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それは、見えない巨大な手が、本の頁を戯れに捲るように。
未だかつてないほどに高く持ち上がった波に、海軍も海賊も息を飲んだ。波は頁が開かれた状態でピタリと宙に止まったまま動かない。飛沫の一滴すら落ちてこない異常な状況に、その場にいるたった一人を除いた全員が瞬きを忘れて、天を覆い隠す海を凝視した。雨が降る寸前のように周囲の湿度が一気に上がる。
誰もが天を見上げて固唾を呑む中、ルフィだけが、遠くの――本のノド部分でぽつねんと立ち竦んでいるナツを見つめた。
「……ナツ?」
散々酷使されたルフィの体はもう限界で、視力もろくに機能していないはずだった。目の前のエースの顔さえ揺らぐほど。それなのに、ルフィには一週間前にどこかへと飛ばされたはずの、大事なナツの姿がしっかりと映っていた。
「ナツ、なんで……」
どうやってここまできたんだ。
なんでその服を着てるんだ。
どうしてこんなところにいるんだ。
そんなところにいたら危ねェだろ、呑まれちまうぞ。
それにお前、まだどうせあの内緒傷治ってねェんだろ。
聞きたいことも言いたいことも山ほどあった。しかしどれから口にすればいいのか分からなくて、ろくに言葉がでてこない。力なく開いたルフィの口から、ナツの名前だけが零れていく。
「ルフィ、一刻も早く逃げるぞ! なにが起こってるのか分からねェが……こんな大津波に飲まれたらおれ達能力者は逃げ切れねェ!!」
呆然としている弟に、エースは焦って手首を引っ掴んで立ち上がらせた。オヤジが、仲間が命を懸けて来てくれたんだ。溺れて死ぬなんて、そんなくだらない事で拾われたこの命は落とせない。それなのに一向に動こうとしないルフィに、エースは歯噛みして「ルフィ!」と怒鳴った。
「あ、行く、行くよ! でも待ってくれ、あいつ、俺の仲間で――!」
ルフィはなんとか海の方へと寄ろうとするが、逃げ惑う人々で押し合い圧し合いになっていて進路が定まらない。海軍にも能力者は多くいるから、この事態は他人事ではいられないようだった。
壁のような波を背に、ナツはたしかに笑っていた。この距離からは絶対に認識なんてできないはずなのに、ルフィは直感的にそれを確信していた。
「ルフィ」
ナツに名前が呼ばれた気がして、ルフィはとうとうエースの手を振り解いてしまった。「ルフィ!」エースががなるのも聞かず、ルフィは口を開けたまま波の元に佇む凝視する。
「ありがとう、ルフィ」
聴こえるはず、ないのに。
それなのに、ルフィはたしかにその声が聴こえたと思った。よく伸びる自慢の腕を、フラフラと持ち上げる。今の自分にはもうナツの元まで腕を伸ばす力がないことは、ルフィ自身が誰よりも一番よく理解していた。けれどそうせずにはいられなかった。
「ナツ」
届かないと分かっていて手を伸ばす。
どうにか掴めやしないかと、あの時――そう、最初の時みたいに。海の真ん中で溶けそうになっていたアイツを掴んだ、あの時みたいに。
「ナツ!」
開いた本は閉じられる。
想いも涙も悲鳴も。
頁の上で繰り広げられる、遍く全てを呑み込んで。
かくして本は、終わりを迎えた。
海賊王ゴールド・ロジャーの息子、ポートガス・D・エースの処刑の失敗。
そして白ひげの「“ひとつなぎの大秘宝”は存在する」という海軍本拠地内で行われた宣言。王下七武海である黒ひげの裏切り。
極めつけに、予兆なく発生した奇妙な大津波によるマリンフォードの沈没。
のちの歴史に深く名を刻むマリンフォード湾岸にて勃発した頂上戦争は――白ひげという四皇の撃破を省みたとて――、『海軍の敗北』という結果で幕を閉じることとなった。
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