弾かれたように顔を上げる。ガイコツは恐ろしい顔面に不釣り合いなほどやさしく微笑んでいた。どうにも居心地が悪くなって、目を泳がせながら立ち上がる。

「愛、や、そんな大袈裟な……」
「命を張ることのいったいどこが愛じゃないというのです」

 いや、私の命はこの世界だと本当に軽いので……。所詮張りぼての人生だ。しかしまあそんなこと言えないので、ただ口を閉ざした。

「でもね、ナツさん。なにかを大切にしたいなら、自分のことも同じくらい大切にしなくてはなりませんよ」

 ブルックがさわさわと頭を撫でてくる。骨の指先が時折頭皮を擽って、コツコツ頭蓋を軽く叩かれるような感覚が少し面白かった。

「……ああ、本格的に寒くなってきましたね。さすがにそろそろベッドへ戻った方がいいでしょう」
「……うん」

 ブルックの手には温度なんかないはずなのに、離れた途端急に寒く感じるのはどうしてだろう。……甘えてしまったのかもしれない。だ、だってなんかブルックすごい包容力が……でもいい歳した女が……! 自覚して気恥ずかしくなり、誤魔化すようにブランケットを手早く畳んで彼に返す。

「これと……黙っててくれてありがとう」
「……いいえ」
「おやすみ、ブルック」
「おやすみなさい、ナツさん。良い夢を」





 ナツが船内へ戻って行ったのを確認してから、ブルックは返されたブランケットを片手に「さて」と上を見上げた。

「あなたにも話し相手が必要ですか?」
「――あら、気付いてたのね」

 虚空から当然のように返ってきた返事に、ブルックはにっこり笑った。しばらくして見張り台から降りてきたロビンへ、ブランケットを軽く持ち上げる。

「元々、私はあなたへこれをお届けするために来たのですよ。ですが、不要のようですね」
「ありがとう、気持ちだけ貰っておくわ」

 航海士から今夜は冷え込むかもと聞いていたロビンは、暖かそうなピーコックグリーンのカーディガンを身につけていた。

「私がいると――聞いていると知っていてわざわざ詳細に状況説明をするなんて、悪い人ね」
「はてさて、なんのことやら……」
 

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