立ち込める石炭くさい白い煙がホームの温度をぐっと上げている。人々のおしゃべりや、ふくろうたちの不機嫌な鳴き声だったりがごちゃ混ぜになっていて、M25とは全く違う、心地の良い混雑だった。手前の数両はもう生徒でいっぱいで、ハリーは外から席を探しながら歩いた。
「ばあちゃん、またヒキガエルがいなくなっちゃった」
「まあ、ネビルったら……」
「――さあリー、見せてくれよ!」
ハリーは人の間を縫って進み、最後尾の車両近くでやっと空いているコンパートメントの席を見つけた。ヘドウィグを先に入れ、列車の戸口の階段からトランクを押し上げようとした。しかし重たいトランクは片側さえ持ち上がらず、二回も足の上に落として痛い目にあった。
「手伝おうか?」
悪態をつく寸でのところで、赤毛の双子のどちらかがひょっこり現れる。
「あら、親切な子」
「うん、お願い」
「おいフレッド! こっち来て手伝えよ」
双子の協力のおかけで、トランクはやっと客室の隅に収まった。ハリーがお礼を言いながら目にかぶさった前髪をかきあげると、双子は急に顔色を変えた。
「それ、なんだい?」
「驚いたな。きみは……?」
「彼だ。きみ、違うかい?」
「何が?」
「ハリー・ポッターさ」
同時に言う双子の視線は、額の稲妻に固定されている。ぽかんと見とれる二人に、ハリーは居心地が悪くなって、隠すようにゴシゴシと額の傷を擦った。
「フレッド? ジョージ? どこにいるの?」
開け放たれていた汽車の窓から、彼らの母親の声が流れてくる。「ママ、いま行くよ」最後にもう一度ハリーを見てから、双子はコンパートメントから出ていった。
「……まさか、これから知り合う生徒全員にこの反応をされたりしないわよね?」
「そう願うよ」
窓際に座ると、半分隠れた状態でプラットホームを見ることができ、赤毛の一家のやり取りが伺えた。母親に捕まったロンが鼻の先を擦られていて、逃げようともがいていた。双子がそれを茶化していると、列車の先頭の方から、一番年上の、最初に柵へと飛び込んだ少年がやってくる。もう黒いホグワーツの制服に着替えている。Pの文字が入った赤と金のバッジが胸元で燦然と輝いていた。あのバッジは監督生の証らしい。監督生に任命されたことは少年――パーシーにとって名誉なことのようで、夏の間中みんなに言って回っていたことが聞こえてきたやり取りから分かった。ヴァイオラがクスクス笑うので、ハリーも少しつられてしまった。
「――ねえ、ママ。誰に会ったと思う? いま列車の中で会った人、だーれだ?」
「駅でそばにいた黒い髪の男の子、覚えてる? あの子はだーれだ?」
「だあれ?」
「ハリー・ポッター!」
双子が挙げたのが自分の話題だとわかってしまって、ハリーは慌てて身を引いた。「いやな言い方!」ヴァイオラがムッとしたように呟く。
「ねえ、ママ。汽車に乗って、見てきてもいい? ねえ、ママ、お願い……」
「ジニー、もうあの子を見たでしょ? 動物園じゃないんだから、じろじろ見たらかわいそうでしょう(「本当にそう、無礼千万よ!」と憤慨したヴァイオラが同意した)。でもフレッド、ほんとなの? なぜそうだとわかったの?」
「本人に聞いた。傷跡も見たんだ……ほんとにあったんだよ、稲妻のようなものが」
「かわいそうな子……どうりで一人だったんだわ(「私がいたわ!」とヴァイオラがまた憤慨している)。どうしてかしらって思ったのよ。どうやってプラットホームに行くのかって聞いたとき、ほんとうにお行儀がよかった……」
「ええそうよ、ハリーは誰よりもいい子なんですから」
「ヴァイオラ、ちょっと静かにしてて……」
「そんなことはどうでもいいよ。『例のあの人』がどんなだったか覚えてると思う?」
双子の一人の言葉に、ずっと口を挟み続けていたヴァイオラが黙った。これは怒りが爆発する寸前の沈黙だとすぐさま気付いたので、ハリーは急いで窓を閉めようと立ち上がりかけたが、それより先に母親が諌める声が聞こえてきた。
「フレッド、聞いたりしてはだめよ、絶対にいけません。入学の最初の日にそのことを思い出させるなんて、かわいそうでしょう」
「大丈夫だよ。そんなにムキにならないでよ……」
汽笛が鳴り、母親が息子たちを急かす。汽笛に紛れて、ハリーはたしかにヴァイオラの「“フレッド”。覚えたわよ……」という地を這うような声を聞いた。ヴァイオラは嫌いな相手が視界に映ると呪詛を延々呟く性質があった。ハリーはどうかフレッドがこれ以上ヴァイオラの逆鱗に触れたりしませんようにと祈る他なかった。
フレッド、それからついでにジョージは、早々にヴァイオラからの株を上げ直した。ハリーに末っ子のロンを預けて自分たちの自己紹介をする以上の干渉をしてこなかったのだ。爽やかに去っていった二人に、ヴァイオラは「ふうん?」と小さく呟いていた。
ヴァイオラは感情的になりがちだが、しかしハリーへ大人ぶるだけあって、寛容な一面を見せることもある。流れで相席することになったロンが「『例のあの人』のこと、なんにも覚えてないの?」と聞いた時、ハリーは片割れの反応を思ってドキリとしたが、ヴァイオラは「ま、子どもだしね……」と流してくれた。
汽車の旅の中でハリーがロンと魔法界のあれこれについて話し込む間、ヴァイオラはハリーに気を遣って、ほとんど口を挟まなかった。もちろん車内販売で魔法界のお菓子を買った時はハリーと一緒になってきゃあきゃあはしゃいでいたが、しかしその程度のものだ。それを除いてヴァイオラが反応らしい反応を示したのは、ドラコ・マルフォイという洋装店で出逢った青白い子がコンパートメントに現れた時で、それでも「出たわねガリガリになったダドリーめ」と憎々しげに毒づくくらいだった。
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ずっと静かにしていたヴァイオラが話し出したのは、組み分け、そして夕食を終え、グリフィンドール塔の男子寮まで案内されてからだった。深紅のカーテンの向こうでロンがスキャバーズと格闘し始めたので、もう話しかけてもいいだろうと判断したらしい。
「ローストビーフ、美味しそうだったわね。あと、ポテトも」
「うん、大きくて柔らかくて……でもポテトは普通だったよ」
大量の大皿で並べられたご馳走は、どれも格別に美味しかった。きっとダドリーだってこんなに素晴らしいものは食べたことがないに違いない。ステーキくらい分厚くて蕩ける柔らかさのローストビーフを思い出して、にっこり口角が上がる。付け合わせとして積まれていたヨークシャープディングも、信じられないほど濃いバターの味でサクサクしていて、ハリーはつい二枚も食べてしまった。ダーズリー家ではとても考えられない贅沢だ。
「デザートだと糖蜜パイが一番だったよ。明日もでるかなぁ?」
「きっと出るわ。そんなに難しい料理じゃないもの」
明日起きるのが楽しみね、とヴァイオラがやさしく言うので、ハリーはこくりと頷いた。聞き慣れた声に知らず張り詰めていた気が解れ、ハリーの眠気を誘った。最後にもう一度ベッド周りを目に焼き付けて、ハリーはベッドに横になった。
「ねえ、そんなに重たく考える必要はなかったと思うの」
なんの事かと布団の中で困惑するハリーへ、ヴァイオラは「組み分けのことよ」と続ける。
「好きな動物とか、好きな色とかで選んだらいいじゃない」
「そんなに簡単なものじゃないよ」
勇敢なるグリフィンドールに組み分けされた者として、ハリーは誇りを持って真面目くさって窘めたが、ヴァイオラは聞いちゃいなかった。
「私はスリザリンがいいな」
ヴァイオラは鼻歌でも歌うような気軽さで言った。よりにもよってスリザリンだって? ハリーは耳を疑って、疲れも忘れて飛び起きた。見えないと分かっていても、友人を探すようについキョロキョロ首を回す。
「いいかい、スリザリンなんて――」
「だって、あなたの瞳の色ですもの!」
ね、悪くないでしょ?
これでもかと用意していた『スリザリンだといけない理由』たちが、栓の抜けたお風呂のお湯のように流れて消えていく。ヴァイオラにそう言われると、実際そう悪くないかもしれないと思ってしまった。だって、ハリーの瞳の色ということは、ハリーと同じ瞳をした人の色でもあるということだ。つまり――。
「つまり、あなたのお母様の瞳の色なのよ」
「……そうだね」
「それにハリーだって蛇は嫌いじゃあないでしょう? 動物園で大きなニシキヘビとお喋りしてたわ」
「うん、そうだね」
たしかに彼は気のいい蛇だった。それはきちんと認めるべきだと、ハリーは素直に頷いた。あのニシキヘビは、ヴァイオラを除けばハリーにとって最初の友達だったと言えるかもしれない。
「ほら!」
ヴァイオラは得意になって声を弾ませた。
「スリザリンだって素敵じゃない!」
「うーん」
ハリーはふかふかのベッドに身を沈ませながら、曖昧に唸った。ヴァイオラの言い分を聞いてそりゃ少しはマシに思えるようになったけれど、それでも先程大広間で抱いた感情に依然として変わりはない。
「やっぱりスリザリンは嫌だよ、僕」
「男の子ってほんとう融通が効かないんだから」
ヴァイオラが仕方ないわねと呆れ返る。きみだって大概意固地だと思うけど、と言ってやりたくて堪らなかったが、眠くて仕方なかったので、ハリーは文句を欠伸で押し込めた。
「ああでも、穴熊もすっごくかわいいわ! 小さな手とか、つぶらな瞳とか。ね、そう思わない?」
「うん、思うけど……ねえヴァイオラ、僕もう眠いんだ……」
「そう言わないで、お話しましょ。今日は色々あったんだし」
色々あったから眠たいのに。ハリーはそうぼやくのすら面倒だったので、ただ黙って瞼を閉じた。ヴァイオラは喋り続ける。
「レイブンクローの、なんだったかしら――そう、機知ってのも、響きが格好いいわよね……うーん、たしかに真剣に考え出すと迷っちゃうわ。私はどこにしよう? ね、ハリーはどこがいいと思う?」
「グリフィンドールがいいと思うな」
ハリーは半分眠りながら、なんとか返した。欠伸を噛み殺してとろとろ口を動かす。
「きみがおんなじ寮なら、きっと楽しいだろうし」
「分かったわ」
ヴァイオラは悩んでいたのがうそのようにあっさりと返した。
「じゃあ、私もグリフィンドールにするわ」
「うん、それがいいよ……」
ハリーがほとんど掠れた声なのも気にせず、ヴァイオラは「私、あなたとおんなじ寮にするわ」と、嬉しそうに囁いた。
そういえばヴァイオラは、糖蜜パイを食べたことがあるのだろうか。
眠りに落ちる直前に、そんな疑問がふと胸に湧く。さっきの彼女はレシピを知っているような口ぶりだった。
けれどあまりの眠気にその疑問をヴァイオラへ投げることは叶わなかったし、起きる頃には、そんな質問をしようとしていたことなどすっかり忘れてしまっていた。